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短編 お勧め順

これはストックホルム症候群ですわ

作者: 紀伊章
掲載日:2023/05/24


 それはまるで天啓のようでした。


 ストックホルム症候群。

 被害者が、誘拐や監禁などの危害を加えてきた加害者に対して、好意を持ってしまう心理状態の事ですわ。

 ストックホルムで実際に起きた人質事件が名前の由来。

 家庭内暴力や虐待の場合は、家庭内ストックホルム症候群ですわね。

 この言葉を目にした時、思ったのですわ。


 これ、私の事じゃないかしら、と。



 改めまして、私、ソフィア・ユリマスと申します。

 ユリマス侯爵家の長女ですわ。

 アイザック王太子殿下の婚約者でもあります。


 私の両親は野心家で、私が生まれた時には、私を将来の王妃にする事を考えていました。



「お父様お母様、あの、私、今日……」


「王妃になるため、早く教養とマナーを身に付けるのです、ソフィア」

「王妃に成れぬお前など生きている値打ちは無い」


「……今日、誕生日でしたのに……」


 厳しい言葉をかけてくるだけの両親。



「あの、少し休憩しても……」

「なりません、ソフィア様。

 次の地政学の教師の方がお待ちです」


 何人もの家庭教師と休む間もない毎日の予定。



「あの、もう少し味をつけてもらえないかしら?」

「旦那様と奥様から、お嬢様のお食事に関しては指示が出ております」


「お父様とお母様から……、分かりました」


 容姿を保つための制限により、味が二の次になった日々の食事。



「屋敷の廊下を歩く時も、優雅に。

 姿勢には常に気を配りなさい。

 部屋の中であっても気を抜くことは許しません」


「はい、お母様」


 マナーを身に付けるための、常に緊張感を強いられる日常。



「学習の進捗は、この程度か。

 もっと早く身に付けられるようにしなさい」

「少し太ったようですね。

 ダンスの時間を増やして、少し食事を減らしましょう」


「かしこまりましたわ。お父様お母様」


 そして、一週間毎に行われる成果確認。



 私を理想の手駒に育てつつ、政局をにらんで動いていた両親は、優秀ではあるのでしょう。

 見事に私を王太子殿下の婚約者にしてみせました。

 

 流石にその時ばかりは褒めていただけました。

「嬉しい。

 認めていただけたわ」

 


 王太子殿下の婚約者となった事で、私は王宮に居を移しました。

 今後は王宮で王妃教育を受ける事になります。


「やあ、ソフィア嬢。

 待っていたよ。

 ユリマス侯爵から、とても優秀だと聞いている。

 期待しているよ」

 

「よろしくお願いいたします、アイザック殿下。

 ご期待に沿えるように精進いたします」



 程なくして、王妃教育以外に加わるようになった、アイザック殿下の執務の手伝い。


「頑張るのよ私、殿下のご期待に応えるの。

 あんな素敵な方と婚約できた私は、幸運なんだから」



 徐々に増えていく、殿下の執務代行。


「嬉しいわ。それだけ私が信用されているのね」



 そうして、睡眠時間を削って殿下の執務を行っていた、ある日。

「被害者の方にストックホルム症候群の兆候が見られるのね。

 ……この世界でもストックホルム症候群って言うの?」


 前世を思い出しました。


 二日間、寝込みました。



 今世の両親が見舞いに来てくれました。


「ソフィア、健康管理には気を使いなさい。

 今、お前が死んだら、私達のこれまでの苦労が水の泡です」

「全くだ。

 そうでなくとも、婚姻準備が進まないというのに」



 今世の婚約者が、様子を見に来てくれました。


「ソフィア、やっと目が覚めたのか。

 心配していたぞ。

 さあ、起きて執務を片付けてくれ」



 二日前までの私は、彼らを愛していると思っていました。

 自分自身に価値が無いと思い込み、少しでも彼らに認めてもらおうと努力していました。


 いやいやいやいや、それ、ストックホルム症候群だから。

 親から虐待されてた子供が親から離れるのを嫌がるのと同じ、家庭内ストックホルム症候群だから。


 過酷な状況から気持ちだけでも逃れるための、セルフマインドコントロールだから。


 愛してないし、愛されてもないよ。


「どうにかして逃げなきゃ……」

 

