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1話

いかないで。


つれていって。


おいていかないで。


もう、ひとりはいや。


いやなの。


おねがいだから。


------アタシヲ、トメテ。



このままだと、きっと、あなたをころしてしまうから。



**********


静まり返っていた教室の中に、スパコーンという渇いた音が響いた。

「毎回毎回、よくそんなに眠れるなぁ、常盤(ときわ)

教師の声と女子のクスクスという笑い声が入り混じって、禅箭の鼓膜を刺激した。

「…睡眠学習」

瞼を開こうともせずに禅箭が応える。

「確かにお前の成績は悪くはない。ただし、それは古文と歴史と地学だけだろ」

「将来のために必要な知識しか頭に入れる気ないんで」

「…寺だってな、これからの時代には英語も必要だぞ」

「うち神社」

「ごたくはいらん」

もう一回、今度はもう少し歯切れよく「スパーン」と響いた。

ちなみに叩いたモノは、丸められた教科書である。ある意味お約束。

それでも起きようとしなかった彼は、イロイロな意味で大物かもしれない。


「やっほーぉ」

職員室で散々叱られて教室に帰ってきた禅箭を、甲高い声が出迎えた。

「何だ、先に帰ってなかったのか」

汀の姿に少し驚いたが、気にせず帰り支度を始めた。

「都来てないんだもん」

「は?」

彼女の意外な台詞に、思わず窓際に行き、校門を見る。

確かにいない。

いつもだったら、汀の護衛を勤めるべく、終業時間には必ず来ているのに。

都の姿は、普通の人間には見えない。見る事が出来るのは、ごく一部の人間と、魔物の類だけである。

校内には一応、禅箭が結界を張り巡らせてある。そこらへんの雑魚程度では触れることすら出来ない。

それを知っているから、彼女は禅箭が戻ってくるまで待っていたのだ。

自分一人で歩いていると、魔物の類を呼び寄せてしまうことを知っていたから。

禅箭か都が傍に居れば、何らかの対応はできるから。

「…ってことは、俺が今日お前を送るんだな」

「イヤならいいよ。一人で帰るから」

「そうもいかねぇよ。湊に頼まれてるからな」

「頼まれてなかったら…こんなことしてくれないの?」

「何か言ったか?」

「…別に」


「禅サマぁ!」

校門の通過した瞬間、二人の後頭部を女性の声が直撃した。

「ひどいですわ禅サマってば、いらっしゃるのがわかっているのに入れないなんて、こんな仕打ちをなさるなんて、

幾ら雉祢(きじね)がいぢめられるのが好きとは言っても、あまりにも酷過ぎますぅ~~~~っっ!!」

「雉祢っ!?」

女性の顔を見て、禅箭の表情が変わる。

「そうですわ禅サマ♪何年ぶりでしょうか……この日を待ち望んでおりました」

汀はきょとんとしたまま、事の成り行きを見ていた。

数十秒後、我に返ったらしく、首をぶんぶんと振った。

「…禅ちゃん」

そのヒト、誰?

