6
震災が起きたところに、その時俺がいたのも何かの定めがあったのかもしれない。そんな根拠のない使命感で、俺は仕事を続けた。
震災復興と銘打って、商品の取り引きを増やしたが、結局は一時的な効果で終わった。
誰もが義務感で買い物を続けられるわけがない。
やはり良い商品を作らなければと、くだらない焦りで顧客を怒らせたこともある。それはそうだ。俺は何も被害を受けていないのだ。借金をして実際に働くのは、被災したその人たち自身だ。
何を勘違いしていたのかと、自責に苛まれたこともある。それでも支店長や別の顧客に励まされながら、なんとか5年は働き続けた。
その働きは、無理をしていたのか。
時々、体が動かなくなった。
何日か休めばまた働けるが、すぐに疲れてまた寝込んでしまう。医者に行っても病名がはっきりしない。その上、義父だけでなく、義母も介護を必要とする体になってしまった。
妻ひとりでは、2人の介護は出来ない。
アルコール抜きで支店長と近くの店で夕飯を食べながら、仕事を辞めようと思っていることを伝えた。
「もう少し、やってみたかったです」
改まった敬語で、思わず呟いた俺の言葉を落とす事なく、支店長は優しく拾いあげてくれた。
「いえ、佐久間さん、ここまで充分に働いてくれました。それに、復興に期限はないんです。まだまだ続けていかなければならない。もしかすると、世代をこえるのかもしれない。
それでも一番大事にしなければならない事は、変わらないんですよ」
そして、黙った。
他のテーブルのカトラリーが立てる音と会話がいくつか聞こえた。
険しい顔のまま、俺は支店長に視線を合わせると、普段は鋭い眼光を放つ瞳を優しくゆるませながら、彼は言った。
「自分自身と、家族です。
それは震災でも普通の生活でも同じです。
自分を粗末にしては、誰も大事にできません。
人を助ける為には、自分自身の体が万全でなければならないし、それなりの経験も見極めも必要になる。やらなければならないと、感情だけが暴走している人と一緒に動こうとは誰も思わない。
あなたは、正しい決断をしたんです。いままで、お疲れ様でした」
「…支店長、ありがとう、ございます」
じんわりと涙が浮かぶのを隠すように、俺は顔を俯けた。
それでもきっと、支店長は真摯な表情で今も俺を見ているのだと分かっていた。
もっとちゃんと向き合いたかった。
津波も地震もたくさんの人を連れて行った。残された人たちは、納得の出来ない突然の別れに、心の痛みを抱えたまま生きていた。
そう、生きている。
俺は最後まで傍観者の1人にしかなれなかった。
どれほど心を痛めても、俺は家も家族も失っていなかった。同じ立場にはなれなかった。
それでも被害にあった顧客たちは言うのだ。
「無事で良かったね」と。
そのひと言がどれほど優しくて、切ない言葉なのか、俺は身をもって知っていた。
だから、力になりたかった。
退職を決めてから、東海林に言われた。
「佐久間さんはねえ、真面目すぎるんだよ。酒が足りないな」
うるせえとすぐに言い返したが、妙に納得したりもしていた。
確かに、顧客でも真面目すぎるとこちらの方が心配になる人が何人もいた。
そんな時には、
「自分を大事にして下さいよ」
と言っていたのは、俺だった。
今では、俺が「大事にして下さいよ」と言われる側になってしまった。
苦笑いしか出てこなかった。
東海林に言われた通りに、駅で酒を買い込んで妻の実家宛てに宅配便を出してから仙台市を離れた。
新幹線と電車を乗り継いで、義父母を介護する妻の元へ帰ると、
「ねぇ、東海林さんって方から、荷物が届いたけど」
と言われて笑ってしまった。
予想通り、荷物の中身は山形の酒だった。すべて一升瓶で、逆に体に悪いぞとすぐにお礼の電話を掛けた。