第4話 こうなった理由
私がレインと婚約したのは10年前に遡る。
当時は変態ではなく、ただの公爵令息で女顔負けの美少年だったレインとの婚約を断る理由もなく、滞りなく婚約は成立した。
派閥、歳、魔力量。
アンダーソン公爵家が提示した条件を偶々クリアしたに過ぎなかったが、私にとってそんな事はどうでもよかった。
義母と義妹のせいで肩身の狭くなった私は居場所が欲しかった、ただそれだけ。
疑いようもないくらいに政略的なものだったが、お義父様とお義母様は私にとても良くしてくれた。
私がアンダーソン公爵家に入り浸るのにそう時間はかからなかった。
しかし、婚約して一年経ってもレインとの距離が縮まる事はなかった。
理由はただ一つ。
当時のレインがとてつもない人見知りだったからである。
公爵夫妻や彼の専属使用人にレインと仲良くしてやってくれないかと言われた。
このまま行ったら結婚する訳だし、お世話になってる人たちからのお願いだったので私は二つ返事で了承した。
とはいえ、レインがどこにいるかすら分からない私は彼を探すところから始めた。
最初の頃は一緒にお茶をしていたが、いつの頃からか彼のメイドや執事と話が弾み、そればっかりになっていたからである。
自室にはおらず、夫妻が目星をつけていた場所にも彼はいなかった。
え?どこにいるの?
そんな疑問を抱えながら庭園を抜け、小さな森のような場所に私は足を運んだ。
やって来たのは勘だが、この家の庭はどうも広すぎる。
「まあ、いないか……」
肩を竦め、帰ろうとしたその時。
「やめて!」
いつも小声なレインの大きな声。
私は慌てて振り返り、声がした方に向かって走り出す。
草むらを助走をつけて飛び越え、私は二つの人影の前に躍り出た。
「ねぇ、貴女。こんな所で何をしているの?」
「エ、エスティバン嬢……」
そのうちの一人はレイン、もう一人は新人のメイド。
メイド服をはだけさせたその女は、前から私に敵意を剥き出しにしていた人物だった。
それにしても、十歳近く歳の離れた公爵令息を襲うだなんて浅はかにも程がある。
私は青ざめたメイドに蔑んだ視線を向ける。
「主人を、九歳の少年を無理やり連れ出して一体全体何をしようとしているのかしら?」
レインは震えながらも私の後ろに隠れた。
下唇を噛んで震えていたメイドだったが、私の挑発にキッと顔を上げる。
「わ、私はレイン様の事を愛してるの!アンタなんかよりずっと……」
「そのレイン様は貴女の事が怖いようだけど?」
そんな事すらも分からないの?と言わんばかりの目で見てやればメイドは情けなくもレインに縋り付いた。
「そんな事ないですよね?レイン様……レイン、様?」
しかし、レインは無言でメイドの手をを振りほどいた。
全く、仕方の無い女。
逃げないように拘束魔法をかけてやり、私はレインの手を引いてその場から立ち去る。
「行きましょう、レイン」
「……うん」
暫く歩いてメイドが見えなくなったところで私はレインに話しかける。
「あんなメイドがいたら心が休まらないね」
「そう、だね」
「仕方ないか。アンタ、顔いいから」
アンダーソン公爵家特有の白銀の髪と紅い瞳に母から受け継いだ優れた容姿。
貴族の子息令嬢が参加するお茶会でもレインはいつも人に囲まれっぱなしだった。
身分もあるだろうが、この外見が更に人目を引いているのは確かだろう。
早く公爵夫妻に言いつけてやろうと歩いていれば、珍しくレインの方から話しかけてきた。
「ソフィアは格好いいね。その言葉遣いが素なの?」
「ん?まぁね。知り合いにこういう言葉遣いの人がいるの。移ったって感じ」
そういえばレインの前でこの口調は初めてだったか。
ただ口が悪いだけなのに格好いいとは。公爵令息に向かってアンタとか普通に駄目なのだが、ずっと猫を被ったままは疲れるのでご愛嬌だ。
そろそろいいかと一方的に握っていたレインの手を離せば、今度は向こうから手を握られた。
驚いてレインの方を見れば、彼は立ち止まってこちらをじっと見ている。
「ねぇ、ソフィア」
「何?」
「また僕がこうなったら、助けてくれる?」
大人の前であれば男なのに何言ってんだと怒られる発言であるが、当時の私にとってレインは守らなければいけない存在であった。
しかしながら、このままでいられても困る。
レインは将来公爵になるのだから。
「アンタ、魔力あるんだから自分で強くなってどうにかしな。でもまあ」
一度言葉を切り、レインの頭に握られていない方の手を置く。
「それでもどうにもならないって時は助けてあげる」
なんてことない、幼少期に放った言葉。
とはいえ、この時にこの対応をしたのが運の尽きだった。
……今だったら何言ってんだお前と殴って終わりだったんだけどさ。