桜
桜
徳川家康は柳生新陰流や一刀流を将軍家御用の剣術に据えたが、自ら剣を取っても達人であったと言われている。その血を引いてか、三代将軍家光も無類の剣術好きであった。
家光将軍の寛永九年春、江戸城内・吹上滝見の御茶屋付近にあった稽古場で、武芸の達人・名人を集めての剣術試合、いわゆる寛永御前試合が行われたと言われている。将軍の左方に柳生新陰流・柳生但馬守、右方に一刀流・小野次郎右衛門がひかえ、それぞれが手に持つ采配を上下して勝敗を決した。
武芸試合はかなりの数が行われたと記録に在り、例えば、鍵屋ノ辻の仇討ちで名高い柳生新陰流の荒木又右衛門と、剣聖宮本武蔵の養子であり弟子でもあった宮本伊織との勝負などが行われている。そのなかで、最後の武芸試合の前に行われたという二人の女性による美の競いは白眉であった。
試合の二ヶ月ほど前のことである。大久保彦左衛門は将軍家光への目通りが叶い、その席で御前試合の段取りを報告したのであるが、その場でのこと、家光は冗談めかしてこのように言ったのである。
「爺、どうであろう、武芸者たちの命がけの競いは真に興味深いが、女性の命がけの競いというものも見たいとは思わぬか」
「はあ、どのような趣向でしょうかな? 戦場通いしか知らぬ老体には考えもおよびませぬが」
「うむ、奥向きで一番美しいという女性と、たとえば、江戸の街で一番美しいという娘に美を競わせたらよかろう」
「はて? 女性の美の競いとは……?」
彦左衛門は腕を組んで考え込んでしまう。本丸御殿にいくつかある広間は将軍が大名や旗本家臣たちに謁見する場であり、居並ぶ人数で大小の部屋が用意されていた。彦左衛門が通された部屋は小さめで、太刀持ちの小性や御前試合の実行役となる奉行職が数名いるだけだったが、その中に、普段は決して見ることがない “女性” が二名ほど控えていた。家光はその席に呼んでいた大奥上臈年寄り、おまきに意見を求めた。 そこで、おまきは ”大奥御中臈の一人と、江戸で一番美しい娘とで御前で舞踊を披露して美を競えばいかがでしょうか” と申したのである。御中臈とは将軍と寝屋をともにできる、いわば最も美しい女性であり大奥には常に八名がいたと言われている。
「しかし、江戸の町娘がいくら器量がよいからと御前に召し出すという訳にもいかぬと存じますが……」
彦左衛門は首を傾げて躊躇する。
「ならば、娘は爺の養女として差し出せばよかろう」
「お言葉ですが、この彦左にはいったいどこにそのような娘がいるのか? とんと……」
「よいのじゃ、爺の目に適う女子であればよいだけじゃ」
直々の命が下ったとなれば躊躇はならなかった。
「ははっ、なればこの彦左衛門、一命をとしてもこの舞勝負を実現いたすべく、ただいまより最後の御奉公に粉骨砕身いたしまする」
彦左衛門は一歩引き下がると畳みに頭をすりつけた。
「よいよい、爺、早う面を上げよ。して、奥向きの一名を選ぶのは、おまきの方にまかせようと思うが」
家光の言葉に「かしこまってござりまする」と、おまきも伏して返答した。
このようにして、奥向き代表の楓姫と、江戸町娘お八重の舞踊勝負が決まったのであった。
三尾が楓姫と呼ばれるようになったいきさつを書く。
三尾は京に隣接した大名家の姫であった。その藩は徳川譜代ではあったが小藩である。小さい頃からその美しさが京界隈に鳴り響いていた三尾は、十五の頃、紅葉の美しい秋の日に、京にある菩提寺に家臣らと参詣した。比叡山の山裾にある寺は、色とりどりに紅葉した美しい木々に囲まれていたが、その庭園にはひときわ美しく朱色に染まった楓があったという。
