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1 離婚を告げられた日 ~夫と妻 

一日三話更新予定です。

 白い結婚だった。

 夫婦としてのアレコレはおろか、会ったのも片手で数えるほど。こうして椅子に腰掛け、面と向かって話をするのは、これで二度目かもしれない。


(こんな顔だったかしら?)


 アンジェリカは、夫であるカルロ・ドゥッチ侯爵の長いまつげと青い瞳をした端正な顔をしげしげと眺めた。



 思い返せば、夫と初めて会ったのは、結婚証明書にサインした日の夜のことだ。

 アンジェリカは、侍女たちに胸元の大きく開いたヒラヒラの夜着を着せられ、部屋の薄暗さと、これからすること(初夜)の恐怖と緊張で、夫の顔をまともに見る余裕すらなかった。

 

「申し訳ないが、私があなたを愛することはない」


 数時間前に妻になったばかりだというのに、外出着のまま夫婦の寝室に入って来たカルロに言い渡された。


「でしょうね」


 自分のぺったんこの胸を見る。女らしさも色気もない。背も低く、痩せて骨ばった体には柔らかさが足りない。抱き心地は悪かろう。

 夫に嫌われ初夜に蔑ろにされた妻は、使用人からも冷遇されることがあると聞く。アンジェリカは明日からの結婚生活を想像し、暗澹たる気分になった。


 新妻の胸中を慮ったのか、ゴホン、ゴホンと慌てた咳払いが入る。


「違う、違います! そうではなくて、あなたに閨事はまだ早いでしょう。あと数年もすれば、きっと殿()()も人並みに女性らしい体つきに…………い、いや、そうではなくてっ…………」


 カルロは、コップに水を注いでグイッと一気に飲み干す。そして衝撃の一言を放った。


「私には他に愛する人がいます。婚約者のことが忘れられないのです」


 この時、アンジェリカ十二歳、カルロ二十一歳であった。

 

 アンジェリカは、ネーブ国の第一王女だった。

 辛うじて王女と認められてはいるが、母のエレナは身分が低すぎて妃になれなかった。母娘は小さな離宮を与えられ、ひっそりと暮らしてきた。

 それがエレナが亡くなり喪が明けるとすぐに、王命により嫁に出された。体のいい厄介払いである。

 婚約期間もなく、嫁入り道具も結婚式もない。あっという間の出来事であった。

 父王リベルトには、正妃マリアーナと側妃フランカがいる。二人の妃は嫉妬深い。王の寵を得た母とその娘への嫌がらせが執拗に繰り返され、時には命を狙われることもあった。

 母は殺されたに決まってる――――アンジェリカはそう思っているが、確たる証拠がなく事故死として片づけられてしまった。

 母親の庇護を失った名ばかりの王女からすれば、この結婚は渡りに船だ。少なくとも身の安全が保障される。侯爵家側も王に恩が売れるので損はないと考えていたのだが、どうやら夫としてはそうではなかったらしい。

 長年愛を育んできた伯爵家の令嬢とあと少しで結婚……というところで横やりが入ったのだ。カルロは難色を示したが、王命とあらば従わざるを得ない。

 結局、予定よりも数年早く先代から侯爵の地位を引き継ぎ、彼はこの不本意な縁談を受けた。


「暮らしに不自由がないよう約束します。ですが、それ以上はどうか――お許しください」

 

 深々と頭を下げてから、振り返らずに部屋を出て行くカルロをアンジェリカは、あ然と見送った。


(ここでも私は厄介者だったのね)


 それでも一緒に暮らしていくうちに、もしかしたら互いを理解し、仲を深めることが出来るかもしれない。そう思っていた。

 寄る辺のない己の境遇に不安を覚えながらも、アンジェリカは希望を捨てきれずにいたのだ。

 しかし、この日を境にカルロは屋敷を出てしまい、戻ってくることはなかった。時折、家令のダンテに用があって立ち寄ることはあってもすぐに去っていく。

 アンジェリカは遠目に夫を見かけるのが精々で、声を掛けることもままならなかった。



 それから三年、アンジェリカが十五歳になった翌日、庭のテーブルでおやつを食べながら読書をしていると先触れもなくカルロが訪れた。そして今、初めて一緒にお茶を飲んでいる。


「お久しぶりです、殿下」


「お久しぶりです、カルロ様。突然いらっしゃるなんて、何かございましたの?」


 自分の妻なのに殿下と呼ぶ。夫の他人行儀な態度は変わらない。いい話ではあるまい。

 最後の希望が打ち砕かれて、アンジェリカは早々に本題を促した。


「私と離婚していただきたいのです」


 躊躇いもなくカルロの唇が動いた。ショックであるが、こうなることは予想もしていた。

 この国では白い結婚が三年続けば、一方的な離縁の申し渡しが可能になる。アンジェリカは、いずれこうなる運命だったのだと腹を括った。


「私に拒否権はないのでしょう?」


「………すみません」


 申し訳なさそうにまつ毛を伏せるカルロのことを、悪い人ではないとアンジェリカは思う。

 結婚初日に自分の想いを正直に告げたのも、家を出て行ったのも余計な期待を抱かせまいという彼なりの誠意だったのかもしれない。

 使用人たちに冷遇されることもなく、この屋敷で何不自由なく過ごすことが出来た。

 王女でありながら碌な教育を受けていないアンジェリカのために家庭教師がつけられた。勉強やマナー、ダンスなど、侯爵夫人として恥ずかしくない一通りの教養を得られたのは、ドゥッチ侯爵家のお陰である。


「いいのです。十分な生活をさせていただきました。カルロ様には、剣を習いたいという我が儘まで聞いていただいて」


「彼は……アルバーノは優秀だったでしょう? 私も彼から剣を習ったのですよ」


「ええ、とても」


 母親を亡くし、自分の身は自分で守らなければという思いから、アンジェリカは剣の稽古をカルロに強請った。直接ではなく家令ダンテを通してではあるが、カルロは快く自分の師を紹介してくれたのだ。

 もともと体を動かすことが好きなアンジェリカは、剣を習う間、嫌なことを忘れて無心になれた。


「陛下は何と?」


 再び王宮に戻るのは気が重かった。


「致し方あるまい、と」


 既に根回し済みであるらしい。カルロは淡々と答えた。


 ふと会話が途切れた。

 雲一つない昼下がりに、サァーッと初夏のぬるい風が吹き抜ける。

 

「カルロ様」


 重い空気の中、後ろからそっと声が掛かった。

 振り向くと、そこには、ハニーブロンドの儚げな美女が立っていた。

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