唯一の薔薇 終
「……んぁ……」
薔薇の花をいじりながら考えていたらいつの間にか眠っていたようだ。
研究室にはベッドは無いが研究用の机がある。
そこで突っ伏して眠ってしまっていた僕は体を起こし背を伸ばす。
ポキポキと小気味よく体が音を鳴らし周囲を見渡す。
この研究室は夜でも日中でも明るい。
地下ではあるものの地上から太陽の明かりを取り込むように隠された天窓がついているし、夜には日中で溜めた太陽の明かりを発することが出来る植物が明かりを担う。
「さて、昨日の続きから始めよう」
昨日は散々悩んだ挙句に薔薇を数本セットすることにした。
鉢植えに土を入れ薔薇の株を植えていき、水を入れる。
僕の能力により色や効果は決められているものが数本。
目の前で花開いている。
「これぐらいなら安定して咲かせられるようになったな」
机に置かれた5個の鉢植えで咲く薔薇の花弁にゆっくりと触れる。
そうすることで花に付与された効果を知ることが出来る。
それぞれに「花の強度を高くする」「花粉に色をつける」「軽い傷を癒す」「透明な花びらをつける」「水の中で成長する」という効果をつけてある。
「……やっぱり、無理なのかな……」
こんなに弱い力では香織さんの求める薔薇には遠く及ばない。
「でも、何か惜しい感じがするんだ。頭の隅に引っかかるような……」
目的に縛られすぎているのだろうか。
高すぎる目標だったのだろうか。
自分が持っているものはなんだ。
使える技術は、溜め込んだ知識は、積み重ねた経験は、その全てを……咲かせる。
「……っは!出来るかもしれない!枯れず、美しく、世界で唯一の薔薇が!」
あとは、己の勇気だけだ。
大丈夫。覚悟は出来てる。
「さあ、花を咲かせよう」
――――――――――――――
1か月後。
「雹!車を出してくれ!」
「――おぉ?帰ってきた。良いけど、どこへ行くんだ?」
「香織さんの病院!」
突然店へ帰ってきた僕に目を開いて驚く二人。
それでも何やら急いでいる様子の僕を見て雹は二つ返事で頷いてくれた。
聖菜は聖母のように優しく微笑んで「いってらっしゃい」と送り出してくれる。
「いってきます!」
なんていい仲間たちなんだ。
雹だっておそらく配送の仕事が入っていただろう。
1か月も二人に店を任せて、いざ帰ってきたら自分の都合で動かされるなんて怒って当然なのに……二人は示し合わせたように動き出す。
「病院まで少なくとも3時間だ。大丈夫か?」
「うん。ちょうど間に合う頃だ」
僕の抱える箱の中には作り上げた1本の薔薇が入っている。
雹は箱に入っているものが3時間以内に枯れたりしないか?というのを心配してくれているのだろう。
僕は携帯を取り出し柏木さんの連絡先にかける。
数回のコールのあと男性の声が聞こえる。
『もしもし……?』
「柏木様の携帯で間違いないですか?」『はい』
「フラワーショップKEIの荘華です」『え!?ということは!』
「完成しました!香織様のための唯一の薔薇です!現在病院に向かっているのですが、立ち合いできますか?」『はい!すぐに行きます!』
平日の昼間、陸さんは大学にいたようですぐにタクシーで向かうと言ってくれた。
せっかくなら二人に見てもらいたいから。たった少しの時間を。
そうして車を走らせること約3時間半、途中で渋滞に巻き込まれたものの大凡時間通りに病院へついた。
「お久しぶりです!店長さん!」
「お久しぶりです。急に呼び出してしまい申し訳ありませんでした」
「いえいえ!それで……完成したんですか?」
「はい。それをお見せ出来ればと思いまして」
陸さんはちらっと僕の持つ箱を見て納得したように院内へ入って行く。
慣れた様子でお見舞いようの訪問証を書く陸さん。
「香織の部屋はこっちです」
陸さんの案内について行くとエレベーターを上がり最上階へ、さらに一番奥の部屋へ向かう。
病室の外には女性が一人立っていて、立ち姿と装備から言って狩猟者の人だろうか。
僕らが近づくと少し構えた女性はこう言った。
「陸様と……申し訳ありませんが、どちら様ですか?」
「フラワーショップKEIという店を運営しています。荘華恵と久水雹です。本日は香織さんに依頼された薔薇の花を持ってきました」
「中を確認しても?」
「申し訳ありません。特殊な花なので外に出すことは出来ません」
「……香織さんは今非常に危険な状態です。いつ異常種になってもおかしくない。その非常時のために私はここにいます。私には確認する義務があります」
「……ですが」「じゃあ、俺が変わろう」「……雹?」
「あなたが警戒しているのは異常種となった香織さんの対処でしょう?」
女性と僕の間に雹が立って入る。
いつになく真剣な表情でちらりと僕を見る雹はまるで「ここは俺に任せろ」と言わんばかり。
そんな雹に気圧されるように僕は1歩引く。女性は体の大きな雹に怯えるどころか僕と相対していたとき以上に敵対心を剝き出しにしている。
「その通りです。香織様のご両親より最悪の事態になれば周りの被害が出ないうちに眠らせてくださいと依頼を受けています。これは狩猟者協会を通じた正式なものです。あなたのランクがいくつであれ変わることはできません。何より私のランクは5です。あなたは私より強いのですか?」
女性は胸ポケットから自分の狩猟者免許を取り出した。
狩猟者免許は個人の強さや変異種討伐数などを考慮し狩猟者たちを纏める狩猟者協会が発行している。
ランクというのは狩猟者の中でどれぐらいの強さや経験を持つのかを現す単位であり、最低ランクは10で最高ランクは1となる。