「三尾どの、どうですかな、この木々の美しさは」
庭に面した社殿の一室で住職が三尾に問いかける。
「はい、あまりの美しさに見惚れてしまいます。いったい幾つの色で織られているのでしょう」
「ほんにのう。ですが、大きゅうなられた三尾どのの美しさも負けまいて」
「まあ、お戯れはいやでございます」
「のう、どうじゃろう、あの楓の下をそぞろ歩きしてみてくれんだろうか」
「住職さまは、また何かお企みのようですね」
「錦上添花と言うてな、中国に昔からある故事なんじゃが、漢詩ふうに読んでみれば、錦上に花を添う、となる。錦とは様々な色の糸で織りなした華麗な織物のことじゃ。つまり、「錦上添花」とは、美しさの上にさらに美しさを加えてみようという 風流 じゃな」
「わかりましたわ、住職さま。何ごとも風流にはさからえませぬもの」
三尾は住職の顔を見てにこりと微笑むと足の物を履いて庭に降りた。
艶やかな島田結いに銀かんざしと真っ赤な櫛を挿し、切れ目の長い奥二重である。ほんのりと紅潮した頬からほっそりとした顎、唇は淡く紅を指しているのだろうか。可憐な耳朶から首すじへかけては透きとおるように白く……、それが水色の小袖に朱鷺色の帯を締め、金銀の鮮やかな打掛を羽織り、楓の木の下へと歩いて行く。やがて楓の下でこちらを振り向き微笑むと、雅な京人形さえ霞んでしまうかのように美しく気高く見えた。
「美しい、まさに錦上添花じゃのう」
住職が見とれてそう言うと、阿弥陀堂あたりから吹いて来た風が、朱に色づいた楓の葉をハラハラと三尾の頭上に舞い散らせた。
「なんとあでやかな……、三尾どのの美しさを楓が祝福しておるようじゃ」
付き従っていた侍女や家来衆からも感嘆の声が漏れた。それから三尾は楓姫と呼ばれるようになり、やがて大名である父に従い江戸に出たおりに将軍家光の目に留まり、御中臈として大奥へと迎えられた。以後は三尾とは呼ばずに楓と呼ぶことにする。
将軍側室は将軍付御中臈から選ばれる。奥に通った家光が、何名もいる御中臈の中から気に入った女性の名を年寄に告げれば、その夕刻には寝間の準備が整えられたという。
楓が奥に入ってからたいして日も置かずに、上臈年寄り、おまきから御前試合の当日に、女性二人で御前舞踊を披露することになったこと、その奥向きの代表として楓が推挙されたことを聞かされた。
「武芸者が芸に一命を捧げるように、選ばれし女性も美に一命を捧げるのです」
おまきの言葉に、女性のたしなみは競うことではありませぬ、と言いかけた楓はぐっと言葉を飲み込んで、御前舞踊への推挙の礼だけを述べた。楓は競い相手となる女性のことは一切問わなかったという。
それから一月、大奥に居られた琴の師匠と、新しく来られた能の師匠とで寝食を共にしながら、琴に合わせての舞踊稽古を続けてきた。武家の姫として生まれ、幼い時から女性用小薙刀などの武芸にも通じていた楓は、小薙刀を舞うようにして使うと言われていたほどの腕である。楓は、新しい舞踊に関しても、薙刀を持たないというだけで形や心は同じだと感じていた。風が温み、桜の花芽が膨らみ始めるころ、琴と能の二人の師匠が驚くほどに美しい舞踊りが形を見せはじめていた。楓は十九になろうとしていたが、まだ家光と寝屋を共にしたことはなかった。
☆ ☆ ☆
お八重の父親は家康が三河から関東に封じられた頃に、職人として一緒に移動してきた、江戸の最古参であった。桶屋を家業としていたが腕がよく商売は繁盛していたし、歳いってから得た女房の美乃との間には、町中でも評判の美人である八重を授かっていた。
