19.ディークソン伯爵家
盗賊の少女はなおもコールス達に狙いを定めている。
「ナーシャ、“狙撃強化”を!」
コールスが頼んだとき、
少女の後ろからもう一騎、騎馬が駆け寄ってきた。
「ルミナ!頭領が馬車に閉じ込められて動けねぇんだ、助けるぞ!」
馬上の男が少女に向かって叫ぶ。
ルミナ、と呼ばれた少女は悔しそうな表情をしたが、無言のまま矢を放つと方向転換して、壊れた馬車へと戻っていった。
コールスは剣で矢を素早く叩き落すと、彼らを見送った。
山風に脚を止めさせると、アナスタシアがマントの下から顔を出した。
「終わったの?」
「うん、そうみたい」
「そう、良か――って、コールス!血が出てるじゃない!」
「え?あぁ、ちょっと矢がかすっただけだよ」
コールスは無造作に頬をぬぐおうとするが、アナスタシアはその手を掴んだ。
「ダメよ、毒が塗ってあったかもしれないんだから!」
「な、ナーシャ!?」
「じっとしてて」
と言うと、アナスタシアは伸び上がってコールスの頬に口をつけた
「!」
柔らかな唇の感触と花のような香りが、図らずもコールスの鼓動を速くした。
アナスタシアは吸い取った血を唾とともに地面に吐き捨てると、それを何度か繰り返した。
ドキドキしながら、大人しくされるがままになっていたコールスだが、彼方から聞こえる蹄の音に頭上の犬耳が反応した。
「待って、誰か来る!」
アナスタシアを庇うようにしながら、コールスはこちらに駆けてくる騎馬を見つめた。
やがて、その姿が明らかになった。
皮鎧を身に着け、槍を手にした一人の男は、馬上から声を掛けてきた。
「貴殿らだな?我が主を助けてくれたのは」
先ほど襲われていた馬車のことだろう、と思いコールスは頷いた。
「……そうですが、あなたは?」
「私はタクトス。主が貴殿らに礼を言いたい、とのことでな。ついてきてもらいたい」
* * *
タクトスの後に従い、コールスは草原の中にある森へと入った。
小さな空き地に、一台の馬車が停まっている。
タクトスの指示で馬を降りると、コールスとアナスタシアは馬車の前で跪いた。
「お連れしました」
とタクトスが言うと、馬車の扉が開いた。
中から現れたのは、一人の女性だった。
年のころは20代半ばだろうか。
ほっそりとした顔立ちや、編み込まれた髪からは上品な雰囲気が漂っている。
「あなた方ですか?私どもを盗賊から守ってくださったのは」
優しい声に、コールスとアナスタシアは頭を下げた。
「はい、コールス・ヴィンテと申します」
「アナスタシアと申します」
すると馬車の奥からもう一人、ぬっと人影が現れた。
それはでっぷりと肥え太った男性で、アナスタシアのほうに視線をやると、
「ほぅ」
と何やら感嘆の声を漏らした。
女性は、男性のほうから紹介した。
「こちらは、ミードク=セイジュ様。私は、クレア=ディークソンといいます。あなた方の勇気ある行為に心から感謝いたします。ぜひとも、この度のお礼をしたいのですが」
「あ、いえ!お気持ちだけで結構でございます。何かいただくためにお助けしたわけではありませんから!」
恐縮する一方で、コールスは興味を惹かれていた。
ディークソン。この婦人は、アナスタシアと出会ったダンジョンの元である『ディークソン軍事研究所』を作った伯爵家の子孫なのだろうか?
そう考えていると、ミードクと呼ばれた男性はズンズンと歩み寄り、アナスタシアの前で止まった。
「あ、あの……」
戸惑った声の少女を前に、
「人間と獣人が一緒というのは珍しい。どのような関係かな?」
と、ミードクは聞いてきた。
「え!?」
「アナスタシア様は訳あって旅をしておられます。私は冒険者として、この方の護衛を仰せつかっております」
と言って、コールスはアナスタシアを庇うように体を入れた。
ミードクは一瞬コールスを睨みつけたが、すぐに表情を解くと「そうか」と呟いた。
「あの、ミードク様……」
クレアが遠慮がちに咎めると、男は笑って手を振った。そして、
「あぁ、これは失礼!なかなか見かけない取り合わせだったものでね。……そうだな、クレア様のお言葉通り、私も貴殿らに礼をしたい!ぜひ、我が屋敷に来てはもらえないだろうか?」
と、提案してきた。
「我が屋敷?」
コールスが聞き返す。
「さよう。ここから馬で半日ほどのところに、ディークソン伯爵家の城館があるのだ。まぁ、周囲の領地も含めて、今はこのミードク=セイジュの物になっているのだがな、ハハハ!」
意気揚々と話すミードクの後ろで、クレアが一瞬、沈痛な顔をしたのを、コールスは目撃していた。