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元々可愛らしい顔立ちだった彼だが、この二年半で随分男らしい印象に変わっていた。
「そなたは本当に思い通りにならないな。だがそれが良い。あぁ、なんということだ。一層美しくなったな。アナスタシア」
彼はあの頃と変わらない温度で私を見詰めていた。私はその事実に驚愕する。あれほどきっぱり拒否したにも関わらず、彼は変わっていない。
美しいなど、家族と侍女とこの男からしか言われたことがないのだ。真に受けて喜んではいけない。
そのときワッと歓声があがった。花嫁が入場したらしい。
入口を見ると、エリザベートが教会へ入ってきていた。エリザベートは白い花嫁衣裳に身を包み、しずしずと進んでいる。なんて美しいのだろう。私はじっくりと彼女の姿を目に焼き付ける。
「そなたに会えない間、俺がどれだけ恋焦がれていたか分かるか?俺にはそなたしかいないのだ」
エリザベートは花婿の手を取ると、輝くような笑顔を見せた。本当に花婿を愛しているのだろう。彼女の顔を見れば彼女の思いの深さがよく分かる。
「アナスタシア。俺はあの日から、そなただけを見ている。何も心配はいらない」
荘厳な音楽が教会を包む。この音楽は帝国にいたころにも聞いたことがある。何とも厳粛な雰囲気に教会は包まれた。
「そなたの全てを愛おしく思っている。俺は、他の女など妻にできないのだ」
先ほどから、隣がうるさい。せっかくの結婚式に集中できない。
どこをどう見ても今は女を口説く時ではない。そんなことは五歳児でも分かるはずである。この男は時と場所も考えられないのか。
「殿下。静かになさってください」
私が数々の罵詈雑言を飲み込んでそれだけを口にすると、皇太子は心底嬉しそうに顔を輝かせ、口をつぐんだ。
「やはりお前は最高だ……」
こっそり呟いているつもりらしいが声が耳に入ってしまう。どうやらこの男はまだ変態皇子のままだったようだ。
挙式が終わり、披露の宴が開催される。ここでも私は皇太子の隣に席を用意されていた。
(これはまずい流れな気がするわ)
どうやら皇太子はまだ私に並々ならぬ感情を持っている様子だ。このまま私を娶るなどと言い出しかねない。
(わたくしが、皇太子妃など……)
そんなことは現実的ではない。帝国と比べるべくもなく大公国は小国である。帝国には大公国並やそれ以上の大貴族が沢山いる。大公国の公女など、彼らから田舎者よと軽くみられるのは明らかなのだ。
皇太子の地盤も強化出来ず、彼の治世に良い影響が出ると思えない。
(逃げよう)
エリザベートへ祝意を伝えてから、機を見て帰るしかない。
私は大公国から連れてきた侍女を呼んだ。
「フォスター侯爵家にいる使用人たちに、すぐに大公国へ立てるよう準備をしてもらってくれる?」
「今夜、出立されるということでしょうか」
「そうよ。わたくしも、エリザベート様に挨拶をしたらすぐ侯爵家へ戻るわ」
侍女は頷くと、命令を遂行すべくその場を後にした。
花婿の父親が開催を告げ、宴が始まった。隣の皇太子は上機嫌で私に話しかけている。
「その透き通る翡翠の瞳は変わらないな。その瞳の色を忘れぬためにも、私の装飾品は常に翡翠を使っているのだ」
「通常、目の色が変わることはそうないでしょうけど」
勝手に私の色を纏っている発言は流すことにする。ふと皇太子を見ると、確かに彼のコートのボタンには私の目の色に良く似た翡翠が使われていた。しかも刺繍に私の髪色の亜麻色を入れている。相変わらず彼の考えと行動は理解を超えている。
「そなたから手紙も拒否されていると聞いたときは流石に傷ついたぞ」
「わたくしと手紙をやり取りして何になりましょう?殿下の貴重なお時間を浪費させるわけにはいけませんわ」
皇太子は本当にエリザベート達の結婚を祝いにきたのだろうか。主賓のくせに彼らに祝意を伝えに行く訳でもなく、ただ延々と私に張り付いて離れない。周囲の貴族も皇太子が列席しているというのに、誰も彼に挨拶に来ない。
