プロローグ──偽りの記憶と召喚
──これは彼の偽りの記憶・日本──
西暦二◯五七年──七月十三日・金曜日。
「霧崎くん、この資料今日までに完成させておいて欲しいんだけど、頼めるか?」
「わかりました。なるべく早めに完成させます」
「頼りにしてるよ。なにしろ君は仕事が早いからね」
課長から来週行われる研究論の資料をもらい、彼は自分のデスクに戻る。そして、言われた通り資料作成に取り掛かる。そんな彼は霧崎隼斗。二十代も半ばに差し掛かっているおっさんだ。実を言うとこの仕事にもだんだん飽きつつあり、何か他の刺激になるようなものを最近はずっと求め続けていた。
「先輩、お仕事お疲れ様です!これ、差し入れです。よかったら食べてください!」
「ああ、姫坂もお疲れ様」
一応後輩を労ってやるのも先輩の仕事である。差し入れのクッキーはありがたくもらっておくとしよう、そう心の中に留め、再び彼女に目をやる。
「そういえば先輩、最後に有給休暇取ったのっていつですか?」
そう言われてみて気がついたのだが、隼人はここ最近ずっと休みを取っていなかった。というのも、彼が働いている会社は、とある現代の科学技術について研究している機関だ。ニ○五○年頃に国際プロジェクトチームが掲げた論の内容をより深掘りするために存在している。彼らが引き受けている研究チームは、研究の展開論レポートを書くことに躍起になっていた。それゆえ、彼はほとんど休みをとっていなかったのだ。
「確か2ヶ月前くらいだった。それがどうしたんだ?」
「働き過ぎです!少しは自分の体を大切にしてください。それともう少し身だしなみをきちんとすればカッコよくなると思いますよ」
「別にカッコよくなる必要はないだろ」
彼は建前ではなく本心でそう思っていた。だが、姫坂は不満そうな顔をしていた。
「ふーん、そうですか。まあ、先輩の考え方はわかりました。ですがあまり無理をしないでくださいよ。先輩の尻拭いは私なんですからね」
「俺も一応わかっているつもりだ。体調管理には気をつける。だが、俺はそんなにやわじゃない」
「さーて、どうだか」
そう言うと姫坂は自分のデスクへと戻っていった。彼女は隼人の大学時代の後輩で、まさかこの会社に入ってくるとは思っていなかった。入社した時からずっと隼人を気にかけてくれている。とにかく彼女は人当たりがいいのだ。「実は彼女は俺が好きなんじゃないか」と何度も隼人は思っていたが、その度に「自分を過信し過ぎているだけだろう」そう思うようにしていた。頭の中でそんなことを考えながらも手だけは休まず動かした。
「お疲れ様でしたー」
そして定時に会社から帰宅する。隼人はそのまま自分の住んでるアパートに直行する。今は現代物理化学が発達しているおかげで、無人タクシーと呼ばれるものがあり──実際に車は宙に数センチ浮いている──隼人は無人タクシーの後部座席に全身を預けた。いつもなら何か買い物をして帰るのだが、今日はいつも以上に疲れていてそれどころではなかった。家に着き、ひとまず夕食と風呂を済ませベッドに横たわる。時刻は午後八時。
「今日も疲れた」
独り言もここ数年間で増えた気がする。今日はゆっくり寝よう、そう決めてやわらかいベッドに全身を預ける。そうして隼人は眠りについた。
──何だ?声が聞こえるような……。
彼は夢の中でとある声を聞いていた。それは透き通るような声だった。その声は『この世界を救って!』と言っている。そのまま数秒が過ぎた後、今度こそ隼人は完全な眠りという奈落の底に落ちていった──。
しかしこれは彼が記憶操作を施された後──事象変更後──に視た『夢』だった。
◇ ◇ ◇
背中に妙な感覚を覚える。隼人が寝ているのはフカフカのベッドだったはずだが、背中に伝ってくる感覚は硬い何かだった。ベッドから落ちたのだろうと思いながら寝返りを打つ。いきなり背中に激痛が走り、いやでも目が覚めてしまった。そして目に飛び込んできた景色に隼人は呆然とすることとなった。
──ここは……?
