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9話


一連の事件から一週間が経過した。

禅箭の退院を待ってから皇の葬儀が行われる事になった。

しかし、彼の葬儀は公には執り行わなかった。

一族のほんの一部、本当の上層部の数人のみが弔問に訪れただけである。



勿論、からっぽの骨壷に向かって手を合わせに来ただけではない。



「我々全員、異論はありません」

喪服に身を包んだ老人が告げる。

「たった一人となられた純粋なる血を持つ貴方に、誰が異議など申し立てましょうか」

「それを聞いて安心した」

喪主の席から禅箭が静かに言い放つ。

「俺の考えは今言った通りだ。………後は頼む」

「承知」



「実際の所、どうなんだろうな」

人が引け、閑散とした部屋で禅箭が溜息をつく。

ゆくゆく定められていた事とはいえ、まだ高校生である自分が一族を束ねる事に、まだ不安があった。

弥史(やふみ)さんが言われた事ならば、まず問題無いでしょう。確かに貴方はまだお若い。しかし、素質は充分におありです。もっと自信を持たれては如何ですか。そこに付け込む輩が出てこないとも限りませんよ」

「……わかってる」

伊万里の言葉は確実に核心を突いてくる。

「言い方を変えましょうか?…貴方が、やりたいようにやればいいのですよ。一族なんてただのオマケなんですから」

一族に関わる仕事をしている人間としてその発言はどうかとも思うが。

でも彼のその台詞は、禅箭を安心させた。



煩わしい手続き等は、全て伊万里が行った。

気がついた時には全て終わっていた。

「ねぇ、伊万里さんって、どうしてそんなに禅ちゃんに尽くしているの?」

禅箭と同時に退院した汀が、休憩を兼ねたお茶の席で彼に訊く。

一族に、ではなく、禅箭個人に執着しているのは誰の目にも明らかだった。

「先代には私の人生全てを使っても返しきれない大恩がありますから。あのお方が寵愛(ちょうあい)されていた方に尽くそうとするのは至極当然の流れだとは思いませんか」

「へぇ~」

汀が素直に感心している傍らで、禅箭が「寵愛」という言葉に鳥肌を立たせていた。

「先代以上の関係が築ければそれはそれで喜ばしい事でもあります。勿論、築きたいと思っておりますよ」

それを察したのか、禅箭に向かって満面の笑みを飛ばす。

「あとはこの書類だけでいいんだな?」

それを思いっきり無視して、目の前に広げられた書類に目を通した。

「はい。こことここにサインを……」

そのやりとりの真っ最中に、不意に電話が鳴り響いた。

「悪い、汀。ちょっと出てくれないか」

「いいよー」

恐らく湊だろう。それを解っていた汀がパタパタと電話口に向かっていった。

十数秒ほど経過したあたりで、汀が戻ってきた。

「禅ちゃん、電話代わって」

手に持っていた子機を禅箭に突き出す。

「あれ?湊じゃないのか?」

「タカノさんって人。名前言えばわかるって」

「空野!?」

その名前を聞いた禅箭の表情が変わる。

素早く受話器を受け取り、保留を解除して話し始める。



[頼まれていた情報、入ったぜ]

電話口の向こうの相手は、それだけを静かに告げる。

「……そうか。いつ会える?」

[明日にでも]

「…わかった」

[葬儀に顔出せなくて悪かったな]

「気にするな。そっちの人間が知っている事自体がおかしいんだ」

[それじゃ、明日]

「ああ。ありがとうな」

通話を切った後、振り向きざまに禅箭が伊万里を呼ぶ。

「伊万里さん。悪いけど明日東京に飛ぶから、航空券用意しておいて」



**********

翌日の朝。禅箭は羽田に降りていた。

特に時間を告げておいたわけでもないのに、出口には見覚えのある顔があった。

「……学校はどうしたんだよ」

「お前が言うな」

対等に会話を交わす相手は、禅箭と同年齢の高校生である。

仕事絡みで知り合った彼は、数少ない禅箭が絶大なる信頼を寄せる相手でもあり、友人でもあった。



空野銀次(たかのぎんじ)

