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「アナスタシア……ようやくだ。ようやく、そなたを俺のものにできる」


 目の前にいる帝国の皇太子ランドルフは、堪えきれないとばかりに手を顔に当て、その歓喜を噛みしめている。今しがた目を覚ました私は取り乱しそうになる自分を抑え、事態を把握しようと努めた。

 ここは一体どこだろう。気が付くと私はこの見知らぬ部屋にいて、目の前に皇太子がいたのだ。


「……いよいよ強硬手段に出たのですね。殿下」


 私が呆れ声を出す。彼はそれすらも嬉しそうに笑みを深めた。


「仕方がない。そなたが首を縦に振らんのだからな」


 ご丁寧に私の手には手錠がかけられ、窓には鉄格子まである。絶対に私を逃がさないという強い意志を感じる。何という念の入れよう。もうドン引きである。


「わたくしは一応公女ですわ。このような扱い、大公国にはどのように弁明されるのですか」

「当然だろう。お前の祖国には懇切丁寧に俺の愛を説明し分かってもらうまでだ」


 なぜか胸を張って言う彼に、私はため息をついた。この拗らせた皇太子に執着されてしまったのが私の運の尽きだったのだ。





 大陸の中央に大公国という国がある。かつて帝国の皇族が臣籍降下する際に賜った公爵領。それが数代前に帝国から独立し、公爵領は大公国と名を変えた。私は現大公の娘、公女アナスタシアだ。


 大陸の東に位置する帝国は大陸有数の大国であり、周辺国の宗主国でもある。独立したとはいえ未だ帝国の影響が強い大公国は、帝国に不穏な動きがあれば、なし崩しに巻き込まれる運命にあった。


 大陸の西には帝国と対なる大きな国家、西の王国がある。元々帝国と王国は対立関係にあった。


 十年ほど前、西の王国と帝国はいがみ合い始めた。最初はちょっとした貿易の摩擦だったらしい。両国の諍いは激化し、最終的に戦争という形で火花が散らされた。大陸全土を巻き込んで過激になっていく争いに、大陸に位置する中小国たちはどちらの側に付くかの選択を迫られた。

 大公国は当然ながら帝国と同盟を結び、自国を守る選択をした。


 戦争が長引く中、帝国は同盟国らに対して“直系王族を帝国によこすように”と命令した。

 それは端的に言えば、同盟国の裏切りを防ぐための実質的な人質である。

 大公国においての王族は公族である。わが国の直系公族といえば父の大公、母である公妃、私アナスタシア、弟である公子フレデリク。祖父母もいたが高齢だったし、将来の大公となる幼い弟を人質にする訳にもいかない。


 私は子どもながらに、自分が公族としてどう振る舞うべきか理解した。


 かくして私、公女アナスタシアは帝国へ行くことになったのだった。


 十一歳の春、少数の供と馬車に揺られ、帝国へ赴いた。戦時下の中、帰りが保証されない旅路。その意味をあえて深く考えない私だけが、変化していく馬車の外の景色を楽しんでいた。





 帝国で人質となったのは大人が多かったが、私と同じ子ども世代の王族もそれなりにいた。帝国滞在中は、同じ境遇の子ども同士で集まる機会も多く取られていた。

 その集まりに帝国の皇太子ランドルフは身分を偽り、“小国の王子ランディ”として参加していた。


「おいお前ら。それはもうやめだ。こっちでボール遊びをするぞ」

「なにを言うんですかランディ。君がこのゲームをしようと言ったのに」

「うるさい!それはもう飽きた」


 王族なだけあって子どもたちは皆どこか傲慢なところがあったものの、その中でもランディは飛びぬけて傲慢で鼻につく少年だった。

 人の話を聞かず、他国に興味を持たず、欲しいものがあれば許可も得ずに強奪する。

 大陸を二分する大国の皇太子なのだから、ある程度仕方のないことだったのかもしれない。しかし、そんなことを知る筈もない私たちは、ランディのことをただ感じの悪い少年だと評価した。



 帝国での生活は悪いものではなかった。私のために用意された部屋は清潔だったし、食事も美味しい。帝国の使用人も敬意をもって接してくれたし、大公国も私のために予算を送ってくれた。