喉まで出掛った台詞を飲み込もうとする。

それに気づいた禅箭が、汀を自分の傍に引き寄せた。

「禅サマ、その娘は誰ですの?」

明らかな嫌悪を剥き出しにして、雉祢が問う。

「お互いのため、聞かないほうが幸せだと思うけど」

「……どういうこと?」

「………」

禅箭は答えなかった。

「…まあ良いですわ。(すめらぎ)様は留守なのでしょう?今夜改めてお伺いいたしますので、よろしくお願いいたしますわ」

沈黙を破ったのは、雉祢。

「ちょっと待てよ。…何でジジイが留守なの知ってるんだよ」

「それは今夜のお楽しみですわ」

にっこりと微笑み、雉祢は踵を返して夕暮れの薄闇の中に消えていった。

「…相変わらず自分勝手な女だな……」

ふぅっと大きな溜息をつく。

「禅ちゃん…」

汀が不安そうな顔をして禅箭を見上げる。

「…あとで、時間がある時に教えてやるよ」

全てを見越したように禅箭が汀の頭をポン、と軽く叩く。

今はまだ教えられない。そういう意味だった。


「珍しいな、お前が家に来るなんて」

「止むを得ず、だけどな」

出されたお茶を喉に流し込んで禅箭が言う。

「まあそう言うなよ。俺と会うのも久しぶりだろ」

汀とよく似た笑顔で、左目に包帯を巻いた青年・(みなと)が腰を下ろす。

外見は禅箭とあまり変わらないように見えるが、彼はれっきとした汀の<兄>であり、現役の大学生。

5つ上である。

「あれから…目の調子はどうなんだ?」

包帯にチラリと視線を移して、禅箭が訊く。

「変化無し。体調も別段悪くはない」

「そう」

良かった。と言えるのだろうか。

今はそう思うしかない。

拭いきれない不安はあるけれど。


5年前。

禅箭がまだ汀に再会していなかった頃。

湊は、闇魔から汀を庇って、片目を失った。

その時の傷が元で。

----正確には、片目を闇魔に奪われた所為で。

彼は、そのまま成長しない身体になった。

自らの身体に闇魔を閉じ込めて。

妹の命を代償に。

彼の右の瞳は人間のもの。

そして左の瞳は、闇に住む魔物のものとなっているのだった。

その事実を知っているのは禅箭と都、そして禅箭の祖父のみ。

汀は、何も知らない。

ただただ自分を責めて。

半ば強引に一人暮らしを始めた兄を追って『身の回りの世話』とかいうこれまた強引な大義名分のもと、転校までして。

まあ、それがあったから禅箭と会えたとも言えるが。

結果オーライ…ということなのだろうか。

それとも、これも運命だったのだろうか。


「相変わらず後先考えない兄妹だよなぁ…」

禅箭が呟く。

「何か言ったか?」

「別に」

「お待たせ~」

残ったお茶を飲み干そうとした禅箭の背中を、突然汀が押した。

当然のことながら、咽る。

「てめぇ……わざとだろ……」

ティッシュで床を拭きながら、禅箭が睨む。

「別に~。……湊ちゃん、今から禅ちゃん家に行って来るね」

「ああ。あまり遅くなるなよ」

「…ちょっと待て。誰が来いって言った!?」

「行くもん」

「だからぁ…」

「痴話喧嘩は禅箭ん家でやれ。俺はこれからレポートやらなくちゃならないから、行くならとっとと行って来いよ」

台詞の途中で見事に湊に遮られ、ほぼ追い出されるかのように二人はマンションから出た。

「じゃ、行ってきまーす」

汀は何気に上機嫌だ。

こいつ、絶対都のこと忘れてる。

「あ、ちょっと待った」

玄関から見送りをしていた湊が声を掛ける。

「なに?」

「お前じゃない、禅箭」

数メートル進んでいた禅箭を、こいこいと手を招く。

「何だよ」

「わかってるだろうけど」

そっと耳打ちする。

「襲うなよ」

…こういう時の湊の目は、本気で怖い。

「…大丈夫だって」


保証はできないが。



**********


常盤神社。

一般人では、地元の人間くらいしか知らないが、実はそのテの業界では、かなり有名な処である。

日本はおろか、世界でもその評価は高く、それ故に主である禅箭の祖父はいつもどこかしら飛びまわっていて留守だった。

一年の半分を日本で過ごせればいい方かと。

その為、代理である禅箭は大抵忙しかった。

勿論、祖父からありとあらゆる教育はされてきたが、一人でどうこうできる問題ではないものもあるわけで。

学生であると同時に神社経営者代理であり、神主代理。

そして夜は例の方向の仕事。

