第21話 歓迎なき薬師協会
「――待て。マリーはコイツと会ったことがあるのか?」
ノエルの問いかけに、一瞬だけ頭が真っ白になった。
「え? う、うん……」
思い出すのも少し恥ずかしいけれど、あれは確か、結婚式のとき。
慣れないドレスとヒールで足をもつれさせて、危うく転びそうになった私を、ふわっと抱きとめてくれたのが——
(まさかあのときのイケメンが、王子だったなんて……)
あまりにも自然で優雅な所作だったから、貴族であることは察していたけれど、王族だなんて思いもしなかった。
その記憶がよみがえってきて、思わず耳まで赤くなる。
そんな私の様子を楽しむように、モルトさん——いや、モルト殿下はにこやかに微笑んだ。
「ふふ。花嫁じゃない今の姿も美しいよ。兄さんは幸せ者だね」
(な、なんて歯の浮くセリフ……!)
ノエルとは真逆の、社交的で飄々とした性格。
そのギャップに私はただ驚くばかりだった。
「はぁ……マリー、コイツのことは気にしなくていいからな」
ため息交じりにノエルが言ったその声には、どこか棘のようなものが混ざっていた。
「えぇ~? もしや奥さんを口説かれて怒ってる?」
「なっ……!?」
にこにこ顔のまま冗談を飛ばすモルト殿下に、ノエルが珍しく声を荒げた。
(ノエルって、こんな顔もするんだ……)
思わず、私は小さく笑ってしまった。
いつもは冷静で、感情をあまり表に出さないノエル。
でもこうして言い合う二人は、まるで年の近い友人同士のようだった。
(それに……すっかり元気になったみたい)
嵐の夜に、ずぶ濡れで帰ってきたときの彼を思い出す。
あのときのノエルは、本当に死にそうな顔をしていた。
それが今では、兄弟喧嘩をする余裕すらあるなんて。
(よかった……本当によかった)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「まぁまぁ、落ち着いてよ兄さん」
モルト殿下は、ひらりと手を振りながら続けた。
「協会長のシャグラン侯爵は、母方の叔父なんだ。僕がいた方が、なにかと都合がいいと思うよ?」
それはもう、自信たっぷりな笑みだった。
けれど、その笑みが消えたのは、馬車が薬師協会の前に停まった瞬間だった。
石造りの堂々とした建物。重厚な扉がゆっくりと開かれると、中では白衣を着た薬師たちが忙しそうに行き交っていた。
その誰もが黙々と自分の作業に集中し、部屋中に漂う薬品の匂いと紙の音が、その空気の張りつめた緊張感を物語っていた。
(すごい……これが、薬師協会……)
フロアの一角には、本棚のように並んだ巨大な薬品棚。瓶の中には薬草や粉末、液体の標本がびっしりと詰められていて、それぞれに細かなラベルが貼られていた。
個人の机には調合道具や資料が山のように積まれており、あちらこちらで実験が進行している様子が見える。
ただ——
(あれ……女性の姿が、まったく見当たらない……?)
気づいてしまった。
そこにいる薬師たちは、全員が男性だった。
そんな中、私たちを出迎えたのは、一人の若い薬師だった。
「女のヤブ薬師が協会長に会いたい? そんな時間なんてありませんよ」
開口一番、吐き捨てるような口調だった。
金髪で細身。華やかな刺繍の入ったシャツに、やけに着飾った白衣。
その立ち居振る舞いも服装も、他の地味な薬師たちとは一線を画していた。
(なにこの人……偉そう)
見たところ、私よりも年下か、少し上くらい。お兄様であるリアンよりも明らかに若く見える。
「なんなんだこの偉そうな男は……」
ノエルがボソリとつぶやいたその瞬間、懐かしい声が背後から聞こえた。
「すみません、殿下……」
振り返ると、そこには白衣姿の兄、リアン=シェラード侯爵が立っていた。
けれど、どこか元気がなくて、顔色も冴えない。
「シェラード侯爵か」
ノエルが軽く頷くと、お兄様は肩をすくめて小さくため息をついた。
「彼は若くして主任になったエリートで、腕は良いのですが……見ての通り、すっかり天狗状態でして……」
その声は、どこか苦笑を含んでいた。
(協会って、爵位とか関係ないって聞いたことがあるけど……お兄様、ここでは立場がないのね)
そう考えると、なんだか胸がちくりと痛んだ。
「それと……手紙にあった特効薬の件なのですが……」
リアンの顔がさらに曇る。
「製造は……難しいかもしれません」
「なんだって!?」
ノエルの声が思わず大きくなる。
お兄様はその前で、申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げ続けていた。
(えっ、まさか……特効薬が作れない……?)
胸の奥がざわめいた。
私が命がけで作ったあの薬が、ここでは受け入れられないというの……?