 しかし十一歳の少女が祖国を離れて心細くない訳はない。私も人並みに故郷が恋しく、戦争という大きなうねりが自分や家族、祖国をどう変えるのかと不安な日々を過ごしていた。

 そんな中、王族でありながら周囲も気にせず傍若無人に振る舞うランディは私にとって軽蔑すべき存在となっていた。



 その日、私たちはボードゲームをしていた。


「おい、俺も混ぜろ」

「いいですよ。じゃあ次ランディが先攻です」


 子ども同士で和気あいあいとゲームを楽しんでいると、ランディが参加したいと言い出した。彼も交えてゲームに興じる中、次第にランディは自分が勝てないことに腹を立てだした。


「なぜ勝てない!」

「あぁ!何をするんですか!」


 遂に彼はボードゲームの駒をガシャガシャと音を立ててぐちゃぐちゃにしながら癇癪を起こした。もうゲームをできる空気ではない。


 ぐちゃぐちゃになった駒を眺めながら、私の内心は怒りが渦巻きだした。帝国で過ごす不自由な日々はそれなりに心身に負荷がかかっている。それでも同じ立場の子ども達と過ごす時間は数少ない楽しい時間だというのに、彼が来ると何もかも台無しになるのだ。


「ランディ。それは、君が弱いからですよ」


 そう言ったのはわが国の南に位置する国の王子だった。


「なんだと?俺が、弱い?」

「はい。君はこのゲームが弱いのです。今までそれを知らなかったということは、周囲が君のために負けてくれていたのです」


 次の瞬間、ランディは顔を真っ赤にして彼にとびかかり、殴りだした。悲鳴が上がる。もうめちゃくちゃだ。護衛が慌てて二人を引きはがすが、ランディは護衛をすり抜け尚も彼に殴りかかる。その混沌とした様子に、ぶちっと私の中の何かが切れてしまった。


 私は彼の前に進むと、思いっきり彼の頬を殴った。グーで。


 よほど私の行動は予想外だったのか、誰も私を止められなかった。その場は時が止まったように静まり返った。

 私に殴られたランディは床へ這いつくばっていた。


「いい加減になさって。それでも王族なのかしら?あなたみたいな馬鹿王子、本当に存在するのね。わたくしより年上のくせに、わたくしの弟よりも馬鹿なんじゃなくて?」


 私は今までの彼に対する鬱憤を晴らすように、思いっきり彼を見下した。彼は何が起きたのか理解できないというように、ぽけっと呆けた顔で私を見ていた。


「わたくし達がなぜここにいるかも理解してないのかしら?今、たくさんの国が大きな戦争をしているのよ。あなたの国だって、自国民を守るためにあなたを帝国に寄こしたのでしょう。どう振る舞うべきかを考える頭もないの?」


 そのようなことを、私は一方的に彼にわめきたてたのだった。


 私は彼が帝国の皇太子だと知らなかった。知らなかったから、あんな真似ができたのである。


 そこからの記憶は曖昧だ。いつの間にか子どもたちは解散となり、それぞれの自室に帰された。



 我を忘れ他国の王子を殴った上に罵ってしまった。痛む手を見ながら冷静になった私は、自分がやらかしたことを深く反省した。


(何であんなことをしてしまったの。とりあえずランディに謝らなきゃ。ランディってどこの国の王子なのか絶対に言わないのよね。もう一度どこの国か聞いてみよう)


 そのように心算していた私だったが、その後、死を覚悟する事実を聞かされる。




「ランディが、皇太子殿下……」

「そうだ、アナスタシア公女。愚息が迷惑をかけたな」


 突然皇帝に呼ばれて告げられたのは、あのいけ好かない少年が実は帝国の皇太子であるという事実だった。帝国皇太子の名は公表されておらず、公の場に出ることもなかった。私にはランディというあの少年と皇太子を結びつけることはできなかった。


 庇護を求めた大国の皇太子を衆目の中で殴り、罵る小国の公女。


(あ、わたくし、死んだわね)


