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3話

封印を解かれ放たれた魔物



その数 百を六、十を六、残り六匹



闇に堕ちたその魂は人を時に殺戮し、時に人を貪り食う



数多(あまた)の命が(ひし)めき合うこの世界で





**********


「ふあぁ………眠いなぁ」

大きな欠伸と共に、間延びした汀の呟きが聞こえる。

その呟きの理由がここ数日の「出勤」が多い事からくる寝不足だということは百も承知の上だ。

そして、その仕事が増えている理由も一目瞭然である。

「都~、禅ちゃんいつ帰ってくるの~……?」

『さあ……それほど日数はかからないと聞いていますが』

「みゅ~~~~」

今、汀の傍にいるのは都だけだ。

禅箭は皇と共に、本州に渡っている。

理由はこれといって告げられていない。横浜には寄ってくることだけはわかっている。

皇が帰ってきたときに2日程度二人揃って留守にすることはよくあるのだが。

今回は既に四日経っている。

『雉祢が来た事によって、安心したのですよ』

2つある尾をゆらゆらさせながら、足元の狼が腰を落とす。

「雉祢ちゃん……って、普段はどこにいるんだろ」

『仕事しているのだと思いますが』

「え!?」

意外。

『別におかしいことではありませんよ。姿を変え、人間社会に溶け込んでいる魔物は、結構いますから』

「……闇魔も?」

『勿論』

「ふえ…」

『下手に社会に溶け込んでいて、余計な知恵をつけている者が厄介です。…これからはそういう相手が増えるかと』

「ふにぃ…」

『……ところで汀、さっきから何をしているのですか?』

ベンチに腰を下ろしたまま、返事はするものの微動だにしない主を見て、都が不審な表情をする。

「なんか、知らない事が多すぎるなぁ、と思って」

ふぅ、と溜息をついて肩を落とす。

自分は、あまりにも知らな過ぎる。

都のような知識も、禅箭のような能力があるわけでもなくて。

解っているのは自分が<器>ということだけ。

『初めは何も知らなくて当然です。わからないこと、疑問に思うことがあるならば、訊けばいい。それだけですよ』

「それはそうなんだけどぉ~……」

訊こうと思っても、いざとなると訊けないことばかりなのだ。

知りたい事は、山ほどある。でもそれを訊いてしまうと、皆が離れていってしまうようで。

大切なものを失ってしまうような気がして。

訊けなかった。

「闇魔って……あとどれくらいいるんだろう」

ポツリと漏らした一言を、都は聞き逃さなかった。

しかし、彼にも明確な答えは出せなかった。

『常盤の一族は…永い年月をかけて闇魔を封じる役目を仰せつかって来ました。<闇狩主>の誕生に関わらず

一時的な封印を施してきた故、ある程度の数は減っているものと思いますが』

「うん…それは知ってる」

一時的な封印をされた闇魔も、還して来たから。

全国各地に散らばっているものも、禅箭を始めとする常盤の一族により、汀の下に届けられた。

「……帰ろうっと」

『はい』


湖海(このみ)…湊さん?」

大学の中庭で、ふと呼び止める声があった。

「そうだけど」

振り向いた先にいたのは、一人の女性だった。

切れ長で、黒目がちの瞳。腰まで届く長い、ストレートの黒髪。

一般的に「美人」と呼んでほぼ間違いない風貌。

「よかった。やっと会えましたわ」

コロンの香りをふわりと漂わせ、女性は湊に臆することなく近づく。

「で、誰?…どういう用?」

少し怪訝な顔をして、数歩後ずさる。

あくまでも直感ではあるが、何か異様な気配を感じたのだ。

「……急いでいるんだけど」

「大丈夫。大した手間は取らせませんわ」

にっこりと微笑み、女性は更に近づく足を速めた。

いつの間にか、二人の周りには誰もいなくなっている。

それに気付き、周りを見回した刹那、女性は彼の眼前まで迫っていた。

「!?」

「……妹さんに、よく似ていらっしゃるのね」

うっとりと魅入る様な瞳で彼の顔を見つめる。

実際の所、妹が兄に似た、という表現の方が正しいのだが、そこは訂正するほどの事ではない。

「………あいつを狙っている連中か?」

「あなたに、興味があるだけですわ」

女性は質問の芯の部分には答えなかった。

「何が目的だ」

震えを悟られないよう、湊が問う。

「血を」

彼の背に腕を回し、首筋に紅い唇を近付けて囁く。

「少し、くださいまし」

次の瞬間、女性の剥き出しにされた牙が、彼の首に躊躇うことなく突き刺さった。

「………!!」

女生徒の悲鳴が聞こえた。いつの間にか周りの風景は元通りになっている。

女は、既に視界から消え去っている。

しかし、先刻まで起きていたことは、確かに事実。

その証拠に、首から流れる鮮血が、彼のシャツを紅いものに染めていた。

