37 公爵令嬢ミュリエルの罪 ~毒薬
褒美をもらえることになった。あとは純粋に剣技大会を楽しみ、最初で最後の舞踏会を堪能してから、この国を出て自由に旅をするのだ。そうやって浮足立って、すっかり油断していた。
“姫、姫! タイヘンだ”
大会当日の朝、突然ユッカから念話が入った。
ユッカは、図書館に行く時に別れてから、あまり姿を見せない。
“ユッカ、どこにいるの? 今日は、剣技大会よ”
“ん! 『自称恋人』の偵察だよ。ワシはガイオ爺で出来てるからな。間諜は姫よか上手い”
何をしているのかと思えば、ミュリエルの傍にいるらしい。確かに、命令しないと動かないアンジェリカの紙札のシキガミよりも、自分の意思で動き回れるユッカの方が臨機応変だろう。だからと言って、年頃の娘に四六時中べったりなのはいただけない。
“ちょっと! レディの部屋を覗き見するなんて、プライバシーの侵害よっ。帰ってらっしゃい!”
アンジェリカは、きつく叱った。
“それどころじゃないって! あのミュリエルとかいう娘、様子が変だ”
ユッカは焦っている。アンジェリカは、その口調に切羽詰まったものを感じた。ミュリエルは、侍女のマノンの件で父親から謹慎を申し渡されているはずだった。
“変て?”
“毒の入った瓶をじっと見つめてる”
“毒っ? 何でミュリエル嬢が毒なんか持ってるのよ”
“ん! さっき、父親の書斎から盗んできた”
“ええっ! まさか自殺?!”
アルフォンスとの結婚の夢が潰えて絶望のあまり……という最悪の筋書きが頭をよぎった。
“いや、それとはちと違うな。そんな繊細な娘には見えない。あ、動き出したっ。とにかく尾行する!”
プツリと念話が途絶えた。
どうしようかと素早く思惟を巡らせながら、アンジェリカはシンナに呼び掛けた。
“おっはよー、アンジーちゃん。いい朝ね”
アルバーノにくっついているシンナは、何も知らずにのほほんと返事をする。
“ミュリエル嬢が毒を持って出掛けたらしいんです。ユッカが後を追ってますが、悪い予感しかしません”
“えー、最後の悪あがきってことぉ?”
“かもしれません。シンナさん、これから一緒に毒を浄化しに行きましょう”
“もうすぐ朝ごはんだけど、しょうがないわね。ワタシにかかれば、毒の浄化なんて朝飯前よ!”
剣技大会当日は、朝から続々と出場者が会場にやって来る。その人たちのために、専用の食堂が設置され無料で食事が振る舞われるのである。メニューに工夫が凝らされていて、わざわざ朝食を目当てに会場入りする騎士もいるほど好評なのだ。シンナはそれを楽しみにしていたらしい。
アンジェリカは、急いで身支度をしてからユッカに呼び掛ける。
“ユッカ、ユッカ! 今、どこ?”
“馬車の中だ。御者に告げた行き先は、帝国競技場だ”
剣技大会の会場である。既に、アルバーノとシンナが朝食のために一足先に会場入りしていた。
アンジェリカは、開会式に合わせてロザリアと一緒に行く予定であった。
“私もすぐに行くわ”
“ん!”
“シンナさんっ!”
“わかってるわ。会場の毒は全部浄化する。任せて!”
シンナの言葉が心強い。
幸いなことに、宮廷から会場は目と鼻の先である。護衛がいないとアルバーノに怒られそうなので、それらしきシキガミを作ることにした。
――――護衛騎士に成り済ませ!
紙札に息を吹きかけると、どことなくアルバーノに似た騎士姿の変化が誕生する。どうやらアンジェリカにとっての騎士のイメージが、外見に影響しているようだ。まずまずの出来である。
「行きましょうか」
「はい、ご主人様」
アンジェリカは、急いで離宮を後にした。
馬車で十分ほど走り、会場でシンナと合流する。
“シンナさん、師匠はどうしてますか?”
“朝の精神統一ですって!”
アンジェリカたちは、この件をアルバーノに話していない。全身全霊で剣技大会に挑んでもらうため、こっそりケリをつけるつもりだ。
アルバーノからはズルも手抜きも許さないピリリとした雰囲気が漂っていて、真剣勝負を邪魔してはいけない気分にさせられるのだ。いつの間にか、シンナも「いざとなったら、敵を眠らせる」とは言わなくなった。
“大事にならないうちに、片付けましょう”
“うん、うん、同感!”
はたしてミュリエルは、持ち出した毒をどうするつもりなのか。自分で飲むのではないのなら、誰に飲ませるつもりなのか。
まさか口封じのためにマノン嬢を?! と考えて、慌てて首を振る。
(いいえ、マノン嬢は自分一人でやったと自供してるもの。では、何のために?)
アンジェリカが悶々としてユッカを待っていると念話が入った。
“姫! 食堂の裏だ。食糧庫に向かってる”
“食堂?! 出場者の朝食に毒を盛るつもり?!”
“アンジーちゃん、行きましょ!”
今、朝食の準備で食堂はてんてこまいのはずだ。人の出入りに紛れて鍋に毒でも入れられたら、剣技大会が大混乱になる。テオが言うには、過去に未遂事件があったため、警備が厳重になった。
出場者たちに何かあってもいけないが、公爵令嬢が毒殺未遂で捕まったら、それはそれで大混乱だ。バシュレ公爵家だけでなく、彼女の姉である第三皇子妃にも影響を及ぼすだろう。
“な? やっぱワシ、アイツ自分が何をやってるのか、わかってないんだと思う”
ユッカは、自分の目に狂いはなかったというように、しみじみと呟いた。
護衛のシキガミを先導させ、人波を避けながら前に進む。食堂は開店前から行列を作っている。その手前を曲がって裏手を進むと人気がなくなり、ユッカとミュリエルの姿が見えた。あともう少し。アンジェリカは、たまらず小走りになる。
バシュレ公爵令嬢――――。
そう呼び掛けようと息を吸い込むのと同時に、ミュリエルが数人の警備兵に取り囲まれた。
「待て」
一人の警備兵が鋭い声を響かせる。その視線はミュリエルの手にある薬瓶に注がれていた。
(マズイ!)
取り上げられて毒薬だとバレたら、えらいことになる。アンジェリカは青くなった。
“シンナさんっ、は、早く毒の浄化を!”
“はい、はーい。じゃあ、いっくわよぉ~”
シンナが薬瓶に手をかざした。




