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2025/2/20_15:30:40

第六話 孝行娘(秋)

 浅草寺境内を、秋風が通り過ぎていた。

 四ツ半刻(十一時)頃、おすみが、店から出て、いつものように暖簾を掛けた。

 しばらくすると、尼の姿をした女が、落ち着かない仕草をしながら入ってきた。

「いらっしゃい」

 お玉は、入口で出迎え、席に案内をした。

 注文を聞きながら、お玉は、尼の顔を何気なく見た。

「おすみさん、あの尼さん、本当の尼さんじゃないみたい。ちょっとおかしいんですよ」

「お玉さん、その前に、注文はなんですかい」

 銀之助が、口をはさんだ。

「菜飯ととろろ汁、お願いします」

 といって、おすみのほうに向かって、舌を出した。

 お玉は、尼のところに膳を運んで行った。

 それから、入って来る客という客は、尼姿に一瞥して席に着いた。

 四半刻ほどたって、尼は、食べ終わり、お玉に金を払おうとした時、岡引きの常吉と同心の松木仁右衛門が、慌ただしく店に入って来た。

 二人は、客たちの顔を見回した。

 松木にいましたぜといって、常吉は、尼のところにやって来た。

「おい、はま、ちょっと番屋まで、顔を貸してくんな」

 常吉は、十手で肩を叩きながらいった。

「あたしが何をしたというんだね」

「今、おまえが払ったその銭、稼いだ相手は、盗人なんだ。話を聞かせてくれねえか」と、 松木が言った。

「お玉さん、悪いがこの銭、ひとまず証拠としてもらっていくぜ」

 常吉は、銭を巾着に入れ、観念したはまを店から連れ出した。

 お玉は、何が何だかわからず、ただ茫然と常吉たちを見送った。

 店にいた数人の客は、何事もなかったかのように飯を食べ終えて、うまいもん屋を出て行った。

 おすみは、暖簾を店の中に入れ、腰高障子を閉めた。

「銀之助さん、一体なんで、はまさんが連れていかれたんですか」

 お玉が、聞いた。

 おすみも知りたそうな顔をして、茶碗を洗っていた。

「はまさんでしたっけ。彼女は、本当の尼でなく、恐らく、いわゆる比丘尼と呼ばれる尼の格好をした売春婦なんでしょう。たまたま昨日の相手が、盗人だったんでしょうね」

「比丘尼っていうんですか」

「比丘尼とは、本当は、尼僧の階級をいうらしいのですが、ちょっと前では、地獄絵図のようなものを持ち歩いて、悲しい声で物語をし、金銭を得ていた尼姿の女を比丘尼といっていました。それが最近では、尼僧の格好をした坊主頭の遊女のことをいうようです。そういえば、赤穂浪士の大石内蔵助は、討ち入りの迫った頃、赤阪伝馬町にいる比丘尼に通っていたという噂があったそうですが、本当かどうか」

「男って、いやらしいですね、銀之助さん」

 おすみが口をはさんだ。

「そろそろ、仕度をしましょうか。献立は、いつもの田楽豆腐、ちょっと早いですが風呂吹き大根そして、ねぎ飯にしましょう」と言って、銀之助は、苦笑いしながら比丘尼の話を打ち切った。

