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死神と魔眼の少女のとある日常  作者: 星澄(mietan)
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5. 死神の運命とはじまりの日常

まさか、こいつがここに現れるとはな



ユリアの家の簡素なソファーに断りもなく腰を下ろし、まるでここ家の主であるかの如く、寛ぎ始めた“時の神”ことクロードを睨み付けながら思う。


その見た目は俺と真逆。

男性神とは思えぬほどの華やかな容姿。

鮮やかな金色の髪に、明るいブルーとグリーンのオッドアイ。服装も白を基調としたモノに、品のいい装飾。その仕草一つ一つが優雅で、人間の世界で言えばどこぞの高位なご貴族さまにしか見えない。

ぶっちゃけ、“愛と憎悪の女神”であるイリーナほどじゃないが、こいつも十分に目がチカチカする部類だ。

だが、残念ながら本人の性格は、正確さと生真面目さを売りにしなければならない“時の神”でありながら、いたってマイペース。しかも、無類の笑い上戸ときており、ところ構わず発動される上戸で時の刻みをぶれさせては、何事もなかったかのようにしれっと帳尻合わせをしている、とんでもない野郎なのだ。


とはいえ、その力は絶対的で強力。


もし、天使の階級をそのまま俺たち神に準え、創造主を最高位とするならば、このクロードは間違いなく第二位に位置する。


何故ならーーーーーー……


この世界で、時の束縛から逃れられる者はいない。

それは創造主である神だろうが、天使だろうが、人間だろうが、生きとし生けるものすべてだ。そして“時”の刻みは常に平等。こいつの上戸発動による些細な時のぶれはこの際置いといて、時の刻みはある意味無情なほど平等で、その実、残酷なほど不平等でもある。


創造主は言う。

命の重さは皆同じだと。

だが、それらに与えられる命の寿命とも言うべき時間は、あまりに違いすぎる。もちろんクロードが直接その命の時間を、それぞれの命に割り振ったわけではない。言うまでもなく、それをしたのは我らが創造主だ。


この箱庭の世界にとって必要である命。

この箱庭の世界にとって必要である時間。


創造主にとって、都合のいいだけの時間を、それぞれの命に命の寿命として与えた。

ただ、この箱庭の世界で刻み続けるその時間を監視し、統べているのが“時の神”であるクロードなのだ。そのふざけた残念すぎる性格はともかく…………。

ゆえに、死神である俺は例外として、創造主が“創造と破壊の神”であり、イリーナが“愛と憎悪の神”であるように、神々がそれぞれに対極の力を宿しているのであれば、このクロードは“平等と不平等”の力を宿す神となる。


とまぁ、話はかなり脱線したが、ならば“平等と不平等”を力として持つこの“時の神”であるクロードが、先程の告げた言葉ーーーー……



『鐘は“時”の訪れを告げるもの。そう、今まさに、ルークとユリアに“知るべき時”が訪れたということだよ』



ーーーーが意味するところは、俺たちにとって是か非か、それとも……………


睨み付けること暫し。

それでもクロードは涼しげに俺を見つめて、急にあれ?とばかりに首を傾げた。


「ねぇ、もしかして……いや、もしかしなくても、俺の気のせいとかじゃなく、今のルーク、実体化してるよね。ルークの中に“命の時間”を感じることができる……し?」

「それがどうした」


俺からの冷ややかな返しに気を悪くするでもなく、むしろ不思議そうに俺を眺め、それから俺の背から不安そうにクロードを窺うユリアへと視線を落とし、今度はその視線をテーブルに向けた。

もちろんそこには、食べかけの朝食。そして、さすがに呑気に飯を食ってる場合じゃないと、スープ皿から嘴を離し、こちらの動向を見守るカラス。その黒く小さすぎる背には、新な神の登場におっかなびっくり中の精霊たちが控えている。

その光景に、クロードは何かを納得したらしく、ふむと目を細め「記憶がなくとも……なるほどね………」と独り勝手に呟いてから、ようやく俺へと視線を戻した。


「つまり、俺はお邪魔ってことかな?」


こちらが拍子抜けするほどの素朴な疑問として投げられた問いかけ。

しかも、忌々しいほどの悪びれ一つない笑顔付き。

こうなれば、今度は俺がそれに目を細める番だ。感心でもなく、微笑みでもなく、それらとは明らかに真逆の意味合いを込めて。


「ほぉ、ようやくそれに気づいたか」

「気配り上手と言ってくれるかな?」

「誰がだッ!これだけタイミング悪く出て来ておいて、“時の神”が聞いて呆れるわッ!」

「いやいや、俺が計ってるのは“時間”であって、“タイミング”じゃないから」

「黙れ!その“時間”ですら、持病の上戸でぶれさせまくってるくせに、計るならもっときっちりと計りやがれ!」

「心配ないよ。誰にも気取られることなく行う細やかな修正は、ちょっとした俺の腕の見せ所……」

「見せる腕が根本的に違うッ!」


はぁ~~~~……と、ここぞとばかりに、それはそれは盛大にため息を吐いてやる。

前々から思っていたが、こいつと話すととにかく疲れる。打っても響かないとは、まさにこいつのことだと心底思う。とはいっても、反応がないわけではない。こちらの求める反応と、とことん噛み合わないだけだ。

よくもまぁそんな奴が、先程の鐘をよくぞ鳴らせたものだと、どうでもいい感心までしてしまいそうになる。

とはいえ、鐘は鳴った。

正確に言えば、鐘は鳴らされた。

こちらの都合など一切関係なく、ただただ自分本位に……………


“時は今、来たれり”とーーーーーー……


時の束縛から逃れられぬ身からすれば、不本意だろうがそれを受け入れるしかあるまい。

だいたいカラスからも“ようやくその時が来ましたからね”と、既に昨日、あの壮絶な悶絶中に知らされており、こちらの覚悟はとうにできている。

それにいい加減、俺の身体を好き勝手に駆けて抜けていく痛みに対し、素知らぬ振りを続けるのも限界に近い。いくらカラスの指示で、目の前の案件を棚上げにしようとも、己の頭上にデカデカと頭上注意の貼り紙付きでその棚がある以上、忘れたくとも忘れられないというのが本音だ。

つまり、頭上の棚から我が身に降りかかってくるのを待つか、その前にカラスから懇切丁寧に説明されるか、満ちた“時”によって否応なしに知らされるか、結局同じ悶絶を味わうのであれば、俺の選択肢として棚からの落下だけは絶対にあり得ない。いつ落下してくるともわからない危なっかしい棚など、頭上に仕掛けられた爆弾と同じだ。ならば……………


身体中の空気をすべて吐き出す勢いでため息を漏らし尽くした後、仕方ねぇなと視線を上げ、クロードに向けた。が、さっきまで優雅に腰かけていたソファーに肝心のクロードがいない。おいおい、どこへ行きやがったと視線をスライドさせていくと、しおしおと柱時計へと向かって歩いていくクロードの背中を見つける。


「おい!こら、待て!しれっとどこへ行く気だッ!」


と、咄嗟にその背中に問えば、「ごめん。出るタイミングを間違えたから、やり直すよ。ほら、修正はお手の物だからね」などと、この期に及んでふざけたことを抜かす。

しかしそれを聞いて一番慌てたのは、俺ではなくユリアだ。


「あ、あ、あの……恐れ入りますが、えっと…“時の神”さま!」


ユリア自身、どう声をかけていいのか、戸惑いながらの声かけ。それに足を止めたクロードは、


「クロードでいいよ。で、何かな?ユリア」


と、苦笑と微笑みをその麗しき顔に均等に織り交ぜ返す。それにペコリと一礼したユリアが、その先に続く質問を言いづらそうに口にした。


「クロードさま……ま、まさかとは思いますが、ウチの柱時計にお戻りになられるおつもり…でしょうか?」

「うん、そのおつもりだけど?ダメ?」


さも当然とばかりに答えるクロードに、ユリアの困惑が益々色濃くなり、「ダ、ダ、ダメでは…ないですが……その………」とゴニョゴニョ呟き、終いには口籠ってしまう。クロードはそれに「はて?」と首を傾げ、俺もまた、これ以上なく真っ赤に色づいた顔を隠すように俯いたユリアを、まじまじと見つめた。