一応何度も目を擦るが、景色は変わらずただ街が広がっているだけだった。隼人はゆっくり起き上がって近くの店などを見回し、文字を見る。
──知っている文字じゃない。けど……読める。一体どういうことだ?それに……少し目線が低いような気がする。
呆然と突っ立っていると近くから女の人から声をかけられた。
「そこの兄ちゃん、あんた新米の冒険者かい?」
隼人は一瞬言葉が詰まったが、未だ冴え切っていない頭でなんとか言葉を紡いだ。
「ああ……」
「へぇ、そうかい。じゃあまだ冒険者ギルドには入ってないのかい。私が案内してやるよ、着いてきな!」
「冒険者ギルド……?」
「あんた、何にも知らないのかい?いったい何処から来たんだ?……まあ、あんたのことはあまり詮索するつもりはないよ。私はシャロン。この町の冒険者ギルド直属の宿屋の女将だよ、よろしくな」
冒険者ギルドに向かいながらシャロンはこの世界のことを教えてくれた。
──この世界にはかつて魔王が存在した。その際に突如として降臨した英傑が悪戦苦闘の末一時的な封印を施したが、その封印が最近になって消え始めた。そこで被害を少しでも減らすために冒険者が依頼をこなしている──
「この世界のことは少し分かったか?……っともう着いたぞ」
そう言われて冒険者ギルドの正門に入る。隼人は入った途端、感激を堪えられなくなっていた。いくつもあるカウンターに美女の受付嬢がおり、それぞれ冒険者の対応をしていた。その中でも真ん中のカウンターに通される。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。依頼ですか?登録ですか?それとも──」
そこまで言いかけたところでシャロンが隼人との間に割って入った。
「おい、今は仕事中だろ」
「しゃ、シャロンさん!?今日は非番じゃないんですか?」
明らかに受付嬢は動揺している。いかにもシャロンがいたことに驚きを隠せない様子だ。
「今日は確かに非番だ……って言っても別に受付嬢の仕事はしてないがな。それより、冒険者登録をしたい奴がいるんだが」
受付嬢は隼人の顔とシャロンの顔をおよそ三回往復した後いきなり頭を下げた。
「本当に申し訳ございません!私は冒険者ギルド受付嬢のユリア・エクトリエと申します!……」
「いや、お前が自己紹介してどうすんだよ」
そんな彼女の様子を見てシャロンが茶々を入れた。どうやら新人さんらしい。まだ仕事に慣れきっていない様子が垣間見える。一方、ユリアはシャロンに指摘され、顔が急に赤くなっていた。ワタワタしながらもどうにか冒険者登録を始めた。一方シャロンは用事があるからと先に帰ってしまった。
「コホン……それでは冒険者登録を始めます。改めて、あなたのお名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
「俺は…」
そこまで言って少し躊躇する。日本にいた時と同じ名前でもいいのか。ほんの数秒考えた結果、隼人は自分の下の名前だけにした。
「俺はハヤトだ」
「承りました。そうしましたらこの水晶に触れてください」
言われた通り手をおく。すると、いきなり光が隼人の体を包み込む。そうして数秒経った後元通りに戻った。しかし水晶に色は反映されていない。
「──すみません、もう一度お願いします」
彼女は不思議そうな顔で隼人にもう一度するように促す。それでもユリアの顔は晴れなかった。
「どうしたんだ?」
「そんな……」
隼人が問い返すも、彼女はただ独り言を呟くだけだった。
「水晶が……水晶が反応しない…」
本来水晶の働きはそれぞれの基礎ステータスを確認するために使われるものだ。それが彼の場合、触れてもなんの反応も示さなかった。つまり、隼人のステータスが存在しないということだ。こんなことは冒険者ギルド設立以来、初めてのことだった。
「それがどうかしたのか?」
彼女は言いづらそうな顔をしながらも、しっかり隼人に現状を話した。
「今のままではハヤト様は基本的な冒険者が身につけるスキルを習得できません。一応冒険者登録はできますが、いかがなさいますか?」
スキルが使えない、そう聞いた時隼人は一体なんのために召喚されたのか、全くわからなくなってしまった。しかし、ショックを受けた感覚は彼にはまるでなかった。
──一応スキルがなくても魔物を倒せば生活ができるはず。
とりあえず冒険者登録しないと何かと不都合になる点が多いという話をユリアから聞いたため、登録をすることにした。
「──はい、ありがとうございました。これで登録過程は終了となります」
カウンターの下から何かを取り出した。
「これはライセンスカードです。冒険者様の身分証明証となるので無くさないようにお願いします。当冒険者ギルドではライセンスという制度が採られています。昇級試験を突破すると上位ランクに移行できます」
「それから何か預けたり、クエスト報酬をもらう時はこちらにお申し付けください」
登録を終えて冒険者ギルドを出る時、誰かが冒険者ギルドに慌てて入っていくのをハヤトは見た。フードを深く被った少女らしい人だった。のちに彼女と思わぬ再会を果たすのだが、今の彼にはまだ知る由もなかった。霧崎隼人、もといハヤトはこの世界での第一歩を踏み出したのだった。
──【††受付嬢・ユリア・エクトリエ】──
私はユリア・エクトリエ。新米受付嬢である──というのは建前で、私は姫坂琴音。生粋の日本人だ。今日朝目を覚ましたらこの世界に転移していた。初めはあまりの出来事に混乱したのだが、そこはいつもの根性で乗り切った。この世界で生きていくこと、それ自体に不安を抱いたりはしなかった。とはいっても、やはり日本に帰りたい気持ちは変わらない。私はシャロンさんが連れてきた新米冒険者になぜだかわからないがとても親近感が湧いていた。もしかしたらどこかで会ったことがあるかもしれない。そう思ったけど、どこであったのか思い出せない。私の容姿は日本にいた時とは異なり、あまり目立ちすぎない金髪で長髪だった。そして顔も我ながら綺麗な方だと思う。実際に第三者からの視線が痛いほど伝わる。そう思案していると、また次の受注依頼を冒険者が持ってくる。
私は疲れたと内心ぼやきながら──でも顔には一切出さず──受注承諾書をまとめるのだった。
「受注依頼ですか?」
姫坂琴音ことユリア・エクトリエはこの後、ハヤトと呼ばれた少年と度々接触するが、彼の方から声をかけるまで、一切気づかなかった。今日も彼女は受付嬢の仕事をする。しかしこれはまた別の話。
お読みいただきありがとうございました。これから不定期ですが、この作品を中心に書いていこうと思っています。そして少しでも面白いと感じましたら、広告下の⭐︎マークをタップしてくれるとありがたいです。
第二章ラディンオス街編の冒頭で地球で彼の身に起きたことを描写しております。