7話
それは突然、魔物の襲撃から始まった。
世界中に散っているモノが照らし合わせたように攻撃を開始した。
交通機関は一瞬でマヒし、TVすらまともに写らない。
全ての人々が、今この瞬間、誰がどこで何をしているかなど解る筈も無く、またそこまで気が回る余裕すら無かった。
「お前たちだけは、我々でなければ歯が立たないらしいからな」
当然のようにこの土地に舞い降りた氷醒が不敵な笑みを浮かべる。
それは光栄な事と受け取っていいものか。
「闇狩主は我々にとっても大切な存在…大人しく渡した方がそなたたちのためでもある」
炎路が風に靡く髪を軽く押さえつつ窘める。
「どうせみんな死ぬんだからさぁ、苦しまずに逝かせてあげるよ?」
風堕が笑いながらクルクル回る。
「死にたくないんだったら、堕としてあげてもいいんだよ?アタシ達の奴隷としてさ死ぬまで使ってあげるからさっ」
地叶がケラケラ笑ってお腹を押さえる。
「……お前たちの陣門に下るつもりもないし、彼女を渡すつもりもない」
微かに怯える汀を庇うように禅箭が前に立ち、答える。
「……交渉決裂か。まぁ、それもある意味の美学ではあるな」
予想通りだ、とでも言わんばかりに氷醒が身体の向きを直す。
「ならば、天地の理に従い、散るがいい」
弱きものが生き抜く方法は二つ。
強きものに従うか、己が強くなるか。
そのどちらにも行けない場合に残された道は、絶えるしかない。
「汀っ、下がれっ!!」
予め用意しておいた結界陣の中に彼女を押し込み、禅箭が構える。
彼女がそこに入ったのとほぼ同時に、彼らの攻撃が始まった。
「汀……動いてはいけませんよ」
結界の維持を任された雉祢が窘めるように言う。
「…わかってる」
少しでも彼らの援護をしようと、銀雪を降らせながら汀は戦いの行方を見守る。
それしか出来ない自分が歯痒かった。
「この結界は禅サマと皇様の力に、私の力を縫い含めて作られたもの…いくら彼等と言えども、そう易々と破られはしません。もし破られる時があるとすれば、私たちの誰かが敗れた時。……そのような事態に陥る事だけは避けたいものですわ」
「うん………」
都と、風堕。
湊と、地叶。
皇と、炎路。
そして氷醒には、禅箭が正面から立ち向かった。
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「アンタ、結構いい男じゃない。好みだよ」
舌なめずりをして、地叶が微笑する。
「アタシから兄者に頼んでやってもいいんだよ。んね、こっち側においでよ」
「遠慮させてもらうよ」
にっこりと、爽やかな笑顔で湊が拒否する。
「どうしても?」
「すみませんね。ついでに、俺に色仕掛けは通じないから」
「つまんないなぁ。じゃあ、死んでっ!」
大地が揺らぎ、無数の飛礫が湊に襲い掛かっていった。
「なんでボクの相手がこんな奴なんだろうね」
明らかな不満を前面に押し出し、風堕が膨れる。
『久しいですね、風堕』
2本の尾をゆらゆらさせながら、ゆっくりと都が歩み寄る。
「お前なんか知らないよっ!」
イライラしながらつむじ風を作り出し、都に向かって投げつける。
それをあっさりと躱し、音も無く地に降立つ。
『私は覚えていますよ』
「……黙れぇっ!!」
その顔に、声に、風堕は微かに怯えを感じた。が、それを悟られないように再び攻撃を繰り出した。
「腕はもういいのか?」
左腕をわずかに庇う仕草を見逃す事無く、炎路が問う。
「お陰様でな。お前さんには丁度いいハンデだろうよ」
「……笑わせてくれる」
皇の物怖じしない様に、炎路の眉間に皺が寄る。
「ならば今回は全身余す事無く焼き尽くしてくれる……!」
両手を空に翳すと、その中心を渦巻くように巨大な炎の塊が出現した。
「骨一片も血一滴も残さぬ……消えるがいいっ!」
溶岩が波打つような紅の色をした瘴気が、猛スピードで大地に向かった。
「…粋な真似をしてくれるものだ」
汀が降らせる雪が少しは効いているのか、忌々しそうに降り続ける銀雪を見て、氷醒が呟く。
「あまり長引くと反ってこちらが不利になるかもしれぬ」
「長引かせるつもりはない。犠牲は最小限に収めたいからな」
今、自分たちがこうしている間にも、世界ではあらゆる事態が起き、犠牲者が増え続けている。
一刻でも早くこの場で彼等を倒し、散らばっている魔物を倒しに向かわなくてはならなかった。
勿論、その場には一族の人間が居るのだが、限度というものがある。
数がわからない分、不安が募るばかりだった。
「あの結界…お前たちの予想通り、我等の力では解く事が出来ないようだな」
氷醒の言葉が、気味が悪いほどに耳に響く。
