『速記師良秀、家の焼くるを見て喜ぶこと』
昔、速記師良秀という者があった。隣の家から火が出て、風が強かったので、妻も子も置いて、自分だけ大路に逃げ出た。
見ると、既に良秀の家に類焼していて、炎が上がり、煙も立ち上っていたので、知り合いが見舞いに来始めたが、当の良秀は、道の反対側から家が焼けるのを眺め、時折笑ったりなどしている。いやはやこれはもうけものだ、これまで随分へたに書いたものだ、とつぶやくのを聞いた見舞い客が、なぜ笑っているのか、おかしくなってしまったのか、と情けながっていると、良秀は、これまで基本文字のヒを、考えもせずに書いてきたけれど、火というものがあのように燃えるのを見て、基本文字のヒはかくあるべしという形を知ることができた。これからは、基本文字のヒだけで、一財をなすことができるだろう。お前たちは得られるものがないから、家一軒のことで騒ぎ立てるのだ、あさましいことだ、と随分なことを言った。
火炎といえば不動明王なので、これより後、良秀は、不動速記師と呼ばれるようになったという。
教訓:速記師は、普通、速記士と表記されるが、良秀は、特に速記師と書かれる。不動産業の資格の一つと間違われないようにするためだという。基本文字のヒが、火の燃えさかるさまをかたどった象形文字だという説は、速記文字の由来に諸説ある中でも、この物語でしか語られない。