 前世の記憶と人格が蘇った事で、克服が困難なストックホルム症候群のセルフマインドコントロール状態からは脱しました。

 けれど、引き続き甘んじていたい環境ではありません。


 先ずは、診察してくれた医師に、まだ気分が優れない旨を訴えました。

 元々私を過労と診断していた医師は、訴えをすんなりと認めてくれて、数日の休養が必要と言ってくれました。

 数日の猶予を獲得。


「先ずは、状況を整理」


 二日間寝込んで落ち着いたのか、前世の私に今世の私の記憶が足されている感じです。


 前世では、実家を継いでパン屋をしていました。

 死んだ時の記憶はありませんが、ガンで余命宣告を受けた状態で入院していましたから、そのまま亡くなったのでしょう。

 亡くなった時はアラフォー。

 不景気で余裕のない毎日に、きっかけがつかめないまま独身。きょうだいもいませんでした。

 ガンになった両親を立て続けに看取った後に、自分にもガンが発覚。店をたたんで入院しました。

 残してきた家族が居ない分、前世の世界に大きな未練は無いけれど。


「今世は、出来ればもうちょっと長生きしたいし、幸せになりたい」


 ドアがノックされて、侍女のエマが入ってきました。

 

「お嬢様、お加減はいかがですか」


 エマはユリマス侯爵家から連れてきた三人の侍女の一人。

 今は亡き私の乳母の子なので、乳きょうだいでもあります。


 記憶が戻る前の私は、彼女の気遣いに気が付いていませんでしたが、記憶が戻った今となっては、唯一の味方です。

 ユリマス侯爵家の手駒ではなく、ソフィアという個人を見てくれていたのは、ソフィアの記憶の中でエマだけでした。

 

「まだ少し疲れているみたい。

 お医者様にはもう数日休むように言われたわ」


「それは良かったです。お嬢様は働き過ぎでしたよ」


「エマ、いつもありがとう」


 今世でやっと耳にした、本心からの労いの言葉に思わず涙してしまいました。

 そっと抱きしめてくれるエマ。

 幼かった頃、乳きょうだいだったエマとの距離はこんな風に近かった。

 厳しい教育の中で忘れていました。

 

「お嬢様……。

 これからどうなさいますか?」


「もう、前のような毎日は送りたくないわ。

 でも、どうしたらいいのか分からない。

 平民になって、この生活から逃げる手段はないかしら」


「……平民になっても、ですか。

 そこまでのお覚悟がお有りなのですね」


 これまで身の回り事は、最も気の利くエマを頼りにしていましたが、残りの二人を代わりにして、エマに動いてもらう事にしました。


 一方の私は、交渉を行います。


「アイザック殿下、申し訳ございません。

 体調が優れませんので、王妃教育も殿下の執務のお手伝いも出来そうにありませんわ。

 どうしてもと言われるのでしたら、どちらかだけでしたら何とか……」


「何と!

 では母上に言って、王妃教育を免除してもらおう」


 王妃教育が免除になりました。

 ……この国、大丈夫かしら。


 

「アイザック殿下のなさりようはあんまりですわ」

 エマがため息をついています。


 私はもう十八歳。この世界でも成人しています。

 王宮に居を移したならば、もう婚姻の準備に入っていなくてはなりません。


 調べるまでもないほど明らかに、アイザック殿下は浮気をしていました。

 お相手は、さほど身分の高くないピンク髪の侍女。


 身分の高い殿方にはよくある事とは言え、婚姻が遅れている理由になっているのはやり過ぎです。


「国王陛下や王妃陛下はどうお考えなのかしら」


 私達の婚約は政略、王子に愛人がいても結婚させるのが普通です。


「お嬢様の婚姻を遅らせる指示をお出しになっているのは確かです。

 ただ、理由までは分かりません」


 王妃教育は、王妃主導で行われていたので、度々会っていましたが、味方にはなりえませんね。


 中途半端な状態に留め置かれている私の立場は、かなり肩身が狭いです。


 王太子の執務の手伝いも、手伝いの範疇を超えているからこそなのか、王太子とその側近しか会わないようになっています。 

 王宮での私は、何故王宮に居るのか分からない人、です。


 記憶が戻る前の生粋の貴族令嬢だった私なら、悲嘆にくれるだけだったかもしれません。


 でも、前世の記憶が戻った今は、状況を逆手に取る事にしました。


 先ずは、エマに情報収集をしてもらいつつ、王太子殿下の執務はこなす量を少しずつ減らしつつ、こちらからも情報収集。

 

「……お嬢様、本当に大丈夫ですか?」

 エマに持って来てもらったメイドのお仕着せに着替える私。


 エマ以外の二人の侍女は、二人とも王宮で騎士と恋仲になったという事で早めに結婚退職してもらい、代わりの人員は入れない事に。


 扱いが悪かったせいで、この王宮で私の顔を知っているのは、エマの他では、王族一家とその側近などのごく一部。


 王宮の厨房のメイドが足りないという情報を得たので、潜り込む事にしました。

 事情を知ったエマが紹介してきた、エマの従妹という事になっています。

 メイドになった私を、ソフィア・ユリマスと認識出来るのは、事情を知っているエマだけだと思います。


 記憶を取り戻し状況を把握した段階で、平民になって逃げる事を決めた私は、まず髪を切りその髪で鬘を作ってもらいました。

 髪を短くしておけば平民に扮しやすいし、鬘があれば自分で使う事も、エマに身代わりをしてもらう事も出来る。


 侯爵令嬢にメイドなんて出来ない、と反対されていますが、お試しで働かせてもらう事になりました。

 