良く例えるならば、冷静。悪く例えるのであれば、冷酷・冷淡。
今まで闘ってきた魔物とも、隼未とも、先日訪れた風堕とも違う。
感じたことの無い、言いようの無い冷たい瘴気に、そのまま全身が凍りつきそうだった。
「お前は、今までどれだけ、我が同胞を葬ってきた?」
胸に手を当て、氷醒が禅箭に問う。
「聞こえが悪い言い方をするな。在るべき場所に還しているだけだろう」
ムッとした顔で禅箭が反論する。
「在るべき場所、か……確かにそうかもしれぬな」
幾ら自分が望まぬ場所でも、故郷は故郷。
いつかは戻らねばならぬ運命かもしれない。
しかし、永い時を暗闇で過ごしてきた者達にとって、この場所は理想郷でもある。
眩し過ぎるほどの輝かしい光が差し込み、落ち着いた夜が訪れる。
そしてまた陽が昇る。……朝が必ずやってくる。
永遠に暗いままの世界とは、違う。
「美しいな、ここは」
何かを悟るかのように、そっと目を閉じる。
「我々にとって、戻ると言う事は、地獄に落とされるに等しい行為なのだよ」
「それと、お前たちがこの世界を支配しようとするのと、どういう関係がある」
殺気を感じない彼の行動に戸惑いを隠せないながらも、訊く。
「ならば私はお前に聞きたい。我々とお前たち、どちらが世界を支配するのに相応しいと思う?」
「………!」
「お前たちはこの世界の素晴らしさに目もくれずに何をしていた?この景観を損なう以外に何をした?自分たち以外のありとあらゆる生物を迫害し、滅ぼし。自分たちが世界を蝕んでいる事に、どれだけの数が気付いていると思っている?我々がこの世界を支配するのと、お前たちがこの世界を滅ぼすのと何が違う」
「………」
あくまでも氷醒の口調は、落ち着いたもののままである。
それだけに何か言い返せないものがあり、迫力があり、真実味が引き出されている。
「無意識のまま犯す罪というものは、それが罪だと気付いた頃には、既に手遅れなのだよ。……我々は、自然の摂理に伴い、本能のまま生きる世界を築こうとしているに過ぎぬ。そのためにはお前たち人間を滅ぼすなり、我等と同等の、お前たちが蔑む獣以下の存在まで陥れる必要がある。そのための準備は既に整っているのだ。後は、お前のような余計な力を持つ人間を排除、余計な手間をかけさせないために闇狩主の器が必要なのだ」
「お前の言う事にも一理ある。それは認める。だけどな、だからと言ってハイそうですかと受け入れられるほど利口じゃないんだよ、俺は」
額の印を全開にして、自分が持てる力をオーラに変え、全身に纏い、禅箭が構える。
それを見て、氷醒の表情が僅かに変化した。
やがてそれは大きな溜息と化し、嘲笑うかのように吐き出された。
「常盤の血筋も随分と落ちたものだな……その程度で私を止められるとでも思っているのか」
「やってみなけりゃわかんねぇだろ」
次の瞬間、禅箭の身体は大地を離れ、氷醒の眼前まで迫っていた。
---速い!
渾身の力を込めた拳は完全に隙をついた筈だった。
しかしその右手の拳は彼の左手に阻まれ、次に繰り出した左手からの気弾もあっさりと掻き消された。
「私に手を出させた人間はお前が初めてだよ……」
予想以上の攻撃をしてきた禅箭を、忌々しそうに睨む。
「やはりお前は最初の時点で消しておくべきだったな」
「………?」
最初。その言葉の意味が禅箭には理解できなかった。
「まだ気付かぬか?」
不敵な笑みをして、氷醒が改めて禅箭を見詰める。
そして発した言葉。
「お前と、両親が乗った車を襲うように命令したのは、私だよ」
お前が生き残ったのは予想外だったがな、と高らかに笑う。
身体中の血が逆流しているような気がした。
「禅っ、挑発だ!誘いに乗るな!」
皇の叫びも、既に彼の耳には届かない。
気がついた時には再び地を蹴り、怒りに任せて氷醒に向かっていた。
彼が罠にかかった獲物を見下ろしたような表情をしていた事にも気付かずに。
鈍い音が聞こえた。
それが皮膚と内臓を突き破った音だと気付くまでにはそれほどの時間を必要としなかった。
赤い雫はすぐに溢れ、流れ出し、地に落ち泉となる。
貫かれた腹部だけに飽き足らぬかのように、口からも血液が流れ出す。
「他愛ない……所詮この程度か…」
右手は禅箭の腹を貫いたまま、自由な左手で彼の血を掬い、口に含む。
「………っ!!」
先刻までの勢いは瞬時に消え、見る見るうちに苦悶で表情が歪む。
(ぬかった……)
血液が流れ出すのと比例するかのように、手足の感覚もマヒし、意識も薄れてゆく。
その薄れゆく意識の中で、霞んでゆく視界の中で、最後に映ったのは汀の顔だった。
ごめんな、汀。
約束を破る事になっちまいそうだ。
ずっと傍に居ると約束したのに。