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83.麗しきアナスタシア

 その日の夜、メイレールを通じて、アルクマールから危機を脱したという(しら)せがあった。

 敵の囲みを突破し、今は安全なところにいると聞き、コールス達は胸を撫でおろした。


 翌日、ターセンをヴィルネイス家の正式な後継者に指名する認証の儀式が執り行われ、コールス達も出席した。


 その日の朝、会場の控室でターセンと一緒に打ち合わせをしていると、

「じゃーん!」

 という声とともにルミナが扉を開けて部屋に入ってきた。


「こら、ノックくらいせんか」

 と注意したのはタクトスだ。

 今回、ディークソン伯爵家から伯爵とクレアが出席することになり、その護衛として彼も来ているのだった。


「ごめんごめん!……へっへー、どう?似合うでしょ?」

 そう言ってルミナは軽やかに回って見せた。

 確かに、夕焼けのようなオレンジ色のドレスは小麦色の肌によく似合い、膝丈のスカートからすらりと伸びた脚は同じ色のハイヒールに彩られている。


「すみません、押しかけてしまって」

 と申し訳なさそうに頭を下げたのはソフィヤだ。

 聖職者らしく白を基調としたロングスカートで、肌の露出を抑えるために羽織った花柄レースのストールは、彼女の可憐さを引き立たせている。


「すすみません、私まで着せていただいて……」

 薄紫色のドレスに身を包んだスミーリャがちょこんと顔を出す。

 目を隠していた前髪には丁寧にハサミが入っていて、綺麗な瞳が見えたが、コールスと目が合うとすぐに、持っていた本で自分の顔を隠してしまった。


 彼女たちはヴィルネイス公爵夫人の計らいで、式の後の晩餐会用に、それぞれ衣装を貸してもらっているのだった。


「うん、3人とも素敵だよ」

 コールスは賛辞を送ったが、ルミナは「む」と口をへの字にして後ろを振り返り、

「ったく、何してんだか……」

 とため息をつくと、扉の向こうへ行ってしまった。


「え、どうしたの?」

 とコールスがきくと、ソフィヤがフフっと笑った。

「実は、ナーシャさんもドレスに着替えられて一緒に来てるんですけど……」

 

「え!?」

 コールスの胸がどくんと高鳴る。


「ほーら、今さら恥ずかしがんないの!」

 ルミナが無理やり腕を引っ張って連れてきたアナスタシアを見て、コールスたちは息を呑んだ。


 それほどの美しさだった。

 藍色のベルラインのスカートには細かく金糸が編まれて星空のように彩られている。

 細いウエストがきれいな曲線を描き、花びらのようなフレアに飾られた胸元、露わになった白い肩や首筋は、深い色のドレスとの対比で雪のように輝いて見える。


 緊張しているのか、細い指できゅっとスカートを握りしめた少女は、男たちが何も反応しないのを見て、


「やっぱり、変だよね……」

 と消え入りそうな声で言うと踵を返しそうになる。


「ご、ごめん!」

 慌ててコールスはアナスタシアの腕をとった。


「違うんだ、とっても綺麗で見とれてしまったんだ!」

「ほ、本当!?」

「うん、本当に似合ってるよ、ナーシャ」

 コールスが力強く頷くと、泣き出しそうになっていた少女はほっとした笑顔を見せた。


「すみません、僕もびっくりしちゃって言葉が出ませんでした」

 とターセンが頭を掻く。


「うむ、一層お綺麗になられましたな!」

 タクトスも感慨深げに頷いている。


「良かった、気に入ってもらえて……」

「……!」

 上目遣いで頬を赤らめるアナスタシアを見て、コールスも自分の頬が熱くなるのを感じた。


 何とはなしに見つめあっていると、軽やかに鐘が鳴り始めた。

 式典に出席する(ひん)客の到来を告げる鐘。

 忙しい一日が始まろうとしていた。


 式は昼過ぎから執り行われた。

 立会人として有力貴族が参列する厳かな雰囲気の中、ターセンは父から継承権の証として小さな冠を授けられた。

 決意に満ちた表情で立ち上がったターセンに、人々は惜しみなく拍手を送った。



 日暮れ近くになると、会場を移して晩餐会が開かれた。

 コールスはターセンと一緒に会場を回ることになったのだが……


 その数時間後。


「大丈夫ですか?」

 ターセンが苦笑いしながらたずねると

「……うん」

 とコールスは力なく頷いた。


――とにかく、疲れた……!