「あんた。助かったぜ。

 そんな奇麗な手して、役に立ちゃしないと思ったけど、随分と手際が良いじゃないか。

 これからもよろしくな」


 本採用、勝ち取りました。



 王太子と側近は、数日前から視察に出かけています。

 王太子の婚約者のソフィア・ユリマス侯爵令嬢も同行して。


 ……あの王太子、遂にやりやがったんですよ。

 浮気相手を正式な婚約者扱いで、視察旅行に連れ出しやがりました。


 実はこれまでも、ちょくちょくやってたんです。

 ソフィア・ユリマスの顔が知られていないのをいいことに、浮気相手を婚約者扱いで出先に連れて行ってました。


 でも流石に、ここまで長期の視察、しかも貴族に顔合わせするようなイベントでやるとは。


 執務の手伝いという名の代行と、エマ達からの情報でこれが分かった時、そのタイミングでいなくなればいいんじゃないか、と思ったんです。


 エマには逃げてもらいたかったんですが、今はメイド仲間になっています。


 さて、私の不在にいつ気が付きますかね。


 

 結果から言うと、拍子抜けするほどあっさり解決しました。


 王太子殿下帰還直後に、婚約者の侯爵令嬢が行方不明になっていた事が発覚しました。

 ここで、エマ達に罪をなすりつけられる事を恐れていたんですが、王太子が視察に連れて行った婚約者が別人だった事も公になり。

 さらに、王太子が視察に行く前にソフィア・ユリマスが王宮に無事に居た証明として、私が手掛けた書類を上げた事で、王太子が執務を行っていなかった事まで明らかになりました。


 王太子は廃嫡、幽閉される事になりました。

 愛人侍女と一緒だから、別に罰にはならないんじゃね。ケッ。

 と思っていましたが、それは前世から平民だった人間の感覚であって、本人達は違ったらしいです。

 幽閉場所の塔から、毎日スゴイ罵りあいの声が聞こえてきます。

 元気だな。徐々に弱まってはきてますけど。

 元王太子の側近は、それぞれの実家に引き取られて、蟄居と聞いています。

 

 私は、まだ王宮でメイドをしています。

 全然バレてません。


 国王と王妃は、王太子の廃嫡とユリマス侯爵家の影響力低下を目論んでいたんじゃないかと思っています。

 この国は長子相続ですけど、弟王子の方が優秀で、特に最近では王妃様も弟王子の方を可愛がっていたようだと分かってきました。元王太子、鈍し。

 ソフィアが結婚を嫌がって実家に帰ってしまうのが、あちらの狙いだったのかなと。


 実際は、ソフィアが、実家からやって来た護衛騎士と駆け落ちした事にされそうになりまして、両親が、私の過去スケジュールを持ち出して反論しました。

 結果、ソフィアには、十八歳から記録を遡る事少なくとも十年、休憩が全く無かった事が公表されて、厳しい王侯貴族からもドン引き。

 王家としては、ソフィアの失踪をユリマス侯爵家の責任に押し付けたかったと思われますが、その目論見は成功せずとも、ユリマス侯爵家の影響は小さくなることになりました。

 ただ、王宮で預かっていた貴族令嬢を失踪させてしまった事と王太子の醜聞から、王家の権威も失墜しています。


 エマは、王宮騎士と結婚しました。

 ……この国の王宮騎士って。いや、エマ達が幸せならいいんだけど。


 ソフィア・ユリマスは未だに探されていますが、灯台下暗しなのか、全然見つからないのよ、何故かしらね。なんてね、パフォーマンスだけだからだと思ってます。探してますよってアピールが重要なのね。

 私は、王宮で堂々と、パン焼き名人のメイドとして働いています。

 同僚の宮廷料理人と近々結婚予定。

 夫婦でもう少し働いてお金を貯めてから、何処かで料理屋をやりたいね、という話をしています。楽しみ。

 長生き出来るかはまだ分からないけど、今世の両親は長生きの家系だったから、長生きも出来るかなと思っています。



読んで下さってありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
多分だけど、教育していた王妃はともかく王様なんかはソフィアの顔覚えてないような気がする 両親はソフィアの趣味とか好きな物とか絶対知らないね 辛かった分幸せになって欲しい!
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