プロローグ
風が吹き抜けてゆく。
時に行く手を遮り、時には背を押し。
冷たく吹き荒ぶもの。
それが・・・朔風。
我、朔風の中、白銀の中に集いて闇を狩る者也。
**********
「霊邪冥送!」
暗闇の中、少年の声が小気味良く響く。
眩い閃光が貫いた先で、衝撃音が鳴った。
長い長い、全てを引き裂くような悲鳴が雑居街のビルに響き渡る。
<オ…ノレエェエエエエ!!!!!>
地面に叩きつけられた<ソレ>は醜い声を発し、力を振り絞って、路陰にいた一人の少女へと襲い掛かろうとした。
「汀っ!!」
少年が少女の名を呼ぶ。両手で<<印>>を結ぼうとするが、間に合いそうもない。
せめて、もう少し弱らせてからにしたかったのだが。
(くそっ…!)
少女は微動だにしない。それとも、動きたくても動けないのか。
<呪呪呪呪呪呪呪殺殺殺殺殺殺殺殺殺……!!>
瞬く瞬間に、少女の眼前に迫っていた。
暗闇で見えなかった爪と牙が、今ははっきりと目の前に見える。
そのしなやかな肢体を引き裂き、肉を貪ろうとしている獣の本体と共に。
逃げなければ、確実に殺されてしまうのに。
<…!?>
少女を切り裂こうとした爪が、寸前の処で止まる。
何故こいつは逃げない?
何故恐怖を感じない?
何故…
そのほんの一瞬の迷いの間に、その頭は胴体から切り落とされていた。
<ナ……ゼ…………>
少女の前に舞い降りた、口の周りを血で紅く染めた一匹の獣が、鋭い眼光を放ち、無残に落とされた首を見下ろす。
2本の尾を持つ狼。
彼女を護る様に立つその姿は、鬼神さえ感じさせるほどの殺気が感じられた。
コイツの余裕は、これだったのだろうか。
ヨユウ…?
いや、それは違う。
それなら、何故、この少女は泣いている?
恐怖ではなく、哀悼の涙。
自分が殺されるという事は全く考えず、ただただ相手に対しての憐み。
ゆっくりと足を進め、最期の痙攣をしている身体に近づく。
涙は頬を伝っている。
しかし、地面に落ちることはなかった。
冷たいものが、生気を失いかけた顔に当たる。
…雪……?
それは一瞬にして液体と化し、己の身体と共に溶けてゆく。
ゆっくりと。しかし確実に。
痛みも苦しみもない。あるのは「消えてゆく」という感覚だけ。
「消えるんじゃないの…帰るんだよ…」
少女が初めて口を開く。
芯に澄み渡る、綺麗な声。
微かに残っていた恐怖も、憎悪も、一緒に消えていくように思えた。
「ごめんね…」
彼女の中から発せられた光が、首と身体を吸収するようにその場所から消し去った。
**********
『まだ詰めが甘いですよ、禅箭』
二尾の狼が、少年を睨みつける。
「悪かったな。まだまだ力不足で」
禅箭と呼ばれた少年が不貞腐れたまま歩み寄る。
彼女はまだ放心状態のままである。
「…ホラ、帰るぞ、汀」
「うん…」
腕を掴まれ、支えられてようやく汀が立ち上がる。
「禅ちゃん」
「何だよ」
「…疲れたぁ…」
予想以上の体力を消耗したのか、へたりと再び座り込む。
それを半ば無理矢理引き起こして、禅箭がボソリと呟く。
「俺の方が疲れてるよ」
「ロッテリアのファンタ飲みたい」
「買えばいいだろ」
「ひとりじゃつまんない。一緒に行こうよ~」
「…俺、もう帰って寝たいんだけど」
「じゃあ、持ち帰りにするから禅ちゃん家で飲もうよ♪」
「炭酸抜けちまうから却下。第一、俺ん家まで行ってたら終電なくなっちまうだろ」
「その時は泊まればいいだけでしょ?」
「…………ドアホ!ジジイに殺されるわっ!!」
「だって留守でしょ?」
「……」
だからだよ。
現在、一人暮らしも同然な部屋に女を泊めるなんて真似、できるはずがない。
少しでもその手の要素を含んでいるなら構わないのだが、コイツの場合は全く邪気が無いので始末が悪い。
自分を男として意識するとかそういうものではなく、子供の感覚のままなのだ。
よって、この少女のオツムの中に「主従関係」などという単語は存在しない。
…自分は、汀に仕える身。
必要以上に馴れ合うことはできない。
という「肩書き」。あくまでも。
実際は、ガキの頃から知っているため、そんな堅苦しい感覚は持てそうになかった。
それでも…。
『帰りましょう、汀。送りますよ』
二尾の狼が優しい瞳をして見上げる。
「うん…」
禅ちゃんのばーか、と小さく呟き、汀は帰路についた。
「バカはどっちだよ」
『両方ですよ』
禅箭の悪態に、足元にいる都が冷たいツッコミを入れる。
「…言うようになったじゃねーか、都」
聞こえない振りをするかのように、2本の尾をゆらゆらさせながら都は黙って汀の後についていった。
「そうだ、禅ちゃん。言い忘れてたけど、明日リーダーの小テストあるよ」
30m程離れた場所で足を止めた汀が言った。
「……」
「それじゃ、おやすみ~」
踵を返し、再び歩き始めようとした瞬間、
「…やっぱ、寄ってくか」
禅箭が汀の肩を抱いた。というか、しっかり掴んだ。
「やっぱりノート取ってなかったんだ…」
「授業中は俺の貴重な睡眠時間だからな」
『夜も忙しいのは認めますがね』
「うっせぃ」
都のツッコミにこれ以上悩まされたくないので、無理矢理話を止まらせた。
暗闇の中に潜み暮らす、更なる闇。
封印から解き放たれた、闇に身を委ねる存在。
------闇魔。
それらを狩り、再び封印の地に施錠の楔をつける者。
魔物たちは、様々な意を篭めて、こう呼ぶ。
------「闇狩主」と…。
当の本人に、その自覚は全くなかったりする。