11 王宮にて ~王妃の刺客
本日2回目の投稿です。
つい話が盛り上がり、アンジェリカは、就寝時間を過ぎてもまったく眠くならなかった。だから、すっかり夜が更けていたことに気づかなかった。
不自然に部屋の明かりが灯ったままだったから、よもや毒殺に失敗しているとは予想していなかったのだろう。ミシッ、ミシッと草を踏みしめる靴音がしたかと思えば、迷いもなく扉の取っ手に触れる気配がした。
“シンナさん、誰か来ますっ”
アンジェリカは、警戒を含んだ声で呼び掛けた。咄嗟に木刀を掴む。
パタンと扉が開いた。気配を殺し忍び足で近づいて来たのは、夕食を運んだ王宮メイドだった。手慣れた様子が刺客であることを物語っている。
木刀を手に仁王立ちしているアンジェリカと目が合うなり、たちまち顔を引きつらせた。
「ヒッ……!」
メイドが短く悲鳴を上げる。みなぎる殺気が霧散していった。
「何か御用かしら?」
アンジェリカが、ギロリと睨む。
「し、失礼いたしました。夕食の皿を下げに参っただけでございます」
メイドは慌てて体裁を取り繕った。震える手でガチャガチャと耳障りな音を立てながら、テーブルの上の皿をトレイに載せていく。
「そう、ご苦労様。だけど、今度からはもっと早く来なさい。こんな夜更けにコッソリ王女の部屋に忍び込まなくても済むようにね」
「は、はい」
「それから――」
アンジェリカは木刀の先をダン! と床に打ち付けた。メイドの体がビクリと跳ねる。
「あなたの主に『とても美味だった』と伝えなさい。明日の晩餐も楽しみにしていると」
「は、はひぃぃ~!」
凄んでやるとメイドは返事にならない声を上げて、逃げるように去って行った。
(やりましたよ、師匠! 刺客を追い返してやったわ)
アンジェリカはポケットから紙札を一枚取り出し、息を吹きかける。
――追え!
紙札は鳥に姿を変えると偵察するためにメイドを追って飛んで行った。黒幕は誰か、念のために確認しておこうと考えたのだ。
師匠による最後の二か月間の朝練で、アンジェリカの腕は格段にアップしていた。
“わあ、かっこいいわ、アンジーちゃん!”
“密偵を放てるようになったのはつい最近なんです。それよりもシンナさん、それはさすがに脅かしすぎじゃないですか?”
主の背後に控えるシキガミは、部屋からはみ出さんばかりの巨大なドクロ姿になっていた。
(変化は決まった姿形を持たないというけれど……)
使役者であるアンジェリカには、これがシンナだとわかる。だが、いきなりアンデッドを見せられたあのメイドは生きた心地もしなかっただろう。気絶しなかっただけ立派と言うべきか。
“あちらの国では『ガシャドクロ』と呼ぶのよ。暗殺者だから、もうちょっと骨のあるヤツだと思ったわ。こんなに怯えるなんて、だらしないわねぇ”
シンナは、ドクロの大きな口をカタカタと鳴らしながら、つまらなそうに不平を述べた。
自分で生み出したシキガミは、視覚や聴覚を共有することが出来る。言わば自分の分身のような感覚である。
去って行った刺客のメイドに、アンジェリカの放ったシキガミがピタリと張りついていた。
メイドはキッチンで皿を片付けた後、深呼吸をして息を整えてから使用人たちが住むエリアの奥にある洗濯室へ向かった。
この時間、集めた洗濯物を置いてあるだけの部屋に人影はない。
暫くしてカチャッと戸が開き、静かに入って来る者がいた。
アンジェリカはシキガミを近づける。見覚えのある侍女だった。マリアーナに仕える古参の一人だ。
「上手くいったか?」
くぐもった声で侍女が尋ねる。
「失敗しました」
メイドも声を潜めている。
すぐ傍まで近寄っていなければ、聞き取れなかっただろう。
「くっ……忌々しい! さっさと死ねばよいものを。このままではいつまでも正妃様の気が休まらぬ」
殺意を隠そうともしない侍女の胸には、黒い渦が蠢いている。
アンジェリカは、なぜここまで憎まれるのか不思議でならない。いくら国王リベルトの寵を受けたエレナの娘とはいえ、執着の度合いが異常だった。
「食事は召し上がっておられたご様子でした。おそらく解毒剤を持っているのではないかと」
「益々癪に障るわ。なぜお前は王女を害さずそのまま戻って来たの?」
「そ、それは…………」
ドクロが出たとは言いづらいのかメイドは言いよどんだ。その様子を見た侍女は怪訝な顔をする。
「何かあったの?」
「いえ……ただ、私一人では無理と判断したまでのことです」
「あんな小娘ごときに情けない」
俯くメイドを侍女は鼻で笑った。
「まあいいわ。次はもっと腕の立つ者を何人か送り込むことにするから」
侍女は小さくため息を吐くと洗濯室を出た。メイドも少し間を置いてから自分の部屋へ帰って行った。
(やはり正妃の刺客か。今日はもう何もなさそうね)
アンジェリカが意識を離すと役目を終えたシキガミは消えた。張り詰めていた精神が緩む。急に眠気が襲ってきた。
“シンナさん、そろそろ寝ましょう”
アンジェリカがあくびをしながら念話で話しかける。
“あ、そうだ。アンジーちゃん、ワタシの寝床を用意してくれる? その腕輪のような宝飾類がいいんだけれど”
シンナはそう言って、アンジェリカの腕にはまっている祖父の形見の翡翠を指差した。
寝床は変化にとって休憩所のようなものであるらしい。昔は木札を使用したそうだが、割れやすいので宝石が良いとのことである。
変化にもプライベート空間が必要なのだなと思いながら、アンジェリカは緑色の翡翠に目をやった。
“じゃあ、この翡翠の腕輪でいいですか?”
アンジェリカは尋ねるが、シンナは渋い顔で首を横に振る。
“えっ~、寝床は一人部屋がいいわ。その翡翠にはもう誰か封じられているもの”
“は? この腕輪の中に誰かいるんですか?!”
“微かに気配を感じるわ。たぶん寝てるわね”
シンナはふわりとアンジェリカの荷物の所まで飛んでいき、勝手に宝飾品を物色し始める。
(まさか……?!)
「誰か」と問えば、心当たりは一つしかない。
――――ユッカだ。