怪訝…………。

たぶん今の俺を表す言葉は、これが一番しっくりくると思う。だが、どういうわけか、ユリアのモジモジとした様子に、俺の中でモヤモヤとした名前も定かではないモノが駆けずり回る。全身を駆ける痛みとは別の何か。しかし、不快であり、不愉快である何かだ。

そのモヤッと存在に、俺の機嫌は底無しの急降下を辿りながらも、俺の視線は一向にユリアから離れようとはしない。それどころか、チラチラと困ったように、クロードと柱時計の間を往き来するユリアの視線を、腕か何かで遮ってやろうかとさえ考え出す始末だ。そして、ふと思い出す。

つい先程も、これに似た感情を持て余したばかりだったなと…………。


隠しきれない男の欲をぶら下げ、ユリアと暮らしたいとやって来た人間の男。突如湧いた俺の存在に嫉妬で身を焦がし、ユリアにその激情をぶつけた。その男を前にして、俺の中に渦巻いていたモノは、この正体不明のモヤモヤ感と男への剣呑だった。

もしかしたら、俺の中にあるモノもまた、この男の嫉妬と同一のモノなのかもしれないとも考えてみたが、正直なところ、そうだとも、違うとも言い難い。

何故なら、このモヤモヤは今の俺自身が自ら抱えているモノなのか、かつての俺がそうさせているのか、自分でも判断がつかないからだ。


今の俺はユリアのことをほとんど知らない。

だが、かつての俺はユリアのことを知っている(らしい)。


本来であれば、一本の線上にあるはずの今とかつての俺が、見事なまでにスパッと真っ二つに分断されているせいで、自分の感情ですら今のモノなのか、過去からのモノなのか、もはやわからなくなってしまっている。

もちろん今の俺が見つめるべき想いは過去ではなく、今だ。

今のユリアを守ると決めたのも、かつての俺ではなく今の俺。

とはいえだ。改めて考えてみると、死神である俺が、いくら魔眼であるとはいえ、ただの人間の少女に持つ感情として、些か……いや、かなり、とんでもなく、複雑すぎるような気がしてならない。

それは当然のことながら、昨日、今日で複雑化したわけではなく、過去からの因果によることは明白だ。しかも、その根っことなる過去の記憶がないために、今の俺にはこの複雑に絡み合った感情を、解きほぐす糸口さえも見つけられそうにない。

そもそもだ。過去の俺はこの複雑極まりない感情の名前を手にしていたのだろうかと、新な疑問までがポッカリと浮上し、さらに俺を懊悩煩悶とさせる。


まぁ、いずれにせよ、この答えがそう易々と出るとは思わんがな…………


と、半ば諦めにも似た想いを重しとして、結局このモヤモヤ感と疑問をなんとか腹の底に押し沈めることにする。そしてどうやら、そんな事を俺が悶々と思い耽っている間に、ユリアの腹も決まったらしく、再び真っ赤な顔を上げ、クロードを真っ直ぐに見つめると、口籠っていた言葉を一気に吐き出した。


「ク、クロードさまは、ウチの柱時計にお住まいなのですか?」

「「はい?」」


不覚にも揃ってしまった俺とクロードの声。さらには…………


「「………ぷはッ!」」


これまた不覚にも、同時に吹き出してしまう。

案の定、クロードはそのまま床へと沈み、暫く上戸で再起不能となるのは間違いない。俺はというと、辛うじて床には沈まなかったものの、腹を抱えての悶絶だ。


「ちょッ……ルークさまも、クロードさまも笑い過ぎですッ!」


という、ユリアの羞恥によるお怒りの声が聞こえてくるが、どうにもこうにも、こればっかりはどうしようもない。

ちなみに、クロードはユリアの家の柱時計を、決して住処などにはしていない。確かにクロードはこの柱時計からふざけた状態で出てはきたが、“時の神”であるクロードにとって、この柱時計は出入口の一つであって家ではないのだ。とどのつまり……………


「ユリア、クロードさまは常に“時”の中を移動する。そのため時を刻む時計は、クロードさまにとって“時”への入口であり、出口なのだ。なにもその柱時計に住んでおられるわけではない。今日は偶々そこからお姿をお現しになっただけだ。だから、ユリアが心配するようなことは何もない」


こんな時でも、真面目くさって説明できるカラスにもはや尊敬しかないが、内容的にはまったくその通りなので、俺はただただ笑いこけながらうんうんと頷く。そんな俺とは違い、ここぞとばかりにしっかりと反応してくるのは精霊たちだ。


「あの時計に住んでないんだって」

「出てきただけなんだって」

「だから心配ないって」

「よかったね、ユリア」


羞恥の渦中にいたユリアも、カラスの説明にようやく疑問が解消し、精霊たちの言葉に僅かではあるが安堵も手にしたようで………


「よ、よかったです、もしウチの柱時計にお住みだったとしたら、今まで遠慮なくはたきで埃を払ったり、雑巾で拭いたりと、失礼なことばかりしていたな…と思いまして……す、すみませんッ!で、でも、お二人ともさっきから笑い過ぎですからッ!」


と、真っ赤な顔をさらに熟れさせ、涙目になりながらも、言い訳ならぬ弁解と文句を俺たちに対して必死に並べ立ててくる。それが、余計に可笑しくて、無性に可愛く思える俺は、どうしようもなく過去の感情に引っ張られているのかもしれない。

それでも腹に沈めたモヤモヤが霧散していることに気づき、俺の底無しに急降下中だった機嫌も、あっさりと上昇気流に乗る。そして、俺の手は自然とユリアの頭に向かった。


「悪い悪い……そう膨れっ面になるな」


ユリアの頭で跳ねさせる手。実体化しているせいか、その感触さえも、温かみと優しさに包まれる。

そんな俺の突然の行動に、ユリアは小さく身体を跳ねさせ、一瞬目を瞠った。しかし、その空色の瞳は何かを懐かしむようにキラキラと光を伴って揺れ、今度は緩やかに弧を描き細まっていく。そしてそこには膨れっ面から一転、まるで可憐な花が咲いたかのような満面の笑み。


あぁ、クソッ!


笑顔を向けられ、内心で悪態を吐くなんてどうかしていると思う。自分でもどうかしていると思うが、今はどうか許してほしい。

ユリアの笑顔に大きく脈打った俺の身体。防ぎようもなく、脳天から貫いた痛み。

素知らぬ振りをするにはかなり無理がある、過去からの自己主張。


うるせぇ!わかってる!一々痛みで主張してくるなッ!


いくら身に付いた仏頂面でも、限界突破の激痛に平然としていられるほど、鉄壁ではない。ゆえに、それを悟られないようにするため、俺は咄嗟にユリアから目を逸らす。


「ルークさま?」

「…………なんでもない」


痩せ我慢もここまできたら、一級品。既に昨日、無様な姿を晒しているとはいえ、そう何度も晒せるほど俺のプライドも安くはない。それに………………


かつての俺が見ていたかもしれない笑顔。

今の俺には痛みしかない笑顔。


その事実が何よりも口惜しい。しかしそれも、もう暫くの辛抱だと、未だ床で俺とは真逆の悶絶を繰り返しているクロードに目をやりながら、やれやれと痛みをため息に綯い交ぜて吐き出した。そして背中越しにユリアに伝える。


「ユリア、クロードはあぁなると長い。今のうちに飯を食っちまうぞ」

「えっ?」

「心配しなくても、クロードは柱時計に住みつきゃしないよ」

「も、もうわかってますッ!」


慌てたように返されるユリアからの返事。それを背中に受けて、俺はクククッと笑う。きっとユリアの顔はまたもや紅く染まっているに違いない。敢えてそれを確かめることはせず、俺はさっさとダイニングテーブルへと戻った。

目の前のテーブルには、すっかり冷えたスープと食べかけのパンケーキ。綺麗に膨らんでいたはずのパンケーキも、今は心なしか空気が抜け、萎んでしまったように見える。そしてその斜め前には、俺よりも一足先に食事を再開し始めたカラスが一羽。