 浅草寺からの七ツ時(四時)の晩鐘が鳴り響いた。

 おすみが、暖簾を掛けに店の外へ出ると、はまが立っていた。

「はまさん、店の開くまで、待っていてくれたんですか。さあ、中に入って下さいな」

 はまは、おすみに背を押されて中に入った。

「実は、先ほどのお食事代なんですけど・・・・」

「そこに座って待っていてください。今、銀之助さんを呼んできますから」

 銀之助が心配そうに腰をおろして言った。

「はまさん、わざわざ店の開くのを待っていて下さったんで」

「先ほどのお食事代なんですけど・・。お金が、盗人の物だといわれ、すべてお上に没収されてしまいました。すみませんが、後日払いに来ますので、今日は勘弁してください」

 はまは、頭を下げた。

「お金は、いいですよ。何かわけがあるようで、良かったら話してくれませんか」

 はまは、しばらく俯いていたが、決心したかのようにしゃべり始めたが。

「あたしは、紺屋町の仁兵衛長屋に、両親三人で暮らしてます」

 はまは、それきり黙ってしまった。

「はまさん、話したくなけりゃ、話さなくてもいいのよ」

 おすみが、心配そうにいうと、はまは、とうとうこらえきれずに泣き出した。

 銀之助のしぐさを読み取り、おすみは、勝手場に行った。

 しばらくの間、銀之助は黙ってはまのそばにいた。

「はまさん、ここではなんだから、勝手場に行きましょうか」

 銀之助が、勝手場に連れて樽に座らせた。

 おすみが、風呂吹き大根とねぎ飯を膳に載せて、はまの前に置いた。

「はまさん、これ食べて行ってくださいな」

 三人連れの客が入って来て、お玉が席に案内し、勝手場に戻ってきて注文を伝えた。

「銀之助さん、田楽豆腐六本、風呂吹き大根三つ、お酒三合です」

 銀之助とおすみが、注文の品を膳に載せ、お玉が客に運んで行った。

「おすみさん、風呂吹き大根とねぎ飯二人前を、おはまさんに持たせてください」

「はい」

 それを聞いたはまは、箸を止め二人に頭を下げた。

 はまが食べ終わると、銀之助は、あまり遅くなると物騒だからといって、提灯に火をつけて持たせた。

 はまは、裏口で見送る銀之助たちに、振り返っては何度も頭を下げていた。


 朝、真っ青な空だった。

「おはようございます」

 お玉が、息子の安吉を連れて勝手場に入ってきた。

「おはよう、安坊、珍しいな」

「今日は、寺子屋が休みなんで、手伝いに来させました」

 安吉は、お玉のいう通りに茶碗を並べていた。

 銀之助とお玉は、昼の献立を作った。

 四ツ時(十時)の鐘が鳴ってしばらくすると、おすみが息を切らせて、勝手場に入ってきた。

「間に合った」

「おすみさん、今日は、休んでもよかったのに」

 銀之助は、笑顔で迎えた。

「あれ、安吉じゃないの。あんたも手伝ってくれてんの」

 といってから、はまの住んでいる猿屋谷町、仁兵衛長屋の噂を銀之助に話した。

「はまさんの父親は、髪結職人で、数年前に、父親と同業だった万之助という男を婿にしたようです。その後、父親は病に倒れ、万之助は、酒、博打そして女におぼれたようです。はまさんは、それからも万之助に尽くしたようですが、お金が無くなると荒れて、暴力をふるうようになり、長屋の人たちは、はまさんの家から聞こえてくる怒号には居た堪れなくなったといっていました。名主から、万之助に説教してもらうも全くいうことを聞かなかったようです。はまさんも、もうついて行けないと決め、別れたんですが、父親だけでなく、母親までもが、病気がちで縫い物などの賃仕事では、薬が買えなくなったので、止む終えず、手っ取り早く稼げる比丘尼になったんですって。はまさん、毎朝浅草寺に日参して、お百度を踏んでいると、長屋の人たちは孝行娘と褒めていました。そんなはまさんを慮って、長屋や近所の人たちが婿養子の話を持って行くのらしいですが、両親の心にかなわぬようなことがあるとかえって、不幸になるからといって断っているようです」

 銀之助とお玉は、おすみの話を、仕事の手を止めて聞き入っていた。

 

 それから数日後の重陽の節句の日、銀之助はいつもより早く目を覚ました。

(今日は、忙しいぞ)と、身支度をしながら、気合を入れた。

 勇治が来る前に、銀之助は浅草寺に向かった。

 仁王門をくぐると、道の両脇で、職人たちが、鉢に入った菊を並べ始めていた。

 白、黄、淡い桃色と色とりどりの豪華絢爛な菊であった。

 手水で手を清め、本堂でで手を合わせた。

 まだ時間があったので、念仏堂そして、龍谷稲荷に近づいた時、女が、二礼二拍一礼をして、手を合わせたまま身動きせずに稲荷の前で拝んでいた。

 しばらくの間、銀之助は女を見つめていた。

(やはり、はまさんか)

 銀之助は、音を立てず、二拍し頭を下げて、その場を後にした。

 店に戻ると、勝手場にはおすみとお玉そして、安吉が働いていた。

 流しでは、包丁を持って、魚を捌いている男がいた。

「勇治さん、どうしたんですか」

「裏口でいつものように声を掛けたら、誰も出て来ねえので、通り過ぎようとした時、おすみさんたちが来たんです。今日は、重陽の節句なんで忙しくなるから早く来たんですって。それじゃ、おいらも適当な魚を捌いて行こうってなったわけで」

「それは・・。皆さん、ありがとう」

「銀之助さん、今日は生きのいい秋刀魚が手に入ったので、鮨ねた用に捌きましたよ」

「あたしは、酢飯を作ってます」

 お玉とは、団扇で煽ぎながらいった。

「あとは、焼き生姜と若菜汁にしました」

 おすみが、笑顔でいった。

 おすみが、うまいもん屋の暖簾を外に掛けた。

 半刻ほどして、手拭いをかぶって、はまが息を切らして、店に入ってきた。

「はまさん、どうしたんですか」

 お玉が、心配そうにいった。

「助けて」

 客たちが一斉に、はまの方に顔を向けた。

「この女、逃げやがって」

 みみずばれの傷を頬に持った男が、店の中に入ってきた。

 客たちは、ざわめきそして息をのんだ。

「この男です、昨日のお金・・・」

「何いってやがる」

 はまの手を掴んで、店の外に連れ出そうとした時、

「お客さん、ちょっと待ってください」

 銀之助は、はまを掴んでいた男の手首を取り捻った。

「いてえ、てめえなにしやがる」

「お客さんに迷惑を掛けますので、外で話しましょう」

(こいつか、盗人は)