祖父の代理の仕事も勿論あるが、最近では「常盤の後継ぎ」としても評価も高まっているらしく、彼自身に依頼する人間も増えてきていた。

喜ばしいことではあるのだが、あまり嬉しくは無い。

----睡眠時間が足りない。

「だからって、授業中いつも寝てたらダメだよ。先生可哀相じゃない」

バスの吊革に掴まってうとうとしている禅箭を、叱咤する。

「……俺の昨夜の仕事からの帰宅時間、教えてやろうか」

「…3時くらい?」

「帰ってきたのが5時半だ。流石に朝日が眩しかったぜ」

虚ろな目で禅箭が窓の外の風景を見つめていた。

「うわ。……朝帰りだね」

汀がコロコロ笑う。

いや、間違いではないが。その表現は誤解を招きそうでちょっと怖い。

『次は常盤坂前、常盤坂前』

バスがアナウンスを告げる。

禅箭は無言のまま、停車ブザーを押した。


数分後、バスの停留所前には二人だけが残った。

「…前から聞きたかったんだけど、どうしてここって『常盤坂』っていうの?地名は違うよね」

「うちの敷地内だから」

禅箭がさらりと答える。

「………」

「どうした?」

「…ここから、結構歩くよね……」

「そうでもないだろ。坂道があるからそう感じるだけだ。それに、うちが普通の家より広いのは当然だろ」

「そうだけどさぁ…」

坂道の途中には、所々に狼をモチーフにした石像が置かれている。

今となっては絶滅したと云われている蝦夷狼。

北海道の開拓の犠牲となった多くの動物達。

ここは、それらを奉っている、数少ない場所でもあった。

そして、最後の石像。

鳥居の真下にあったそれは粉々に砕け散っている。

ここから、都が目覚めた。

「どこに行っちゃったんだろうね、都」

欠片をひとつ手に取り、汀が呟く。

戻っているような気配は感じられなかった。

「さあな」

玄関に貼っておいた札を一枚剥がして、鍵を開けながら禅箭がぶっきらぼうに返事する。

待ち構えていたかのように、電話のベルが鳴る。

それを思いっきり無視して、禅箭はまっすぐ、2階の突き当たりにある自分の部屋へと向かった。

「電話鳴ってるよ」

これでもかというくらい鳴り続けるベルに、汀が耳を塞いだ。

「あっちはジジイ宛ての電話だから無視。そのうち止まるからほっとけ」

「留守番電話にしないの?」

「黒電話にそんなもの求めるな。第一、留守電なんかにしたら件数あっというまにオーバーする」

「なるほど。……何してるの?」

ベッドに潜り込もうとしている禅箭に気づいて、汀が聞いた。

「見ればわかるだろ。俺は寝る。適当にゲームでもやって遊んでろ」

布団をばふっと被ると、そのまま彼はいともあっさりと眠りについてしまった。

「え~~~~~~~~っっ!!」

当然のことながら、抗議する。しかし、既に彼の耳には通らなかった。


………ヒマだ。

汀はゲームにはあまり興味が無い。

部屋の中を探索してみたが、これといって面白そうなものも見つからない。

だからといって、外に出ることもできない。

都が居れば、外出もできたのだが。

(……つまんない)

雉祢の事が気になって、何とか聞き出そうとして着いて来たのに。

当の本人はスウスウと静かな寝息をたてていた。

鼻でもつまんでやろうかと思ったが、疲れているのが解っているのでちょっかいは出さなかった。

自分がもっとしっかりしていれば、禅箭や都の負担はずっと減るはずなのに。

一人での外出もできるのに。

いつの間にか、電話のベルの音も消えていた。

------静かだ。


約2時間後。

禅箭が目を覚ました。

(そろそろ雉祢が来るな…)

上体を起こして、ベッドから降りようとしたとき、「何か」にぶつかった。

「………~~~~~~~~~~っっっ!!?」

いつの間に布団に潜り込んできたのか。

汀が隣で気持ちよさそうに眠っていた。

(ちょっとまてーっ!!)

全然気づかなかった自分にも問題あるが、この場合、どう見ても誤解を招く構図である。

禅箭の部屋だし、禅箭のベッドだし。

しかも都いないし。

「………むに……」

どんな夢を見ているのか。汀はふにゃっとした笑顔をして眠り続けている。

あまりにも無防備な寝顔に、ドキリとする。

(ヤバイって……)

折角、襲わないように彼なりに気を使って寝たのに、全てパァである。

「………」

沈黙。

「………ふぅ」

やがて、沈黙は大きな溜息へと変わった。

(仕方ねえなぁ……)