「ルークさま、スープを温め直しますね」

「あぁ、悪いな……」


と、スープ皿を引き上げて行ったユリアの背を頬杖をつきながら見送り、その視線をそのままカラスへと投げる。もちろん文句付きで。


「おい、カラス。あんな奴が出てくるなんて俺は一言も聞いてねぇぞ」

「私も聞いておりませんし、言ってもおりませんよ」

「だが、このタイミングで出てきやがったってことはつまり………クロードも知ってるということでいいんだよな」

「えぇ、ご存知です。おそらく私の説明を捕捉するために、わざわざ来て下さったんでしょうね」

「そんな親切な野郎とはとても思えないけどな」

「でも、嘘だけは仰いませんよ。それがクロードさまですから」


確かに…………

“時の神”が大嘘つき野郎では世界は大混乱だ。


「それにしてもやはり“時の神”さま。“時”を読むのはお上手ですね」

「“タイミング”を読むのは下手だがな」


などと言いつつ、食いかけのパンケーキの皿を軽く持ち上げてやると、カラスも納得したように項垂れる。


しかし、時は来た。

記憶がないため、とてもその“時”を待ち望んでいたとは言えないが、それでも今はその“時”の到来に、柄にもなく気持ちが逸って仕方がない。


最善か最悪かーーーー俺にとってこの“時”の到来はどちらに転ぶかはまさに神のみぞ知る……ってところだが(クロードだがな)、たとえその“時”の先に最悪が待っていようが、それはまたその“時”に考えればいいことだ。


ま、なんとかなるだろ


面倒なことはあっさりと棚上げする性格を、ここでも遺憾無く発揮し、コトコトと台所から聞こえてくるスープを温め直す音に、耳を澄ます。

実体化し、初めて知った温度と匂いと味に、俺の腹も再び催促を始めたようだ。


「さて、先ずは食うか」


目の前には冷えたパンケーキ。それでも味は申し分ないはずだと、俺は再びフォークを突き立てた。





結果から言って、俺たちは思いの外ゆったりと朝食をとることができた。

理由は言わずもがな、クロードが上戸からなかなか復活しなかったためだ。まぁ、否応なしに聞こえてくる引き攣り笑いが気にならなかったと言えば嘘になるが、そこは勝手に一人で引き攣らせて悶えてろってなもんだ。

それでも途中、生まれたての小鹿のように、小刻みに震えながら床を這うクロードを気にして、何度も席を立とうとするユリアを「大丈夫だ。気にすんな」と呼び止めたのは数回。その度にパンケーキだけでなく、正体不明のモヤッとしたモノまで呑み込むことになったが、パンケーキの味になんら支障はないので、そこも“ヨシ”と流し、俺なりにこの朝食の時間を楽しんだ。


で、本題に戻る。

そして、クロードもヨロヨロとソファーに戻る。

実体化もしてねぇくせに、上戸になっただけでこちらが呆れるほどのへばりようだ。

それでも、相変わらずのスマートな立ち振舞いで、優雅に座ってみせるところは本当に恐れ入る。まぁ、笑えるくらいの涙目ではあるが…………


「それじゃあ、そろそろ話してもらおうか」


こちらもダイニングテーブルから引き抜いてきた椅子を、クロードの前に二つ並べ陣取る。

自分の家の椅子にもかかわらず、そこにちょこんと申し訳なさげに腰をかけたユリアとは違って、俺はでんと腕と足を組んで座り、さっさと話せとばかりにクロードを見据える。ダイニングテーブルから、クロードが座るソファーへと飛び移ったカラスに対しても然りだ。

しかし相手は、打っても響かないこのクロード。


「その前に一つ確認なんだけど……ねぇ、サリュエル。今、どうしてここにいるのかな?」

「はい?」


クロードからの突然の問いかけに、カラスの首がどこまで回るんだという角度までクリリと回り、はて?と首を傾げた。が、それも刹那ーーーーーー……


「“神様の啓示”ッ!」


それこそ神からの啓示の如く舞い降りた答えにそう叫び、真っ黒な顔が真っ青に見えるほど、カラスの血の気が音を立てて一気に引いた。ついでに、タラタラと流れる冷や汗まで見えてきそうなほどの焦りようだ。

それはそれは”表情筋が乏しいくせに器用な奴め”と感心してしまうくらいに。とはいえ、どんなにカラスが鳥類最速で向かったとしても、“神の啓示”の時間に間に合わないことだけは間違いない。一言でいうなら、御愁傷様だ。

そんな中で一人置いてきぼりだったユリアが、こちらもコテンと首を傾げ不思議そうに呟く。


「“神様の啓示”?」


俺はそれに苦笑して、一先ずざっくりとした説明だけをしてやることにする。


「所謂、一日一回行われる創造主からの有難~いお話だよ。それをそこのカラスは呑気に飯を食ってて、行きそびれたってわけ」

「そ、それ大丈夫なんですかッ!あとでとんでもないお仕置きみたいなこと………」


これまたカラス同様、顔を青ざめさせるユリアに、いつものように精霊たちが纏わり付く。


「カラス、サボりだね」

「でもユリアが心配することないよ」

「有難~いお話が聞けなかっただけ」

「ルークさまのお仕事がお休みになるだけ」

「ルークさまよかったね」


どうもおかげさまで晴れて休みです………と、精霊たちの言葉に、頭を下げるべきなのかどうかはともかくとして、このままいけば俺の仕事は当然臨時休業だ。なんせ、仕事を持ってくるべきカラスが、今、手ぶらでここにいるのだから、そりゃそうなるだろう。

そんなわけで、おい、どうすんだ?とカラスに向って投げる視線。


「ルークさまぁ!どうしましょうッ!」


俺の視線の意味を的確に読んだカラスが、焦りのせいでその解決策ではなく、動揺だけをこちらに返してくる。いやいや、質問を質問で返すなよと言いたいところだが、俺もそこまで酷ではない。


冗談抜きで、ほんと、どうするかな………これ


生真面目なサリュエルにしては痛恨すぎるミス。

俺としては休めてラッキーと思えなくもないが、実際問題として、ユリアの母親のような、醜悪の衣を纏った魂がどこかにいるなら、それはそれで放置はできない。だからといって、いるかもわからないモノを方々探し回る気にも到底なれない。というより、まず不可能だ。つまり、どうかそんな魂が今日だけはいませんようにと、全身全霊で天に祈るしかない。

死神としても、大天使としても、なんとも情けない話だが、俗にいう“神頼み”ってヤツだ。


うん、これはマジで笑えない……………


ちなみに、この“神様の啓示”という御大層なネーミングの日課だが、実のところ、毎日決まった時間に従者である天使を集めて行われる、創造主の呟きとボヤキにすぎない。

言い換えるなら、箱庭観賞中である創造主の盛大な独り言。

したがって、創造主は天使たちに“あそこのアレを何々してこい”とハッキリキッパリ命じるわけではない。“あそこのアレが気になるなぁ”と、薄ぼんやり匂わす程度に呟くだけだ。しかし、従順な天使どもはそれを的確に拾い上げ、それぞれの仕事として持ち帰ってくる。

そう、昨日までは皆勤賞だったウチのカラスのように。


「あぁぁぁ~~~ッ!私としたことがぁぁぁ~~~ッ!」

「カラスッ!喚くなッ!叫ぶなッ!うるさいッ!」

「でもルークさまぁ………」


完全に泣き顔のカラス。

ったく、こいつは………と苦笑を零しつつ、死神らしくないことを……いや、俺らしくないことを口にする。


「クロードの話が終わったら、俺がちょっくら上に行ってくる。ま、創造主相手に“もう一度呟いてください”とはさすがに言えねぇが、最上からこの世界を見れば、この俺でもそこそこの範囲は見えるだろ。というか、何か感知できるかもしれねぇしな。ま、取り敢えず今は、路頭に迷った魂がいないことでも祈っとけ」

「それって………ルークさま自ら、天に行ってくださるんですか……」

「しょうがねぇだろうが」

「ルークさまぁぁぁぁぁぁ~~~」

「………はいはい」


今度は感無量の涙を零し始めるカラス。しかも、「あぁ……幾千年、ルークさまの無理難題に付き合い、ここまでこうしてお仕えした甲斐がありました」と、人聞きの悪いことまで漏らしながら、黒い羽を器用に目にあてがい泣き濡れ、そのせいでユリアまでもが、もらい泣きをし始める始末だ。


おいおい……ちょっと大袈裟すぎやしねぇか?

