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五年前に死んだはずの姉ちゃんが、今も僕の前で毎日死んでいる  作者: 雀野ヒナ
第一章 僕は狂ってる
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第二話 過去の人

「……姉ちゃん!」


 飛び起きると、姉ちゃんはいつも通り横に座っていた。胸を撫でおろす。

 こうなることは分かっていた。それでも、本当に姉ちゃんがまた現れてくれるのか、不安だったから。


「姉ちゃん……おはよう」


 姉ちゃんは今日も何も言わない。反応もしない。


 僕はドアを開けた。朝食はまだ置かれていなかった。

 たんすからTシャツと半ズボンを引っ張り出し、部屋着を脱ぎ始める。


「どうせ死んじまうんなら、外に出てみっぺか」


 姉ちゃんは答えなかった。けれど、ドアの前へとゆっくり歩いていって、まるで早く外に出たいと言うように僕を見つめた。


「待って、姉ちゃん。すぐ着替え終わっからさ」


 姉ちゃんは表情ひとつ変えない。けれど僕には、姉ちゃんがウキウキしているように見えた。


 階段を降りていくと、おばちゃんがトレイに朝食を並べていた。


「……マサト?」


 僕に気づいたおばちゃんは、驚いたような泣きそうな、変な顔をしていた。


「おはよう、おばちゃん。朝ごはん、いらねえから」


「そんなこと言っても、もう……」


「ちょっと出て来る」


 おばちゃんの言うことに構わず、玄関へ向かう。玄関に姉ちゃんの靴は、もうない。


「え」


「行ってきます」


 さっとサンダルを履いて、ドアを開ける。姉ちゃんは、裸足のまま着いてくる。


「ちょっと………!」


 バタン。


 おばちゃんの言葉を遮って、ドアを閉める。特に追って来る気配はない。


 外に出た僕は、背伸びをする。直に日の光を浴びたのは、いつぶりだろう。


「どこ行くべ、姉ちゃん」


 姉ちゃんは、何も言わない。




 まだ六月だけど、外はもう暑い。五年前までは、そんなことなかったと思うのに。これが温暖化ってやつか。


 ピンポーン。


「はい」


「あ、あの。マサトです。サトミの弟の」


 インターフォン越しでも、言葉に詰まる。


「あら!」


 そう答えた直後、インターフォンが切れる。それから、ガチャっとドアが開いた。


「マサトくん、大きくなったわね」


 出てきたのは、可愛らしい雰囲気をした女の人。カナちゃんの母親だ。

 相変わらずこの田舎には馴染まない標準語で、五年前とあまり変わったようには見えない。


「あ、えっと……」


 言葉が出てこない。引きこもりには、人との会話はまだ早かった。

 当たり前だ。ずっと、一言も話さない姉ちゃんとしか、関わってこなかったんだから。


「どうぞ。中、入って」


 カナちゃんの母親は、優しい笑顔で中に入れてくれた。


 カナちゃんの家の中は、姉ちゃんとよく遊びに来ていた頃と変わらない。すごくふんわりした印象で、カナちゃんや母親の雰囲気そのままを表した感じだ。


「座って座って」


「あ……ありがとうございます」


 僕は進められるままに、座り心地のよさそうな椅子に座る。


「お茶でいい?」


「は、はい」


 カナちゃんの母親は、キッチンでカチャカチャと音を立てながら準備をする。僕はその間、何も話さない。


 少しして、彼女は可愛らしいクマのコップに、冷たいお茶を入れて出してくれた。

 僕はお礼すら上手く言えず、軽く会釈する。


 ふと横を見ると、姉ちゃんは窓際に立っていた。外を眺めるでもなく、ただ、そこにいる。

 僕のことを、黙って見ている。

 ――何か、言いたいことがあるのだろうか。


「マサトくん、元気?」


 カナちゃんの母親は、向かいの椅子に座りながら話しかけてくる。

 彼女と話していると自分の訛りがどこか恥ずかしいようにすら思えてしまって、なおさら話すのをためらってしまう。


「え、ええ。まあ」


「ユキさんとはたまにお会いするんだけどねえ」


