57.静かなる刃
「驚きましたよ。まさかあなた方が、指名手配されることになるとは思いませんでしたからね。お仲間の方に大事ありませんか?」
と気遣ってくるジンクに、アナスタシアは
「えぇ、大丈夫です」
と静かに応じた。
アナスタシアとコールス、そしてジンクは、とある商店の隠し部屋にいる。
以前、『自分の名前を出せば通してくれる』とジンクが言っていた店だ。
コールスたちが店員の案内でこの部屋に入ってからわずか10分で、ジンク本人がやってきた。
ピンチに陥ったコールスたちが頼ってくることを予想していたのだろう、
――さすがは裏社会の人間というべきか、フットワークが軽いな
とコールスは思った。
「それで、どういったことをお望みですか?あなた方をお匿いすればよろしいのでしょうか?」
そう言ってジンクは皮手袋に包まれた指を組んだ。
アナスタシアはお座りをしているコールスの頭をゆっくりと撫でながら答える。
「ビクセン・ヴィルネイス様の居所について調べていただきたいのです」
「ビクセン様?」
「はい。現在このパワールにいらっしゃることは存じ上げているのですが。
貴族の皆様はお忍びでお越しですから、私たちのような部外者にはどこにおられるのか分からなくて……」
「ご在所を調べて、どうするのですか?」
ジンクが訝し気に尋ねてくる。
「ビクセン様に会っていただきたい人がいるのです」
そう言ってアナスタシアはこれまでのことを話した。
ビクセンの隠し子だと名乗ったターセンのこと。
彼を救うために教会に助力を願ったが、反って教会によって囚われてしまったこと。
そして彼を救出する最中に、ターセンの叔父、ゴードセンたちに命を狙われていると判明したこと。
アナスタシアの話を、ジンクは目を光らせながらじっと聞き入っていたが、
「その証拠だという手紙を見せてもらえませんか?」
と言ってきた。
「……これです」
アナスタシアは預かっている手紙を見せた。
といっても、前回ガドゥに奪われた失敗から、相手に手渡さずに掲げて見てもらうだけにした。
ジンクは興味深そうに手紙を眺めている。
「私の話を信じていただけますか?」
とアナスタシアがたずねると、ジンクは腕を組んだ。
「そうですねぇ……ビクセン様が男の子を授かった、という話は確かにありましたからね。だが、その赤ん坊は不幸にもすぐに亡くなってしまった。
それがショックだったのか、奥様の体調も優れなくなり、夫婦の営みもお出来にならなくなってしまった……それがちょうど10年前の話です。
それ以来、お二人の間にお世継ぎはいない。
でも、一方でビクセン様には他にお子様がおられる、という噂もあった。
どこか遠く離れた所にかくまわれているのだと。
まぁ、後継者争いにおいて弟のゴードセン様の勢力をけん制するために、ビクセン様の取り巻きがそういう話をでっち上げてるんじゃないか、って見方が大勢でしたけどね」
「でもそれが本当の話だとしたら、いかがですか?」
とアナスタシアが言うと、ジンクは静かに少女を見つめ返した。
コールスもまたジンクの一挙手一投足に意識を集中していた。
もし、この話を信じる様子がないなら。
そしてアナスタシアを捕えて騎士たちに引き渡そうとするなら、すぐに動いて彼女を逃がさなければならない。
――そんなことは絶対にさせない!
コールスは静かに殺気を宿しながらジンクを見つめていた。
すると、ジンクはフッと笑みを漏らして
「いいでしょう。あなた方をアイレーネさんにご紹介しましょう」
と言った。
「あ、ありがとうございます!」
アナスタシアが頭を下げると、ジンクは首を振った。
「いやまぁ、最後に判断するのはアイレーネさんですからね。良い返事が得られるかについて俺が保証できるわけじゃない。
ともあれ、今のお話は俺のほうから一度アイレーネさんに報告します」
そう言ってジンクは立ち上がった。
「30分後にまた来ます。それまでに、そちらのお仲間もこちらに連れてきてください。
うちのボスは時間に厳しい方でしてね、1分でも遅れればもう会えませんので、そこのところはお忘れなきよう」
長身を翻すと、ジンクは隠し扉を開けて、暗い廊下へと消えていった。
* * *
「ジンクさん……」
呼びかけられて廊下の先を見ると、ひとりの女がジンクを待っていた。
「アイレーネさんは?」
とジンクがたずねると、
「先ほどお目覚めになって、今は湯浴みを」
と女は答えた。
「お上がりになったら、呼んでくれ。例の客人を会わせたい」
ジンクは先ほどのアナスタシアの話を、手短に女に語った。
「信用されるのですか?その者たちを」
訝し気な女の声に、ジンクは苦笑した。
「鵜呑みにはしてねえよ。けど、あいつらを探すために、騎士たちだけじゃなくて大教会まで動いてる。裏に何かあるのは間違いねぇんだ。
もし、本当にビクセン・ヴィルネイスに隠し子がいて、そいつの擁立に俺たちが一枚噛めるとしたら、公爵家相手に大きな“貸し”が作れる。
ウチのファミリーにとっちゃ、この商都で勢力を盛り返せるまたとないチャンスだ。それに――」
「それに?」
聞き返す女の声に、ジンクは一瞬迷った後、首を振って歩き出した。
「……いや、なんでもねぇ。とにかく頼んだぞ」
ジンクは飲み込んだ言葉を自分の中で反芻しながら、フッと笑みを漏らした。
――まさか、女と一緒にいた狼の“圧”におされた、なんて言えねぇよなぁ……
あの狼。
少し前に路地で会ったとき、犬のようにわしゃわしゃと撫でてやったときは、まるで別の生き物のようだった。
この裏社会で生き残るために必要なのは、何よりも「相手の強さ」を見極める力だ。
スキルで言えば“人物鑑定”に近い技術。
“人物鑑定”は本来、超レアスキルであり、会得している者は限られているが、ジンクのような者たちは“なんとなくの感覚”としてこれを経験的に体得している。
その“感覚”がジンク自身に告げていたのだ。
こいつに逆らうべきではない、と。
あれはただの狼ではないな、とジンクは感じていた。
――恐らくは獣人が覚醒しているんだろう。となれば、敵に回したら火傷じゃすまねぇ。ここは相手の意向を汲むのが無難ってもんだ。
だが、果たしてそれだけだろうか?獣人であること「だけ」が、あの狼の強さの秘訣なのだろうか?
研ぎ澄まされたジンクの感覚は、コールスの強さの秘密を“嗅ぎ取ろう”としていたが、まだ真実をつかめてはいなかった。