俺はどんな風に思われてんだよ………っていうか、俺がお前にどんな無理難題を押し付けたって言うんだ


確かに、呼び出されでもしない限り、俺が自らの意志で天に戻ることはまずない。他の神連中とは違って、そこに住まうための家を持っているわけでもないし、そもそもすべてがキラキラと輝いて見えるあんな場所は、目がチカチカするだけで、俺の性にまったく合わないからだ。

しかし、現時点で方法がこれしかないのなら、背に腹はかえられないわけで、これ幸いと休みを決め込むほど、俺も無責任ではない。

かなり、とんでもなく、滅茶苦茶、面倒ではあるが…………


ということで、なんとか解決策を見出し、俺たちの慌てっぷり(主にカラス)を、高みの見物で眺めていたクロードに「待たせたな」と一言付きで視線を戻す。するとそこには……………


「い、い、いや……待って……な…い……よ」

「………おい、ユリアはいいとして、なんでお前まで泣いてる……」

「だってさ……サリュエルの今までの苦労が報われたんだと思うと…なんだか…俺も無性に…嬉しくてさ。我が儘な神の下に付くと大変だよね……うんうん…よかった……本当によかった」


と、感涙に咽ぶクロードがいた。

先程、こいつのことを“打っても響かない”と称したが、少しばかり加筆修正が必要だ。

そう、先にも述べたが反応がないわけではない。こちらの求める反応と、とことん噛み合わないだけだ。だが、響かなくてもいいところでは、頓珍漢な方向に傍迷惑なほどガンガンと鳴り響く。こちらの頭が痛くなるほどに…………。


「わかった……わかったから、さっさと泣き止め。そして話せ!今の話、聞いてたんなら、わかるだろ!俺は忙しいんだよッ!」

「いやはや、ルークの口から、忙しいなんて言葉が聞けるとは夢にも思わなかったよ。五百年の時を越えてようやく目覚めた死神は、やっぱり一味も二味も違うね」

「お前な…………」

「まぁまぁ、睨まない睨まない。それはそうとさ、たぶんサリュエルがルークにかかりっきりで、“神の啓示”のこともスコーンと忘れてると思ったからね、ウチのカミエルに、サリュエルの分も聞いてくるように伝えておいたよ。あぁやっぱり、俺って気配り上手だよね。そう思わない?」

「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ?」」


同時に目を剥く俺とカラス。ユリアのもらい泣きも見事に吹き飛び、その目は真ん丸だ。


「もちろんお礼はいいよ。俺は元々狭量じゃないからね。というわけだからさ、心置きなく話といこうか」


ソファーで悠然と足を組み、婉美に微笑んだクロード。そのオッドアイの瞳には既に涙の跡はなく、悪戯な光を含ませ、妙に愉しげだ。

対するこちらは、カラスは呆然、ユリアは唖然、そして俺は憤然。“時の神”として、さっきカラスと交わしたやり取りの時間を、丸ッとそのまま全部返しやがれと、口を衝いて出そうになる。が、ここは自制だ。俺もここでキレるほど決して狭量ではない。なので…………


「だったら、とっとと話しやがれッ!」


と、穏やかさとは程遠い口調で告げ、話を聞いたら即刻叩き斬ってやると心に決めた。




それは今から約五百年前ーーーーー……

とある神と、魔眼を持つ少女の出会いと約束の物語。


「その神の名前は“ボブ”………」

「ちょっと待てッ!」


いきなり話を止めてしまったが、ここは致し方ないと許して欲しい。

なんでよりにもよって、とある神の名前が“ボブ”なんだという疑問が、肝心な話の邪魔をする。

念のために言うが、“ボブ”という名前が決して悪いわけではない。いい名前だとも思う。ただ、少しばかり“神の名”としてどうかと思うだけだ。そのため、この先に続いていく話を違和感なく聞くためにも、初っぱなから話の腰を容赦なくへし折って悪いと思うが、取り敢えず問うことにする。


「その神の名前は本当に“ボブ”というのか?」


それに答えたのはクロードではなくカラスだ。


「そんなことあるわけございません。きっとクロードさまが、適当にお名付けになったのでしょう」


などと言いながら、カラスは隣に腰かけるクロードを見やる。そのクロードはというと、少し肩を竦めてみせたものの、涼しげな顔は健在だ。それに軽くため息を吐いてから、カラスは俺へと向き直り続けた。


「“ボブ”という名前の選択センスについては、ここでは触れないでおくこととして………」

「おーい、サリュエルくん?」


すかさずクロードの異義を唱える声が入ったが、当然の如く聞き流し、カラスは嘴は開く。


「しかし、このクロードさまの判断は非常に正しい。私もルークさまにどうお話したものかとずっと考えておりましたが、ただの絵空事として聞くのが一番だと思われます。したがって、この話をお聞きになる注意事項として、これはとある神、“ボブ”の話であって、ルークさまの話ではないということを、自己暗示なさいませ。そうしなければ、激痛で話を聞くこともままなりません」


なるほどな、そういうことか………と、納得だ。

カラスの言うとおり、“ボブ”という名前の選択センスにはこの際、思いっきり目を瞑るとして、“俺の知らない誰かの話”として聞けば、記憶を擽られることも、その度に激痛に見舞われることも、幾分か緩和されるに違いない。しかしながら、そう簡単に自己暗示をかけられるのかと問われれば、俺もそこまで器用ではないため、これはあくまでも予防策であって絶対ではない。


ま、ある意味……“神の名”とは縁遠そうな“ボブ”で正解かも知れんな。クロードのセンスはともかく…………


と、息を吐くようにフッと笑みを漏らし「悪い、続けてくれ」と、今度こそ静かに耳を傾けた。



“ボブ”という名の神がいた。

その神の権能は“光と闇”。

その力は、他の神々の力をも凌ぎ、悪魔どもさえも恐れ慄くほどに強力で膨大。ゆえに、その秀麗な見目とその圧倒的な力により、この世界の創造主である神からも、最も愛されし神であった。

しかしボブの性格は、神らしからぬほどに、自由で気まま。そのためボブは、天ではなく、地に我が身を置いた。整然と堅苦しい天よりも、たとえ泥臭くとも、必死に生きようとする人間たちの方が、自分は好きなのだと。

だからこそ、気づいた。この場合、気がついてしまったと言うべきかもしれない。

この箱庭の純粋な鑑賞者でもあり、創造主である絶対的な神でさえも見落としていたある存在に……………。


創造主が忌み嫌う“魔眼”。

それは、“この世界の真実を見通す目”とされるモノ。

創造主は常々、我々創造主の“子”である神々に、“魔眼を持つ者がこの世界にあれば、即排除せよ”と、命じていた。

正直なところ、その意を推し量ることはできても、何故、排除までしなければならないのか、その真実までは誰にもわからない。何故ならば、魔眼を持ち、真実を見通すことができたとしても、その者は恐れるに足らぬ力なき“愛玩人形”の人間に過ぎないからだ。

だが、この世界の傍観者であり、人間という“愛玩人形”を純粋に鑑賞するだけの創造主が、唯一絶対的命令として我らに下したモノ。ならば、それをどんなに不可解に感じようとも、どれだけ己の意に沿わなかろうとも、我々はそれに従うしかなかった。

