抗う力
ロンダリア城、玉座。
青い絨毯の両脇に白銀の鎧を着た兵が整列している。
その間を、大剣を背負った銀髪の冒険者が歩いていく。
彼女の視線は黄金の長髪を流す若い王子に置かれていた。
玉座前の階段下で膝を折り、首を垂れる。
王子、ベルトラン・オウルヘイルは硬い表情でうなずいた。
「ご苦労だった、アルシャロッテ。報告を聞こう」
「はい」
バルガ村は戦魔族の襲撃を受けて壊滅。
蒼穹隊が逃走した一団を追撃。投降した者を除き討伐完了。
東空長のセトが指揮を執り、現場の収拾にあたっている。
アルシャロッテは「真に世界を救うため」と語る、
戦魔族侯爵ゼロディオスと一騎打ちになり、勝利。
バルガ村唯一の生存者、レクソール・フォルナイトを救出した。
「アルシャロッテ様も無事戻られて何よりです。生存者の具合は?」
右手側に立つ、王子と同じ金髪をした少女が静かに尋ねる。
彼女は王女スノウローズ。ベルトランの妹だ。
「命に別状はありません。
しかし、魔法陣や呪石による後遺症のためか、記憶を失っていました。
現在、蒼穹隊救護施設で精密な検査を受けています」
王子、王女の秀麗な顔立ちは硬いまま、ほころぶことはなかった。
この報告に笑顔が浮かぶはずがない。
民を一人でも救出できたことは喜ばしくとも、
大勢の命が失われた事実は悲しいものだった。
「ガフ、投降した戦魔族はどうなっている?」
王子は玉座の脇に控える老いた家臣に声をかけた。
丸眼鏡をかけた、背と鼻の高い男性だった。
「先程到着し、牢へ。尋問が始まるところかと」
「立ち会って情報を引き出せ。殺しはするな」
「かしこまりました」
家臣は背を正し、その場から立ち去った。
王子が金髪を揺らして深いため息をついてうつむく。
「もう一度確認したい。
村を壊滅させたのはあくまでも戦魔族の一団であって、
戦魔族侯爵とやらではないのだな?」
「間違いありません。私が到着した際、まだヤツの姿はなく、
抵抗を続けていたレクソールと蒼穹隊員が戦魔と戦っていました」
「そこへ戦魔族侯爵が現れ、レクソールを人質にとったと」
「はい。一団はそれを見て退却を始めました。
そして、ゼロディオスは一騎打ちを申し込んできたのです。
レクソールに魔法陣を施し、真に世界を救うためだと」
「……真に世界を救うため、か」
玉座のひじ掛けに右腕を置き、頬杖をつく。
目を閉じて思慮するベルトランの隣で、スノウローズは眉をひそめていた。
「侯爵と襲撃者たちに繋がりはなかったということでしょうか」
「ゼロディオスについても、
捕らえた戦魔族に聞いてみる必要がありそうだな……」
瞼を開き、そっと立ち上がる。
王子の金髪がさらりと揺れた。
「ひとまず、アルシャロッテ。
そなたには後程、然るべき褒賞を与えよう。
情報の精査は私たちに任せて、友のそばにいてやれ」
王子の温かい言葉に、アルシャロッテは微笑んで頭を下げた。
それはありきたりな言葉。
使い古されて、手垢だらけの言葉だった。
『例えこの身が滅びようと、我が魂は滅びない。
必ず真実にたどりついて報いを受けさせる。
我は光にも闇にもなり、
彼らが世界に与えた以上の力をもって復讐し、
恐怖させるのだ』
暗闇の中なのに、はっきりと黒い甲冑が浮かび上がっていた。
俺と数メートル離れて向かい合う、マントを羽織ったそいつ。
フルフェイスの兜に角が生えて、
全身の鎧も継ぎ目なく黒に覆われて肌の色なんかまったく見えない。
ただ分かるのは、そいつは女だということだった。
「黒い甲冑……。お前、アルの言ってたヤツだな」
『今はお前の中にある力の根源に過ぎない。
内に宿る黒い意志、激しい憎悪から湧く無尽蔵の化身』
「とんでもなく悪意マンマンに聞こえるぞ」
『善悪などその瞬間にすり替わるもの。
都合のいい解釈をされて表にも裏にもなる』
黒甲冑の女が背を向ける。
翻るマントがヒーローさながらでかっこよかった。
『悪夢の中で見た理不尽を滅せ。抗うのだ。
いつ、いかなるときも、我は求めに応じて抗う力になる』
「何だよ、難しい言い方しないで――」
言いかけたところで、目の前が真っ白な光に包まれた。
黒甲冑も暗闇も、全てが白に呑み込まれていく。
「兄さん。兄さん、終わりましたよ」
呼びかけに重い瞼が持ち上がる。
心配そうに覗き込む可愛い顔がそこにあった。
目覚めたのがこっちの世界でよかったよ。
「あ、あれ、寝てたのか」
