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真っ暗な冷蔵庫の中には、飲みかけの日本酒4合瓶1本と小さい透明な瓶に入ったつまみがあった。
他には紙パックの豆腐と調味料と野菜が少し。未開封の野菜ジュースは常温で外に置いてある。
「とりあえず、日本酒でいいか」
「とりあえずも何も、他にないだろう」
東海林の鋭い指摘に、
「日本人の悪いくせだよなぁ。とりあえずって言っちゃうんだよなぁ」
と、あえておどけながら頭をかいて答えた。
暗闇の中の酒盛り。
カーテンをひらけば、ガラス越しの星空。
懐中電灯の明かりの中、俺は東海林と等分になるよう、慎重に小皿へ瓶の中身をよそった。
かちゃかちゃと、瓶に箸が当たる音が耳に残る。少ないかと思ったが、塩っ気が強いから酒の肴としては充分な量だ。
「…はい」
「…おっとっと」
「日本人の癖だなぁ」
はっはっはと渇いた笑いをしてから、互いにコップで、くいっと呑んだ。
まだ冷えの残った日本酒は、するりと入りながら口の中に辛めの味を残した。
「この酒も、しばらく飲めないかもなぁ」
地震の被害は詳しくはわからない。
ただ、さっき聴こえたラジオから流れていた地名にこの酒蔵があった。
あちこちで倒壊していた建物。
古い酒蔵が美しかったのに、きっと壊れてしまっているだろう。
肴に出した瓶詰めも、宮城県沖のホヤ入り塩辛だ。ホヤ以外にも三陸産の海産物ばかりが入っている。米麹なのかぷつぷつと白いものが崩れて混ざり合っている。
小さいけれど、高級品の酒の肴。ちびちびと箸にのせて、口に運ぶ。
美味い。美味いんだよ。美味いのに。
岩手も宮城も福島も、津波の影響で養殖施設も港も全てダメになってしまったのではないだろうか。
「…生きていれば、また食えるし、飲めるさ」
ずずっと音を立てながら東海林が呑んだ。
俺は、昼間の支店長を思い出して、答えを求めないままに、ぽつりと呟いた。
「支店長、大学が関西だって言ってたな…」
それだけで分かったようで、東海林が答えた。
「大学の時に、阪神淡路大震災に遭ったのかもな…」
「確認しなくてもいいよな…」
「うん」
倒壊した建物を見た時、津波が沿岸部を襲ったと知った時、支店長は耐えているように見えた。
それはすでに何かを経験している人の顔だった。
「きっと、みんな避難してるよ」
「そうだよな。あれだけ避難所のこと放送してたもんな」
「大丈夫だよ。確定申告終わったばかりだぞ」
「そうそう、あの人大変そうだったよな」
息子が農業を継ぐことを表明してから、個人で出荷を始めた歯の欠けたおっさんがいた。同い年だと後で知り、こんなおっさんが同い年なのかと年月の早さと恐ろしさを知った。
おっさんは俺が同い年だと知ってから、毎回俺に相談を持ちかけては、確定申告に有効な経費について聞いてきたりと大変だった。
それでも、同い年のおっさんが新しいことを始める事を心から俺は応援していた。
この間、いつも世話になっているお礼にと出荷中の苺を持ってきてくれたばかりだった。
「ハウス、津波で壊れてないといいな」
「大丈夫だよ。あそこまでは来ないよ」
「そうだよな。うん」
ちびちびと飲む間にも、余震がうるさかった。
落ち着かない。
ごごごと音がきて、どすんと来る。
不規則に繰り返しやってくる。
ただ、それだけ。
落ち着けない。
飲み屋で一緒に酌み交わしている時は、学生の頃のどうでもいい思い出話や、家族の話で盛り上がる東海林との酒盛り。だが、この時だけは沈黙が多かった。
外からの音も少なく、地震の音が絶え間なく響く夜。ひとりでなくて良かったと思った。
黙ってでも、一緒に酒を呑んでくれるのが、無性にありがたかった。
黙々と呑む、日本酒。
杯を重ねるごとに、香りが鼻に残るようになった。
酒瓶の最後の1センチ分全てを東海林が俺のガラスのコップに注いでくれるのを遠慮せずに、ありがたく貰う。
ああ、酒が美味いな。
寝る前に窓から覗いた外は、相変わらず灯りが無い街のままだった。