4
次に目を覚ますと、見覚えのない部屋だった。窓に鉄格子がある。
信じられない。何でこんなことになっているのだ。違和感に気が付いて手を見ると手錠がかけてあった。
犯人は目の前の男以外考えられない。彼は私が目を覚ましたことに気が付き、笑みを深めた。
「アナスタシア……ようやくだ。ようやく、そなたを俺のものにできる」
変態皇太子は思い通りにならない私を監禁することにしたらしい。その顔は歓喜に満ちている。
「……いよいよ強硬手段に出たのですね。殿下」
「仕方がない。そなたが首を縦に振らんのだからな」
「わたくしは一応公女ですわ。このような扱い、大公国にはどのように弁明されるのですか」
「当然だろう。お前の祖国には懇切丁寧に俺の愛を説明し分かってもらうまでだ」
悪びれる様子もなく彼は言う。この様子では、私を解放するつもりは微塵もなさそうだ。私は一つため息をついた。
鉄格子に手錠。あたかも罪人のようではあるが、この部屋自体は豪奢なものだ。というよりも、大変私好みである。家具の装飾や色合いなど、何とも落ち着く雰囲気だ。爽やかな香りも心地いい。私が部屋を見回していると、皇太子は満足げに顔をほころばせた。
「この部屋が気に入ったか?そなたのために皇城にこの部屋を設け、全てを揃えたのだ!そなたの好みは調べ上げている」
怖い。私の好みなど、どうやって調べたのだろう。その調査結果が正しいのも怖い。
しかもここは皇城らしい。文字通り彼の城だ。鉄格子と手錠がなくとも、私がここから抜け出すのは不可能だろう。
「俺は、あの日そなたを自分の妃にすると決めたのだ。それなのに、そなたは俺からの手紙を拒否している上に留学の誘いも断った。ようやく会えたというのに、早々に帰国する素振りをみせる。もうこうする他なかった」
私が侍女に帰国の準備を命じたことも察知していたようだ。どこか恨みがましく言うが、私と彼は将来の約束を交わした仲ではないはずだ。
「いつもの気位の高いそなたも良いが、そういう姿もまた良いな。不思議だ。そなたのどんな表情も俺を惹きつけてやまない」
彼は私の顔に手を添えると、その顔を近づけてきた。
(口づけでもするつもり?)
私は反射的に足で彼の股を蹴り上げる。直撃を受けた彼は悶絶した。
「拘束したからと言って全て殿下の思い通りになると思わないでくださいませ」
「くっ……素晴らしい……アナスタシア……!もう一度……!いやっ、股間はまずい。そなたとの子に差し支えるかもしれん。腹か、顔はどうだ?」
目を輝かせて言う彼に私はこの男が変態だったことを思い出した。本当に厄介すぎる。
皇太子はさあもう一度、というように服までめくって腹を差し出した。
腹を出した間抜けなポーズと期待に満ちた顔に毒気を抜かれ、私はため息をつく。
「申し訳ございませんでした。もう蹴りませんから、お腹をしまってください。風邪を召されますわ」
「そうか……」
落胆しつつも彼は素直に服を整え、私の隣に腰かけた。
この部屋は密室で、窓の外を見るに、すでに夜も深い。皇太子が私をこの部屋に運び込んだことを多くの帝国貴族が知っているに違いない。つまり彼が言ったように、私はもうこの男のものになったと認識されているのだろう。
皇太子は愛おし気に私を見ている。信じ難いことに、二年半も会っていなかったにも関わらず、彼の恋情はまだ冷めることなく私に向けられているようだ。逃げないようにと手錠をかけて、強引に囲い込んでしまうほどに。
帝国には素晴らしい女性が沢山いる。もっと皇太子妃に似つかわしい女性が。
「殿下。なぜわたくしなのです。殿下とわたくしでは、つり合いが取れません」
思わず、ぽろりと心からの疑問が口をついた。
「わたくしは所詮、大公国の公女です。どうしたって、帝国の皇太子妃など……」
皇太子は私の髪をゆっくりと撫でた。
「昔からそなただけが俺にとっての女だった。他の女など、何とも思わない。もしそなたに拒否されれば、俺は次世代に帝国を託すという責務を果たすことはできない」
「なぜですか。なぜ、わたくしなのですか……」
泣き出しそうになった。もう逃げ場がない状況に追い込んだ彼を、恨んでしまいそうだ。
「女に惚れる理由など、理路整然と答えられるものなのか?自分でも良く分からん。分からんが、俺はそなたにしかこの感情を持てないと——その確信を持っている。アナスタシア。そなたが不安に思うことは全て俺が取り除いてやる。そなたに望むことは、俺の傍にいて欲しいということだけだ」