とはいえだ。幸いにも、我々はこの世界で“ソレ”を見たことはまだ一度もなかった。存在するのかさえ、怪しいと心密かに思っていた。

しかしボブは、“ソレ”を持つ者を見つけた。いや、見つけてしまった。

今に思えば、見つけるべきではなかったのかもしれない。だけど、ボブはその出会いを運命だと思った。

錆び付いていたこの世界の歯車が、ようやく音を立てて動き出したのだと、強くそう感じた。




「運命……ですか………」


クロードの口から出た“運命”という言葉をユリアがそっと拾い上げ、甘い独り言としてその唇に乗せる。

横顔でもわかるほんのりと色付いた頬。

前世への懐古の情と、ちょっとした陶酔。

そりゃ、“運命”なんて言葉を聞けば、お年頃のうら若き乙女なら、おそらく皆そんな反応になるに違いない。

しかし、そんなユリアの横で俺は、絶賛身悶え中だ。どうしようもなく襲いかかってくる痛みと、全身の毛穴から噴き出す勢いで込み上げてくる羞恥のせいで………。

それに気づいたユリアが、ピンク色だった頬を瞬時に蒼白へと変え「大丈夫ですか?ルークさま!」と、俺の傍に寄ろうとするが、それを手と言葉で制する。


「全然…大丈…夫………」


………………………ではない。

これは“ボブ”の話、これは“ボブ”の話、これは“ボブ”の話と、何度も呪文ように唱え自己暗示をかけてみるが、どうやら俺にはそっち方面の才はないらしく、まったくもって“ボブ”効果は皆無だ。しかも、痛みだけでなく羞恥までもが一緒になってこの身体を駆け巡るため、身の置き場にも困る。

その困惑と苦痛と羞恥を苛立ちに変換し、目の前のクロードを八つ当たり気味に睨んでみるが、それに怯えるわけでもなく、心配してくれるわけでもなく、困り顔で俺を見つめてくるだけで、俺の渾身の睨みですらその効果はまるでない。それどころか…………


「ルーク、これは“ボブ”の話だと言ったろ?何もお前が、痛みと恥ずかしさで悶絶する必要はないんだよ」


と、容赦なく返り討ちにされる。

んなことはわかってるッ!と往生際悪く返してやりたいところだが、今はその声さえも出せそうになく、馬鹿の一つ覚えのようにただただ睨み返すだけだ。

そんな俺に、「やれやれ………」と横に首を振りながらクロードは深いため息を吐くと、その視線をサリュエルに向けた。


「サリュエル、これはダメだね。ここから先の話は、一旦サリュエルにお願いするつもりだったけど、ルークの奴、痛みより先に羞恥の方で死んじゃうかもしれないよ」

「こう見えて、ルークさまは照れ屋さんですからね」

「ルークが照れ屋さんねぇ………」


などと呟きながら、クロードが俺をまじまじと見つめる。その周りでは、いつの間にかすっかりクロードにも馴染んだ精霊たちが飛び回り………


「ルークさまは照れ屋さん」

「照れ屋さんは恥ずかしがり屋さん?」

「そうそう、照れ屋さんは恥ずかしがり屋さん」

「じゃあ、ユリアと一緒だね」

「そうだね。ユリアとルークさまは一緒だね」

「でも、恥ずかしがり屋さんのユリアは可愛いよ」

「ルークさまの真っ赤なお顔も可愛いよ」

「うんうん、すご~く睨んでるけど可愛いね」


と、俺を形容する言葉としては、あり得ない単語まで飛び交っている。もう俺の死神としての矜持も木っ端微塵の粉砕だ。

だが、照れ屋とか、恥ずかしがり屋とかはともかくとして、このままこの話を聞かされ続けていれば、俺は間違いなく羞恥で死ねる。というか、死にたくなる。

いくらこれが“ボブ”の昔話だと自分に言い聞かせようが、この身体を縦横無尽に貫く痛みが、この話は紛れもなく俺自身の過去だと主張してくるのだからどうしようもない。


「クロードさま、ルークさまの痛みをすぐにでも取って差し上げる方法はないのですか?」


俺から制されたために、その場でオロオロと俺の様子を不安げに見つめたユリアがクロードに問いかける。

それに「う~ん……」と低く唸ってから、クロードは徐にその口を開いた。


「ないわけじゃないんだよ。かなりの荒療治とはなるんだけどね」

「荒療治……」

「まぁね。それに、その荒療治ですべての痛みが取れるわけじゃない。痛みの一つが取れるだけで、少し緩和させる程度なんだよね」


そう答えながら、クロードの視線は俺とサリュエルの間で静かに揺れる。そして………………


「サリュエル、ここはやっぱり荒療治しかないのかもしれないね」

「しかし、それではッ……」

「そうだね。残念ながら、今のルークにはまだ斬れない。だからこそ少しばかり昔話でもして、封じられた本来の記憶と、上書きされた偽りの記憶の輪郭だけでも気づかせてやろうと思ったけど、ちょっとこれでは無理そうだ。それにさ、ルークじゃなくても、覚えてもない過去を誰かに聞かされるなんて、羞恥以外の何者でもないよ。この俺だってたぶん軽く死ねるね」

「確かにそれはそうですが………」

「だったらさ、自分の記憶を誰かから赤裸々に教えられるより、自分の手で取り戻したほうがいいはずだよ」

「もちろんそれはわかっています。しかし、そんなことをすればクロードさまが………」


何か言いかけたカラスの嘴を、クロードが微笑みで止める。俺はそれを苦痛の中で見つめながら、ゆらりとソファーから立ち上がったクロードをそのまま目で追った。そこには相変わらすの涼しげな笑顔。


「ねぇルーク、聞いた通りだよ。お前も嫌だろ?痛みはともかく、羞恥にも堪え続けなきゃならないのはさ……」

「まぁな……で、どうする…つもりだ?」

「ん?荒療治をするって言ったろ?この話を一から順を追って語って聞かせるのは無しだ。まずは結末から話すことにする」

「結末……?」

「そうだよ。五百年前のバッドエンドな結末からね」


そう告げて、クロードはゆっくりと俺との距離を詰めてくる。そして、椅子の上で両腕を抱え込むようにして悶える俺の前で足を止めた。

俺の頭上から降ってくるクロードの視線。

その視線を俺に固定したままで、クロードはユリアに告げた。


「ユリア、少し俺たちから離れててくれるかな」

「クロードさま、本当にルークさまの痛みは緩和できるのですか?」

「たぶんね。ま、心配しなくても殺しはしないよ」

「殺ッ………」

「ふふっ……ユリアは心配性だね。たださ、痛みを取るためには、それ相応の覚悟がいるんだよ。ルークも俺もね。だからさ、これから何が起ころうとも、黙って見ててくれるかな?俺のことを、そう簡単に信じられるとは思わないけどさ、何より大事なルークを助けるためだと思って………」


自嘲にも聞こえる笑いを零して、クロードはここでようやくユリアへとその視線を向けた。が、すぐにその目を大きく瞠ることになる。

まるで自分を射抜くように向けられる、真っ直ぐな空色の瞳。薄く膜を張る涙の水面が、さらにその瞳に光を与え、クロードを捉えて離さない。そして…………


「私はクロードさまを信じます」

「えっ?」

「クロードさまは必ずルークさまを助けてくださる。私はそう信じます」

「………………」

「だから、今の私にできることが、ただ見ていることだけなら、私は決して目を逸らさず、最後までそれを見届けます」


ユリアの口から発せられた迷い一つない言葉。

それらに、益々丸くなるクロードのオッドアイ。

その目が限界まで見開かれた瞬間、クロードは堪え切れないとばかりに、盛大に吹き出した。所謂、持病の上戸発動だ。


「ど、どうして……ここで上戸?」

「ご、ご、ごめん…ごめん………でも……さ、人がいいっつーか………なんてゆーか……ほんと今更だけど…あの時のルークの気持ちが少し……わかったような気がする……よ」

「ルークさまの……気持ち?」

「いや……だからね………」

「クロードッ!」


記憶はなくとも、嫌な予感だけはしっかり湧いてくるもので、咄嗟にクロードの口を封じる俺。こんな時、どんな痛みも凌駕できるらしいと、我が身をもって絶賛体験中だ。しかし、その甲斐あってかクロードの上戸と無駄口は無事に止まり、再び本題へと舵を切る。


