冒険者デビュー、の前に ~移動編~
執務をしている王子のもとへ、
穏やかな足取りで大臣がやってきた。
王子は執務を続けたまま声をかけた。
「英雄たちは行ったか」
「はい。用件は広場で伝えましたので、
お隠れになっている方にも聞こえたかと」
ふむ。
息をつくように返事をして、
書類に走らせていたペンを止める。
「襲撃現場は殺害と破壊が執拗に行われていたという。
人間に対して強い憎しみを抱く戦魔族ゆえの行動だ」
「そのために、逃亡する時間を失ったわけですな」
「そうだ。手配されて国境を越えられなくなったヤツは、
哀れにも王都に戻らざるを得なかった」
先日、バルガ村を襲撃した戦魔族から聞き出した、
元王国騎士団員デュウ・アザー。
ベルトランの指示で密偵が調べた結果、
王都でそれらしい姿を見かけたという情報を得たという。
「潜伏場所を詳しく調べさせてもいいが、
こちらの動きを感づかれると民に危険が及ぶおそれがある。
予定通り、合同葬で私が囮になって誘い出そう」
「かしこまりました。
合同葬の情報を王都や周辺都市に流しておきましょう。
ああ、警備は手薄、と付け加えておきますか」
「ふっ。あまり招待客を増やすなよ」
目的の森へ向かうため、王都からバルガ村を目指していた。
ゴブリンが棲みつく森というのはバルガ村の南、
道中、必然的にバルガ村の近くを通ることになる。
「なあ。戦魔族の襲撃は頻繁に起こるのかい?」
青空の下を歩きながらそんな言葉が漏れた。
暖かい陽気を感じながらも、寂しい冷たさが心に残る。
バルガ村を思うとやりきれなかった。
「ロンダリア王国では珍しいよ。
三百年前の災厄から数えても、ほとんどなかったくらい」
ロンダリア王国は戦魔族との無用な争いを避けるため、
戦魔族への過剰な敵視をしないように呼びかけている。
人間族と戦魔族は魔力や身体能力に差はあるが、
外観的な違いはほとんどないため、王国内での偏見も少なく、
友好的な戦魔族は迎え入れているほどだそうだ。
そのため、ロンダリアの民は人間族でも、
比較的戦魔族から狙われることは少ないという。
「唯一の特徴は、瞳が紫色なところかな。
戦魔族の強い魔力が瞳に現れてるって言われてるよ」
「紫色? じゃあ、門番の王国兵さんは戦魔族なのか?」
「正解。種族問わず、優秀な人を採用するのがこの国だよ。
そういう王国の姿勢と蒼穹隊が一つの抑止力になって、
戦魔族絡みの襲撃や事件はすっかり減ってたんだけど」
「それでも三百年前の問題が根強く残ってるのか」
こちらの世界に目覚めてからたびたび聞く、三百年前の災厄。
村の悲劇もその災厄が原因で発生したものなのだろうか。
三百年前に一体、何が起こったというんだろう。
「そもそも、三百年前に何があったんだ?
俺の記憶には何も残ってなくて」
「いいよ、教えてあげる」
三百年前。
ロンダリア王国から遥か遠く、海を越えた先で起きたこと。
古来より戦魔族が主となって統治していた国ウィルシエと、
その隣、レジュドという人間族主体の国で起こった出来事。
「ウィルシエとレジュドの国境にある鉱山で、
ものすごく大きな爆発事故があったの。
大地を抉り、深い傷跡を残すほどの、大きな大きな爆発だった」
「爆発事故……」
「発破なんてものじゃない、すごく大きな爆発だって伝えられてる。
鉱山は吹き飛ばされ、働いていた戦魔族は全員消息不明。
その原因究明の最中に、今度は未知の魔物が現れた」
爆発の爆心地から姿を現した魔物は、初めて見る存在だった。
素早く、屈強で、地上の生命をひたすら殺して回る凶悪な魔物。
未知の魔物は『悪鬼』と呼ばれ、戦魔族の国ウィルシエに流れ込み、
鉱山の事故を越える、多くの死者を出すことになった。
「事件を聞いた世界各国は、国が誇る精鋭を選抜して、
悪鬼討伐と人命救助のためにウィルシエの救援に向かわせた。
でも、救援に向かった彼らの間に噂が広がって……」
「噂?」
――悪鬼の根源、レジュドに在り。
それは短い噂で、意図の分からないもの。
どこからともなく囁かれたという。
「噂はすぐにウィルシエ中へ広まった。
大勢の犠牲を出した戦魔族は、疲弊と悲しみのあまり、
レジュドが戦魔族を滅ぼすために悪鬼を呼んだと思い込んだ」
悪鬼の凶悪な強さと、人々を煽動する噂。
各国の精鋭たちは更なる事態悪化を防ぐため、
悪鬼出現の真相解明が為される前に、
発生源とされる爆心地に堅固な魔法封印を施した。
封印によって悪鬼の増加は防がれたが、
戦魔族側に大きな犠牲が出た事実と噂は、
レジュドとの国交に深い溝を残した。
ウィルシエとレジュドの対立は長期化し、
戦魔族は無関係の人間族も憎むようになり、
人間族も無関係の戦魔族も蔑むようになった。
こうして、三百年に渡る戦魔族と人間族の敵対が始まったのだった。
「小さな噂が形を変えて何百年も根強く残るなんて……。
真相も分かっていないのに、
互いに憎しみを無関係の人々に向けるのはダメだ」
「私もレックスと同じ気持ちだよ。こんなこと、絶対に間違ってる」
アルが足を止めた。
未だ焦げ臭い空気が漂う、殺戮された村の前に着いた。
騎士団と蒼穹隊の人々が村の入り口に立って警備をしている。
焼け落ちた木造家屋、崩れた塀、赤黒く残る染み。
俺とマリエルが生まれ育った、村。
「……行こう。依頼、やらなくちゃ」
アルが俺の手をそっと握る。
うなずいて手を握り返した。
俺たちは南の森へ向かうべく、村を迂回することにした。