皇太子の飾らない言葉に、私の心は揺れた。これまで、彼の言葉を真剣に聞くことはなかった。彼の気持ちを受け取ることはできないという結論が最初にあったから。
私が最後まで話を聞いていることに気を良くしたのか、彼は不敵に微笑んだ。
「帝国貴族にはそなたのことを受け入れるよう土壌づくりをしているから安心しろ。皇族、大貴族たちを始め、大多数が公女アナスタシアに好意的だ。そもそも、大公国は帝国に縁深く、そなたは帝国皇族の流れをくむ由緒ある姫だ。皇太子妃に相応しくないなどという馬鹿げた言論は出ることはない」
「……?あの、わたくしは、婚約者でもないはずですが……土壌づくりとは……」
婚約もしていないのに、なぜ私に好意的だという土壌が既に形成されているのか。よく理解できない。
「ふ。俺にはそなた以外いないと言っているだろうが。そなたを妃に迎えるために、準備を進めるのは何もおかしくないだろう」
当然だとでも言うように皇太子が言う。どう考えてもおかしいと思う。帝国で一体私はどういう存在だと認識をされているのだろう。
「そなたが大公国へ帰ってしまってから、俺は努力した。そなたに失望されないよう、皇太子として公務に真剣に取り組んだ。戦後処理や貴族共の掌握を進め、その傍ら、そなたが他の男に取られぬように手を回し、アナスタシアという女がどれほど素晴らしいかを周囲に理解させた」
「……もしや、わたくしの縁談が全くまとまらなかったのは殿下の差し金だったのですか」
「そなたは俺の妻になるのだからな!一時でも他の男の婚約者に収まるなど許せるはずがなかろう!」
皇太子は全く悪びれる様子もない。この数年の私の苦悩が脳裏をよぎる。全てこの男のせいだったということのようだ。
「貴族共も厄介だったが、一番時間を要したのは父上の説得だった。最終的にはご理解頂けたが、そなたに申し訳ないとばかり言っていた。俺がそなたを幸せにすれば、父上も安心されることだろう」
皇帝は確かに、私の意見を尊重してくれていた。その皇帝も、今は私が皇太子妃となることを了承しているらしい。
「大公にも、話を通してある。大公はそなたの了承が得られていれば、否やはないと言っていた」
父にまで手を回しているなど予想外だ。父はそんなことは一言も言っていなかった。
「アナスタシア。強引な手段を使ったが、俺はどうしても、そなたしか駄目なのだ。そなたが望むことはできる限り叶えよう。もちろん、そなたから愛されたいとは思っているが……俺の事を愛していなくとも良い。それでもいいから……俺の隣にいてくれ」
皇太子は手錠がかかった私の手を取ると、自分の額につけた。
「アナスタシア。俺の宵の明星。俺の道標。燦然と見失いようもなく光り輝くそなたがいるから、暗く険しい道でも進むことができる。どうか俺の妃に」
鉄格子の部屋で手錠までかけて、重苦しい愛を語り、私に縋る男。
どこか悪い気がしない、自分。
ずっとそうだった。この男が変態でも、どれ程おかしなことを言っていても、本当の意味で拒否できないでいた。どこか喜びを感じる自分に気が付きながら、無視していた。自分に皇太子妃など無理に決まっていると、彼から逃げていたのだ。
もう私に逃げ道はない。逃げたところで、この皇太子は文字通り地の果てまで追いかけてきそうだ。
「殿下。わたくしを選んだことを、本当に後悔なさいませんね?」
私の言葉に、皇太子は目を見開いた。
「後悔?するはずがない。アナスタシア。愛している。後悔などあり得ない」
自信に満ちた声で、彼は言う。私は彼を見つめ返した。
「わたくしが妃になることで、あなた様が将来困ったことになるかもしれないと懸念しておりました」
自分が皇太子妃となることで、皇太子ランドルフの立場が悪くなるのではないか。自分に、大国の妃など務まらないのではないか——。
「でも、それがただの杞憂だとおっしゃるのなら。わたくしが殿下の邪魔にならないというのなら」
なんの前提条件もない、自分の正直な気持ち。それを認めたくなかった自分。
「信じがたいことに……殿下からの思いを嬉しく感じる自分がいるようなのです」
「信じ難くはないだろう!」
皇太子は憮然と言い返す。そんな彼に、思わず私は微笑んでしまう。
「ふふ。この二年半、ふとした時に、殿下はどうしていらっしゃるかと考えておりました。既に婚約が決まったかしらと。その知らせを聞いたとき、自分がどのような感想を持つのかと少し怖くもありました」
