6話
焼け落ちた家屋が、そこにはあった。
既に鎮火されており、所々に微かに煙が燻っているだけだった。
そこから程なく離れた場所にある、断崖。
余程大きな崖崩れがあったのだろう。まるで雪崩の跡のように幾つもの岩が敷き詰められるように崩れ落ちていた。
その中心部に見える、血痕。
まだ温もりを微かに残しつつ流れるそれは、徐々に、そして確実に冷たいものへと化していった。
「奏……」
既に返事が返ってこないと解っていても、語りかけずにはいられない。
自分一人の力では、この場所から彼女を出すことは不可能だ。
「……悪いな…」
辛うじて見つけ出せた頭部に布を被せ、皇はゆっくりとそこから立ち去った。
この場に彼女を残していく事は、とても心苦しいものがある。
しかし、彼は進むしかなかった。まだ生きている人間のために。
決して当たって欲しくない予想は、彼らの僅かな期待を裏切り、的中した。
「ワシの所に来たのは、髪の長い女だったよ」
無理をして家に帰って来た皇が報告する。
「炎路、ですわ…氷醒のすぐ下の」
「俺たちの所に来たのが末っ子の風堕」
「俺とジジイが寸前まで居た沖縄に出たのが金髪ポニーテールの女……」
『多分、それは地叶で間違いないでしょう』
足元の都が尾を地に這わせながら告げる。
「ってことは、奏の所に氷醒が行ったんだな……」
「……話がよくわかんない」
汀が頬を膨らませる。
「後でわかりやすく纏めてやるよ」
湊(隼未)が頭をポンポンと軽く叩く。
「……なんで湊ちゃんが詳しいの?」
「それも後で」
「………」
どうやら汀はまだ不満があるようだった。
しかし、それを口には出さずにいた。邪魔になるとでも思ったのだろう。
「とにかく、奴等にこの場所がバレた事は確実だ。近いうちに再び来るのは間違いないだろうな。 ……全員で、という可能性も否定できない」
皇の台詞に、空気が凍りつく。
認めたくない現実が迫っていた。
たった一人、しかも末弟にさえ敵うかどうかも解らない相手にどう戦えというのか。
「ワシの今後の予定は全てキャンセルさせる。……備えるからな」
帰り道で告げた皇の一言が、禅箭には死刑宣告に聞こえた。
「大丈夫なのかよ……ソレ」
ふと、彼の腕を見た禅箭が言う。
「気付いていたか。……皆には言うなよ」
皇がばつが悪そうに苦笑する。
衣服を変えて誤魔化したつもりだったが、どうやら身内だけは騙しきれなかったらしい。
彼の左腕は、見るも無残なほど焼け爛れていた。
「奴等が使う力は特別なものらしいな…治りが悪い」
治癒能力を限界まで高めても、殆ど回復していなかった。
「しっかし湊君の中の魔物があんな奴で良かったな~」
それとなく話題を変える。
確かに、今は彼の存在がありがたい。
一つ心配事が減ったと同時に、大きな味方を受け入れた事になる。
あれから中身が入れ替わった本人への説明に多少の労力は必要としたが。
隼未の宣言通り、彼の力を使えるように努力すると宣言していた。
汀への対応をどうするかという点については困っていたみたいではあったが。
そして二人とも、奏の死については触れなかった。
禅箭は特に何も訊かなかったし、皇も敢えてその話題を出そうともしなかった。
両親を亡くしてから、留守をしがちな祖父に代わって禅箭の世話をしてくれたのは、彼の年齢の離れた妹である彼女だった。
決して彼女は弱い人間ではなかった。寧ろ常盤の一族の中ではかなりの実力を持つ部類に当たる。
その彼女がいともあっさりを葬られた事は脅威であり、恐怖であり、また怒りでもあった。
「禅箭…解っているだろうが、落ち着けよ。冷静さを欠くな」
「……わかってるよ」
頭では理解できている。
しかし心の奥底には、言葉に言い表せない不安が過っていた。
「そうか…闇狩主の居場所が判ったか…」
「そうなの。誉めてよっ、兄者♪」
不敵な笑みを浮かべる氷醒の周りを、嬉しそうに風堕が跳ね回る。
「調子に乗るなよ、風堕。たまたまお前が行った地に居ただけの事」
炎路が口惜しそうに爪を噛む。
「でもロクに手も出さずに帰ってくるなんてね。ダサーイ」
キャハハ、と地叶が笑う。
「まあそう責めるな、炎路、地叶。私に闇狩主を葬る楽しみを譲るために退いたのだろう?風堕」
「そうそう、そうなんだよ、兄者!!」
ザマァミロと言わんばかりに姉二人に対して舌を出し、風堕が更にはしゃぐ。
「して、いつそちらへ向かわれるのですか?兄様」
嫌悪の表情を表に出さないように堪えながら進言する。
「まぁそう急くな。準備というものがあるだろう」
準備、という言葉を聞いて、3人の表情が固くなる。
「こっちに残っている魔物を全て、我等が眷属に変えなければなるまい。念には念を入れ、確実に潰さなければならない連中だからな」
「………御意」
末弟・風堕の襲撃から2週間が経過した。
今か今かと懸念している再襲撃は無く、いつ中止になるかと心配されていた奏の葬儀も滞る事無く終了した。
それが反って怖かった。
一族を一掃するには絶好のチャンスであった筈なのに。
「にしても何なんだよ、この人数…」
弔問客の多さに、禅箭が思わず溜息をつく。
「何を言っている。まだ半分にも満たないぞ」
嘘だろオイ。
皇の言葉に、更に大きな溜息が出た。
一体何千人、いや何万人来るのだろう。
絶え間なく続く人波はいつまで経っても終わる気配が感じられなかった。
「失礼致します」