彼もまた禅箭と同じ、高校生を超越した力の持ち主であった。

その力の類は彼のものとは異なったものではあるが。



「ホラよ、これが今回の資料」

伊万里が用意しておいたハイヤーの中で、銀次がA4サイズの封筒を渡す。

「へぇ、随分とまとまっているじゃないか。見易いし。随分手間かかったんじゃないか?」

打ち出された資料に目を通し、禅箭が感心する。

「さあ?作ったの俺じゃないし」

極秘情報にも関わらず、さらりと返答する。

「……おい。大丈夫なんだろうな」

「断っておくが、その資料の半分はソイツが取り出した情報だぜ」

「…………」

全国屈指の実力重視超有名校の生徒がこんな奴ばかりで良いのだろうか。

まぁ、いいんだろうな。銀次が通っているような学校だし。

趣味でハッカーをしているような人間がいても何ら不思議は無い。



彼に頼んでいた情報収集。

少し前に起こった、恐らく氷醒達が関与していると思われる行方不明者のリスト。

また、その直後に起こった殺人事件の被害者と、行方不明者の関連。

行方不明者が姿を消す前に関わった、共通する「あるもの」を探して禅箭はここにやってきた。

「最近聞くようになった新種の覚醒剤がある。それもおかしな話で、[金は取らない・売人に気に入られるのが条件]っていう、不思議なモノだ。しかも、手に入れた人間は誰も知らなかったりする。でも手に入れている奴は確実にいる。行方不明や惨殺事件が異様に増え始めたのもこの頃だ」

一番可能性が高いもの。

それを禅箭はドラッグと思っていた。

若者への浸透が深く、早く、それでいて闇の中で動くものとなると、思いつくものは限りなく少ない。

そして今見た資料と銀次の話で、それはほぼ確信へと変わった。

あとは、どうやってその売人に会うかだった。

そういった意味でも、彼は強力な助っ人だった。

「じゃ、とりあえず一番可能性のある所に案内してくれ」

「高くつくぜ」

「この後ラーメン奢る」

安い。

そう彼が思ったかどうかは知らない。



現地での情報収集は、予想以上にスムーズに進んだ。

何せ怪しい路地裏に入った途端にお約束的に不良集団が姿を現し、その内の1人が銀次の知り合いだったからだ。

まぁ、知り合いというか、平たくしてしまえば彼の崇拝者である。

絶対的なカリスマを持つ人間に従う事を己の喜びとする彼らによるネットワークは驚くほど早く、2時間も経過すれば充分な情報が得られた。



得られた情報は大きく分けて二つ。

界隈を騒がせているドラッグの名前と、引渡し情報。

そして、次回その受け渡しの資格を得た人間の情報だった。

どうやら今回その資格を得た人間は1人ではないらしい。

確実な情報ではないが、それでも充分な収獲には成り得た。

あの兄弟の残り3人のうちの1人が、確実にこの事態に関わっている。

禅箭には確信があった。



腹部に残された決して古傷とは呼べない傷痕が疼いていた。




「おかえり、禅ちゃんっ」

帰宅した禅箭に向かい、汀が明るい声で出迎える。

「……なんでいるんだ?」

とてもいるとは思えない時間帯だったため、禅箭が仰天する。

「湊ちゃんが帰ってきてから少し休むって言ったから、邪魔しないようにこっちに来たの」

「イヤ、そういう話じゃなくて」

「迷惑?」

いや、だから、そうじゃなくて。

「都と雉祢は?」

「都はさっき、なんか用事があるとかで出かけた。今夜は帰らないって。雉祢ちゃんは来てないよ」

「じゃあタクシー呼んでやるからすぐ帰れよ。終電間に合わなくなるぞ」

「大丈夫だよ。泊まるってメモ置いてきたから」



は?



