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 暖房のない寒さで目を覚ました朝は、まだ日常の余韻を含んでいた。

 東海林と話しながら、もそもそとパンを食べて、お湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。寒い時こそ、温かいものが必要だ。

 一応、気休めに野菜ジュースも飲んだ。野菜ではないが、まあいいさと東海林も飲んでいた。



 土曜日だったが、そのまま東海林と一緒に出社した。

 乱雑に片付けたままの部屋に入れば、机に向かって物書きをしている支店長がいた。パソコンは使えないのだと、その姿を見て思い出した。


 どうやら横浜の本社から支援物資と人を送る予定があるから、希望をまとめるようにと言われたそうだ。何度も電話を貸してくれたタバコ屋にお礼を言っても「お互い様だから」と笑って言うだけだった。


 そこからの日々は区切りのないまま、慌ただしく流れていった。市役所に行っては支援物資の希望を確認したり、連絡の取れないままの顧客たちの安否確認に、支店への問い合わせの対応と、マニュアルのない仕事に追われ続けた。

 携帯電話も使えず、タバコ屋の電話と無料の公衆電話、それと人からの伝言で、体力勝負で情報を集め続けた。

 社用車は戻ってきたが、ガソリンが手に入らない。

 途中で支店長が自転車を借りてきてくれてからは、移動が楽になった。革靴などはどこへやら。スニーカーであちこち動き回った。


 ただ、電気が復旧した時だけは忘れられない。

 テレビの画面に映された津波にのまれた泥の街。

 何度も繰り返される黒い波とカメラ後ろからの悲鳴。

 津波にのまれる建材の鈍い音。


 かつて訪れた場所が、消えていく瞬間。


 テレビは、天気予報だけを見るようにした。

 震災のニュースと利益を求めないコマーシャルだけが延々と流れる画面を眺めることは出来なかった。


 弱い人間だと言われてもいい。

 何も出来ないのに、全てを見続けるのはひどく苦しかった。



 震災から3日後に、東海林は再開した高速バスに乗って山形市へと帰っていった。

 2日ほど休んで、また仙台市の支店へ顔を出した。山形市の自宅は停電にはなったが、建物の被害自体はなかったらしい。





「なんかこの国って、結構すごいですね」


 ボランティア活動と言っていいのか分からないが、知り合いの家の片付けを手伝いに行き、その家の孫と思しき青年と、休憩のコーヒーを飲んでいた時だった。


「いや、なんかすげえ地震があって、電気も止まって、津波は来るし、家も壊れたし、ガソリンも食べ物も何にもなくて、マジでヤベエと思ったんですけど。

 知らない奴でも食べ物譲ってくれたり、車に乗せてくれたり、一緒に避難所でばあちゃん探してくれたり。

 オヤジの友だちが住む所見つけてくれたりとか、服とか布団とか知り合いが用意してくれたり。

 道がぐちゃぐちゃで、陸の孤島とかになったのに、通れるようになってたし。

 そういうの、なんかすごいなと思って」


 見たこともないメーカーの薄い缶コーヒーをこくこくと飲みながら、俺はうんうんと頷いた。


「日本国内だけじゃないよな」

「じえーたいの人たちの他に、外国の人もいましたよね。テレビで見たけど」

「うん。人だけじゃなくて、支援金とか、支援物資とか、すごいよな」

「なんか、世界からちゃんと助けてもらえるんだなーってびっくりで」

「なー。人と人の繋がりって、すごいよな」

「うん。そっすよね。なんか、うまく言えないけど、そんな感じっすよね」



 そう、上手くは言えないけれど、何かそんな感じだ。


 食べるものは誰かが作ってくれたから食べられる。

 支援物資も誰かが運んでくれたから届いている。

 運ぶためのガソリンも、誰かがそこまで持って来てくれたから給油が出来る。

 水も誰かが見えない所で繋いでくれているから、蛇口から出てくる。

 トイレも下水道が通って処理する施設を誰かが動かしてくれているから、ちゃんと清潔に出来ている。

 電気だってそうだ。


 顔も名前も姿も所属も会社も国籍も何も知らないたくさんの人たちが動いているから、当たり前の日常を送れている。


 それをこの震災で心底思い知った。


 そして、災害に遭った人たちを助けようと、なんの見返りもなく、ただの善意でなんとかしようと思い、行動する人がたくさんいることを知った。



 *


 *


 新幹線も電車も復旧した頃。

 顧客の農業施設だった所へ赴いて、乾いた泥を相手にシャベルだけで戦った翌々日。支店長の代理で横浜の本社へ向かうと、震災があったことすら知らないように、当たり前の日常が流れている街を見て、異国に降り立ったように感じた。

 この街に住む人たちは、地震に壊れ、津波にのまれた土地を知らない。馴染みようのない疎外感だった。


 だが、どこかで日常が流れていなければ、俺の住む場所も日常に戻れる力も流れ込んで来ないのだから、これはこれでいいのだろうなと帰りの電車内で思った。


 物流も人の流れも人体と同じで、どこかが損傷したら、どこかで弊害が発生する。

 傷を治すのなら、治癒力を高めるために、他の所が栄養を送らなければならない。

 日本国内だけでなく、今は世界がひとつの流れを持つ巨大な繋がりになっている。

 自分の所だけを肥大させても、同じ体内であれば、それは異常とみなされて害になるだろう。

 健やかに生きれば、怪我をしても治りが早いだろう。怪我だらけの体では、回復も遅くなる。

 ゆるやかな循環をこの地球という閉じた空間で、これからは続けていかなければならないのではないか。


 ぼんやりと俺はそう思った。



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[一言] >「なー。人と人の繋がりって、すごいよな」 ホントそれ( ˘ω˘ )
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