第16話 嘲笑の中で、私は立つ
皆がノエル様の背中を見送って沈黙している中、私はそっと薬師のもとへ歩み寄った。
「あの、ちょっと良いですか?」
なるべく小声で、でも聞き取れるように話しかけると、近くにいた薬師の一人がピクリと肩を揺らした。
「な、なんですか」
「金庫にあった狼牙と月光草、少し分けていただきたいんですけれど……」
予想外のお願いだったのか、薬師の表情がぽかんとした。
「え?」
私はにこりと笑って、言った。
「特効薬、ちょっと作ってみようかと思いまして」
◇ ◇ ◇
夜。王城の居住棟にある私の自室。
重い扉を閉めた瞬間、私は息を吐き、すぐさま机へ向かった。
ランプの灯りに照らされた実験台には、いくつもの薬学書と試薬の瓶、フラスコ、注射器、ピンセットなどが整然と並べられている。
その中央に、さっき薬師たちから分けてもらった“狼牙”と“月光草”が置かれていた。
毒性の高い薬物と、それに使われる禁忌の植物。
「ふふふ、誰も作ったことのない薬……腕が鳴るわね」
私は手の指をワキワキと動かしながら、わくわくとした気持ちを抑えきれなかった。
多分、今の私はマッドサイエンティストそのものだ。
でも、この手でノエル様を守ることができるなら。
危険でも、無謀でも、やるしかない。
「待っててね、ノエル様。絶対、私があの薬を無効化してみせるから」
口に出したその瞬間、あのときのことが不意に脳裏をよぎった。
私が「特効薬を作る」と口にしたあの医務室の空気。
夕暮れの王城、薄明かりの差し込む医務室。
「特効薬、ちょっと作ってみようかと思いまして」
自信をもってそう言い切ったはずだった。けれど、返ってきたのは期待でも賞賛でもなく、冷たいざわめきだった。
薬師のそばに立っていた貴族が、わざと聞こえるような声で嘲るように言った。
「……あの白衣女は聞いてなかったのか? 特効薬は作れないって話だっただろう」
「そうですよ。我々薬師協会が総力を挙げても、まだ効果的な薬が見つかっていないというのに…」
「そもそも女の薬師に何ができるっていうんだ、まったく」
その言葉に、私は思わず視線を落とした。薬師のひとりが狼牙と月光草を差し出してくれたけれど、その目もどこか私を避けるようで……明らかに関わりたくなさそうな態度だった。
周囲の視線は冷ややかで、私を見る目には侮りと落胆、諦めが滲んでいた。
何も言い返せず、私はただ黙って、唇をきゅっと結んでいた。
でも――
あのときの空気、あの目線、そして心に刺さったざわめき。
すべてが、私の中に静かに火を灯したのだ。
「諦めたら誰の命も救えないわ」
私は小さく息を吸い込みながら、月光草の入った瓶を手に取った。
「女? 王子の嫁? そんなの薬師の実力とは関係ないって証明してやろうじゃないの」
言葉を噛みしめながら、私は瓶の蓋を開け、花弁をつまむと……そのまま、ためらいなく口の中へと放り込んだ。
「ごほっ、げほっ……うえぇ、まっずぅ」
想像以上の苦味と鼻をつく薬草のにおい。
私はむせながら、慌てて口の中のものを吐き出す。
それでも、口元をハンカチで拭いながら、自然と笑みがこぼれた。
「さて、あとはどうなるか……楽しみね」
そうつぶやいた私は、まだこの先に待ち受ける地獄を知らなかった。
そこから先の三十分――それは、まさに毒と向き合う試練だった。
「……なるほど、症状は、身をもって理解できたわ」
頭の奥が重く、身体の芯がどこか浮いているような感覚。
目の奥がじんわりと痛む。足先から指先まで、ぬるい痺れが滲んでいる。
それでも私は、椅子に腰かけたまま、どうにか机に手をついて姿勢を整えた。
鏡の中の自分をちらりと見れば、いつもより少し頬が痩けて見える気がした。
目の下には薄い影。けれど、それでも――
私の目だけは、驚くほど爛々と輝いていた。
ペンを手に取ると、私はノートを開き、躊躇なく書き始める。
化学構造式、反応式、植物の性質、過去に記録した毒性の症例……。
頭に浮かんだ全ての情報を、次々と書き連ねていく。
まるで、紙の上で私の頭脳そのものが走り出すように。
(口の渇きに倦怠感。そして視界不良。明らかに副交感神経への影響。私は口に含んだだけだから、これだけで済んだけれど……)
手を止めた一瞬、ふとツィオの死に顔が脳裏に浮かぶ。
(前世でもナス科の野菜と間違えて中毒を起こした症例があったわね。……なら、特効薬の鍵になるのは――)
立ち上がろうとした瞬間、世界がくるりと回った。
床が波打つように揺れて、視界がかすむ。
「っ……まだよ……!」
私はぐらりと身体を傾けながらも、机に手をついて踏ん張った。
膝が笑っていたけれど、それでも私は唇の端をきゅっと引き上げた。
「これで準備は整ったわ。見てなさい。この私が不可能を覆してやるんだから」
 