 自分の所業を正しく認識した私は、自分の命はここまでだと確信を持った。せめて祖国に累が及ばないように力を尽くさねばならない。


「皇帝陛下。これは、わたくしの過ちでございます。わたくしは如何様にも。どうか、祖国にはご慈悲を……」


 私が平身低頭詫びると、皇帝は大きな口を開けて笑った。


「公女よ。そなたに非はない。我らはそなたらに何も告げずにあの愚息を放ったのだ。あやつの振る舞いについてもすべて報告を受けている。愚息を咎めこそすれ、そなたを罰するなどあり得ん」

「し、しかし、殿下の御身を……わたくしは傷つけました」

「子ども同士のじゃれ合いに、親が出張って何になる。かすり傷だ。そうだろう、ランドルフ」


 皇帝が扉を見ると、そこから煌びやかな衣装を身に付けたランディが登場した。彼は本当に皇太子だったのだと否応なしに現実を突き付けられる。

 私が殴った彼の頬は赤く腫れていた。彼はその傷を嬉しそうに触っていた。


「えぇ。痛くありませんし、むしろ……この傷がずっと残れば良いと思っています」


(え……何言ってんの)


 皇太子の人格が変わっている気がする。なぜあんなに呆けた顔をしているのだろう。彼は私の前まで来た。私は彼に頭を下げた。


「殿下。この度は申し訳ございませんでした」

「構わない。でもアナスタシア。これから定期的に、俺との時間を取ってくれ」


 皇太子はなぜか熱っぽく言う。あの自己中な少年の突然の人格変更についていけない。


「わたくしは御国の意向に沿うように動かせて頂きますが、他国の王子・王女と待遇に差が付くことはご容赦くださいませ」

「ランドルフ。公女の言う通りだ。今帝国には多くの国の王族が滞在している。お前が公女ばかりと交流しては、外交に影響が出るぞ」


 皇帝が嗜めると、皇太子は憮然とした。


「じゃあどうすればいいのですか!俺はっ……!!」


 別人のような彼に、私は困惑する。もしかすると、私が殴ったことで彼の脳に影響がでたのだろうか。そもそも、自分を殴った女と交流したいとはどういう心理なのだ。


「その蔑むような目!アナスタシア。どうか、もう一度私を殴ってくれ!」


 本当に何を言っているのだ、こいつは。


(どうしよう。本当に変な奴になってる!私のせい?)


 明らかに様子のおかしい皇太子に、私は戦慄した。


「……ランドルフ、それぐらいでやめておけ。公女よ。我らにそなたを罰する用意などない。安心してくれ。愚息は公女のおかげで皇太子としての自覚を持ったようだ。常識的な範囲であれば、交流してやってくれ」