皇太子のことに思いを馳せる時間は、何度もあった。もうとっくに国内の有力貴族の令嬢と婚約したかもしれないと。帝国とのつながりを持つのは躊躇いがあった。いつまでも彼に対する正体不明の感情に振り回されることが嫌だった。
「殿下の隣に居させてくださいませ。殿下から愛されることに喜びを感じる自分を、認めざるを得ないようですから」
「アナスタシア……!」
彼は感極まったように、私を抱きよせた。ぎゅうぎゅうと、きつく抱きしめると、そのままなぜか髪の匂いまで嗅ぎ出して、髪に何度も口づけを落とした。若干の貞操の危機を感じた私は手錠の付いた手で少し押し返すと、彼は不満そうな顔をした。
「殿下。わたくしは逃げませんわ。ですから手錠を外してください」
「……そうだな。じゃあ、殿下というのをやめて名前で呼べ。そして、俺を……あ、愛していると言えば、外してやろう!」
手錠を外すことになぜそんな条件を付けられなければならないのだろう。思わず能面になると、彼は少し慌てた様子になった。
「愛しては、いない、よな……すまん」
しょんぼりと肩を落とす彼を見ていると、何だか胸の奥から温かいものが溢れてきた。
いつも自信に満ちた彼が、私に対してだけ様子がおかしくなる。その事実に、私はずっと密かに喜びを感じていたのだ。
「ランドルフ様。わたくしは、あなた様をお慕いしております」
「……!」
「……愛して、おります」
さすがに羞恥に頬が染まる。そんな私を見て、彼もなぜか頬を赤くした。
「ほ、本当に……?夢じゃなく?アナスタシアが、俺を?」
「こんな恥ずかしいこと、何度も言えませんわ!」
私は彼の顔が見られなくなり顔をそらすと、彼は構わずまた私を抱き寄せた。
「アナスタシア、愛している!俺の、俺だけの女神!」
大げさなランドルフの愛の言葉に、私はもう否定しようがないほどの幸せに包まれたのだった。
◆
私は大公国へ帰国せず、未来の皇太子妃として帝国に滞在することになった。
手錠は外してもらえたが、部屋の鉄格子はまだ外れていない。成婚の儀が終われば外すらしい。何とも用心深いことだ。
帝国について学び、成婚の儀の準備をする。そのように過ごしている中、エリザベートとクルト・リンデマン夫妻が私を訪ねてきた。
「アナスタシア様。申し訳ございませんでした」
椅子に座るやいなや、二人は神妙な顔で私に詫びはじめた。
「お顔をお上げになって。殿下の命だったのでしょう?皇族からの下命ならば、あなた方に他の選択肢など選べるはずがありませんわ」
エリザベートが大公国へ来て私と親しくなり、二人の結婚式のため帝国へ招待した。恐らくそれらは全て、ランドルフの指示だったのだろう。容易く想像できる。
「あの飲み物を渡したのも、わたくしです……まさかあのように強い薬が入っているとは思わず……」
エリザベートから受け取ったグラスの中身を飲んだ私は昏倒した。そのままランドルフが倒れた私を抱きかかえて皇城まで連れ去ったらしい。大きな騒ぎになったというが、私は全く覚えていない。ランドルフは私が体調を崩したと説明したらしい。
それもランドルフの仕業である。放っておけば私がすぐにでも帝国を出ると察知した彼は、私に薬を盛ったのだ。その件については、彼に説教済みだ。といってもランドルフは私に怒られると喜ぶので、彼が本当に反省したかは定かではない。
私はこの件について騒動の火種にしたくないと思っているし、彼らを追及するつもりは微塵もない。
「それもこれも、殿下がしたことです。わたくしはエリザベート様とクルト様に含むところはございませんわ。それに、エリザベート様。せっかく帝国にいいお友達ができたと思っておりますのよ。これからもお付き合いしてくださる?」
私がそう言うと、エリザベートは涙を流した。
「何と、慈悲深いお方なの……許されるはずは、ありませんのに……」
「感謝します、アナスタシア様。我らは今後、あなた様をお支えいたします」
クルトが私に恭しく頭を下げた。皇太子の命令だったとはいえ、彼らは他国の公女を害したのだ。罰せられてもおかしくない。
しかし私は彼らに何ら思うことはない。すべてランドルフが悪い。何より、私がエリザベートを好ましく思い、今後も友人として付き合いたいと思っているのは本当なのだ。
「エリザベート様。殿下は私が帝国貴族の方々から受け入れられていると仰るのですけれど、本当なのかしら」
話を変えるためにも、気になっていたことを尋ねる。今のところは、城内で不躾な態度を取られることも、侮られることもない。しかし、貴族達が本当に自分を受け入れているとは信じ難かった。
