第23話 薬師としての証明
「お前がシェラード家の女薬師か」
その低くて重たい声が、頭上から降ってきた。
(こ、怖い……!)
気づけば目の前に、白衣の巨人が立っていた。
シャグラン協会長。噂では聞いていたけれど、実際に会ってみるとその存在感は圧倒的だった。
眉間には深い皺、鋭い眼光。頬には大きな古傷が一本走っていて、薬師というよりも歴戦の兵士にしか見えない。 ただ立っているだけなのに、空気が凍りつくような圧を放っている。
(身長差がすごすぎて、まるでこちらが小動物になった気分……!!)
「……あまり兄に似ていないな」
「あ、えっと……」
何か返さなきゃと口を開いたけれど、頭が真っ白で何も出てこない。
助けを求めるようにモルト王子の方へ視線を送ると、彼は明らかに一歩後ろに下がっていた。
(ちょっとぉおお!?)
モルト殿下はにっこりと微笑んで、無責任な言葉を返してくる。
「ちゃんと顔は繋いだでしょ? あとは義姉さん次第だよ」
この状況を全部私に丸投げする気だ……!
「そんなこといって、本当はお前も協会長が怖いんだろ」
ノエルがジト目でそう言うと、モルトは小さく肩をすくめて答えた。
「……ちょっとだけね」
ちょっとどころじゃない気がするけど!?
「……ふむ、事情は分かった」
シャグラン協会長が腕を組んで、私をじっと見つめる。
「要は、彼女が“薬師に相応しい実力”を証明すれば問題ないわけだな」
「きょ、協会長! 我々にそんな暇は……」
慌てて声を上げたのは、さっき私を侮辱したあのエリート薬師だった。
だが、シャグラン協会長の目がすっと細まる。
「ほう? 俺が暇潰しで言ったとでも?」
「い、いえ。そういうわけでは……」
そのプレッシャーに、さすがのエリート薬師も口をつぐんだ。
(ひええ……まさに圧で黙らせた……!)
だけど、その一言で私は悟った。
この場所で、認められるために必要なのは──実力だけ。
薬師としての矜持と誇りを、今こそ示すときだった。
「では、どうすれば私を認めてくれますか?」
私の問いかけに、協会長は無言のまま白衣の内ポケットに手を差し入れ、小さな薬瓶を取り出した。そこから一粒の黒い丸薬を取り、私に差し出してきた。
「これは……?」
「とある高貴なお方のために、特別に調合された胃腸薬だ」
(ふぅん? 特段変わったところは無さそうね。でもこれがどうしたのかしら)
私は丸薬を手に取り、クンクンと匂いを嗅いでみる。
その様子を見ながら、協会長は淡々と続けた。
「実はこれを処方した専属の薬師が突然、姿を消してしまってな」
(薬師が行方不明? まさかノエルの専属だったツィオさんじゃないよね?)
思わずノエルを見ると、彼は首を横に振って否定した。どうやら別の人物のようだ。
「一般的な胃腸薬とは異なるようで、我々が総力を挙げても再現できないのだ。肝心の製造方法どころか、使われている素材すら分からん」
「えっと、その薬師が記した処方箋などは残っていないのですか?」
「残念ながら要人のカルテは安全上、記録しない決まりになっている」
「あー……漏洩するリスクを考えれば当然か」
(現代日本でも持病や薬は立派な個人情報だものね。もし有名人が性病持ちってバレたら、それこそ一大スキャンダルになるわ)
私はふーむと腕を組みながら納得する。
(それにしても新薬の開発で忙しいって、そういう事情だったのね)
先ほどエリート薬師が苛立っていた理由が腑に落ちた。
彼にジト目を向けると、己の無力さを恥じたのか、彼は顔を赤らめて視線を逸らした。
(でも専属の薬師ってことは、相当な上位貴族のはず。それも協会が慌てるほどの人物って……)
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど、理解しました。つまり私にこの薬を再現しろと」
「そういうことだ」
シャグラン協会長もまた、強面の笑みで応じた。
