3 離婚を告げられた日 ~夫と家令
本日3回目です。次回は明日になります。
(よしっ、勝ったわ!)
イレーネが去った後、アンジェリカは心の中でほくそ笑んだ。
それにしてもこんなに豪華なプレゼントは、生まれて初めてである。あまりの美しさに、じっとダイヤモンドを眺めているとカルロに頭を下げられた。
「イレーネの無礼をお許しください。これはあなたに差し上げたものです。どうぞお受け取りください」
「そういうことなら遠慮なくいただくけれど…………」
アンジェリカは説明を求めて、ダンテの顔をチラリと見る。
これを用意したのは、前侯爵であるカルロの父に仕えるこの家令に違いない。
義両親は息子の襲爵を機に領地に居を移したが、未だ侯爵家の実権を握っているのだ。つまり、このダイヤモンドは義父の意向である。
「いいのですよ、奥様。本来、一国の王女と有責離婚するのに、この程度の慰謝料で済むはずがないのです。少なくとも先代様はそうお考えになり、奥様の誕生日には必ずこの家宝を贈るよう指示なさいました。カルロ様が王命を覆すことの重大性に気づき、婚姻を継続されるならそれでよし。もし離縁となれば、爵位を返上して詫びる覚悟であるとおっしゃっておられました。生憎、侯爵位はカルロ様に譲ってしまったので無理なんですがね」
それでもいくつか保有している爵位をすべて手放すつもりだとダンテは言う。
だが、それではカルロの弟たちが継ぐ予定だった爵位はなくなってしまう。今から自力で叙爵されるのは容易ではない。襲爵を見越して整えられていた彼らの縁談は白紙になるだろう。
爵位を望むのならば婿養子に入るのが手っ取り早いが、めぼしい家門はとっくに婚約済みだ。
つまり義弟たちの将来はメチャクチャになる。人生が狂えば当然、恨まれもするだろう。
それにこの結婚は、ドゥッチ侯爵家当主となるための条件でもあった。まんまと爵位だけを手に入れ、自分だけが幸せになる身勝手な行為を家門を支える傍系や義弟たちは許すだろうか。
義父は息子に罰を与えるとともに、当主としての手腕を試すつもりなのだとアンジェリカは思った。
「爵位返上…………」
父親の覚悟を聞いたカルロが、呆然と呟いた。
その頼りない様子を見たダンテがため息を吐く。
「しっかりしてくださいよ、坊ちゃま。王命だったんですよ、王命。わかってます? 貴族たるもの政略結婚するのが普通でしょうが。奥様とて弱冠十二歳で見知らぬ男のもとへ嫁がれたのです。母親の喪が明けたばかりで、どれだけ心細かったことか。それなのに坊ちゃまときたら、気遣うどころかあの仕打ち。挙句に離婚を企むだなんて。しかも白い結婚による一方的な離婚とは、このダンテ、呆れてものも言えません。そりゃ、先代様もお怒りになりますよ」
「でも、イレーネとはずっと結婚の約束をしていたから……」
「だったら、潔く当主の座を蹴ってイレーネ様と一緒になればよろしかったのに。奥様と結婚するのは、ドゥッチ家の息子であれば誰でもよかったんですよ?」
「だけど私は嫡男だし、それに――」
「イレーネ様が承知なさらなかったんでしょうね。侯爵夫人になれないから。どうせ離婚を唆したのもイレーネ様でしょう?」
「…………白い結婚を言い出したのはイレーネだった。三年で離縁出来るから、それまでの我慢だと」
「くぅぅっ~! あの強欲アバズレ女、よくもウチの坊ちゃまを誑かしてっ」
ダンテは無念そうに唸る。
「なっ、アバズレはないだろう、アバズレは!」
カルロは愛する人を中傷されていきり立つが、強欲は否定しないつもりらしい。
こうなるとダンテも負けてはいない。
「はぁ?! 何度も忠告したじゃないですか。長年婚約関係にありながら、先代様が最終的に婚約解消なさったのは、イレーネ様には他にお相手が何人もいらしたからだと」
「そんな馬鹿なっ! 王命があったからだろう。私は信じないっ」
「信じないのは勝手ですけどね。お腹の子も坊ちゃまの子ではないと思いますよ? イレーネ様には侯爵家の見張りをつけてます。今でも三人の殿方と関係をお持ちですからね」
「嘘だっ!」
「嘘なもんですか!」
アンジェリカは扇を仰ぎつつ、二人のやり取りを黙って聞いていた。
エルマにダンテを呼びに行かせたものの、彼がここまで味方をしてくれるとは正直思っていなかった。ドゥッチ家の忠臣である。現当主であるカルロが有利になるように動いてもおかしくはない。
「こんなだから、いつまで経っても坊ちゃまなんですよっ」
「坊ちゃまって呼ぶな、ハゲッ!」
「自分だって鼻毛伸びてるくせにっ」
きりがないので、肩で息をしながらヒートアップする家令と夫を、アンジェリカは、パチンと扇を閉じる音で制した。
「ではダンテ、お義父様のお考えは、表向きは白い結婚による離婚、事実上はカルロ様の有責として、それに見合う慰謝料を支払うということでいいのね?」
あの高価な誕生日プレゼントは、息子の愚行を止められなかった義父からのせめてもの罪滅ぼしと理解してアンジェリカは確認を取る。
「はい。もはや離婚が避けられぬ状況ゆえ、それが最善だと」
もともと大事にするつもりはなかった。夫の愛人に馬鹿にされたくなかっただけだ。アンジェリカはこの辺で矛を収めることに決めた。
「わかりました。任せます」
「かしこまりました」
いつもの冷静な家令に戻ったダンテは、一礼して去っていく。
アンジェリカが改めてカルロを見ると、下を向いて気まずそうにしている。
「その……本当に申し訳ございませんでした。殿下の事情を考えれば、もっと配慮すべきだったのに」
「もういいのです」
良くしてもらったという気持ちに嘘はない。ここへ来て得られたものもあった。
(それに、そちらもいろいろと大変そうだしね)
アンジェリカは、前途多難なカルロに少しばかり同情する。彼には最初から邪なものは感じない。ただ考えが足りないだけだ。王妃たちのどす黒さと比べたら、なんとも可愛らしいことである。
「お世話になりました」
アンジェリカは立ち上がると、最後に夫に向かってお辞儀をする。
こうしてカルロとの結婚は終わった。
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