「ユリア、君の信用を裏切らないように頑張るからさ、サリュエルと一緒にあのソファーに腰かけててくれるかな?あぁ、それと……これから何が起こっても、その可愛いお口は閉じててね」

「か、可愛ッ~~~~……わ、わかりました。ルークさまのことよろしくお願いしますッ」


精霊たちに、“恥ずかしがり屋さん”と称させるだけあって、瞬く間に顔を紅く染め上げたユリアは、クロードにペコリと頭を下げ、カラスの隣にちょこんと腰を下ろした。またもや自分の家のソファーなのに、借りてきた猫のような畏まりようだ。それにクロードも俺も苦笑してから、笑みと名の付くものをすべて霧散させた。


「さてと、それじゃあ早速、物語の結末を話そうか……ルーク」

「あぁ……」

「“ボブ”………いや、“ルーク”は前世の“ユリア”を守り切れなかった。そして、無惨にも“ユリア”は殺された。魔眼の存在を嗅ぎ付けた神々に誘導された創造主の“愛玩人形”……人間たちの手によってね。そう、見事なまでのバッドエンド。残酷過ぎる結末だよ」


覚悟はしていた。

バットエンドとはいつだってこんなものだ。

しかし、想像以上の壮絶な痛みが身体を引き裂かんばかりに駆け抜け、俺は思わず椅子から転げ落ちた。


「ルークさまッ!大丈夫ですかッ!ルークさまッ!」

「ルークさまッ!しっかりなさって下さいッ!」


ユリアとサリュエルの声がする。だが激痛に耳を塞がれ、その声は随分と遠い。

ガクガクと痙攣する身体。己の口から押し殺されることなく発せられるものは、“あ”なのか、“う”なのかもわからぬ獣の如き叫声。意識を手放したくとも、この激痛がそれを許さず、俺はただただ床で七転八倒を繰り返す。

そんな俺の傍にクロードが片膝を付き、そっと耳元に囁きかけた。


「痛いよね。とんでもない激痛だよね。だけどさ、前世の“ユリア”の痛みや悲しみに比べれば、どうなんだろうね。罪一つないのに、“魔眼”持ちということだけで、同じ人間の手によって殺される。あの時の“ユリア”の苦痛や恐怖がどれほどのものだったのか……想像に絶するよね」

「クッ…クソが………」

「その意気その意気。さぁ続けるよ」


俺の悪態に、満足げに目を細めたクロードは再び立ち上がると、俺が座っていた椅子の向きをクルリと変え、床に転がる俺を見下ろすように、腰かけた。


「ユリアの無惨な死という形で迎えた結末。だけど、それを良しとしない神がいた。もちろんルーク、お前だ。人間どもに殺され“魂”となったユリアに、お前は持ち得る限りの権能を加護として与えた。つまり、“光と闇”の加護だよ」

「光と…闇の加護…だと……」

「さっきも話しただろ?“ボブ”は光と闇の神だったと……」

「………………」

「そうだ。お前の真の姿は“死神”ではない。が、今は正真正銘の“死神”だがな」

「意味が……わからん……」

「だろうな。だが、俺も決してサディストではないんでね。激痛に喘ぐお前をこうして見てても、全然楽しくないんだよ。だから簡単明瞭に話してやる。ユリアとの約束もあるしね………」


そうしてクロードが語り始めた話は、ユリアさえも知らないバッドエンドの先に続く話だった。





“時の神”であるクロードにとって大事なことは、誰に対しても常に平等であり、中立的立場でいることだ。

己が“平等と不平等の神”と呼ばれていようが、そんなことは気にしない。

そもそもの話、この世界に生きるモノの命の時間を、この箱庭の世界に必要とする時間として割り当てたのは創造主であって、自分ではない。

命の重さが同じだと言うなら、与えられるべき時間も同じだろうと、創造主に切々と説いたところで、なんら変わらないどころか、自分の立場を悪くするだけだ。したがって、たとえどんなに不平等に見えようとも、そのことで“平等と不平等の神”などと不本意極まりない呼び名で呼ばれようとも、“時の神”として守るべきことは、常に平等に“時”を刻むことだけだと、クロードは割り切っていた。

ゆえに、己の従者であるカミエルから“魔眼”の存在を知らされても、それに関わることはしなかった。それで神同士が対立しようとも、自分は常に中立を貫き通すだけだと、達観を決め込んでいた。なのにだ。


ある日、“光と闇の神”であるルークが大事そうに抱え込んで来たものは、目一杯の光の加護を纏った一つの“魂”。おそらくこの様子だと、闇の加護も存分に与えているのだろうと思ったが、そこは敢えて何も聞かず『これは?』とだけ口にした。

創造主から最も愛されし美しき神ーーーそんな称号を、何処にかなぐり捨ててきたのかと問い質したくなるほど、目の前のルークはズタボロの満身創痍。それでも、その口調だけはしっかりとしたもので『この魂の時間を止めてくれ』とキッパリと告げた。


正直、クロードは頭を抱えたくなった。

“これは?”と聞いて、“この魂の時間を止めてくれ”では、まったく質問の答えになっていない。いや、ルークはこの“魂”が何であるかを説明せずとも、クロードならわかると踏んだのだろうが、ここで簡単に頷けるほど、その頼みは笑えないどころか、安くもない。


だが…………不平等だと思った。

魔眼を持つだけで排除された命もまた、創造主の言うところの、同じ重さの命のはずだと。なのに、その与えられし寿命でさえも全うできずに排除される。これ程、不平等なことはないはずだと。

それに、ルークの考えもすぐにわかった。

光と闇の加護により、日中は眩き光で、夜は暗黒の闇でこの魂を隠せても、この魂の時間を止めなければ、この魂は浄化の道を辿ることは明白だ。

しかし、ルークはそうはさせたくないのだろう。

魔眼の少女を魔眼の少女のままで、その身体も、その心も、おそらくこの魔眼もそのままに、この世界へ再び転生させたいに違いない。


今度こそ、この魂の持ち主である少女を守り、幸せにするためにーーーーー。


なるほどね……本人が自覚してるかどうかは知らないが、このルークがここまで必死になるってことは、そういうことなんだろう……と、自分勝手に理解を深め、それ以上の深いため息を吐く。

平等に“時”を刻むことをモットーとしている自分が、この少女の“魂”に肩入れし、“時”を止める。

上戸発動による時間のブレなど、可愛いものだと思えてしまうほどの無理難題な頼み事。本来ならば、即却下して然るべき頼み事だ。

しかしクロードもまた、ずっと疑問に思っていた。

自分たち神は、創造主の“子”として、この箱庭の創世の頃から存在している。にもかかわらず、“魔眼”を持つ者に出会ったことも、そのような者が生まれたとも、一度として聞いたことがないのだ。なのに、創造主は“魔眼”を持つ者が生まれることを予見していた。この世界のモノは創造主の創造の産物でしかないというのに、創造もしていない“魔眼”がいつか現れ、この世界を脅かしかねないと………

だとしたら、悪魔どもの存在はどうなるのだと、クロードは思う。だいたい“天の使い”として創造された天使が罪を犯し、堕天使となった成れの果てが悪魔だ。それこそ、創造主は悪魔どもを創造すらしておらず、その存在こそ突然変異の迷惑千万な産物と言えよう。それなのに、奴らが攻め込んで来ない限り、その排除を口にすることはまずない。

その理由は、“善を知るためには悪も時に必要だ”ということなのだが、クロードにはどうにも腑に落ちないのである。


だからかもしれない。

幾千もの間、すんなりと腑に落ちて収まることなく、何かの棘の如く胸に刺さっていた蟠りと疑問が、この“魂”を守ることで、一気に解消されるかもしれないと思ってしまったのは。


ほんと柄でもない……だが、それを言うならルークも一緒か…………


妙な仲間意識。いや、神々が創造主の“子”であるなら、この場合美しき“兄弟愛”とでも言うべきか。

それにだ。カミエルの話からしても、今、自分の前に立つルークの姿を見ても、ルークは孤軍奮闘を余儀なくされているらしい。守るべきモノが創造主から排除せよと命じられている“魔眼”ならば、そうなっても仕方がないことはわかる。そうわかりはするが、それでもクロードから見れば、他の神々のやり口は残酷で、不平等極まりなく、ならば自分くらい味方になってやってもいいだろうと、己の決断を正当化してみる。

躊躇いは刹那。決断は鐘を鳴らすように潔く。

そしてクロードは告げた。


『わかった。この“魂”の“時”を止める。数百年程、俺が預かるぞ』






頭上から無数の針と化して降ってくるクロードの話。

それを全身に浴びながら床で悶えるだけの俺。

もはや、息も絶え絶えで声すら出ない。

なのに、この痛みとクロードの話の終着点を辿るように、俺の思考は休むことなく這い続ける。


おい、過去の俺…………

いくら孤軍奮闘とはいえ、あまりに不甲斐なさすぎるだろ。

なぁ……お前は、前世のユリアを守るためにどんな風に戦ったんだ?