彼女の顔は至って笑顔である。

黙って禅箭は受話器を手に取り、おもむろにボタンを押し始める。

「あ、もしもし、井上交通さん?常盤だけど、今から家の前まで…」

タクシー会社へとかけたはずの電話は「常盤」の「と」の辺りで切られた。

ふと見ると、汀が親機で電話を切っていた。笑顔のままで。

ある意味怖い。

「……どういうつもりだよ」

「泊まるから」

彼女は一歩も譲る気配が無い。

「お前なぁっ……ジジイも都もいないのに、そんな事できるわけないだろっ!」

「どうして?」

「どうしてって………」

ストレートな疑問に答えは出ているものの、それを口に出せずに禅箭が口篭る。

「何かいけない理由でもあるの?」

あるとすれば禅箭の方だろう。

それを言ってしまえばどれだけ楽だろうか。しかし、今の彼にはそれが言えなかった。

「それじゃ決まりだねっ。夕ご飯食べた?まだだったらスープ温めるよ」

「あ、じゃあ…貰う」

駄目だ。完全に彼女のペースに乗せられてしまった。

言ってから改めてそれに気付き、禅箭は頭を抱えて大きく溜息をついた。



「……あ、湊?オレだけど」

夕飯を済ませた上で、改めて電話をかける。

ちなみに、今からではどうあがいても終電には間に合わない。

その旨を伝えると、

[ああ、わかった。今から俺も論文やらなきゃならないから]

いともあっさり了承を貰えた事に、てっきり怒鳴られると思っていた禅箭が拍子抜けした。

一瞬、隼未かと思ったが、声は確かに湊本人のものである。

「信じてるからな、禅箭♪」

やけに明るい声が返ってくる。おそらく受話器の向こう側には極上の笑顔があるのだろう。

最近のゴタゴタで思うように勉強が進まなかった事を危惧していた事を知っていたので、その嬉しさが現れていたのかもしれないが、この声は決してそれだけではないだろう。

その裏側に何が潜んでいるか、禅箭はよく知っていた。少しだけ背中が寒い。

「…大丈夫だよ……」

多分。



「湊ちゃん、電話出た?」

汀がチョコチョコと寄って来る。

「ああ。一応了解取れたよ」

「まぁ、ダメって言われても帰れないんだけどね」

コロコロと笑う。

果たして、コイツは今の状況がわかっていて笑っているのだろうか。

「そうだ、禅ちゃん。今体調は大丈夫?」

思い出したかのように、不意に汀がポン、と手を打ち、上目遣いで訊く。

氷醒から受けた傷の事を気にしているのだろうか。

その上目遣いにドキリとしたのを気付かれないように、禅箭が目を逸らす。

「別に悪くはないけど……」

「そう?良かった」

そう言うや否や、汀が禅箭の右の頬を平手打ちした。



パン、と乾いた音が深夜の神社に響いた。

あまりにも突然の出来事に、痛みよりも驚きが禅箭の脳に届いた。

「なっ……!?」

正気に戻るまで数秒。何するんだ、と怒鳴ろうとした禅箭の動きが止まった。

いや、止められた。

汀が、正面から禅箭に抱きついていた。




「汀……?どうしたんだよ……」

頬の熱が上がるのに比例するように鼓動が早まるのを悟られないよう、禅箭が訊く。

「………怒ってるんだからね」

彼の胸に顔を埋め、曇った声で、汀が呟くように言う。

「怒ってるって、何を」

「ぜんぶ」

「全部って言われても……」

「今日出かけたことや、色々隠している事がある事」

「………」

身体の傷と、心の穴も癒されないうちに禅箭が1人で出かけてしまった事が更なる不安と怒りを煽っていた。

「どれだけ心配してたかわかってない!いっつも1人で決めちゃって……禅ちゃんやすーちゃんや湊ちゃんが良いと思って何も言ってくれないのだって、どれだけ私が疎外感感じていたかわかってないよっ!」

気がついたら、またひとつ、大切なものを失っているかもしれない。

それが自分の無知故に起こった事かもしれない、と思ってしまうことが何より怖かった。

全てを知った上で動きたいのに、誰も何も教えてくれないのが歯痒く、悲しく、悔しく、そして自分の未熟さに苦しんでいた。

「私がまだまだ未熟だから、信用されてない事はわかるけど……」

「それは違うぞ。信用とかじゃなくて、お前の事を心配しているから……」

その言葉が汀の前半の言葉を肯定していることに気付いたときは既に遅かった。

汀がそれに気付いたかどうかは知らないが、更に心の奥底からの叫びは続く。

「話してくれなかったら同じ事だよ!心配ってなに?私がそれを知って苦しむから黙ってる!?ふざけないでよ!前にも言ったよね?黙ってるくらいなら洗い(ざら)い話せって!」