私は丸薬を摘まみ上げ、改めてじっくりと観察する。形は真円、表面にはうっすらと光沢があり、手触りは乾燥したなめらかな質感。そして、試しにペロリとひと舐めしてみた。
「当たり前だけど毒は無いみたいね……よし」
リアン兄様やエリート薬師が「アッ」と声を上げた瞬間、私はその丸薬を口に放り込んでいた。
「んー、この独特な苦みと辛さは……老魚の胆嚢に、乾燥させた螺旋キノコね。それと、この芳醇な甘さは放蕩蜂の蜜かしら。あとは幾つかの薬草と……」
口の中で転がしながら咀嚼し、薬品棚へと足を向ける。
指先は迷いなく素材を選び、私はそのまま調合作業に入った。
薬研で素材をゴリゴリすり潰し、火にかけた土鍋では薬草をグツグツと煮出していく。その隣で、協会長が凄まじいスピードで私の言葉をメモ用紙に書き取っていた。
「まさか、味や匂いだけでそこまで判明したのですか!?」
驚きの声を上げたのはエリート薬師だった。
「……? だいたいの素材の味は、ほぼ記憶していますから」
「なっ……!?」
一同がざわつく中、私は当然のような顔で味見を続ける。
「そんなに特別なことですか? てっきり薬師なら皆できるのかと……」
「そ、そんなことできるわけない!」
「我々の努力が足りないとでも言いたいのか!?」
「それぞれの考え方があるでしょうし、別に強制はしませんけど……知っておくとなにかと便利ですよ?」
素材の中には危険な成分もあるというのに、平然と舌で見極める私に、薬師たちは戦慄を覚えたようだった。
「女なのにどうしてそこまで……」
またその台詞か、と苦笑しながら、私はこう答えた。
「ノエルも言ってましたが、男性ばかりが薬師に向いてるってわけじゃないんですよ? 女性の方が匂いに敏感だって説もありますし、今回みたいに役立つかもしれないじゃないですか」
そう言って私は少しだけ目を閉じ、思い出すように言葉を紡いだ。
「私は何より薬師としての知識や技術が欲しい。だって悔しいじゃないですか。実力さえあれば、もっともっと救える命があるかもしれないんですよ?……私はもう、大事な人を二度と喪いたくない。ただ、それだけです」
その言葉に、薬師たちは押し黙った。まだ若い少女の言葉にしては、あまりに重い覚悟が滲んでいたからだ。
「この子は薬師になるために、幼いころから無茶ばっかりで。それこそ、伝統ある癒しのシェラード家がドン引きするほどでして」
お兄様――リアンが、どこか誇らしげに苦笑して語った。
その言葉に重なるように、私がこの世界で積み上げてきた修行の日々が脳裏に浮かぶ。
飲食や睡眠を削っての勉強、平民の感染症患者につきっきりで看病した日々、そして命懸けで崖に薬草を採りに行ったことも──
(……私は、薬師として生きていくと決めたんだもの)
「分かるぞ、その気持ち」
沈黙を破ったのは、誰よりも無口そうだったシャグラン協会長だった。
「シャグラン協会長?」
一同が驚きの声をあげる。
「俺も昔は、森に素材を採りに行っては、野生動物と戦う羽目になってな。姉上には何度叱られたことか……」
頬に刻まれた古傷を撫でながら、協会長は懐かしむように目を細めた。
だが、その表情が柔らかく見えることはなかった。相変わらずの強面である。
(怖い顔のまま、ものすごく親近感のあるエピソードを語られても困るんだけど……!?)
どうやらそのヒグマのような筋肉も、破天荒な素材採集の賜物らしい。
「もしかして協会長が気に入らない薬師をクビにしたのって……」
「単にやる気のない奴が嫌いなだけだったのかも……」
薬師たちの間に、妙な納得と動揺が走った。
真面目な顔で薬師協会の会長を務めているが、実のところはただの薬バカ。王妃の弟でありながら、肩書きに縛られずこの仕事を続けているのも、きっと本当に薬師の仕事が好きだから──
「……っと。完成しました」
私は作業を終えた鍋から、丸薬を一粒すくい取り、協会長へと差し出した。
「どうですか? おそらく、元の薬と同じ成分になったと思います」
その小さな薬を受け取る協会長に、全員の視線が集まった。