ようやく人がまばらになり、横になっていた禅箭の前に、1人の男性が現れた。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。私、伊万里と申します」
差し出された名刺を受け取ると、弁護士のものだった。
その名前には聞き覚えがあった。皇から聞いていた風貌と照らし合わせると、本人である事に間違いは無さそうだった。
「皇様から普段の管理運営に関わる事で微力ながら助力させていただいております。また、一族全員への連絡事項も承っておりますので、何かございましたらご連絡ください」
まだ色々と忙しいだろうから、取り急ぎご挨拶まで。と告げて、彼は足早に去っていった。
『このような場所で何をされているのですか?』
夜半になってようやく静けさを取り戻した丘の上に皇の姿を見つけた都が問い掛けた。
「ああ、都か……星を見ていた」
気付いた皇が優しく微笑む。
『星見…ですか?』
「ちょっと嫌な予感がしてな」
星空を見上げると、満天の星の中、その幾つか流れていくのが肉眼でも確認できた。
「案の定、凶星が流れたな……」
ほんの一瞬のものではあったが、一際大きな星が流れたのを皇は見逃さなかった。
「……誰かが、近いうちに命を落とす……かもしれんな」
それが誰なのかまでは判らない。
『ゆくゆく消え得るものではありますが、出来れば今の事態では遠慮を被りたいものですね』
今一度星が流れるのであれば、願いたい。
これ以上の犠牲が出ること無かれ、と。
3度唱える事が出来れば回避できるのだろうか。
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最初にその異変を感じたのは、雉祢だった。
陽は既に落ち、街灯が灯っている道路を歩いていた時に、いきなり目前に魔物が現れた。
しかし、彼女はその姿に見覚えがあった。
「……どうしたと言うの?」
ぼろ屑のように身体のあちこちに傷を作った魔物が、息も絶え絶えに近づいてくる。
「雉祢様…申し訳在りません……」
既に意識も朦朧としているらしい。合わない視点で、彼女の声を引き金にするかのように、針の飛んだレコードのように、同じ言葉を繰り返す。
「言いなさいっ、何があったの!?」
思わず声が荒くなる。
「我々……仲間全て………堕ちました…」
「!?」
何故?どうして?
闇魔の数は、これ以上増えないはずなのに。
「やられました……水知も、岩撫も……皆、ヤツラの眷属に………」
闇魔に化したと言う訳ではなく、闇に属するものに従うものとして、塗り替えられた。
「どうか…どうかお許しください……私も奴等の種を植え付けられました。奴等にこの身体を捧げてしまう前に、どうか、どうか……!」
「ありがとう…ここまで頑張って来てくれたのね」
いとおしむ様にその身体を撫ぜ、雉祢が唇を噛み締めて微笑む。
ゆっくり、おやすみ。
そう告げると、その魔物はありがとうございます、と涙を落とし、塵となって消えた。
次に異変が起こったのは、湊だった。
「お前……混ざっているな」
突然、背後から知らない学生に声をかけられた。
学内で見かけたことはあるが、話もした事が無いような相手だった。
「何の事だか」
思い当たる節はあるものの、とぼけてみせる。
「そうか…まだ目覚めていないのか……それなら私と共に行こう。あのお方がお前の望みを叶えてくれる」
「悪いけど、宗教とか興味無いから」
「拒否は受け入れぬ。どうしてもと言うなら力ずくで連れてゆくまで…!」
軽く流そうとした刹那、その学生の姿は一瞬にして魔のものへと変えた。
一瞬驚いたものの、すぐに冷静さを取り戻して、身構える。
「血を継ぐもの…素質のあるもの…全て集めろ、との命令だ」
シューシュー、と、大蛇の威嚇音に似た音を発しながら、今にも彼を捕まえようと近づいてくる。
「この姿を見ても驚かない所を見ると、お前はかなり良いものを持っているようだな」
「誉められてもあんまり嬉しくないけどね」
「お前のような奴を連れて行けば、さぞかしお喜びになられるだろう…」
「悪いけど、俺はそっち側に行くつもりは無いんで」
「言ったであろう。お前に拒否権は無いと……!」
既に人間の形など微塵も残さない姿をした魔物が、大きな口を開けて襲い掛かってくる。
が、彼は避ける素振りなど見せずに、右手を翳しただけで魔物の動きを止めた。
「アイツの力、思ったよりも使いやすいな……」
ちょっと意外だったかのように湊が苦笑する。
「何故だ…何故ここまでの力が出せる……」
苦悶の表情を隠し切れずに、吐き捨てるように魔物が叫ぶ。
「企業秘密」
それだけ言って、右手に力を入れ、放出し、魔物を彼方に吹き飛ばした。
「皇さんの特訓の成果、かなり出ているみたいだな……」
右手首を軽く鳴らし、湊はそのまま常盤家に向かった。
「とうとう動き出したな」
地獄とも言える修行で死んだように倒れている孫を尻目にTVを見ていた皇の表情が曇る。
流れている映像は、行方不明者続出と、凶器不明の殺人事件の数々だった。
日本、いや世界中で同様の事件が起きている。
それらの事件が、彼らに種を植えられ、行き場の無い黒い感情が増幅し、魔物へと姿を変えられた「元」人間の仕業だと解っている人間は、ほんの一握りしかいなかった。
そして、その報道中の、ほんの一瞬だけ流れた映像。
おそらく一部の人間にしか理解できない波動で流したのであろう。
3日後に。
たったそれだけの短い文章では合ったが、何を意味するかには充分であった。