第20話 薬師協会への道と、招かれざる同行者
晴れ渡る青空の下、王都を走る一台の馬車。
その車内では、私マリーは小さな窓から外の景色を眺めながら、心の中を落ち着かせようとしていた。
「わぁ……あれが薬師協会……」
遠くに見えてきたのは、灰色の石造りの壮麗な建物。荘厳なアーチに高い尖塔、王都の中でも一際目を引く存在感。
「初めて見たけど、すごい立派な建物ね! 中はどうなっているのかしら!?」
興奮を隠せずに声を弾ませる私の隣で、ノエルは腕を組んだまま頑なに窓とは反対方向を向いていた。
眉間には深いしわ。
その表情はどう見ても、ご機嫌斜め。
「……」
まったく返事すら返ってこない。
(ど、どうしたのかしら……)
不穏な空気が馬車の中に満ちていた。
その一方で、対面に座っている人物だけが、まるでこの空気を無視するかのように微笑んでいる。
艶のある黒髪を丁寧に整え、華やかな外出用の貴族服を纏ったその青年は、まるで舞踏会の帰りのような余裕の笑みで、私に向かって手を振ってきた。
(……あれ? この人……どこかで……)
「ごきげんよう、マリー嬢。今日も素敵な装いですね」
「……あっ、えっと……ど、どうも……」
突然の社交辞令に、うまく返せずに目を逸らしてしまう。
(き、気まずい……)
(この人ってたしか、結婚式にいた人よね?)
思い返すのは、数週間前のあの結婚式。
慣れないドレスと緊張で足をもつれさせた私を、さっと支えてくれた——
(あのときの、イケメン貴族……モルトさん、って名乗ってたような?)
その姿と、今目の前にいる彼が重なる。
(でも、なんで今こんなところに……?)
貴族とはいえ、こんな場に同席するほどの立場なの? ……いや、まさかね。
モルトさんの微笑みは、どこか底知れなくて。
だけど、決して敵意は感じられない。
……いや、むしろ一番警戒しているのは、隣にいるノエルのほうかもしれない。
隣からひしひしと伝わってくる「機嫌最悪オーラ」が尋常じゃない。
(はぁ……この馬車、地味に修羅場じゃない!?)
ただ薬師協会に向かうだけのはずだったのに……どうしてこんな気まずい状況に巻き込まれてるのかしら。
◇
薬師協会に向かうことになったのは、ノエルのある一言がキッカケだった。
それは、ノエルが王都に戻ってから二日後のこと。
朝の柔らかな日差しが差し込む中、私は王城の奥にある彼の執務室へと足を運んでいた。
その部屋は、質実剛健という言葉がぴったりの空間だった。
煌びやかな装飾は一切なく、本棚には戦術書や武器に関する解説書が整然と並び、壁には実際に使われたであろう練習用の剣や槍、そしてこの世界では貴重とされる地図が飾られている。
一見すると“戦場に生きる男”の部屋。
(あ、あれ……?)
そんな印象を受けながらふと視線を向けると、部屋の隅にちょこんと並べられた小さな木彫りの動物たちが目に入った。
どれも手のひらサイズで、つぶらな瞳が愛らしい。
(……ニケ君の私物ね、きっと)
無骨な空間の中に溶け込むようにして、ほんのりと柔らかい空気を添えていた。
私は執務机を挟んでノエルと向かい合う。
その表情は真剣そのもので、腕を組む姿には王子としての威厳がにじんでいた。
いつもの気怠げでぶっきらぼうな彼ではない。
今そこにいるのは、国家の未来を見据える、真摯な“王子”ノエルだった。
「薬師協会に特効薬の製造依頼を?」
驚いて問い返すと、ノエルは静かに頷いた。
「あぁ。これを国中に普及させるなら、やはり協会に任せた方がいい」
その言葉には迷いがなかった。
(薬師協会……確かに、王国で流通する薬のほとんどを統括している組織だったわね)
(勝手に薬を売るなんて違法行為だって、あのとき身をもって思い知ったもの)
思い出すのは、スラムで薬を配って捕まった、あの日のこと。
懐かしいような、恥ずかしいような記憶がよみがえる。
(たしかに、私ひとりでどうにかなる問題じゃないわ)
「すまない。マリーの功績を協会に渡すことになるが……」
「ううん、それで多くの命が救えるなら、私は嬉しいわ。それに、協会にはお兄様もいるし。手紙を出しておくね」
私が笑って答えると、ノエルも少しだけ頬を緩めた。
「あぁ、助かるよ。それで今度、協会に顔を出そうと思うんだが……マリーも一緒に来てくれないか?」
「もちろん!」
即答した私に、ノエルはわずかに目を見開いたあと、ふっと小さく笑った。
——こうして、私はあの薬師協会へ足を運ぶことになったのだった。
……はずなのに。
◇
「ねえ、ノエル? どうしてモルトさんが同行してるの?」
馬車の中で、私は思いきって尋ねた。
なぜなら、どう見ても“想定外の人物”が正面に座って、にこにこと微笑んでいるからだ。
「ん? 二人が協会に行くって“偶然”聞いてね。面白そうだったから、僕も行くって兄さんにお願いしたんだ……って、あれ? もしかして聞いてなかった?」
そう言って首を傾げるモルトさんに、私はおそるおそるノエルの方を見た。
すると彼は、心底イヤそうな顔で眉間にしわを寄せ、聞こえるように舌打ちした。
「お願いもなにも、俺は許可した覚えはない。お前が勝手についてきただけだろう」
「えぇ~? 相変わらず冷たいなぁ」
口を尖らせて拗ねるモルトさん。しかし、その態度はどこか演技めいていて、本気で落ち込んでいる様子はまるでない。
(ま、待って? 今……ノエルのことを“兄さん”って……)
ようやく頭の中で点と点がつながる。
「もしかしてこの人が……モルト殿下!?」
思わず声が上ずった。
(ノエルの異母兄弟で、正妃様の子。次期国王としても有力視されてるっていう、あの……!?)
あまりの衝撃に、私は内心でぐるぐると混乱していた。
そんな私の様子をおかまいなしに、モルト殿下は楽しげに微笑む。
「というわけで、結婚式以来だね、義姉さん」
「ね、義姉さん!?」
(たしかに、そうなるのかもだけど……でも、でも!)
(元スラム出身の私が!? そんな立場になってるなんて、頭が追いつかないわ……!)
目の前で微笑むモルト殿下の笑顔が、なぜだかとても底知れなく思えた。
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