お前はユリアの最期の瞬間に一緒にいてやれたのか?

ユリアの“魂”をクロードに託して、その後どうしたんだ?

あぁ、そうか………今の俺が死神であることも、創造主より与えられし罰なのかもしれんな。

だとしたら、この痛みもまた……………


この痛みの中でも、俺の思考はまだ正常に動いているらしく、その答えを持つ男の顔を、床から藁をも掴む思いで見上げる。いや、鬼の形相で睨み付ける。そしてあることに気が付いた。


こいつ、わざとここに座りやがったな………


クロードがわざわざ椅子の向きをクルリと変え座った場所は、ユリアとカラスがいるソファーと床に転がる俺との中間地点。ユリアたちを背にする格好だ。

これがユリアとカラスのためか、俺のためかは知らんが、ユリアたちに悶絶する俺を見せないようにするための、クロードなりの配慮なのだろう。


確かに、気配り上手かもしれんな……


そんなどうでもいいことが一瞬頭を掠めて、激痛の中でふと笑みが漏れた。と同時に、ほんの僅かだが痛みが遠退いた気がして、俺は咄嗟に声を絞り出す。


「か…過去の俺は…天界裁判に……かけられたんだな」

「ご明察。でもかけられたんじゃない。自らかけられに行ったんだよ。今の自分は、ユリアの“魂”を隠し持っていないと証明するためにね」

「なかなか…の…策士だ…な」

「自分でソレ言っちゃう?」


クロードの呆れ声に、そういえば俺自身のことだったな……と即座に思い直す。そして、改めて思う。

過去の俺もまたこの俺であるならば、そいつの考えは余裕で読むことができると。


過去の俺が、是が非でも守らなければならなかったモノは全部で四つ。

一つはユリアの“魂”。

一つは、俺の指示で動いたサリュエル。

一つは、俺に協力したクロード。

そして残る一つは、俺の命だ。


上の三つは当然のこととして、最後の一つは自分の命可愛さからではない。ユリアがこの世界に転生するまでは、どんなに見苦しく、無様であろうとも俺はここで生き延びなければならなかったためだ。

待つと決めたから…………そうユリアと約束したから………いや、実際はまだ何も思い出せていないし、そんな約束をしたかどうかもわからない。それでもこの時の俺は、何がなんでも生きなければならなかった。

だからこそ、ユリアの“魂”をクロードに託した俺は、自らの意志で軍門に下った。

そしてその後、開かれた天界裁判。

きっと俺のことだ。しれっと告げたに違いない。


“魔眼”を持つ少女の“魂”には、俺の“光と闇”の加護を目一杯に付けてある。だから、気が済むまで探すのは結構だが、見つけることはもはや不可能に近い。しかし“魂”は放っておいても、創造主が植え付けた帰巣本能に従い、浄化の道を辿る。それは“魔眼”を持つ少女の“魂”も例外ではない。ならば、この世界から“魔眼”が消えたも同じ。

あくまでも親切心で進言するが、無駄な努力はしないことだーーーなどと。


記憶はさっぱりなくとも、その光景だけはたとえそれが俺の詮なき想像だとしても、しっかりと目に浮かぶ。そのせいでまたもや問答無用の激痛が、俺の体内で荒れ狂い出したということは、この想像はほぼほぼ正解なのだろう。

だが、裁判と名がつく以上、俺が断罪されることは必至。そしてそれは、俺の従者であるサリュエルの身にも同様に下されたはずで…………


「サ…リュエ…ル……は…………」


お咎めなしなんていう甘い話はあるわけがないと、クロードを問い詰める。その声が痛みに掠れて、喘ぐ息に耳障りな音が混じっただけとなったが、クロードはそれを正確に聞き取ったらしい。


「もちろんサリュエルもタダでは済まなかったよ。現に、五百年以上経った今もその罰を受け続けている」

「クロードさまッ!それはッ………」


カラスが慌ててクロードの口を塞ぎにかかる。が………


「黙るんだ!サリュエル」

「ッ!」


と、クロードの一喝が逆にカラスの嘴を塞いだ。それからゆっくりと立ち上がったクロードは、再び床に転がる俺を覗き込むようにしてしゃがみこむ。


「ねぇ、まさかとは思うけど、サリュエルが毎回毎回、好き好んでカラスに変身してるとでも思ってたの?ルークにしてはちょっとめでたすぎない?」

「…………………」

「ルークも知っての通り、地上に降りる天使は、必ず何かに姿を変える。ウチのカミエルは、それこそ日替わりでね、確か昨日はツバメで、その前はフクロウだったかな。でもサリュエルはそれができない。ずっとずっとカラスのまんまなんだよ。天使がカラスなんて、似合わないにも程があるよね。人間たちには不吉だ…なんて言われちゃうしさ……」


あぁ、クロードの言う通りだ。

すまない……サリュエル…………


五百年もの間それにも気づかず、サリュエルがカラスに化ける言い訳を鵜呑みにし続けていたとは、めでたいを通り越して、とんだお間抜け野郎である。だが、サリュエルに与えられた罰の内容を客観的に見れば、こうも言える。


「それでもサリュエルは堕天を免れた。翼をもがれ、命を落とすことはなかった。排除すべき“魔眼”の少女を守るという大罪を犯したわりにはさ、罰としても比較的軽い方だったと思うよ。誰かさんのおかげでね」


誰かさん………

それがサリュエルにとって、本当に“おかげ”となったのかはともかくとして、その誰かとは考えるまでもなく、俺のことだろう。つまり俺は、天界裁判で守るべきものを守るために、巧く立ち回れたということだ。

しかしそれが意味するところは…………


「そう、すべての罪は自分にあるとルークは訴えた。サリュエルは自分の指示に逆らえなかっただけで、罰を受けるなら自分だと、そうサリュエルを庇ったんだ。しかし強かなルークはこうも告げた。”犯した罪の重さを考えれば、あっさり死ぬだけでは物足りないはずだ。死ぬに死ねず、延々と生き地獄を与え続けられる……これ程苦痛なことはあるまい?それとも、俺をあっさりと殺して、楽にしてくれるのか?随分とお優しいんだな、天界裁判とやらは……”とね」


過去の我ながら……確かに強かだ。いや、生き残るための苦肉の策とはいえ、随分と強気に出たものだと思う。だが、今の俺でもやっぱりそう宣うに違いない。

ちなみに天界裁判には、創造主である神を筆頭に、その他の神々、全階級の天使どもが一斉に集う。裁かれる側からすれば、ちょっとした晒し者状態だ。しかし、この天界裁判で無罪となる者は皆無。

何故ならば、天界裁判が行われた時点で、その者の有罪は確定しており、この裁判で決することは、その者の罪の重たさとそれに見合った断罪だけだ。そして、その評決は満場一致とされるが、創造主の掲げた旗色一つで何色にでも染まるため、事実上すべての評決は創造主次第となる。


「目論見通り、ルークは創造主の怒りに触れることに成功した。もちろん、“魔眼”の少女を守ろうとした時点で、怒りはとっくに買っていたんだけどね、それでもルークは、創造主にとって最も愛すべき神だったからさ、無駄に苦しめたくはない……そんな慈悲も少なからずあったはずなんだよ。あの創造主にもね。だけど………」




評決、満場一致により“黒”ーーーーー有罪。

現時点をもって、“光と闇の神”ルークは“死神”に降格。

“光と闇の神”としての記憶は、“死神”としての記憶に置き換え、“魔眼”の記憶をすべて封印す。




忘却ではなく封印………?