 皇帝がため息をついて言った。

 皇太子としての自覚?これのどの辺が?と内心思ったものの、皇帝の言う事に意見するなどもっての外。私はただ、常識的な範囲であれば、と諾の返答を返したのだった。




 それから私は、事あるごとに皇太子から距離を詰められるようになってしまった。


「アナスタシア!やっと会えた」

「殿下。昨日もお会いしましたが、本日もお会いできて光栄です。それではごきげんよう」

「あぁ、行くな。ちょっと平手打ちしてくれ」


 意味が分からない。ちょっと平手打ちって何だ。なぜそんなにわくわくした顔をしているのだ。


「その御用命にはお応えしかねますわ。それでは」


 極力表情を動かさないようにしながら答える。『気持ち悪い』という顔をするとこの変態は余計喜ぶのだ。


「その表情も最高だぞ!あっ、くそ、もう来たか」

「殿下!また抜け出して……!戻りますよ!公女殿下。度々申し訳ございません」


 彼の近侍が追いかけてきた。今日も抜け出してきたらしい。


「よくってよ。ではわたくしはこれで」


 こんなことがしょっちゅうある。逃げてもなぜか見つかってしまうし、顔を見れば殴れとか罵れとか意味の分からないことを要望されるのだ。

 皇太子がこれでは帝国の未来が心配である。



 とはいえ、皇帝が言ったように、彼は皇太子としてそれなりに物事へ取り組むようになっていた。


「アナスタシア。今日は大公国について学んだぞ!」

「そうでございますか。わたくしの先祖は皇族なのです。ある意味わたくしと殿下は親戚でございますね」

「教師に聞けば、結婚はできると言っていたぞ!」

「はぁ……」


 彼は皇太子教育で学んだことを逐一私に報告し、褒めて貰いたがった。

 殴った負い目もあり、それぐらいは受け入れることにした私は、結果的にほぼ毎日彼と顔を合わせることになった。

 公女のために皇太子教育を真面目に受けるようになった、と私は皇太子の周囲から感謝されているらしい。

 とはいえ私に近付くと主が変態になるのだから彼らの心中も察するに余りある。




「殿下。彼には謝ったのですか」

「彼とは誰だ!」

「あの日、殿下がめちゃくちゃに殴った彼ですよ。ゲームが弱いと事実を指摘されただけであんなに怒るとは、本当にカッコ悪いですわ。ランディとしても謝ってないとすれば最低ですわね」

 

 久々に私が煽ってやると、まず皇太子は心底嬉しそうな顔をした。数拍おいて、「カッコ悪い……」と呟くと、慌てて席を立った。


 しばらくすると満面の笑みで戻ってきた彼は言った。


「アナスタシア!謝った!」

「まぁ、さすが帝国の若き太陽ですわね」


 私がにっこり笑うと彼は赤くなる。

 不覚にも彼との時間を楽しいと感じ始めている自分に、私はまずいと思った。


(いけない。殿下とこれ以上一緒に過ごしたら、わたくし……)


 ずるずると流されて皇太子と長い時間過ごしてしまっている。

 そう気が付いた私は、彼から逃げることにした。



 会いに来そうな時間に部屋に閉じこもる。鉢合わせしそうになれば踵を返した。

「アナスタシア!」

「わたくしに構うのはお止めください!」

「それは無理だ!!嫌なところがあれば言え!」

「殿下は私から怒られたいだけでしょう!」

「そうだ!!」


 私が逃げ、皇太子が追いかけてくる。帝国で過ごす日々の最後はそのように過ぎて行ったのだった。




 戦争が終わった。十年もの間激しく争った二つの大国は、一定の結論を出して終戦となった。帝国が他国の人質を留めおく必要も、なくなった。

 皆が意気揚々と帰国していく。私も例にもれず帰国の準備を進めていた。


「本当に帰ってしまうのか、アナスタシア」


 突然現れた皇太子だが、もう私は帰国直前だ。逃げることなく対応する。


「はい。無事戦争は終わりましたし、わたくしは帝国人ではございませんから」

「あ、あのな……そなたであれば、ずっと帝国にいてくれてもいい」


 皇太子は顔を赤らめながら言う。皇族特有の複雑な色合いの瞳が私をまっすぐ捉えると、正体不明の感情に包まれた。


「俺は、そなたを……」

「殿下。これから婚約者の選定を始められるとか。妃は国内の有力貴族から娶られるそうですわね」


 不敬と分かっていても、皇太子の言葉を遮った。

 彼が私をどのような目で見ているかはさすがに理解していた。そして彼の要望は、私個人としても、国家間の政治的な側面から見ても、とても受諾できるものではないことも。


「御国の安定のためにも是非、国内のご令嬢から殿下の妃をお選びくださいませ」


 長きにわたる戦争により帝国の国内は荒れている。皇太子の一時の感情に任せ何の利益もない大公国の公女などを皇太子妃にしようものなら、帝国貴族からの反発は必至である。

 今彼がすべきことは、戦後処理と自国の安定化なのだ。


 きっぱりと皇太子を拒絶すると、彼は悲しそうな顔をした。


「頼む。最後に俺を足蹴にして、この愚か者めが、と言ってくれ……!」

「絶対に無理です」


 彼が喜ばないように努めてにこやかに拒絶したというのに、なぜか彼は嬉しそうだった。





 帰国する際に皇帝と謁見する。形式通りのやり取りの後、何か望むことはないかと聞かれた。


「恐れながら、皇太子殿下との手紙のやり取りはご遠慮したいのです。そして、殿下がいらっしゃる場に出席しない無礼をお許しください」

「公女よ。そなたには迷惑をかけた。ランドルフが手紙を書いても、大公国には届かぬ。あれが出る場にそなたが欠席しようとも、咎めぬ。予の名において約束しよう」


 皇帝から承認をもらう。帝国としても、是非取り付けたい約束だっただろう。


 そうして私は無事に帰国したのだった。




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