「はい、検査を始めて間もなく。
兄さんは魔法陣を施される前から戦っていましたし、
ずいぶん消耗されていたのでしょう」
戦っていた記憶はないけど、どうやらそういうことらしい。
ベッドの上で身体を起こしてみたら、痛みはすっかりなくなっていた。
アルの回復魔法は凄まじい効力だな。
マリーは木の椅子を持ってきてベッドのすぐそばに座った。
その手には数枚の紙がある。
彼女の表情は硬い。
「検査の結果です。魔法陣の痕跡、呪石共に完全消失していましたが、
血液から魔力値を測定しようとしたところ、
計器が振り切れて計測不能になりました。
腹部の傷についても治癒速度が加速していて、完治の診断を下しました」
マリーの手が震えている。
傷の治りが速いのはアルの回復魔法だけじゃなかったらしい。
話だけ聞けば、いわゆるチート級なのかもしれないが、
普通の人間として生きるにはあまりよろしくないみたいだ。
とはいえ、妹を不安にはさせたくない。
向こうの世界でさんざんにされた分、
こっちの家族は超大切にしてやるんだ。
「大丈夫だ、遠慮するな。
化け物だって言われても俺は平気だよ」
笑顔を浮かべてうなずいてみせる。
マリーはわずかに目元をうるませながら、言葉を続けた。
「……兄さんは人間でありながら、
人間や戦魔族を遥かに超える何かを身体に宿しています。
この結果は殿下に報告しなくてはいけないほど重大なものです」
例の戦魔侯爵に魔法陣だの呪いの石だのをぶち込まれ、
その後に得た異常な魔力と治癒能力。
俺が生まれつきチート級なら天才の一言で済んだのだろうが、
ここでマリーが不安になっているのは「戦魔族に施された」という一点だ。
「血液の成分は人間と同じものでした。
魔法陣も消えて呪石もなかったので、心配ないと思いますが――」
「なら、胸を張って報告してこい。俺はマリーの判断を信じる」
話を遮って、もう一度明るく言い放ってみる。
他の連中に「戦魔族に何かされた人間」だとバカにされても、
危険視されて監禁されても、マリーさえ無事なら構わない。
悪夢の世界に比べれば、信頼してくれる家族がいるだけで幸せだから。
「で、でも、もし戦魔族の血を受けたと誤解されたりしたら!」
「大丈夫。戦魔族対応のプロたちが診てくれたんだ。
お前がこのまま蒼穹隊にいられるように、身の振り方も考えるよ」
「それじゃあダメです! 兄さんばかりつらい目に!」
手を伸ばして、マリーの頭を強く撫でてやる。
まるで俺の身体がそれを覚えているかのように、
自然と、何も考えずに動いた。
「可愛い妹のためになるんだ、つらいものかよ」
かつての俺と同じ目には絶対に遭わせない。
たった一人の家族を大切に、幸せにしてあげたい。
妹の成功に繋がるなら、俺は頑張れるさ。
「兄さん……」
声を詰まらせながら涙を浮かべる可愛い妹。
マリーは泣き虫なんだな。こりゃ甘やかしたくもなる。
その後、報告を終えたアルと入れ替わるように、
マリーと蒼穹隊の数名が王宮へと向かった。
俺の今後については殿下に報告をした上で検討するとのこと。
しばらくはアルと行動を共にするという条件つきで、
束の間の自由を得られた。
「というわけで、レックス君は私の監督下に置かれました~」
「心強いよ、英雄殿」
一仕事終わったからご飯を食べに行こうと、
アルに連れられて王都の飲食街を訪れていた。
白い街並みの真上から陽が差す昼時、
飲食街は王都の住民や冒険者たちでにぎわっていた。
列の並ぶ屋台やおしゃれなオープンテラス、
手にパンや串焼きを持って歩く人々。
世界は違っても、この風景は同じだった。
「すごい活気だね。新鮮だ」
「そりゃそうだよ。記憶失くす前も農作業ばっかりで、
なかなか王都に出てきてくれなかったんだもん」
アルが肘で俺をつつきながら膨れている。
こっちの世界の俺は仕事一辺倒だったのか。
「そ、そうだったのか。
その分たくさん監督してくれると助かるよ」
苦笑いを返すと、いたずらをした子供のように笑ってくれた。
鼻をかすめるのは、向こうの世界でも嗅いだことのあるいい匂い。
それは香ばしかったり、甘かったり、
懐かしさと一緒に食欲を誘うものだった。
見回しながら歩いていると、道の先をアルが指さした。
緩やかにカーブになっている右側、
白い石造りの建物に『ネコガミ亭』と看板がぶら下がっていた。
「あそこのお店なんだけど、覚えてるかな?
