第39話 鮮明な記憶
「……くそっ」
サンゼンはひとり、館の食堂で酒を飲んだくれていた。
失敗だった。できるだけ言葉は選んだつもりだったが、陽子を怖がらせてしまった。
そもそも、なんで話してしまったのだと自分を責めるが、もう遅い。
あの後、空気が重くなったところにランピィが戻ってきて、休むように言われて解散したはいいものの、もう陽子にどんな表情で会えばいいのかわからなくなってしまった。
眠気を感じて、目を閉じる。
酒の眠気に誘われるのは何年ぶりだろうか。眼を閉じると鮮明によみがえる一人のヒーラーの女性の記憶。
サンゼンと同期で入隊してからずっと一緒だった女性。
年下で小さいからと『嬢ちゃん』と呼ぶたび、いつも喧嘩していたこと。
数年後に共にパーティーに抜擢され一緒のパーティーになったことを喜び合ったこと。
いつもやつれていて、どこで覚えたのか野営のときに必ず酒を飲んでいたこと。
上官の命令を無視して、命がけで彼女を背負ったまま撤退したこと。
代替わりする仲間たちの中で唯一、終戦まで一緒だったこと。
戦争が終わっても酒がやめられず、これが最後だからといいながら毎回一緒に酒を飲んでいたこと。
陽子ほどスタイルも愛想もよくなかったが、陽子と同じ長い黒髪をした眼鏡の女性だったこと。
……そして、彼女は酒の中毒で命を落としたことを。
(そうか……俺、今でもあいつのことが……)
軍をやめ、故郷に帰って英雄のような扱いをされてもただただ空しかった。
殴ってでも、酒をやめさせていたならば、たとえ嫌われようともまだ生きていたのだろうか。
いくら悔やんでも、いくら強くなっても、いくら明るく振舞っても、彼女は戻ってこない。
陽子の旅についてきたのだってそうだ。決して強くなるために仲間になったのではない。
本当は……彼女の面影を感じさせる陽子といると、ほんの少しだけ彼女と一緒に旅をしている気分になれたからだった。
今になって自分の情けなさに目に涙を浮かべて突っ伏す。
ふと、毛布をかけられる感覚に気づいて顔を上げる。
「サンゼンさん……こんなところで寝たら風邪引くよ……?」
心配そうに自分を見る陽子を目が合った。
「……なあ、じょ……ヨーコ。まだお前に言ってない大事なことがあるんだ」
「……? 今、ヨーコって……」
「ああ。でも、これを聞いたら、きっと俺を仲間だと思えなくなると思うんだ。だからもう、パーティー抜けようと思うんだ」
「そんな……大丈夫だから……ね?」
そう言って、横に座る陽子を見て、サンゼンは力なく笑う。
「へへ……きっと後悔するぜ……」
それから、サンゼンは話した。今までの過去を。ヒーラーだった女性の話を。……そして今まで嬢ちゃんと呼んでいた理由を。
長い沈黙があった。全てを告白した彼にとっては、永遠の時間に感じられた。
その沈黙に耐えられず、サンゼンは弱弱しく言葉をこぼした。
「へへ……強くもなんともないだよ……俺は……俺は……弱い男なんだ……」
それを聞いて陽子は口を開く。
「そんなこと、ないよ。だって、そんな過去を抱えてても、私たちを笑顔にしようとしてたから」
「……今までずっと、あいつの幻影に酔っていただけだ」
「大丈夫だよ、サンゼンさんなら」
「もう、今までの様に振舞えるかわからない」
「じゃあ、中庭で言ってくれたことは嘘だったの?」
「……何のことだ?」
「『だけど、な。嬢ちゃんが危ない時は、しっかりと助けてやっからさ』……って」
サンゼンは嘘じゃないといいたかったが、言葉が喉につっかえる。
もし陽子があいつに似てなくても、同じことが言えただろうか。
「……じゃあ、あのときの気持ちだけでも教えて」
「だってよ…あの時、お前泣きそうだったから。似合うんだよ。笑顔が……」
それを聞いて陽子は小さく微笑んで、じゃあ嘘じゃないねと答えた。
彼女は笑顔が似合う。だからもっと笑顔でいて欲しい。それは紛れもない本心だった。
そんな彼女のしぐさを目で追ってふと、彼女の指に彼女の目と同じ色の紅い宝石が嵌った指輪が目に入った。
それはサンモニカの店で他でもないサンゼンが陽子のために腕相撲で得た金で買った指輪だった。
「……なあヨーコ。俺は今でも、お前の笑顔のために体を張る資格はあると思うか?」
「資格……? 私が決めることじゃないよ。サンゼンさんがどうしたいか、だよ」
「へへ……そりゃあ、許されるなら守って見せるよ。お前の笑顔を」
「あっ、でも……一つだけ条件をつけさせて? これだけは大事だから……」
「何だって聞こうじゃないか。なんだ?」
「ちゃんと皆にも私に話したことを話すこと。もちろん、メリーさんやランピィさんにも」
そんなことでいいのかと少し安堵した。
もしもあいつだったら俺にとびっきりの酒でも用意させるんだろうなと懐かしむ。
陽子は陽子であって、あいつでもあいつの替わりでもないのだとその時はっきりと認識した。
しばらく黙っていたからか、陽子は心配そうにこちらを見ていた。
「……だめ?」
「いや……ちゃんと話そう。約束する」
「よかった。それじゃあ……サンゼンさんは私に何してもらいたい?」
唐突に言われたその言葉がサンゼンは理解できなかった。
彼は混乱した。何故皆に話す約束をしたら、何してもらいたいか聞かれたのだろうかと。
「え、えっと……サンゼンさんがどうしたいかっていったのにあとで条件付けちゃったから……そのお詫び……かな? だから、私にできることだったら……」
お詫びのつもりだったらしい。少し抜けているところがあるなと思いながら、断ろうかと思ったが、ふと懐かしさがこみあげてくる。
「じゃあさ……」
中庭のベンチに座る二人。
陽子が太ももをぽふとたたいて、促すとサンゼンは陽子の膝の上に寝転がった。
「膝枕してほしいっていうからびっくりしたよ……どう?」
「悪くない、あいつの下から見上げる顔が好きだったんだよな」
そんなサンゼンの言葉に顔が見えるようにしようと、陽子は屈む。
「むぐ、むぐぐぐぐ!(息、息できない!)」
突然じたばたし始めたサンゼンを見てびっくりする陽子。
解放されてふうと、一息ついて、陽子に礼を言う。
「…ありがとうな。少しだけ懐かしい気分に浸れた。まあもう一回なんてことは無いから……安心してくれ……――」
「うん……よかった……あっ、サンゼンさん寝ちゃったのかな……起こしちゃうのはかわいそうだから、起きるまではこうしてあげようか……」
『あなたねえ…またそんなこと頼むなんて馬鹿みたいよ?』
『ま、いいわ。いつも一緒に飲んでくれる仲だし……次こそはマトモなこと頼みなさいよ!』
『次はねえよって、これ何回目だろうな』
こうして、夜は更けていくのだった。