82.君がいてくれたから
「ギネバ……」
コールスとアナスタシアは静かにその名を呟いた。
「ナーシャを連れて行こうとしたから、私とメイレールは彼女と戦った。
倒す寸前までいったけれど、止めを刺すことができなくてね」
アルクマールは複雑な表情をしている。
いくら子どもを守るためとはいえ、友人を手にかける、というところまで至らなかったことについて、様々な感情が胸中に渦巻いているようだった。
「まぁとりあえず、ナーシャを奪い返して北方へと逃れた。向こうも瀕死の身体を復活させるのに時間がかかったみたいで、しばらくは穏やかに過ごせたよ」
「私、ギネバなんて名前、聞いたことなかったよ」
とアナスタシア。
「話してもプラスになることはないと思ったからね。といっても、アイツとの戦いが避けられない以上、いつかは話さなければならないとは思っていたけど」
そう言いながら、アルクマールは自分の左手の甲を見せた。そこには見慣れない紋章が浮かんでいる。
「これは義姉妹の契約の証。私はかつて、ギネバとこの契りを交わしてしまっててね。これがある限り、どんなに離れていても、私たちは互いの場所が分かってしまう」
アルクマールは寂しく笑った。
「私が連れ回したらナーシャが危険かもしれない。そう思って、眠らせて安全な場所に隠そうとした」
「それがディークソン軍事研究所だったというわけですか?」
コールスの問いに魔術師は頷いた。
「その通り。私は密かに、当時のディークソン伯爵に連絡を取って預かってもらえないか頼んでみた」
「伯爵も軍事技術としてのスキルを研究していて、いわばライバル関係にあった。けれど、その方針は私たちと真逆でね。“王の器”のような魔法生命体を生み出すことには反対で、人間が持つスキルをいかに高めることができるか、という観点から研究をしていたらしい」
「そんなところに預けようと思ったんですか?」
コールスは首を傾げたが、
「そんなところだから、だよ。ギネバにしてもれば、まさか敵対している勢力にナーシャを渡すとは思わないでしょ?それに伯爵は誇り高い人だった。たとえ魔法生命体だろうと、罪なき命を奪うようなことは絶対にしなかった」
とアルクマールは答えた。
「勿論、伯爵は驚いていたけど、最終的には預かってもらえることになった。傷をつけないように厳重に封をして研究所の奥深くで保管してもらうことになったんだけど……」
「伯爵家が代を重ねるうちに、それが忘れ去られてしまった、というわけですね」
「うん……きっと言い訳に聞こえると思うけど」
と言いながら、アルクマールはじっとアナスタシアの目を見ながら言葉を紡いだ。
「手放したからと言って見捨てたつもりはなかったよ。ナーシャ、君のことを思わない日はなかったし、ギネバとの決着がつけば迎えに行こうと思っていた。ただ、彼女に悟られてはいけないから、伯爵領に近づくことすら避けていたけど」
すると、メイレールが助け舟を出した。
「まぁ実際、ギネバの目を欺くことはできてたからね。魔界や魔界との境界面で、私たちは真魔族と戦っていたけれど、その間アルクは常に宝箱を自分の傍においていた。その宝箱にアルクの魔力核の一部を入れることで、ナーシャが入っているように見せかけてね。奴らはまんまと騙されていたよ」
「でも、それはもう通用していないですよね」
コールスは静かに言った。
ここに来るまで、ミルティースやベイゲンといった敵の魔術師たちはアナスタシアが王の器だと知っていた。彼らはギネバの部下なのだろう。
コールスがアナスタシアを見つけて目覚めさせた時から、ギネバはアナスタシアの魔力の波動に気づいていたに違いない。だから、部下たちを差し向けさせたのだ。
「そうだね、ただ対策はできているよ」
「対策?」
コールスの問いに、アルクマールは水盤のへりを指さした。
「その石板だよ。石板を使えば、王の器の主の命令を常に上書きすることができるからね。それをナーシャ自身か誰か信頼できる人に持ってもらえば、ギネバの支配から逃れられる」
「石板も、元々は超古代の技術だ。王が、王の器を使役して専横を極めることが多くなって、それを防ぐために作られたんだ」
とメイレール。
「まぁ石板よりも、嬉しい誤算というか、一番良かったのはコールス君の存在だけどね」
「僕ですか!?」
驚くコールスに、アルクマールは微笑む。
「君が身に着けている特殊スキル「全てのスキルがレベル99になる」……おそらく、ディークソン伯爵のチームが編み出した技術だ。君は見事にそれを使いこなしているようだね」
「確かにギネバの部下たちは、ナーシャを狙って攻撃して来た。けれど、君が撃退したことでギネバは慎重になっている。当分は迂闊に手を出してこないはずだ」
そう言って魔術師は苦笑した。
「今じゃ、むしろ私の方がナーシャにとって弱点だと思われてるんじゃないかな。現に今も――」
そこで突然、アルクマールの姿はザザッと砂嵐のようなノイズに包まれ始めた。
「悪い……どうやら敵の攻……撃が……」
途切れ途切れの声の向こうでは、爆発音も聞こえている。
「アルク!」
叫ぶアナスタシアに、アルクマールは優しく微笑む。
「大丈夫……必、ず……またあ、える……」
そう言って魔術師は手を振り、どこかへと駆けていく。
ノイズがひどくなり、水の彫像はぼやけて元の水柱へと戻った。
「アルク……アルク……!」
再び泣き崩れるアナスタシアの背中をコールスはしっかりと抱きしめてさする。
「アルクなら大丈夫だ。あいつと私も義姉妹の契りを交わしている。言葉は交わせなくても、あいつが生きている限り、温もりは感じられる。だから今は大丈夫……」
そう言ってアナスタシアをなぐさめるメイレールの言葉を聞きながら、コールスは改めて、今腕の中にある少女を守り抜かなければならない、と自身に誓った。