第28話 狐の罠
舞踏会の音楽が華やかに響くなか、令嬢たちのカテリーナに対する囁き声が小さく交わされていた。
「“かわいそうな女”を演じ続ける人って、結局自分しか見てないのよね」
「家同士の付き合いもあるから、ちやほやしないといけないけど」
その声は音楽に紛れ、カテリーナの耳には届かない。
「皆さん、見て?」
彼女はゆるやかに扇を動かし、視線を自然に誘導するように声を投げる。「今、入ってきたあの黒髪の令嬢……まるで田舎から出てきたばかりのようじゃなくて?」
視線の矛先がマリーへと集まっていく。白地のドレスに身を包み、不安げながらも凛と歩みを進める姿は、確かに他の煌びやかな令嬢たちと比べれば素朴で目立っていた。
「今の流行りは華麗で艶やかなスタイルなのに、アクセサリー一つ付けないで……ノエル様まで恥をかかされて可哀そうね」
「……まぁ。少し雰囲気が野暮ったいかも」
「ドレスは確かにかなり古い型ね、それに着こなしがぎこちないような……」
声をひそめながらも、令嬢たちの関心がマリーへと引き寄せられていく。その様子を、カテリーナは内心でほくそ笑みながら見届けていた。
(ふふ……いいわ。田舎娘で薬のことばかり考えているという噂を聞くわ。きっと花嫁修業もろくにしていないんでしょうね。このまま自然に“所作”に注目が集まるよう仕掛けてあげる)
まるで狩人が罠を仕掛けるように、淡々と策略を巡らせる。カテリーナは視線を逸らすことなく、優雅な所作でワインを一口含んだ。
「……今夜は、楽しくなりそうね」
◇
「それでは皆様、王家に栄光あれ――杯を掲げましょう」
司会の声が高らかに響き、太陽を象った壇上で貴族たちが一斉に金色の杯を手に取った。光が反射し、眩い煌めきが会場全体を包み込む。
そのまばゆい光の中、優雅に歩み寄る影が一つあった。
深紅のドレスを揺らしながら、ひときわ洗練された令嬢が私の前に立つ。柔らかな笑みを浮かべていたが、その奥に隠された光までは読み取れなかった。
「まぁ、貴女がマリー様? 初めまして。ビアンケット侯爵家の娘、カテリーナと申しますわ」
「……こちらこそ、初めまして。マリーと申します」
目の前の令嬢は、仕立ての良いドレスに身を包み、隙のない立ち居振る舞いと完璧な笑みを携えていた。その優雅さに、私は思わず一歩引いてしまいそうになる。
「うふふ、うわさはかねがね。お会いできて光栄ですわ。今日の装い、あえて肌を隠すライン……ご自身に自信がない方には安心ですものね。でも、その控えめな雰囲気、とても素敵ですわ」
「……ありがとうございます。そちらのドレスも、とてもお似合いで……」
(私には全然分からないですけど……!)
「まぁ、うちの婚約者が選んでくれたの。彼、何を着ても似合うって言ってくださるのよ。指輪も彼が贈ってくれたの。ふふ、毎日が幸せですわ」
婚約者の話題を何気なく織り交ぜる彼女の笑みには、どこか計算の匂いが漂っていた。
「……そうですか。それは、素敵な方ですね」
「そうなんですのよ! ノエル様はきっとあなたに冷たいでしょう? うちの方は優しくて。まぁ、私の家柄の方が上だから、敬うのは当たり前なのですけれど? それでも毎週手紙をくださるし、何よりわたくしを大切にしてくれるの。ふふっ、貴女も、いつか……“愛される喜び”がわかる日がくるといいわね」
「…………そう、ですね」
私の返事は少しぎこちなかった。
(すっごいしゃべるなこの人。ノエル様はこの国の頂点に君臨するお方……。私みたいな人が愛される日なんて来ない、そう思ってるのね……)
「マリー様、どうぞこちらへ。せっかくの機会ですもの、ご一緒に」
優雅な笑みを浮かべたカテリーナ様が、私を上位貴族の近くへと誘った。その声に呼応するように、周囲の視線が自然と集まり始める。
格式ある貴族たちが見守るなか、私は軽く戸惑いながらも前へと進んだ。
「え、あの……はい、いただきます」
私は頭を下げながらワインを受け取る。杯を両手で持ち、深くお辞儀をしてから静かに口をつけた。
(あれ? ついいつもの感じで受け取っちゃったけど、こういうときのマナーってどうすればよかったの!?)
しまった、と思ったけれど、もう後の祭り。一瞬、周りの空気がぴんと張りつめる。
「まあ……とても丁寧なお辞儀ですこと。それに『いただきます』なんて。まるで召使いみたいで……恥ずかしいですわね」
カテリーナ様は、わざとらしく余裕を漂わせながら口元に微笑を浮かべていた。まるで、私の失敗を楽しんでいるかのように。
(……どうしよう、やっぱり失敗しちゃったのかな)
「マリー様、あなたは王族なのですから、下々の者に深々とお礼をするなんて……恥ずかしいことなんですよ」
カテリーナ様は笑顔のまま、指先で私の所作を示すようにして見せる。
「貴族社会では、礼にも格式があるのです。私の動きを、少し観察なさるといいわ」
「えええ……やっちゃった……」
(前世には身分制度なんてなかったから、そのあたりの感覚がほんとにつかめない……)
華やかな乾杯のざわめきが次第に落ち着きを見せるなか、私は視線を王族席へと向けた。
そこへ、カテリーナ様がひときわゆったりとした足取りで進んでいくのが見える。ひざ下まで伸びるトレーンが優雅に揺れ、整えられた微笑をたたえたまま、彼女は玉座に座る一人の女性の前に進み出た。
マルグリット王妃――王家の威厳と品格をそのまま体現したような方は、杯を手に静かに会場を見渡していた。その瞳は、宴の裏に潜む感情や思惑までも見通すかのように、深く澄んだ光を宿している。
「王妃陛下、本日はこのような晴れやかな場にお招きいただき、心より感謝申し上げますわ」
「……ごきげんよう、ビアンケットさん」
カテリーナ様は会釈を交え、丁寧に微笑む。そのまま、何気ない風を装いながら言葉を続けた。
「ひとつ、気になっていることがございまして。あの方――マリー様の所作について、少々……」
私は息をのむ。けれど王妃陛下は黙して杯を傾け、ただ視線だけで続きを促された。
「決して悪く言うつもりはありませんの。ただ、王族の伴侶としては、いささか未熟なようにお見受けいたしました。いずれご指導なさるおつもりでいらっしゃるのかと……」
言葉の端々に丁寧な気遣いを滲ませつつも、その実、私への非難と嫉妬が込められていた。
マルグリット王妃はその言葉を静かに聞き終えると、グラスを持つ手を止め、視線を私へと向けられた。その眼差しは、まるで柔らかな絹に包まれた刃のようで、私は思わず背筋を震わせた。
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