忘れていない。忘れる筈がない。

汀を闇狩主として覚醒させ、一族の戦いに巻き込むための条件。

禅箭が何も言わずに離れてしまうことを怖れていた汀が発した言葉。

全て包み隠さずに話せ。そうした上でこの戦いに巻き込め、と。

禅箭はそれに応じ、そして彼女の傍に居る事を誓った。

その約束を破ったのは禅箭だ。

何も言い返せずに閉口する。

置いて逝かれることの恐怖は、自分が一番よくわかっていたはずなのに。

今、それを彼女に感じさせていることに改めて気付かされ、激しい後悔が訪れる。


しばしの沈黙が流れた。


禅箭が汀の肩をそっと抱き、電話を手に取った。

良く知った番号を押し、相手が出るまで数秒。

「俺だけど。………ごめん、もう駄目だ。全部話すよ…………」

[………どうして]

「汀が、泣いているんだ。……これ以上耐えられない………俺が」

[……そうか]

その一言で湊は全てを悟ったらしい。声は落ち着いたものだった。

「隼未には俺から話すから。………うん、それじゃ」

[………悪いな。嫌な役押し付けて]

湊の最後の台詞が、禅箭の胸に刺さった棘をそっと引き抜いてくれた。



「さぁて、今から長い話になるぞ。徹夜するくらいは覚悟しておけよ」

電話を切った後、わざと明るく振舞い、汀の顔を引き上げる。

「徹夜は、イヤだなぁ………」

真っ赤な瞳で、明らかに無理をした笑顔で汀が応える。

「ただ、これだけは約束しろ。今から話すことは、全て俺たち周りの人間が、自発的にした事だ。その事に関して自分を責めたりは絶っっ対にするなよ」

頭をわしわしと乱雑に撫でて、禅箭が強く告げる。

「………わかった」

「よし。で、どこから話して欲しいんだ?」

「……7年前から。禅ちゃんに起こった出来事全て知りたい」

聞きたくても聞けなかった事。

本当は、ずっと知りたかった。



禅箭が両親を亡くした時に起きた一連の事件。

皇との、思い出と言う名の様々な出来事の数々。

雉祢との出会い。

中学時代に死んだ同級生との関係。



そして、湊の中に住む隼未の存在。



全てを話し終った時、空は既に白み、雀の声が聞こえ始めていた。



中には、話したくない出来事もあった。

それでも、禅箭は話し続けた。

思わず耳を塞ぎたくなる事や、自らそれを口に出すことで吐き気を催すような事も、全て、包み隠す事無く。

汀がそれを、望むから。

彼女は、話をしている間は何も言わなかった。

苦痛と言う言葉では言い表せないほどの内容でもあった筈なのだが、黙って禅箭の話に耳を傾けていた。

ただ、全てを話し終えた後の沈黙の中、小さく「ごめんね」とだけ呟いた。

おそらく、言いたかった事の全てを凝縮した、精一杯の一言だったのだろう。



「それじゃ、俺は今から寝るから。適当な部屋で寝るなり帰るなりしろ」

幸か不幸か、今日は日曜である。

大きく欠伸をして、禅箭がベッドにもぐりこむ。

「一緒に寝てもいい?」

つられるように小さくあくびをした汀が訊く。

「アホ」

「……寂しいんだもん」

眠気からか、瞳を潤ませて見上げる。

「襲うぞ」

「いいよ」

「……やっぱ駄目だ」

「なんで」

「頼むから、もう少し自覚と危機感を持ってくれ」

「禅ちゃんなら構わないのに」

「だから、そういう台詞をサラリと吐くんじゃない」

全身からどっと力が抜ける。

果たして彼女は自分の言っている台詞の重大さをわかっているのだろうか。

大きな瞳をクリクリさせたまま、哀願する様に見つめ続けている。

………負けた。色々な意味で。

「……このベッド使え。俺は下に布団敷くから」

「はーい♪」



「…………ねえ、禅ちゃん」

「なんだよ、眠いんだからさっさと寝かせろ」

「なんでそんなに端っこに寄ってるの?」

不自然なほど布団の端に身体を寄せている禅箭の姿に疑問を感じた汀が目を丸くする。

壁に付くかと思えるほどまでに、彼の身体は汀が横たわるベッドよりはるか遠ざかっていた。

「誰かさんが落ちてきても大丈夫なように空けておくんだよ」