まだ、冬の気配が色濃く残る二月の終わりに、大久保彦左衛門が数名の家来を従えて桶屋を訪ねてきた。大久保屋敷に出入りする商人たちに聞くと、みな人形町通りにある桶屋の八重が一番の別嬪だと口を揃えたからだ。大小の桶が立ち並ぶ広い土間に平伏する親子三人に向かい、畳の間に据えた床机に座った彦左衛門が口を開いた。
「そこの娘、面をあげよ」
「はっ、はい」
両親は平伏したままで八重のみが面を上げる。
なるほど、噂に違わぬ別嬪のようじゃ。
「名は?」
「はい、八重と申します」
彦左衛門は、街で評判の八重を将軍・家光公が直々に見たいとのことであるから十分に心得て準備いたせと、さらに、桜が咲く頃に江戸城内にて御前舞踊を一曲披露せねばならぬ、と申し付けた。
「これより準備し、委細整った上で、大久保様の御養女として城内へと向かうことになる。登城前の、そう、彼岸を過ぎたころには大久保様お屋敷に入られるように申し付ける。よいな」
お付の武士の一人がそう言うと、再び土間に平伏した八重が尋ねた。
「あたしは舞踊なんてやったことないのですが、どうすりゃいいのでしょうか?」
「さあ、街で流行っている念仏踊りでも見てまねをすればよいじゃろう。音曲を奏でる三味線でも笛でも一人は付き添うてよいとのことであるから、気に入った者を呼び寄せるがよい」とお付きが言う。彦左衛門は無言であったが、八重ほどの器量よしでも舞踊りの勝負となればどうであろう、町娘にはちと荷が重かろう、と感じていた。
彦左衛門たちが帰ると、八重は両親を説き伏せて、父と吉原遊郭街へと向かった。花魁の舞踊を見たいと思ったのである。運良く、桶屋と長く付き合いのある上臈置屋があり、父から事情を話してもらい座敷を見る許可を得ることができた。
その店一番の高尾太夫は八重を預かると、客の前での舞踊りを見たいならば長く美しい黒髪を切って、禿にしなければと言った。長い髪のまま座敷に上がれば、それはもう花街で客を取れるということである、八重ほどの器量なら、どのような地味ないでたちであってもその場で指名が入るやもしれぬ。もし、そこで事情を話すなどという野暮をすれば、客が事情を汲んだとしても、決して満足して帰ることはできないだろう、と言った。禿ならば、それは完全な見習いを意味していたから存分に舞踊りを見る事ができるのだと。
「どうして、そこまでしなけりゃいけないんでしょうか?」
八重は美しい黒髪を切ることが哀しかった。だが、八重の問いかけに太夫が答える。
「八重さんはあたしの踊りを見て覚えたいのですよね?」
「ええ、お武家様のお指図ですので」
「あたしは、お前さまに踊り方を教えることはできましょう、でも、この短期間では踊りを教えることはできますまい。ただ、お客様を喜ばせる心意気なら見せられるかもしれません」
「…………」
「人様を心の底から喜ばせたいのなら、覚悟が必要なのですよ」
八重は長い髪を切って、肩までの、今風に言うところのオカッパ頭になった。それから一月ほど、毎日太夫の座敷に出て、太夫の舞を見学しては深夜から朝方まで身覚えた舞を練習した。
御前試合の当日は暖かい春の日であった。武芸者たちの立会いは、午後から始まったという。
江戸詰めの大名たちや、主だった旗本、そして幕府を取り仕切る重役たちが見守る中で十組ほどの立会いが行われ、やがて、楓と八重が舞う時が来た。勝負審判は二人の剣術指南役から、徳川家と縁が深い寺の高僧に変わった。文芸、絵画、焼き物に茶道から能・狂言まで造詣の深い僧は、二人の女性については名前以外まったく知らされていなかった。