ここまで無防備にされていると、反って手は出しにくい。

下手に今手を出したりしたら、後が怖い。

湊や祖父や都に責められるよりも、汀に嫌われることの方が怖い。

フッと笑うと、未だ眠っている汀の前髪を撫ぜ、その額にそっとくちづけた。

これくらいは役得ってことで。

そして、彼女を起こさないようにそっとベッドから降りようとした瞬間。

勢いよくドアが開き、一人の人物が入ってきた。

「こんばんわ、禅さまっ!!雉祢が参りましたわーっ♪」

「げ」

部屋に二人きり。しかもベッドの上で、禅箭が汀を押し倒しているとも見えるような構図。

あまりにもタイミングが悪すぎた。せめてあと数秒後であったならば、禅箭はベッドから降りていたのに。

雉祢の表情がみるみるうちに変化する。

満面の笑顔は想像を絶するような顔に。

腰まで伸びている美しい黒髪は一瞬にして天を仰ごうかというくらい逆立ち。

大きな瞳からはそれに負けないほどの大粒の涙を溢れさせ。

そして、悲鳴にも似た叫び。

「禅サマ、何しているんですのーーーーーっっっ!!!!!!!!!」

禅箭の部屋の窓にピシッとヒビが入った。

汀が仰天して目を覚ます。

「なっ、なに…っ?」

「禅サマ、雉祢は納得できませんっ!説明してくださいましっ、説明っっ!!貴女も貴女ですわっ!殿方の寝床に入り込んで、しかも、しかも禅サマの……!!!!」

「落ち着け雉祢、これには理由が…」

禅箭がベッドから飛び降り、弁解しようとする。

「あんまりですわあぁあああーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」

説明を求めておきながら、全く聞こうともせず、雉祢はその場に泣き崩れた。

汀はまだ何が起こったのかわかっていない。


それから雉祢を説得するのに、およそ2時間を要した。


「そういう事でしたの……」

ようやく事態を把握した雉祢が、ハンカチで口元を拭った。

「その娘が闇狩主だったのですね…」

「ああ」

弁論に疲れきった禅箭が答える。

「…それで、お前の用事ってのは何なんだよ」

「ああ、そうです、忘れる所でしたわ」

ハッと思い出したように、雉祢がポケットから布袋を取り出し、中から小さな氷の粒を取り出した。

「一週間くらい前、見つけましたの。かなり疲れていて、昨日やっと治りましたの」

「…!!こいつ……」

「何これ?」

雉祢の手のひらを、汀が禅箭の後ろから覗き込む。

それは、氷の筈なのに解ける様子は無く、やがて意思を持ったかのようにコロコロと動き出した。

「解」

禅箭がそれの上に右手を翳し、小さく呟く。

それに呼応するかのように、氷の粒が膨らんでゆく。

空気を交えて、ふんわりした氷の結晶に。

そして誰もが知っている形に。

「雪だるま?」

汀が驚嘆の声を上げる。

目と口と眉毛が付き。

どこから取り出したのかシルクハットとネクタイを付けて。

手のひらサイズの「雪だるま」が、ちょこんと三人の前に姿を現した。

「やっぱり『カゲロウくん』か…」

禅箭が溜息をつく。

「今日の午後、歩いていた都に見せたら、血相変えて走っていってしまって。学校に禅サマがいるから、そちらに届けてくれと。で、参りましたの」

ニコニコしながら雉祢が言う。

「お前…そういうことは始めに言えよ…」

がっくりと肩を落とす。コイツがいるとわかっていれば、都がいなくなったのも納得いくのだ。

「禅ちゃん…このコ、何なの?」

話に付いていけていなかった汀が、禅箭に訊く。

「ああ、お前はまだ知らなかったな。…コイツはカゲロウくんって言って……うちのジジイの式神」

「式神?」

「使いっ走りみたいなもんだ」

禅箭が手を出すと、カゲロウくんはトコトコと彼の手の上に乗ってきた。

何かを認識するようにしばらくウロウロすると、ちょこんと座り、いきなり話し始めた。

「久しぶりだな禅箭。なっちゃんも元気か?16日の18:45に千歳に着くから迎えヨロシク!」

「すーちゃんの声だ」

汀がカゲロウくんの顔を見ながら言う。

「オイ…16日って、今日じゃねえか…」

これ以上ないくらいの脱力。

時計を見ると、既に9時。

伝言を伝え終えたカゲロウくんは、無表情で何故か踊っていた。


「ただいま」

玄関を開ける音と、深い声がした。

「ジジイ!」

「すーちゃん!」

「皇様!」

三人三様の呼び方で出迎える。

「おお、随分と賑やかな出迎えだな」

常盤神社の主。

禅箭の祖父であり、保護者。

そして、世界を股にかけるほどの実力を持った「常盤」の一族の現・長。

常盤皇。

約半年振りの帰国であり、帰省だった。




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