手で押さえるが、止まらない。その手もあっという間に赤い体液で染まり、更に地面をも染めようとしていた。

身体の力が一瞬にして抜け落ち、堪え切れずに湊は膝をついた。

「救急車呼べっ!!早く!!!」

「湖海!大丈夫か!しっかりしろ!!」

「何があったの!?」

悲鳴と怒声が、彼を中心に渦巻いていた。


不思議な事に、意識ははっきりしていた。貧血からか、痛みは感じず、まるで他人事のような感覚がしていた。

それに代わるかのように浮かび上がってきた一つの感覚。

左目が、熱い。

包帯の奥に秘められたモノが、脈打つように彼の頭を刺激していた。


「湊ちゃん!!」

首に包帯を巻き、同級生にもたれかかった状態で帰宅した兄を、妹が驚いた声で迎える。

「あ、君が噂の妹さん?こんな状態じゃなかったら口説いているんだけどねー」

肩を貸していた男が、ちょっとごめんね、と言って上がりこむ。

「こいつの部屋、こっちでいいのかな?」

「あ、はい」

パイプベッドに彼を横たわらせると、男はふう、と額の汗を拭った。

「あの……一体何があったんですか?」

おずおずと汀が覗き込む。

湊の息は、少し荒い。意識も朦朧としているようだった。

「何かわかんないんだよねー。いきなり中庭で血ぃ流して倒れてさ。救急車呼ぼうとしたんだけど『大丈夫だからいらない』の一点張りでさ。結局止血しただけ。講義もしっかり最後まで受けてさ。終わった途端コレ。多分貧血だと思うけど」

首の包帯には、まだうっすらと血が滲んでいる。恐らく、何度も交換されているのだろう。

「…あ、ありがとうございました。ごめんなさい」

「いいって。その代わり、今度デートしてね」

「ええっ!!?」

「冗談だって」

わたわたする汀を見て面白そうに笑った。

自分にも高校生の妹がいるから、ついつい重ねてしまったそうだ。

そして彼は、何かあったらここに連絡するように、と、携帯番号を書いたメモを渡して帰っていった。

今時あまり見ない、爽やかな青年である。

「…………」

「あ、湊ちゃん、目ぇ覚めた?」

そっと目を開いたのをすかさず見つけ、汀が喜びの声を上げる。

「あれ?汀…?……いつの間に帰ってきたんだ?俺……」

「串田さんって人が送ってくれたんだよ」

「串田……?」

「あ、ダメだよ!まだ寝てなくちゃ!」

身体を起こそうとした湊を、再びベットに押し戻す。

「貧血は寝てるのが一番いいんだから!夕ご飯の買い物行ってくるから、ちゃんと寝ててよ!」

そして湊の返事を待つことなく、彼女は部屋から出て行った。

扉の閉まる音と、鍵の閉まる音が終わると、部屋の中は静かになった。

それを確認してから、そっとベッドから降り、洗面所へを向かった。

(貧血……ね)

首と、耳の後ろにある包帯の止め具を外し、丁寧に包帯を解いてゆく。

まだ湿気を帯びた、赤黒く染まった包帯が床に落ちた。

確かにあの時、傷を負わされた証拠である。

しかし、その傷痕は既に消え去っていた。血痕はあるものの、傷自体は無くなっている。

目元の包帯も取り外す。左目に当てていたガーゼもそっと取り除く。

そしてそっと両目を開く。

5年前に付けられた傷。その傷痕は今でも褪せることなくくっきりと残っている。

人として失った左目。その眼に住み着く異形のものが覚醒を待っているかのように彼の瞳の色を変化させていた。

………黄金色に。


「予想していたとはいえ…あまり良い事態とは言えませんわね」

常盤家の棚から失敬した茶葉で淹れたお茶を飲みつつ、雉祢が溜息をつく。

『禅箭と皇殿が留守の間に何事も起こらなければ良いのですが』

「今回の事…収獲として、報告するべきなのでしょうね」

あまり気が進まない。

「荒療治だったということは承知しているけれど……ああでもしなければ、もっと最悪な事になっていたことは確かですしね」

闇魔の血を少しでも抜く事によって、彼はまだ人としての意識と生命を保っていられる。

『遅かれ早かれ、事は起きます。その時が少しでも遅くなる事を祈るしかないでしょう』

2尾の狼が、ゴロンと伏せる。

「らしくない事を言いますわね。普段の貴方だったら、有無を言わさず…見つけた時点で終わらせていそうなものを」

軽く微笑み、都を見つめる。

『私一人では判断しかねる事だからですよ』

「……そういう事にしておきますわね」

視線を合わせずに言ったその台詞は、優しさから出てきたものなのかどうかは誰にもわからない。


「でも…汀には、どうやって伝えましょうか」

実の兄が、敵になってしまうという事を。


彼の左目に眠る闇魔が覚醒した時、彼女はどのような決断を下すのか。

そしてその時はそう遠くないという事を、雉祢と都は薄々と感じていた。





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