レックスも一緒に行ったことあるお店で――」
「……ん?」
明るい喧騒が、わずかに色を失った。
アルの説明が耳に入らない。
代わりに聴こえたのは、夢の中で聴いた女の声だった。
<感じるか、悪意を>
ネコガミ亭の辺りから何か妙な気配を感じた。
それは漠然として、俺にもどうにかできそうな、軽いもの。
軽いけど、モヤモヤとする嫌な感覚。
<お前に宿ったもの。かつて我が持っていたもの>
「(この声は……!?)」
<これが抗う力。真に世界を救う力。
願え。求めよ。悪夢の中で見た、英雄の姿を>
冷たい息を吸った。
両腕に、両足に、ぐっと力がこもる。
腹の奥から湧く熱い何かを、はっきり感じた。
「アル、待って」
「どうしたの?」
彼女の足が止まったのを見て前に出た。
次の瞬間、ネコガミ亭の扉が勢いよく開かれて、
悲鳴と怒声が通りに響き渡った。
「どけ! 邪魔だ!」
店から飛び出してきたのは薄汚いフードを被った男。
ゴロツキのようなそいつは、脇に子供を抱えていた。
曲刀を振り回し、通りを歩く人々を突き飛ばしながら、
こちらへ向かって走ってくる。
「盗賊だ! レックス下がって!」
アルが叫んだとき、俺は駆け出していた。
身体から紫色の煙か、光のようなものが溢れ、
腕が、足が、身体が黒い甲冑に包まれる。
顔が兜に覆われ、最後に地面につくほどの長いマントがはためいた。
<ゆけ、遠き世界の英雄よ>
「その子を放せ!」
拳を握りしめて、走ってくる盗賊に正面から向かっていく!
「気取るんじゃねえ!」
振り下ろされた曲刀を左腕のガントレットで受け止め、
そのまま盗賊の腕をつかんで捻り上げた。
手を離れた曲刀が地面に落ちる前に、右手で盗賊の首を握りしめる。
「ぐがっ!?」
「もう一度言う。その子を放せ」
首を絞める右手に力を込めていく。
ギシギシと軋む感覚が伝わってきた。
「わ、わがっだ! わがっだがら」
息苦しそうに、脇に抱えていた子供を解放する。
黒い猫耳と短い尻尾を生やした、獣人の子供だった。
「アル! この子を頼む!」
「う、うん! 分かった!」
困惑気味の返事と共にアルが駆け寄り、
子供を抱き上げてすぐにその場を離れた。
「殺さないでくれ! 見逃してくれ!」
濁った声で懇願する盗賊。
腹に湧く熱い力は衰えない。
俺は盗賊に顔を近づけて、低い声で囁いた。
「ああ、殺さない。だが見逃しはしない」
顔面目掛けて頭突きをしてやる。
盗賊は短い悲鳴を上げて気を失った。
騒ぎを聞きつけた騎士団員が数名駆けつけ、
俺が無力化した盗賊を縛り上げて馬の背に載せていた。
「英雄殿のご友人は、やはり英雄殿でありますな!」
若い男の騎士団員が敬礼をして、盗賊を連れて去っていく。
身を包んでいた鎧の力を解除して見送る隣に、銀髪の英雄が肩を並べた。
「猫人族の子供は奴隷商人に高く売れるらしいんだ。
だから、ネコガミ亭の娘さんを誘拐しようとしたのかもしれない」
人身売買。ロンダリア王国では禁止されている行為だという。
金に困ったのか、一攫千金を狙ったのか。
白昼堂々誘拐を犯すとはとんでもない悪党だ。
「……あの姿、まるでゼロディオスみたいだった。
あいつ、レックスに力を渡したのかな」
俺を見上げる、美しい英雄の顔。
アルは眉を寄せて寂しい顔をしていた。
彼女の瞳を見つめながら、首を横に振る。
「分からない。でも……」
近づいてくる気配に気づいて横を見た。
黒い猫耳と短い尻尾を生やした少女が、笑顔を浮かべてそこにいる。
「お兄さん、ありがとう!
ウチのご飯、食べていってください!」
少女に目線を合わせるようにしゃがんで頭を撫でてあげた。
誘拐されかけたというのに、明るくて気丈だ。
「喜んで。英雄様も一緒にいいかな?」
「はい、どうぞ!」
お父さ~ん! と、お店の中に駆け込んでいく。
その姿を見ながらゆっくり立ち上がった。
「少なくとも、使い方は間違えないようにするよ」
微笑んで見せる。
納得したように、アルは優しい表情でうなずいてくれた。