ランク5というのは数字だけで見れば狩猟者の中で真ん中ぐらいなんだな、という感じだが。実際にはランクが1上がるごとにそのランク帯にいる人数が半分近く減っているのでランク5というのは狩猟者でのプロであり強者である。
しかし、僕の幼馴染は――。
「ランクを気にするなら俺はランク1だ」
最強の一角なのだ。
「――えっ」
「君が自分より強いのかと聞いたんだろ?引退はしたが元はランク1。もちろん、免許も持っている。――ほらよ」
雹が引退するとなったときには大いに問題になった。
なぜ引退するのか、なぜ今なのか、ニュースでもあることないこと議論され国からも引き留められていたほどなのだ。
その結果、今は休止という形にしてくれないか?という国からの頼みで狩猟者免許は返納できずにいる。
本人は狩猟者でいることを嫌がっているため、いつもなら表には出ないのだが。
「……えっ……あっ……」
「ランク1には特権がある。君には申し訳ないが少しの間離れていてくれ」
「しょ、承知しました!」
先ほどまでの強気な姿勢はどこへやら、一通り困惑しきった女性は見事な敬礼のあと去って行った。
「……ありがとう、雹」
「いいってことよ。ほら、行って来いよ」
雹に背中を押されて陸さんと病室の扉を開く。
中へ入ると目を瞑り眠る香織さんの姿が、香織さんは扉の開く音に気付いたのか目を開いてこちらを見る。
「……今日も来てくれたの?……あら、店長さんまで……もしかして?」
「……はい。ご依頼の品をお持ちしました」
香織さんは起き上がる気力もないのか顔だけをぼくらに向けて表情を動かす。
彼女の表情はどこか諦めを含む、見ていて悲しくなる表情だった。
「香織、少し動かすね?」
「ええ……お願い……」
ベッドにつけられたリモコンを操作し香織さんの上半身を起き上がらせる。
「……ごめんなさい、店長さん。……症状の進行が早くて、もう長くないみたいなの……」
「そう、なんですか……」
言葉が出てこない。
香織さんは短い時間で起こった体の変化に自分の死を受け入れている。
そんな人を前になんと言えばいいのだろうか。
いや、違うな。言葉で伝えられない想いを届けるために……僕は、ここにいるんだ。
「香織さん、この花は世界で1本の美しく儚い。絶対に枯れない薔薇となっています」
僕は香織さんの前に持っていた箱を出す。
「しかし、この花の真価を見られるのは一瞬」
箱を縛っていた紐をゆっくりと解いていく。
「あなたと同じく、儚い瞬間に美しく咲く花」
箱の中から一つの花器を取り出す。
「よく見ていてください」
それは花器と呼ぶのも疑わしい、自立し宙に浮く卵の形をした水のボール。
僕の手を離れ自立する水の中には1本の薔薇。
「想いの力を」
薔薇は蕾、それでも少しずつ蕾は大きくなり、花が咲いていく。
それと同時に薔薇が周りの水分を急速に取り込んでいるため薔薇を取り囲む水はその大きさを小さくしていく。
そして水が無くなったと同時に薔薇が咲き誇る。
「「――綺麗」」
咲いた薔薇は――虹色の花弁をつける。
まるでKEIの薔薇園を上空から見るかのように……1枚1枚が違う色をつけ見事なグラデーションを魅せる。
これだけでも世界で1本の美しい薔薇。
しかし、求められているものにはまだ達していない。
”……まだ”達していないのだ。
薔薇が咲いてから丁度10秒程度、綺麗に咲く薔薇に言葉を失う2人を置いていくかのように。
薔薇は花粉とともに色を”飛ばす”。
「……え?」
先ほどまで虹色だった薔薇は透明となり無機質な病室を一瞬にして花粉で虹色へと染め上げる。
花粉からは様々な花と強い薔薇の香りが舞い踊り、その香りを嗅ぐものの体と心を癒していく。
そうして花粉の踊りが止み、香織さんの手元にはただ1本のガラスのように固く枯れることのない薔薇が残った。
しばらくの余韻を堪能し、僕は口を開く。
「こちらが、当店の用意した。世界1美しく、1本しかない、絶対に枯れない薔薇となります」
ご満足いただけましたか?とはいは無かった。
香織さんの瞳から溢れる涙が全てを語っていたから。
陸さんも香織さんの手を握りながら透明となった薔薇を見つめる。
まるでこの思い出を離さないとでも言うかのように。
「……それでは、失礼します」
二人の邪魔にならないように、礼をしてから病室を出ていく。
病室の外にいた雹と合流し、離れていた狩猟者の女性を呼び戻して帰り道へつく。
「それで?上手くいったのか?」
「まあ、最後がどうなるのかは分からないけれど……きっと、大丈夫じゃないかな?」
雹の「そうか」という言葉と共に視線を外へ向け、KEIへ帰る。
これからどうなるのかは僕には分からない。
それでもきっと大丈夫だろう。
枯れない薔薇のように、深い愛情で結ばれる2人には悲しい結末よりもハッピーエンドがお似合いだろうから。
それに、僕の薔薇の効果は――これから分かるのだから。
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恵と雹が病院を訪れた1週間後、世界を震撼させるニュースが広まった。
世界で初めて混成異常症から回復した患者がいるというニュースだ。
その患者を担当していた医師は特別なことは何もしていないと会見で答えていたが、世界は「きっと治療経過のどこかに手があるはずだ」と躍起になって調べた。
しかし明確な治療法は発見できず、患者の女性に何が完治に繋がったのかと聞く人も多かったが有効な対策は見つけられず。
ただ、女性の病室には造形とは思えないほどに美しい。
1本のガラスで出来た薔薇があったという。