「…………………」

汀が間借りしているベッドには柵がついている。彼女の寝相が悪かったとしても落ちる事はまずない。

彼の台詞が何を意味するのか解った瞬間、汀は満面の笑みでベッドから転がり落ちた。

勢いをつけすぎて、落下地点が少々予測地点より遠くになった事は仕方ない。

カエルを潰したような禅箭の声が聞こえたが、それもまぁご愛嬌ということで。



「ごめんね。赤くなっちゃったね、ここ」

未だに少し熱を帯びる禅箭の頬を撫ぜ、汀が謝る。

「起きても腫れが引いてなかったら治すよ」

今は力を発動することすら面倒臭い。



それから間もなく、二人は深い眠りについた。

窓の外で小さな光が瞬いた事には気付く事もなく。

深い深い眠りへと誘われていった。


自分に残された選択肢は、果たしていくつ残っているのだろうか。

そのひとつは、今、目の前で消えた。

朦朧と歩き始めた足取りは重く、それを振り払うかのように地を蹴り、宙を翔けた。



微かな気配を感じて、2尾の狼が顔を上げる。

既にその姿は肉眼では確認できないほど遠ざかり、戻ってくる事は無かった。

『………』

口に含んだ氷を黙ったまま噛み砕き、都はその場を離れた。



見たくなかった。

たとえ解りきっていた結末だったとしても。

「どうされました、雉祢様」

夕闇に1人の影が浮かぶ。

氷の微笑を携えた青年が、そこに居た。

「氷醒……!」

あまりにも突然の出来事に、驚嘆の表情を隠せなかった。が、それもすぐに消えた。

「見張りをつけるなんて、いやらしいこと」

禅箭や汀には決して見せる事の無い、冷たい表情で一瞥をくれる。

「人聞きの悪い事を仰いますな。たまたま近くを通りがかっただけですよ」

まるで偶然とでも言わんばかりに、彼の足元に従う魔物の頭を撫ぜながら微笑む。

笑顔でありながら相手に温かみを感じさせないその表情に、背筋が寒くなるのを感じた。

彼の傍にいる魔物を、雉祢はよく知っていた。

琴葉(ことは)……」

過去に自分に従う立場にありながら、姉妹のように仲良くしていた相手。

その瞳は既に輝きを失っており、まるで雉祢の事を忘れ去っているかのようだった。

ただただ、氷醒に従うだけを全てとするように変えられてしまった、哀れな存在に成り下がっていた。

「もう、貴女で最後ですよ」

唐突に氷醒が言い放つ。

それが何を意味するのか、雉祢には痛いほど理解できた。

「これ以上、彼らに加担してどうなると仰るのです。我々闇魔と貴女方真魔は対を為すと同時に、同じ存在だったはず。人間と共存するために我々が邪魔だと思われあの地に封印されたのであれば、全ての原因を排除してしまえばいいだけなのではないですか?」

人間を滅ぼすと言う事は、全ての魔物が一緒に暮らせるという事だ。

「我々は、己を殺してまで共存しようと試みている仲間の心を解放したに過ぎません。まぁ、多少強引な手段ではありましたけどね」

琴葉が呼応するかのように、差し伸べられた氷醒の手に擦り寄る。

「我々、いや、私には貴女が必要なのですよ。雉祢様」

「……それは私の立場?それとも私自身なのかしら」

「無論、両方ですよ」

そう言うとそっと両の手を伸ばし、雉祢の肩に乗せ、そのまま彼女を引き寄せた。

彼女は抵抗する事もなく、そっとそのまま身を任せ、瞳を閉じた。



欲しいものがあった。それは今も変わらない。

そしてそれがどうしても手に入れる事が出来ない事も知っていた。



それならば、いっそのこと壊してしまえばいい。

さすれば、これ以上嫌なものを見なくて済むだろう。



自分の考えが短絡的であることくらい解っている。

でも今の自分には、それを止める気力が無かった。



さぁ、種を受け入れなさい。

そうすれば、貴女は自由になれる。呪縛から解き放たれる。

望みのままに。思うように行動すればいい。

我々魔物の本能の導くままに………





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