「うるせえ、痛い目に合わないうちに、この尼を渡した方がいいんじゃねえか」

 銀之助のつかんだ手を振り切った男は、肩で風を切って外へ出た。

 銀之助が、外へ出ると、いきなり男は匕首を振りかざして、かかってきた。

「何をするんですか」

 銀之助は、左に体をかわした。

「この野郎」

 男が体制を整えて、また向かって来たところ、銀之助の左足が、男の急所を足で蹴り上げた。

「いてえ」

 男は前にうずくまった。

 銀之助は、おすみに縄を持ってこさせ、男を縛り、四半刻後に来た同心の松木と岡引きの常吉に引き渡した。

 松木は、はまに奉行所で話を聞かせてくれと言った。

「銀之助、この度の事、奉行に伝えておく」と、松木が礼を言った。

「銀之助さん、お手柄でしたね」

 おすみは、嬉しそうだった。

「はまさんのお手柄ですよ。お奉行所も、はまさんにお礼をいわなければなりませんね」

「はまさんも、ほっとしたんじゃない」

 お玉が、豆腐を串に通しながら、いった。

「明々後日は、お月見ですね。長屋の人たちも入れて、お月見やりましょうか」

「銀之助さん、はまさんたちも呼びましょうよ」

 おすみがいった。

「お母さんとお父さん、病気でしょ」

「駕籠で来れば大丈夫よ、はまさんに確かめてみるわ」

 おすみは、明日でも長屋にいって聞いてみるといった。

「場所は、大川端の舟宿を借りましょうか」

 銀之助は、干したを焼きながらいった。

「そうだわ、常吉親分がやっている舟宿にしましょうよ。きっと安くしてくれるわ」

 おすみが、笑いながらいった。

 常吉は、瞽女の事件後、うまいもん屋に時々、客として来るようになった。

 銀之助が常吉にはまたちと月見をやるので、部屋を貸して欲しいと頼んだところ、二つ返事で一番良い部屋を貸そうと承知してくれた。


 月見の日、銀之助は昼で店を閉めた。

「さあ、作りましょう。おすみさん、酢だこ、ゆで卵との天麩羅をお願いいたします。お玉さん、団子をおつたさん、煮ものをお願いします」

 今回、おすみの進言により、初めて鯔の天麩羅を献立に入れた。 

 銀之助は、剥いた栗を米に入れて、火をつけた竈に乗せた。

 出来上がった料理を提重に盛り合わせが終わって、大川端にある舟宿‘千鳥’に行った。  

 大川沿いを銀之助たちが話しながら歩いていると、長屋の連中に追いつかれ、橋本が、おすみに声をかけた。

「今日は豪華そうだな」

「橋本様、皆腕をふるって作りましたから。良いお月見ができますよ、乞うご期待を」

 川辺の店々には、行燈に灯がともされ始めた。

 千鳥に着くと、常吉の女房たつが銀之助たちを迎えた。

「いらっしゃいませ。もうはまさんたちはお着きですよ」

 はまと両親、そして迎えに行った職人の銀太が、すすきや果物が供えられた置き台をはさむように座っていた。

 はまと両親が、銀之助たちに頭を下げた。

「この度は、娘のはまがいろいろ世話になっただけでなく、俺たちを月見に呼んでいただき、ありがとうございます」

 父親の民助が、また頭を下げた。

 しばらくして、おすみ、お玉や長屋の女連中が作ってきた料理を膳に載せて運んできた。

 はまたちは、思わず、

「美味しそう」といった。

 そして、千鳥の女たちが、酒を運んできた。橋本が、徳利を取って、民助の前に行き、酌をした。

「とっつあん、飲みな」

 はまは、銀之助の前に行って酌をした。

「この度は、いろいろお世話になりありがとうございました」

「これからも、おとっつあんとおかっさんを大事にな。何かあったらいつでもうまいもん屋に来てくれ」

 開け広げた障子からの大川と月がはっきりとはまの潤んだ目に入った。

 宴が盛りになって来た時、常吉が同心の松木仁衛門を連れて入ってきた。

 銀之助、はまたちは驚いた。

「皆の者、宴の席を邪魔して申し訳ない。実はお奉行様からはまの親孝行に対して、ご褒美が出たので持って参った」

 松木は、はまの前に座って、紫の包みを差し出した。 

 はまと両親は体がこわばって、頭を下げ続けていた。

「はまさん、遠慮なくもらっとおけ」

 橋本が横から口をはさんだ。

「そうよ、もらっておきなよ」と、おつたが言った。

 はまは、涙が止まらなかった。

 月は川面を照らし、川端の草むらでは鈴虫が鳴き始めていた。


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