【閑話】カルロ・ドゥッチの白い結婚 中
本日3回目の投稿です。
恋は人を愚かにするらしい。
カルロは、とうとう離婚を切り出した。そして、失念していた事項をアンジェリカに指摘されて泡を食ったのだ。
「陛下は愛人が妊娠したことをご承知の上で許可なさったの?」
「え? いや、陛下はご存知ではないが…………」
国王を騙したのかと問われ、イレーネも青くなっている。
相手に不貞があれば『白い結婚』による離婚は成立しない。よもや、自分がここまで間の抜けた人間であったのかと、カルロは呆れるしかなかった。
父親が持つ爵位返上の話まで持ちあがり、家令のダンテと言い争う醜態をさらした。結局は「表向きは『白い結婚』による離婚、実質はドゥッチ家の有責とする」と決着したものの、己の配慮のなさを指摘され後味が悪い。
アンジェリカに「お世話になりました」と頭を下げられた時、カルロは初めて彼女の美しさに見入った。
もう痩せっぽちの子どもではなかった。無教養な王女でもない。優雅に扇を弄ぶ仕草、ゆっくりと腰を折る上品な佇まい。よく手入れされた艶やかな髪、柔らかに微笑む唇、鍛錬で引き締まった体、膨らみ始めた胸……。これから先は、女性としての魅力が、大きく花開いてゆくことだろう。
カルロはイレーネを連れて帰る途中、アンジェリカの姿が頭から離れなかった。
離縁の諸々の手続きで、二か月ほど要することになったものの、いつの間にか、父親の言う爵位返上の話も有耶無耶になり、すべて順調にいきそうな気配である。
ただ、あれから毎日、騎士団長のアルバーノが私邸へやって来ては、カルロをしごく。
アルバーノは、カルロの剣の師匠だ。アンジェリカが剣を習いたいと言うので、アルバーノに頼んだ。だから、アンジェリカにとっても彼は師匠であり、二人は兄弟弟子でもあった。
「気合が足りん! 腑抜けめ!」
ビシッ、バシッと痛めつけられ、カルロは地面に転がった。もう足腰が立たない。
「はあ、はあ、はあ…………」
息が荒くなる。それに比べ、アルバーノは呼吸一つ、髪の毛一本たりとも乱れていなかった。
「立て! 雑念が多すぎる! 敵に無様な姿を見せるな。殺られるぞ」
「はあ、はあ――、一体、誰にやられるって言うんです」
カルロはよろよろと立ち上がる。辛辣な言葉を浴びせられ、つい不満が口を衝いて出た。何かの八つ当たりとしか思えなかった。
その刹那、アルバーノの殺気が膨れ上がった――――と同時に、カルロの体は、剣圧で吹き飛ばされていた。
「ッ……」
「若、私がここへ来るのは今日が最後です。奥方様の護衛をしたいと旦那様に希望を出しました。叶わぬ場合でも、退職するつもりであると」
信じられなかった。アルバーノは、長年このドゥッチ家に仕え、兵を統率する立場だ。家の重鎮に、頼りになる師に、見捨てられたような気がして心の中にうそ寒い風が吹く。
「なぜです? 師匠が父上以外に仕えたいだなんて、あるわけがない」
「それはもちろん、奥方様の身が危険だからですよ」
「だからって……! 護衛は王宮にもいるでしょう。殿下一人、守ることぐらい出来るはずだ」
「それが出来ぬから、弱冠十二歳にして、嫁いでこられたのではないですか」
無表情だったアルバーノに侮蔑の色が浮かび、カルロは押し黙った。
アンジェリカが、正妃と側妃に憎まれていることは周知の事実だ。もともと大貴族だった二人の実家は、妃たちが子を産んで以来、より一層の権勢を誇っている。
(仮にも王女だろう。いや、しかし、まさか――――?)
見捨てたのは自分の方だった。己の行動が、人の命を危険にさらすなどとは夢にも思わなかった。
愕然としたカルロは、いてもたってもいられず本邸へ足を運んだ。
「あれ、坊ちゃん、急にどうしたんです?」
「ああ……」
ダンテの「坊ちゃん」扱いに文句を言う気力もなく言葉を濁した。
アンジェリカが去ってまだ数日しか経っていないというのに、屋敷は活気を失いガランとして見える。
「そう言えば、奥様……もう元奥様ですね。トエ帝国に嫁ぐらしいですね。王宮では、その話で持ち切りだとか」
「はあ? ジスラン帝は、殿下より三十以上も年上じゃないか」
「まったく酷い話です。色ボケした坊ちゃんに嫁いだばかりに、自分の父親よりも年上の男に輿入れすることになるなんて。坊ちゃんが、結婚初日に晩餐をすっぽかして大恥をかかせ、乙女の寝室に乱入して心無い言葉を投げつけた挙句、散々無視して、一方的に離縁した結果がこれですよ」
「……すまん」
「なのに、あの方は恨みもせずに『イレーネ様との間に割り込んだのは自分の方だ。坊ちゃんには世話になったから』とおっしゃって、罰を与えないようにと旦那様に取り成してくださったのですよ。まるで天使です」
「…………すまん」
「そう、あの方は、イレーネ様と坊ちゃんが一緒に暮らしていることくらい、とっくにご存知でしたよ。それでもあの日、イレーネ様が現れるまでは『白い結婚』として丸く収めようとしていたんです。なのにわざわざ身重のイレーネ様を連れて来て、あの方を貶める必要がありましたか?」
ダンテは、そう言って目頭を押さえた。
「………………すまん」
もはや謝ることしか出来ないカルロであった。
あの日は、離婚の話をすると知ったイレーネが、ついて行くと言ってきかなかったのだ。アンジェリカを傷つけるつもりはなかったと反論したところで、言い訳にもならない。
(色ボケした坊ちゃん、か)
事実である。陛下と師匠と家令に軽蔑されて、さすがのカルロも自覚した。色ボケのために、罪もない少女を貶め、傷つけ、命の危険に陥れた人でなしであると。
それでもイレーネとの幸せな未来を求めずにいられないのは、やはり自分は愚か者なのだろう。
「あ、そうそう、旦那様がお戻りになっています。お会いになられますか?」
ダンテが、思い出したように顔を上げる。目が赤くなっている。
カルロは、黙って首を横に振った。とてもそんな気分になれない。
二度目の嫌な予感がしたのは、この時だ。
「またにするよ。父上もお忙しいだろう」
カルロは、不安を拭うように、足早に本邸を後にした。