 おばちゃんと会うことがあるのか。それなら、僕の引きこもりのことも知ってるだろうに。

 元気?なんて。


 僕は、わざとらしくキョロキョロしてみせる。


「ん? どうかした?」


「あ……あの、カナちゃんは?」


「ああ。カナは今、東京で」


「東京?」


「大学がね、都内で。一人暮らししてるのよ」


「ああ。そうですか」


「ユキさんには言ってたんだけどねえ。聞いてなかった?」


「おばちゃんとは……あまり話してなくて」


「あら、そうなの」


 彼女はそれほど興味もなさそうに返事をして、お茶を一口飲んだ。


 きっと知っているのだ。あのおしゃべりなおばちゃんから、全部聞いているにちがいない。

 俺がおばちゃんとまともに話していないこと。

 風呂とトイレ以外、部屋から出ないこと。

 部屋の中で一人でしゃべっていること。


 今も隣にいる姉ちゃんのことは、俺にしか見えないから。


「な、……なら、ユウトくんがどうしてるんか、知ってますか?」


 僕はなんとか言葉を発してみる。

 僕は、学校での姉ちゃんのことは何も知らない。だって、姉ちゃんはいつも笑ってごまかすばかりで、何も話してくれなかったから。


 だから、姉ちゃんのことの手がかりは、カナちゃんとユウトくんしかいない。


「ユウトくんも一緒。カナと同じ大学で、同じ一人暮らし。小さいころからずっと、腐れ縁って感じよね」


 カナちゃんの母親は、どこか嬉しそうに笑った。


 "腐れ縁"。それは、姉ちゃんとユウトくんを表す言葉だったのに。


「それなら……」


「何?」


「姉ちゃんがなんで死んじまったんか、知ってますか?」


 俺は、勇気を出してきいてみた。


「え……」


「姉ちゃんがなんで自殺したんか、知ってますか? 知ってるんなら、教えてください」


「……知らないわ。あの子……カナは、何も話したがらなかったから」


 彼女は、どこか気まずそうにまたお茶を飲んだ。一向に目を合わせようとしない。


「東京のどこですか。カナちゃんとユウトくんは、東京のどこにいますか」


「それを聞いて、どうするの」


「会いたいんです。カナちゃんに。ユウトくんに!」


「それなら、わざわざ行かなくても夏休みに帰ってくるわよ」


「今すぐ会いたいんです」


「どうして?」


「……僕は、姉ちゃんのこと、何も知らなかった。

だから、知りてえんです。今さらでも、姉ちゃんの死の真実を」


 ガタン。


 カナちゃんの母親は、急に立ち上がった。それから、キッチンの方に歩き出す。


「マサトくん。今日、学校は? 休みじゃないよね」


 話を逸らされ、僕は顔をしかめた。でも、五年間の引きこもりには、話を戻す術はない。


「その……しばらく、行ってねえんで」


「サトミちゃんが亡くなってから?」


「……」


 その通りだ。だけど、それを聞いてどうするというのだろう。

 それが、カナちゃんとユウトくんの居場所と何の関係が?


 その時、大きなため息が聞こえた。


「サトミちゃんが亡くなって辛いのは分かる。私だって辛かったんだから、マサトくんは比べ物にならないくらい苦しいんだろうなってことは、分かるのよ。まだ立ち直れないのも、仕方がないわ」


 ああ、何を言っているのだろう。

 分かるってなんだよ。突然姉ちゃんが死んで、それからもずっとその姿は見えていて、だけど会話ができなくて。

 外に出れば姉ちゃんの死を目の当たりにして。中にいても、急に首を吊ったりして。


 その辛さの、何が分かるっていうんだ。


「でもね、カナちゃんは違うのよ。サトミちゃんのこと、すごく悲しんで苦しんでたけど、もう違うのよ。立ち直って、今は元気に大学に行っているの。ユウトくんも、きっとそう」


 声は聞こえるのに、内容が頭に入って来なかった。


「だから、そっとしておいてちょうだい。二人の明るい大学生活の邪魔をしないでちょうだい」


「………邪魔ってなんですか」


 僕は、怒りに震えながらつぶやいた。とても小さな声だった。


「ん、何?」


 バン!


