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早期退職希望という何の希望もない制度を使わされた後、50歳を過ぎて初めての職種についた。
本社が自宅近くの横浜市だからと選んだ仕事は、勤務して半年後には宮城県仙台市に異動になっていた。土地勘もなければ、仕事の実績もない。伸び代のない新人おじさんの誕生だった。
異動を受け入れたのは、わずかでも昇給する可能性があることと、妻が義父の介護のために別居になってしまったからだった。北関東の妻の実家は横浜市よりも仙台市からの方が近かったこともあり、どうせ年金暮らしを送るなら地方都市の方がいいかもしれないと思ったせいもある。
それに、仕事の内容は個人での売買を始める農家や物作りの人々が相手だったので、知り合いを作りながら老後の場所を広げられるかもしれないと考えた欲もあった。
営業経験はあまりなかったが、経理の経験と「あんたは嘘つかないから、いいよ」と馴染みの顧客に言われた通り、正直さが良かったらしい。実際、支店を置いたばかりの東北地方はまだまだ開拓し始めだった。
支店長が30代後半の眼光鋭い男で最初はなんとなく苦手だったが、それなりにうまく仕事は回っていたと思う。
その証拠に2年後には副支店長になっていた。確かにこれで昇給したが、責任が予想外に大きかった。それでも経理の知識が必要とされる中、やり甲斐も感じていた。
それに俺の仕事が認められたことによって、エリア社員として同年代の東海林が中途採用される実績も出来た。50歳過ぎても、まだまだ新しいことが出来るのだ。そう胸を張って言えた。
そして、2011年の3月。
顧客の確定申告も全て終えて、東海林が支店長に山形県での営業状況を報告している長閑な午後、地震が起きた。
東日本大震災だった。
この時はそんな名称が付くことも知らず、また地震かと思っていたら、今までに経験をしたことがない大きな横揺れに慌ててノートパソコンを閉じて、机の下に潜り込んだ。
机の下におっさんの体全部が収まるわけもなく、尻の後ろで書類が飛ぶのを呆然と見ていた。
揺れが激しいと物は落ちるのではなく飛ぶのかと思ったのを妙に覚えている。
どこからか緊急地震速報の音が響いていたが、今からではどうにもできない。それに揺れが長い。止まらない。
心臓がドンドンとうるさかった。
そして、地震が止むと停電になり、電灯もプリンターのランプも消えた。
一体、何が起きたのか。
地震があったことは理解しているが、何かが違うと分かった。
机の下から顔を出すと、強ばった顔の支店長に無事を確認された。
「佐久間さん、東海林さん、怪我は?」
表情の抜け落ちた顔を見合わせて、こくこくと互いに頷いた。別の部屋にいる社員も全て無事だった。
ふわふわとしたまま、それぞれに家族に電話をかけて安否を確認した。妻も義父母も無事だった。
そして、身支度を整えて貴重品を持って外に出ると、支店長が指示を出した。
「手分けして、水と食料品を買うように。買い占めにならないように気をつけて。そのまま食べられるおにぎりやパンを買ってくるんだ」
そう言って、自分の財布から何枚かの札を出した。
俺は札は受け取らずに、言われた通りの買い物をしに東海林と近くのコンビニへ向かった。
街は全ての電気が消えて、外壁やガラスが落ちていた。
その時はまだ、停電だけだと思っていた。
コンビニ袋を提げながら、俺はガラケーの携帯で、ワンセグ放送を見た。
津波警報が発令されたと、宮城県沿岸部が表示されていた。
その時は、まだ携帯電話が使えていることがどれほど凄いことだったのか、俺は知らなかった。
支店長の指示で、家に帰れる社員は一度帰宅することになった。俺も支店長も単身赴任で支店近くに住んでいた。明るいうちに、一度それぞれの自宅マンションの状況を確認しに戻った。壁紙にひび割れが出来て棚から物が落ちていたようだったが、それくらいで大丈夫なようだった。
会社に戻ってすぐ、支店内の片付けや今後の仕事について、話し合いをすることにした。
しかし、東海林は高速バスで来ていたため、帰れるかどうか分からなかった。社用車は帰宅する社員たちに貸してしまっていた。
会社に1人で残すよりはと俺の部屋に泊めることにした。
ぐちゃぐちゃになったオフィスを片付けながら、案外このビルは丈夫だなとのんびりとした会話を口ではしていた。
書類を拾う自分の手が少し震えていると気づいたが、俺は黙っていた。
「支店長、津波警報が出てるって、テレビに流れてました。さっき、携帯で見たんです」
支店長は鋭い目をすがめて、一瞬身を固くしたが、再び書類を拾いながら言った。
「…きっと、避難してるよ」
「そうですよね」
沿岸部に住む顧客たちの顔がずっと頭の中から離れなかった。その時は、あれほどの津波被害が出るとは予想していなかった。
だから、沿岸部の他の内陸の顧客たちも地震の被害が出ていなければいいと考えるだけの余裕がこの時はあった。