 外の空気を吸おうと出たバルコニーで、手すりにもたれかかりながら深く息をつく。


 ターセンを助け、ヴィルネイス公爵家を救った英雄として、コールスは会う人ごとに賞賛の言葉を送られた。

 

 いや、それだけではなく、主に女性陣からは熱烈な歓迎を受けた。

 貴族にとっては獣人が珍しいのか、口々に可愛いと言われてコールスは戸惑った。


 そのあげく、丸々としたご婦人方にぎゅうぎゅうと抱きしめられ、小さな子供に目線を合わせればケモ耳を引っ張られ、あっという間にクタクタになってしまったのである。


「君はまだ、元気だね」

 と言ってターセンを見る。

 何時間もの間、ひと時も笑みを絶やさずに賓客をもてなす、その意外なタフさにコールスは驚いていた。


「まぁこれが仕事ですからね」

 ターセンは屈託なく笑う。


 この一か月間、貴族としての振る舞いを叩き込まれた少年は見違えるほどに成長していた。

“立場が人を作る”という言葉があるが、まさにその通りだと思った。

 強くあらねばならない、とターセンは十分に自覚しているのだろう。


 継承権争いに決着がつき、当主のビクセンが復活したとはいえ、ヴィルネイス家の前途は多難だ。

 ゴードセンが他の貴族に多額の賄賂を渡していたことで、公爵家の財政は相当傾いている。


 奴が隠し持っていた魔草の売り上げを没収して、ある程度穴埋めできたが、これほどの会を催せるほどの余裕はまだないはずだ。


 それでもビクセンは大々的に後継者のお披露目を行った。

“ヴィルネイス家は健在である!”と内外に示すために。


 そしてそれは成功したのだろう、とコールスは思った。

 ターセンは立派に父を支えていくだろう、と出席者たちが感じたに違いないから。


 体力を回復しようと、コールスが何気なく近くの盆から飲み物を取ろうとすると、

「あぁ、待って。それは酒だよ」

 と声がした。


 振り返ると、メイレールがいた。

 深い緑色のマーメイドドレスを来たエルフは替わりの杯を差し出した。


「あ、すみません」

 多くの獣人と同じように、コールスもアルコールを受け付けない。

 メイレールの気遣いに感謝して、グラスに口をつける。

 

 柑橘系のさわやかな香りと炭酸水が喉を駆け抜け、コールスはほっと息をついた。


「どうだい?楽しんでる……って感じでもないかな」

 メイレールの言葉に、コールスは頭を掻く。

「どうも、こういう場は初めてで……」


 微笑み頷くエルフに、「あの、アルクマールさんの様子はどうですか?」と聞きながらバルコニーの外に視線を投げる。

 メイレールは星が瞬く空を見上げた。


「心配いらないよ、元気にしてる。今夜パーティがあるって言ったら、“みんなで楽しんでおいで”ってさ」


 アナスタシアがアルクマールと交信した場に居合わせたことで、メイレールは義姉妹のアルクマールとの通信チャンネルを会得し、念話でやり取りができるようになっていた。


 明日、コールスとアナスタシア、そしてメイレールは、アルクマールとの合流を目指してパワールから旅立つ。


 昨日のことを思えば、すぐにでも出立したかったが、「当面の危機が去ったから大丈夫」とアルクマールが言ったことで、とりあえず式典に参加することにしたのだった。


 まだ気がかりそうなコールスの顔を見て、メイレールはそっと手を少年の肩に置いた。

「やっぱり、君は優しいね。アルクのことを気にかけてくれるのは嬉しいけれど、こういう雰囲気を味わっておくのも経験だと思うんだ」


 そう言って会場をぐるりと見渡す。

「自分が救ったものの大きさを知るのも悪くないでしょ?いわゆる“勝利の美酒”ってやつかな?」


「勝利の美酒……」

 コールスはメイレールの言葉を繰り返しながら、同じように晩餐会を眺めた。

 

 和やかな雰囲気の中で交わされる笑い声と笑顔。

 その中心にいる公爵夫妻も晴れやかな顔をしている。


――確かに、ディークソン伯爵や、ヴィルネイス公爵、これほどの殿上人から感謝されるだなんて、旅に出る前の僕には想像できなかったな

 

 雇い主から蔑まれ、汗まみれ泥まみれで働いてもお礼一つ言われたことがなかった自分が、今はこれほど多くの人から歓迎、祝福されている。


 今までの旅の軌跡が脳裏に蘇り、コールスは充足感に包まれつつあった。


――勿論、僕だけの力じゃない。ナーシャがいたからここまで来られたんだ!

 そう思いながら、彼女の姿を探したコールスだが、

「!」

 とグラスを落としそうになった。


 人混みの向こうで、アナスタシアは見知らぬ男と話している。いや、迫られている!

 付き添っているクレアが間に入って、いなそうとしてくれているが、男はギラギラした瞳のまま、アナスタシアを見つめている。


 コールスは身体の奥がカッと熱くなった。

 感情に引っ張られて身体が前に出る。

――いやだっ、このままナーシャを取られたくない!


次回は明日、31日に投稿します

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