 僕は立ち上がり、拳を机に叩きつけた。


「邪魔ってなんですか? 二人にとって姉ちゃんは邪魔なんですか?」


 僕はキッチンにいる彼女を睨んだ。目が合うと、彼女は目を逸らした。


「……そうよ。サトミちゃんは、過去の人なの。もう、どこにもいないんだから」


 過去の人? どこにもいない?


「帰ります。お邪魔しました」


 僕はそのまま、速足で玄関に向かった。靴を履き、ドアを開ける。


「マサトくん」


 声がして、半分振り返る。カナちゃんの母親が、部屋から少しだけ姿を現した。


「サトミちゃんのことは……本当に残念だったと思っているわ。とてもいい子で、美人で、カナちゃんとも仲良くしてくれて。

カナちゃんも、サトミちゃんのことが大好きだった。きっとカナちゃんは、今でもサトミちゃんのことを忘れたことなんてないと思うわ」


「それなら……」


「でもね、あの日のことを思い出させたくはないの。本人が思い返すのと、周りが思い出させるのとでは、全然違うのよ」


「何がですか」


「心苦しさが、よ」


「……さようなら」


 僕は、ドアを閉めた。その場に座り込む。


 姉ちゃんは、隣に立ったままだ。


「姉ちゃんは、ここにいんのにな」


 姉ちゃんはまた、何も言ってくれない。


 カナちゃんとユウトくん、二人の腐れ縁。明るい大学生活。そこにはきっと、姉ちゃんもいたはずだった。姉ちゃんが、生きていれば。……それなのに。


「過去の人でも、姉ちゃんは姉ちゃんなのに。カナちゃんの親友の、ユウトくんの幼馴染の、二人とすっごく仲良しの、サトミなのにね」


 どうしてそれが、二人の邪魔になると言うのだろう。


 僕は顔をあげ、姉ちゃんを見た――つもりだった。

 でも、そこには誰もいない。


「……姉ちゃん?」


 嫌な予感がした。胸の奥が、キリキリと締めつけられる。


 僕は玄関を飛び出し、門を抜けて――


「姉ちゃん……っ!」


 その瞬間。視界の隅で、ふわりと何かが揺れた。


 姉ちゃんだった。道路のど真ん中に、立っていた。

 裸足のまま、真っ直ぐ前を見つめている。


 遠くから、車のエンジン音が近づいてくる。


 姉ちゃんんは動いた。ゆっくり、ほんの一歩だけ。

 まるで、迷いもためらいもなく、車に吸い寄せられるように。


 そのとき、確信した。

 これは偶然じゃない。……姉ちゃんは、自分の意思で死ににいっている。


「姉ちゃん!!  やめて!!」


 動こうとする。止めようとする。でも……動けない。

 車は止まらない。クラクションも、ブレーキ音も、鳴らない。


 音が、消える。


 ただ、姉ちゃんの身体だけが――まるで羽根のように、空へ舞い上がった。

 スローモーションのようだった。次の瞬間、ぐしゃ、と嫌な音がして。


 姉ちゃんは、地面に叩きつけられた。


 骨が砕け、首が曲がり、腕が不自然に折れ曲がる。血が、じわじわとアスファルトを染めていく。


「――っ……!」


 声が、出ない。

 息が、できない。

 思考が、止まった。


 僕は、その場にへたり込んだ。

 手が震える。視界がにじむ。


 “見たくない”

 “見たくない”

 “お願いだからやめてくれ”

 “もうこれ以上、姉ちゃんが死ぬなんて――!” 


 また……姉ちゃんが、死んだ。

 今度は、車に、自分から飛び込んで。


 今日も。

 明日も。


 姉ちゃんは、きっと何度も、こうして死ぬ。自ら、命を絶ち続ける。


 ……そうだ。


 このままじゃ、姉ちゃんは永遠に“死に続ける”。


 だから僕は、進まなきゃいけない。

 カナちゃんに、ユウトくんに会って、姉ちゃんに何があったのか突き止めなきゃいけない。


 姉ちゃんを、助けるために。

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