【閑話】カルロ・ドゥッチの白い結婚 上
本日2回目の投稿です。
アンジェリカの元夫カルロの話です。
ドゥッチ侯爵家は、実力主義だ。長男カルロの他に、優秀な二人の息子がいる。その弟たちを差し置いてカルロが当主の座に就いたのは、ひとえに王女との婚姻を受け入れたからであった。
その日、カルロは、当主である父親に呼び出され選択を迫られたのだ。
「王女と結婚してドゥッチ家の当主になるか、子爵位を継いで好きな女と一緒になるか、どちらか選べ」
カルロは、立派な当主になろうと幼いころから努力を怠らなかったが、当主の座に執着していたわけではない。子爵位でイレーネ・アレッシ伯爵令嬢を娶れるなら異論はなかった。
イレーネは、まだ辛うじてカルロの婚約者だ。父親が彼女の不貞を理由に婚約破棄をするつもりであるのを、必死で食い止めている状態である。
とんだ濡れ衣だ。この王女降嫁のために捏造された醜聞に違いない。カルロは、頑なまでにイレーネを信じていた。
「わたくしのために、今までの努力が無駄になるなんて…………だめよ、カルロ。当主になれないなんて、そんなの耐えられないわ」
美しい瞳を潤ませ、弱々しく肩を震わすイレーネを疑うことなんて出来やしない。守ってやらねば、とカルロは思う。
「君と結婚するためなら、爵位なんてどうでもいいさ」
「いいえ。あなたは、この縁談を受けるべきよ」
「私が愛しているのは君だよ?!」
婚約者の予想外の言葉に、カルロは思わず大きな声になる。「私もよ」と儚げに呟く姿が愛しくて、イレーネを抱き寄せた。
「ねえ、カルロ……『白い結婚』って知ってる?」
三年間、我慢すれば――――イレーネは、カルロの胸に顔を埋め、囁いた。
当主になって、三年後に離婚する。そう言うことだった。
一時でも娘が日陰者になることを案じて反対していたアレッシ伯爵も、不名誉な理由で婚約破棄を言い渡される寸前であることを知ると手の平を返した。
こうして、カルロは「白い結婚」をすることになったのである。
カルロが、妻のアンジェリカと初めて会ったのは、結婚証明書にサインした日の夜のことだ。
侯爵家の侍女たちにヒラヒラの夜着を着せられ、身を固くして寝台の上に座っていた。痩せっぽちで、顔色が悪いのが薄暗い部屋の中でもわかった。
結婚初夜を拒むためだけに訪れたカルロは拍子抜けした。
(まだ子どもじゃないか)
そうだった。まだ十二歳だ。母親の身分の低さと流れる異国の血、王族にはあり得ない黒茶色の髪ゆえに、貴族たちからは疎んじられている。
金髪碧眼が高潔の証などとは、実にくだらない価値観だ。時代に取り残されている。あのトエ帝国のジスラン帝だって赤毛なのに。
途端、この小さな王女への同情心が湧く。陛下は、一体何を思って降嫁させたのか。彼女こそ、大人の都合で縁談を押しつけられた被害者ではないか。
時が経てば、彼女だってもっと違う生き方を望めるようになるかもしれない。これはその日まで、王女を保護するための「白い結婚」だと考えればいい。
カルロは、心の中でそんな言い訳をしながら「あなたを愛することはない」と断じ、夫婦仲を育む道を閉ざしたのだった。
長いと思われた三年間は、あっという間だった。王都の私邸でイレーネと暮らしていたのだから、夢見心地と言っても良いかもしれない。
当主としての仕事は必要最小限。父親が実権を握っており、家が傾く心配はない。
侍女を含め、使用人のほとんどはドゥッチ家の者だ。数年前に事業で大損したアレッシ伯爵家には、金銭的な余裕がないのだ。イレーネは、彼女に忠誠を誓った護衛のエラルドだけを連れて、この愛の巣へやって来た。
ここでは誰もカルロを諫める者はいない。口うるさい家令のダンテとも、時折、本邸に寄る時以外、顔を合わせない。ぬるま湯のような生活だ。
あと数か月で念願の日という頃に、イレーネが妊娠した。
離婚が成立したら、すぐに妻に迎えよう。自分は当主なのだから、もう誰も止めないはずだ。カルロは、このままずっと、この夢が続くものだと浮かれていた。
最初に嫌な予感がしたのは、国王陛下に謁見し離婚を願い出た時だ。
「ふうん。王女は当時十二歳だ。普通は、相応の年齢まで待つものだろう? 白い結婚なのは、ごく当たり前のことだと思っていたのだが違うのかね」
人払いされた部屋で、リベルトに絶対零度の鋭い視線で睨まれ、カルロは目が覚めた心地がした。
王侯貴族には、政略で年若く輿入れせざるを得ない場合もあるが、それは書類上のものだ。当日は、挨拶を兼ねて家族同士の晩餐をするくらいで、挙式は十五、六歳まで待つのが、この国の作法である。当然、夫婦生活もそれからのことになる。
しかし、離宮育ちのアンジェリカが、その辺りの結婚事情を知っていたかどうかは甚だ怪しい。王族としての教育はおろか、下位貴族程度の教養すらなくて、本邸で家庭教師がつけられていたのだから。
アンジェリカが着ていたピラピラの夜着は、初夜のためなどではない。結婚初日の晩餐の席に夫が現れず、大恥をかいた王女を元気づけようと、侍女たちが、めいっぱい飾り立てたものであったのだと、カルロは今更ながら自分の失態に気がついた。あんな夜更けに、寝室へ押し掛けてはいけなかったのだ。
三年間、我慢すれば――――そのことだけに囚われ、カルロは盲目になっていた。
「あ……」
「まあ、致し方あるまい。君といても娘が幸せになれないことが、よくわかった。君が自分の妻にどれほど無関心なのかもね。我が国では『白い結婚』による一方的な離婚の申し出が認められている。いいだろう。その申し出を受けようじゃないか」
カルロは、咄嗟に跪く。冷汗が止まらない。
「申し訳ございませんでした。ドゥッチ侯爵家は、今後も陛下へ変わらぬ忠誠を誓います」
「忠誠? ああ、ドゥッチ侯爵には期待しているよ。今後もね」
リベルトは薄く笑い、謁見を終わらせた。
兎にも角にもお許しは出た。ドッと肩の力が抜ける。緊張が解けてくるにつれ、じわじわと喜びに取って代わった。
最大の難所を通り過ぎたのだ。きっとこの先は順風満帆に違いない。あれだけ冷や冷やしたことも忘れて、カルロは楽観的であった。