「それは本当ですわ。わたくし共はアナスタシア様以外に殿下の妃はいないと確信しております」
エリザベートはそう断言する。なぜそこまで言い切れるのだろう。私は首をかしげる。
「それが、良く理解できないところなのです。殿下は帝国の皇太子というお立場でいらっしゃるのですから、わたくしのような他国の公女が妃など、もっと反発があって然るべきだと思っておりました」
「高位の貴族ほど、アナスタシア様を歓迎しておりますわ。殿下とあまり交流のない下位の貴族にはもしかすると不満を持つ者がいるかもしれませんが、それは殿下のことを良く知らないからこそのこと。ねぇ、クルト様」
「その通りです。私は幼いころより殿下と交流がありますが、アナスタシア様と出会う前の殿下は……何といいますか、自由奔放で、あまり皇族という自覚をお持ちでない方でした」
私はクルトの言葉に頷く。ランディの頃の彼を思い出すと、確かにあの頃の彼は自己中心的で傲慢な少年だった。
「しかし皇帝陛下の一粒種である殿下を誰も諌めることはできなかった。それを、アナスタシア様が変えてくださったのです」
かつてランディを殴って罵ったことを思い出す。確かにあれが全ての始まりだった。
「そ、それは……わたくしは彼が皇太子殿下だと知らなかったのですわ」
「例えそうであったとしても、アナスタシア様が殿下を変えた大きなきっかけであることは確かです。アナスタシア様に嫌われたくない一心で殿下は皇太子としての勉学に真剣に取り組むようになられ、粗野で傲慢な振る舞いはかなり改善されました。……アナスタシア様に関すること以外は、文句の付けようのない皇太子となられたのです」
私は曖昧に微笑んだ。彼は皇太子の変態ぶりを把握しているのかもしれない。
「令嬢と話すときも殿下の口から出る話題はアナスタシア様のことばかりですわ。皇太子の義務として令嬢の顔と名前を憶えてはいらっしゃいますが、相手に興味がないことを隠そうともなさいません。それほど殿下から愛されているアナスタシア様という方に、憧れている令嬢が多いのですよ」
「そうなのですか……」
一体ランドルフはどんな話をしたのだろう。殴られたいとか、罵られたいとか、そんな話でないことを真剣に祈りたい。
「しかも、アナスタシア様を手に入れるために大公国に暗部を送り込み工作をされていたことも、大公国で定期的に絵姿を描かせてそれを専用の部屋に飾っておられることも、まだ婚約もしていない時期に皇城内にアナスタシア様の部屋を作りだしたことも、帝国にいらっしゃらないアナスタシア様のドレスを数え切れないほど仕立てていることも、多くの貴族が知っています。そのように殿下から狂気的に執着されているアナスタシア様を心配することはあっても、反発などは起きません」
エリザベートが真剣な面持ちで言った言葉は、私に若干のダメージを与えた。ランドルフの奇行は概ね貴族に把握されているらしい。絵姿の話やドレスの話は知らなかった。まだ知らない話は沢山出てきそうである。
改めて他人の口から聞くと、彼はとんでもなく危ない男だ。
しかし、彼の婚約者として主張はしておかねばならない。
「心配は、無用ですわ。殿下は確かに普通ではありませんが、そこまで思ってくださること自体は、嬉しいと思っていますから」
口に出すと恥ずかしいものだ。私が赤面しながら言うと、二人は驚いたように顔を見合わせた。
「アナスタシア様……まさか、殿下を……」
「奇跡、ですわ……」
彼らはきっと、ランドルフの気持ちは一方通行で、私は彼に絡めとられた被害者のように捉えていたのだろう。ある意味は正解だが、それは正しくない。
「ふふ。きっとわたくしも、普通ではないのです」
◆
帝国の皇太子夫妻は仲が良い。
尊大な態度が目立つ皇太子ランドルフは、妻アナスタシアにだけは弱く、人目をはばからず城内の妻に付きまとっている。
アナスタシアはそんな夫をあしらいながらも、時に褒め、怒り、夫をうまく誘導した。
いつしかそんなアナスタシアの姿は理想の妻として尊敬を集め、彼女を一途に愛するランドルフは帝国民から親しまれた。
「アナスタシア!もう一度!頼む!」
「ランドルフ様。では直ちに公務にお戻りになって。ちゃんとお仕事を頑張ったら、考えて差し上げますわ」
「絶対だぞ!絶対だからな!」
今日も夫妻の軽快な会話は、城内に響いている。
〈了〉
最期までお読み頂き、有難うございました!
活動報告で本作品について語ってますので、よろしければご覧ください(*^^*)