(一体どういうこと?これでは私も動けないわ)
まずエリザベートへ祝意を伝えたい。私は止まらない皇太子の言葉を遮るように立ち上がった。
「殿下。わたくしはエリザベート様をお祝いするために帝国まで来たのですわ。少し御前失礼いたします」
「女性を一人で歩かせると思うか?レディ・アナスタシア。共に行こう」
皇太子は大げさな所作で私にエスコートを申し出る。彼にここまでされてはとても拒否できない。私は差し出された彼の手に自分の手を重ねると、共にエリザベートの元へ向かった。
彼女の夫はこちらに気付くと殿下に向けて礼をした。エリザベートは私たちを見ると、感激したように目を細めた。
「良かったですわ……」
「それはこちらの台詞ですわよ、エリザベート様。本当におめでとうございます。とても美しいですわ」
「ありがとうございます、アナスタシア様……!」
彼女はなぜこんなに感激しているのだろうか。まるで私が花嫁かのような反応だ。私は彼女の夫にも挨拶をした。
「初めまして。大公国の公女アナスタシアと申します。この度は本当におめでとうございます」
「もちろん、存じ上げております、アナスタシア様。私はクルト・リンデマンと申します。この度は私共のためお越し下さり有難うございます」
私が彼らと話している間も、皇太子は何も言わない。臣下の結婚だというのに、祝意の一つも言えないのだろうか。
「アナスタシア。もういいだろう」
ようやく声を出したかと思うと、私にだった。何を考えているのだ、こいつは。
「何をおっしゃっているのです。まさか、あなた様がお二人に何も伝えずに去るはずございませんわね?」
皇太子はぱっと二人の方へ向き直った。
「クルト、エリザベート嬢。今日はめでたい日だ。本当に祝福しているぞ」
皇太子は輝くような笑顔で彼らに祝意を伝えた。二人は大きく目を見開いた。驚いているようだ。
「恐悦至極に存じます」
二人は皇太子に返礼する。その後、エリザベートは机にあった飲み物を手に取ると私に手渡した。
「アナスタシア様。こちらは我がフォスター侯爵領でとれたブドウで作った飲み物ですわ。希少なものですから、ぜひアナスタシア様にも味わって頂きたいのです。口は付けておりません」
「まぁ、よろしいの?」
「えぇ。席で味わってくださいませ」
もう一度彼らに礼をして、その場を立ち去る。私が受け取った飲み物は皇太子が持ち、席まで戻ってきた。皇太子はまだ私から離れるつもりはないらしい。
腹が痛いとでも言って席を外すか、と脳内で作戦を練っていると、皇太子が突然私の手を取った。
「アナスタシア」
「……何でしょうか、殿下」
「俺の妃になってくれ」
この場には多くの人がいる。それも貴族ばかりだ。こんな場所で他国の公女に求婚するなど、一体何を考えているのだろう。普通に話している風ではあるため、注目は集めていないものの、聞き耳を立てられている可能性は十分ある。
「頼む。たとえ俺を愛していなくとも構わない」
彼の目は真剣そのもので、相変わらず真っすぐだった。
なぜ、そこまで私に拘るのだ。
あなたには、もっと相応しい女性がいるはずなのに。
私には、とてもその気持ちを受け止められないのに。
「わたくしには、無理です」
私がそう返すと、皇太子は下を向いて、息をついた。
「……そうか。それならば、仕方がない」
「申し訳ありません。どうか殿下に相応しいご令嬢をお迎えください」
皇太子は何も言わず、先ほどエリザベートから渡された飲み物を私の前に置いた。彼は新しい飲み物を給仕からもらい、ぐいっとそれを流し込む。
「そなたも飲むといい。少しぐらい俺と飲んでくれても良いだろう」
彼は哀れっぽく言う。どうやら納得してくれたようだ。
私は目の前のグラスを手に取ると、それを口につけ、傾けた。液体がのどを通り、芳醇な葡萄の香りが鼻に抜けると、そこからすぐに、私の意識は暗転してしまったのだった。