44 別れ
本日2回目の投稿です。
「いててっ」
アンジェリカが情けない声を出すと、アルバーノが呆れ顔でため息を吐いた。
「奥方様、踊り過ぎですよ。一体、何をやっているのですか」
「昨夜の舞踏会が最初で最後だと思うとつい張り切ってしまって……イタッ!」
踵の高い靴が、ここまで足にくるとは想像していなかった。鍛錬の時とは、まったく別の筋肉が悲鳴を上げている。筋肉痛である。
アンジェリカは、トランクに荷物を詰め込みながら、時折襲う痛みに顔を歪ませた。
“アンジーちゃんっ! 自由よ、自由っ”
“ん! これでやっと旅に出れるな”
二人は嬉しそうに部屋の中をぐるぐる歩き回っている。ただ、動き回るだけで手伝いなどは一切していない。変化に荷物は不要なのだ。
(出発前に、テオに挨拶したかったけれど)
テオとは剣技大会から会っていない。チョロは今日も姿を現す気配はなかった。
“あ、そうだ。アンジーちゃん、忘れるところだったわ”
シンナが思い出したように、いかにも重たそうな巾着袋を持って来て、ドサッと置いた。
アンジェリカが中身を改める。
“わぁ! どうしたんですか、これ?”
ぎっしりと詰め込まれた金貨にびっくりする。平民なら一生働かないで暮らせるだけの大金だった。
“そりゃもちろん、アンジーちゃんの有り金をぜーんぶ師匠に賭けたのよ”
言われて、慌てて貴重品袋にある現金を確認する。空だった。故国を出る時に、大半を宝石に換えていたとはいえ、少なくない額のお金がなくなっていた。
“ここにあったお金、全部、賭けたんですかっ?”
“そうよ”
シンナは自慢げに胸を張った。
黒髪の護衛が、番狂わせでオッズが凄いことになっていると言っていた。しかし、その分、リスクもあるわけで。アンジェリカはサーッと青くなる。
“もし素寒貧になったら、どうするんですかっ。ダメですよ、賭博なんて!”
“師匠が優勝するってわかってたじゃないの、ねぇ?”
シンナがどこ吹く風でユッカに同意を求めている。
“ん。大丈夫だ、姫。もし金がなくなったら、ワシが稼いでくる。なんてったって、ワシはガイオ爺で出来てるんだからな。諜報はお手のものだ”
“まったく、もう”
アンジェリカは、怒るのが馬鹿馬鹿しくなり、ぷっと噴き出す。
そうだ、変化は自由奔放な性分なのだ。いちいち気にしても仕方ない。それに、二人がいると何があっても大丈夫という気がしてくる。
東方の国で星見の一族を探す。そこが自分の居場所かどうかはわからないけれど、違ったらまた旅に出ればいい。どの道、気ままな旅だ。なるようになる。
“それよか姫、準備はまだ終わらないのか?”
ユッカが急かす。もうすぐお茶の時間なのに、部屋は散らかったままだ。
“そんなこと言われたって、物が多すぎるのよ”
祖国を出てからというもの、トランク三つ分だったアンジェリカの荷物は、クローゼットに入りきらないほど増えていた。ボルツィ辺境伯領で調えた嫁入り支度の他に、トエ帝国で揃えた衣類もある。先日も本格的な冬に備えてコートを新調したばかりだった。
持っていくのはトランク一つだ。一つ一つ必要なものを吟味して、やっと旅支度を終わらせた。
部屋に散乱した物を片付けようと立ち上がった瞬間、アンジェリカのふくらはぎの筋肉に痛みが走った。
「いたたっ」
“姫、後はシキガミに命じればいいんじゃないか?”
“あ、そうか!”
見かねたユッカに指摘され、アンジェリカは紙札に息を吹きかけた。
「後片付けをお願い」
「はい、ご主人様」
メイドの姿をしたシキガミが、せっせと部屋を整頓し始める。
それを見たアルバーノが「こんなことも出来るようになったのですね」と感心していた。
お茶の時間に、ロザリアが来訪した。
「ううっ……本当に宮廷を出て行くおつもりなんですかっ? せっかく仲良くなれたと思ったのに」
ハンカチを握りしめて泣く姿に、アンジェリカもつられてホロリとなる。
「すみません。これが一番丸く収まると思ったものですから」
「なにも、身分まで捨てなくても……」
「私は、王女なんて柄じゃないんです。母は王宮メイドでしたし、優雅に茶会をするよりは、部屋の掃除でもしていた方が落ち着きます。今後は、のんびりと旅に出るつもりです」
ロザリアが、ぐすんと涙を拭う。
「決心は固いのですね」
「はい」
アンジェリカが頷く。
暫く二人は無言でお茶を啜った。
「アンジェリカ様、私は、結婚しようと思います」
出し抜けに発せられたロザリアの結婚宣言に、アンジェリカは、危うく紅茶を噴き出すところだった。
「えっ、急にどうしたんですか。男性は苦手なのでは?」
「それはそうなんですけど、最近はだいぶマシになってきたのですよ。きっと朝練の成果ですね。アンジェリカ様を見ていて、自分も前向きに頑張ろうって気持ちになったんです。昨夜も、あの皇帝陛下を相手に果敢にわたり合う姿が立派でした」
「負けん気が強いだけですよ」
「それに気づいたんです。お兄様が側妃の必要性を感じないのは、夫婦仲がラブラブというだけでなく、私が皇太子妃の仕事を奪っているからでもあるのだと。本来なら、皇后の手伝いを彼女がしなくてはならないのに私がやってしまうから、安心しきっているのです。いずれお母様がいなくなった時のことを考えれば、このままではいけない。だからもう彼らのサポートを言い訳に逃げるのはやめます」
どもりのない口調で、ロザリアはしっかりと自分の考えを主張した。
彼女らしいとアンジェリカは思った。内向的な性格でありながらも責任感がある。芯が強いのだ。
「こんなふうに考えられるようになったのは、アンジェリカ様と師匠のお陰です」
実はもう皇帝に縁談を頼んできたのだと、ロザリアが頬を赤らめる。その表情は、出会った頃の引っ込み思案の皇女からは想像出来ないほど、明るい希望で満ちていた。
翌朝、シンナの笛の音が宮廷中に響いた。
ピィーヒョロ ピーヒョロ ロロロ………………
人々は、ほんのつかの間、微睡みの中にいた。
メイドも騎士も門番も――。
宮廷を出て行くアンジェリカの姿を見た者は、誰もいなかった。
次回、最終話になります。