武芸試合で荒らされた白砂が掃き清められると、白い布で覆われた大きな板が舞台として運ばれた。まず、楓姫と、姫に琴を合わせる女が登場し舞台の上で伏して礼を取る。家光は吹上滝見の庭を見下ろす御茶屋から舞台を眺めていた。
わずかな風しかない春の温かい日である。庭園は緑を保持するために常緑樹が植え込まれ、池や滝までが設えられていた。池の回りには春の花が咲き乱れ、また秋に葉を落とした木々たちも、あるものは新緑を纏い、あるものは新芽を膨らませている。
庭のそこここに梅や桜の木が植え込まれていた。梅は花を落としていたが、桜が咲いていた。桜は種類がちがうのか、白から濃い桃色まで色とりどりで、開花も満開から三分咲きまである。舞台の頭上には二本の桜が枝を伸ばしていた。一本はソメイヨシノの原種ともいわれる淡い江戸彼岸桜で満開であり、もう一本は穢れなき白の山桜だがまだ三分咲きである。
琴の音が立ち上がると、髪を髷根が高い端正な島田に結った楓がゆったりと舞い始めた。切れ長の奥二重に真っ赤な紅を指し、可憐な耳朶からうなじへと続く肌は透きとおるように白い。鮮やかな朱色の小袖に金銀をあしらった黒基調の帯を締めて、舞う。なよやかな腕の動きに袖が妖しく揺れると、庭のすべての花が身を縮めたかのようである。やがて、琴の音が止み楓が面を伏せる。と、一瞬の間をおいて、泣くがごとく降るがごとくにハラハラと、桜の花びらが舞い落ちていった。
「なんと……」
あまりの艶やかさに声を失う家光。
「どうじゃな、爺」
なんとか出した問いかけに、惚けた顔で見入っていた彦左衛門が答える。
「噂通りの艶やかさで……、冥土の土産にすばらしき舞を拝ませていただきました」
周囲のざわめきが収まると楓姫と琴の女は礼をとった後に退席した。
つぎに八重と琵琶を抱えた高尾太夫が舞台に登場した。作法に従い舞台の上で伏して礼をとる。その上に、先ほどのなごり桜がゆるやかに舞い落ちていた。家光が八重を見るのはこのときが初めてである。
小柄な八重は奥向きの女性たちが、いや、江戸どころか日本中の女性が見たことがないような可憐な髪型をしていた。乙女島田風の前髪に、ふっくらと膨らんだ後ろ髪を色鮮やかな鹿の子で纏めている。肩までの長さになった髪で結い上げるために、短い髪に鹿の子を幾本か結わき、そして長さがない分を、纏め髪の中に綿を入れてふっくらとさせたのである。全ては太夫の発案だった。八重は将軍御座所に向かいにっこりと微笑んだ。八重の頭の中には、太夫の言葉「お相手を楽しませるためにできることを一心に考えなさい」それしかなかった。
琵琶の妖しい音が鳴り始めると、八重が舞い始めた。吉原の座敷で太夫が見せていた踊りを基に、それを三味線のかわりに琵琶でおこなうように八重と太夫が工夫したのだ。もの哀しい調べから激しい掻き鳴りへと変わると手足の動きも大きくなり、頭上から舞い落ちる桜を追うかのように動いて行く。八重の手に、舞落ちる桜の花びらが集まっていった。
藤色の小袖に紫の帯を締めて舞う、舞う、舞う。やがて、激しい琵琶の音が止んだ。
八重はゆっくりと手の平を上にかざす。
風の中で舞い上がる花びらが頭上の三分咲きの山桜へと流れて行く。
桜は、時の流れを加速したかのように、見る間に白い衣を幾重にも纏い "満開" になった。
おお……、どよめきが歓声に変わる瞬間、
「八重姫さまぁ~御成りぃ~」
審判の凛とした声が鳴り響いた。
<了>