32 アルバーノの鍛錬
本日2回目の投稿です。
冷たい木枯らしが、木の葉を吹き散らしている。遠慮のない風に弄ばれた黒茶色の髪が、切りつけられるようにアンジェリカの頬に当たった。
アルバーノは静かに立っている。その瞳は虚空を見つめ、近寄りがたい厳粛なオーラを放っていた。
不意にアルバーノの纏う「気」が凝縮された。音もなく刀が抜かれ、素早く鞘に戻される。
バサッ
人に見立てた藁束が、真っ二つになる。太刀筋も捉えられない鮮やかな手並みであった。
師匠の『師匠』から譲られたという黒い刀は、人を殺めるための武器でありながら神々しいほどに清らかだ。まるで誰かを護るために在るかのように。
アンジェリカは、師匠の一切無駄がない流れるような動きに息を呑んだ。
ロザリアも微動だにせず、アルバーノを見つめている。
「そこっ、サボらない!」
呆けていたところに、アルバーノから叱咤の声が飛ぶ。
「あわわわっ、はっ、はい!」
二人の弟子は、慌てて木刀の素振りを再開した。
この調子なら剣技大会もどうにかなるのではないかという安堵の色が、アンジェリカとロザリアの顔に浮かんでいた。
ミュリエルの代理は十二人だが、参加資格のないロザリアのように、間接的に関与している例もある。油断は出来ない。しかもミュリエル側の騎士の中に、前回の三位入賞者がいたのだ。やはり優勝するしかないというのが、アンジェリカたちの出した答えだった。
「他に協力してくれそうな人はいないんですか?」
「出場者の確保は出来ますけど、優勝候補となると、なかなか難しくて」
タオルで汗を拭きながらロザリアが肩を落とす。
大会の日が迫り、頼めそうな強者は、既に誰かの手中である。新たな騎士を探す時間もない。
ミュリエルが、アルフォンスの婚約が決まった時から入念に準備していたのだとすれば、アンジェリカたちは、だいぶ後れを取っている。
よくもまあ、十二人も集めたものである。が、大貴族に仕える騎士たちは、主家にいい所を見せようと、こぞって参加するので、そう難しいことではないらしい。娘に甘いバシュレ公爵も黙認しているのだろう。
「普通、代理って一人ですよね? これじゃお金のある大貴族ばかりが有利じゃないですか」
どうにも不公平に思えてアンジェリカが口を尖らせる。
「令嬢の護衛騎士に代理参加を認めるのは、大会を盛り上げるための演出ですもの。その辺の規定が緩いのです。要は客寄せですね。その方が売店の麦酒の売り上げもいいし、賭け金も多く集まります」
数年前までは、剣技大会の度にいくつもの小さな賭場が開かれていた。それを公営として一本化し、収益金を災害の復興に充てることを思いついたのだという。
騎士団の隊長などの有名騎士が出場する大会はがっぽり儲かると、ロザリアはにんまりと笑った。
「へぇ、帝室主導のギャンブルですか」
「あくまで収益事業ですよ。好きなんですよね。金策や政策を考えるのが。将来は、裏方としてお兄様のサポートをしたいと思っているんです」
そんな才があるのなら、どこかの貴族の夫人として、領地経営に携わる道もありそうだ。国より規模は小さいが、その分、裁量権は大きい。
「ロザリア様は、結婚に興味はないんですか?」
「けっ、け、け、け、結婚?! け、結婚は……わっ、私は、ちょっと、お、男の人が、に、苦手で絶対無理ですっ。む、む、むり、ムリ、ムリ!」
ロザリアの顔が、かぁっと赤くなった。
“シンナさん、ロザリア様のどもりがっ! またチャクラが閉じちゃったんですか?”
“あのねー、アンジーちゃん。チャクラが開いたからって、もとの性格が変わるわけじゃないのよ。パニックになるとどもるのは、彼女の素よ”
内向的な性格はそのまんまということらしい。となると人前に出ることを好まないロザリアには、社交が必須の領主夫人は荷が重いだろう。
「わかりましたから、ロザリア様、落ち着いてください!」
アンジェリカが、ロザリアの背中を摩る。ゼー、ゼーと荒い呼吸が、次第におさまっていった。
「す、すみません、取り乱して。人前に出ると緊張して、パニックになってしまうのです。昔からこうなので、お父様からも無理に結婚しろとは言われません」
やはりジスランは、我が子の意思を無視して縁談を押しつけるような人ではないのだ。
(だったら、予め本人の同意を取ってから婚約して欲しかったわ! こうなったら早いとこ、ここを出よう。東方の国を目指すなら、下調べも重要よね)
トエ帝国なら東方の国の情報が手に入るかもしれない。本を借りてこよう。アンジェリカは、早くも大会後のことを考えて、気もそぞろになっていた。
「集中!」
鍛錬に身の入らなくなった弟子たちの気配を敏感に察知したアルバーノの鋭い声が飛んだ。
アンジェリカは、反射的にシャキンと背筋を伸ばすが、一度切れた糸は元通りにはならない。再び木刀を振るには、今一つモチベーションが足りなかった。
「奥方様、よく見ていてください」
アルバーノが、見透かしたように肩をすくめ、立てかけてあった木刀を手にした。先程、斬った藁束から少し離れた場所に立って意識を集中する。構えるのは、アンジェリカが毎朝行っている素振りと寸分違わぬ型である。なのに木刀を振り下ろした瞬間、凄まじい圧を発して藁束が遠くへ吹き飛んでいった。
「これは、なんですかっ、師匠?!」
アンジェリカは叫び、ロザリアもポカンとした顔になった。
「素振りですよ。気合を入れれば、ここまで極めることが出来るのです。常々言っているでしょう? 『気を抜くな』と」
自らの「気」を刀身に込めて振り払っているのだ。師匠の「気合い」だの「一振り一振りに魂を込めろ」だのという指導は、この境地に達するためであったのだ。
アンジェリカは、俄然、やる気になった。木刀を掴んで両手で構える。
「師匠は、何年くらいでこの技を習得したのですか?」
ロザリアが無邪気に尋ねた。
「そうですね。十年くらいでしょうか」
アルバーノは、大した年月ではないかのように涼しい顔で答える。
「じゅ、十年?!」
気が遠くなった。修行の道は厳しいのだと、身にしみて感じるアンジェリカなのであった。