そんな疑問が痛みの波を掻い潜り渦巻くが、わざわざそれを口に出さずとも、察しのいいクロードからその答えはもたらされる。


「何故、忘却ではなく封印なのか、ルークも不思議に思うよね。でもさ、創造主曰く……一度この身に刻まれた記憶を、完全に消し去ることは不可能らしいよ。深く心に刻まれた大切な記憶なら尚更ね。だから、封印。完全に消せないのなら、いっそのこと永遠にルークの身体に閉じ込めてしまえばいい。それはとても単純明快でもありながら、残忍狡猾………いくらルークから生き地獄を所望されたとはいえ………まったく……我らが創造主の考えることは……ほんと………酷い…………ククッ……クククククッ……アハハハハハハハッ…………」

「ク……ロード………?」


突如、腹を抱えて笑い出したクロード。

痛みの中でも感じる違和感。

それはいつもの上戸とは纏う空気が明らかに違う。おそらく、ユリアとサリュエルも、精霊たちでさえ、そのクロードの様子に不安を覚え、訝しげに眺めているはずだ。

俺の前でしゃがみ込んだまま笑い転げているクロードに、痛みによる痙攣で小刻みに震える手を伸ばす。クロードに届きそうで届かず、震えながら宙をさ迷う無様な手が俺の視界に入って、そのみっともなさに吐き気がする。が、その手を引っ込める前に、クロードがそれを掴んだ。


「ツゥッ!」


一切の手加減なしで手を掴まれたことで、俺の全身が電気ショックを喰らったかのように、その痛みで大きく脈打つ。しかしクロードの顔には、既に上戸の面影はなく、その代わりに美しきオッドアイが妖しげに光っている。


「ねぇ、ルーク……そろそろ気付けよ。もしかして、痛みで何も考えられないとか?それとも俺のことは、取るに足らないだだの上戸野郎とか思ってる?だとしたら、俺を見くびりすぎ」

「な…に……言って…………」

「創造主はね、ルークの記憶をその身体に封印するために、五本の鎖と五つの錠を用意したんだよ。そう、ルークの目にも、ユリアの魔眼でも見えない特別な鎖と錠をね。そして今、その鎖が五本、ルークの身体に厳重に巻き付いてる」


俺の鼻先で、緩慢なほどゆっくりと細まるクロードの瞳。

それとは対照的に、ようやく追い付いた理解と同じ速度で、じわじわと見開かれていく俺の目。


「そうだよ。ルークの身体を襲う痛みは、記憶が身体という檻の外へ飛び出そうとする度に、そうはさせじと五本の鎖がその身に喰い込むからに他ならない………」


そう言いながら、クロードは掴んでいた俺の手を力任せに引っ張り込んだ。その衝撃に新たな激痛が走り、俺は噛み殺せなかった声を漏らす。が、クロードは表情一つ変えず、俺の手を自分の胸にあてがい、告げた。


「それでさ、その内の一本の鎖を繋ぐ錠はここにある……」

「なッ………」

「言っただろ?単純明快だけど残忍狡猾だって……五つの錠はね、五人の神々自身がそれぞれ担っているんだよ。創造主への忠誠心を示すためにね。そして何を隠そう………俺もまたルークの記憶を封じる五人の神々の一人。つまり、ルークから見れば立派な裏切り者ってわけ」

「おま…え…………」

「クロードさまッ!」


思わずクロードの名を叫び立ち上がったユリアを、クロードは冷ややかに一瞥しただけで、俺に視線を戻した。そして俺の手を離すと、その先を続ける。


「だけど、ちゃんとユリアの“魂”の時間を止めて、五百年もの間ずっと隠しておいてあげたんだから、感謝くらいはしてよね。ま、必死で隠してたのは俺の保身のためなんだけどさ。だって、ユリアの“魂”を持ってるなんてバレたら、今度は俺が天界裁判にかけられちゃうからね」

「…………………」

「おいおい、そんなに睨むなよ、ルーク。多少弱っててもお前の眼力、半端ないんだから。ユリアなら少々睨まれても可愛いだけなんだけどね」

「…………………」

「でもユリアには、嘘つき呼ばわりされたくはないからさ、その痛みを緩和する方法は教えてあげるよ。俺ってば、なんて親切~~~」


一方的に重ねる言葉。ふざけた物言い。しかし、クロードの目はさっきから全然笑っていない。それどころか纏う空気は不穏一色。

クロードの手が俺の頭を鷲掴む。

容赦なく与えられた痛みに顔をしかめるが、間近に迫ったクロードの笑みを失った瞳が、目の前の現実から目を逸らすことを許さないと告げている。

お互いの瞳に映り込むのは苦痛と覚悟。俺の瞳の中のクロードがゆるりと口を開く。


「方法は一つ、俺を殺せ」

「ッ!」

「そんなッ!」


俺の驚愕にユリアの声が乗る。精霊たちの声もまた然りだ。だがその中で唯一、サリュエルだけが沈黙したままだということは、その答えを予想していたか、予め知っていたか、そのどちらかだろう。


あぁ……だからあの時サリュエルは………


荒療治しかないと言ったクロードの身を案じたサリュエル。しかし、そんなサリュエルに皆まで言わさず、クロードは微笑みでその口を封じた。合点はいった。とはいえ、納得はまだできない。


「どういう……ことだ?」

「聞いた通りだよ。それしか方法はない」

「それで、“はい、そう…ですか”と……納得できるほど…俺は……物わかりのいい奴じゃ……ねぇんだよ」

「まったく、困ったヤツだね。お前は………」


クロードがやれやれと首を横に振りため息を吐くが、こちらとしては、そっくりそのまま同じ台詞を返してやりたい気分だ。

痛みはとうに限界値を越えている。それでも、先程のクロードの言葉の衝撃がそれを軽く上回ったらしい。

俺の頭を掴むクロードの手を、今度は俺が震える手で掴み取り、俺自身から引き剥がす。そしてあれ程、悶絶で床を這いずり回っていた身体を、どうにかこうにか持ち上げる。たったこれだけの動作で上がる息。それでも俺の口は、憤りと疑問を難なく吐き出した。


「いいから…話せッ!」

「これは驚いたな」


完全復活などと、もちろん言える状態ではない。それでも今は、痛みなんぞにうつつを抜かしている場合ではないと、全意識をクロードに向ける。そんな俺の様子に、クロードは驚愕に見開いた瞳を、そのまま愉悦に染めた。


「ほんと凄いな、ルークは……。でも、こうして起き上がれたのなら、俺を殺すのも容易いか……」

「せっかくの提案を…袖にするようで悪いが、それを最終的に決めるのは俺だ。だから、話せ!全部!」


逡巡の間。しかしそれも一瞬。クロードは「仕方がないなぁ」と呟きつつ、悠然と椅子に座り直すと、やおらその口を開いた。


「五本の鎖と錠は、ルークの五つの記憶それぞれを縛り封じている。つまり、一つの鎖を解けば、記憶が一つ甦り、痛みもその一つ分、緩和するってわけだよ。しかし、どの鎖がどんな記憶を封じているのか………それは、錠となった俺たちでさえわからない」

「わからないって……それでは…………」


あることに気づいたらしいユリアの絶望にも似た声が、この部屋に充満する重苦しい空気に溶けることなく沈む。それを即座に掬い上げたのはクロードだ。


「さすがユリアだね。ルークの剣の特徴っていうか、持ち主そっくりの融通がきかない性格を知っているんだね。正解だよ、ユリア。ルークの剣は斬るモノを選ぶ。ゆえに、ルークの剣ではこれらの鎖は決して斬れない。どの記憶と紐付いているのかわからない限り絶対にね。そうだろ?ルーク」

「……あぁ、その通りだ」


喉奥から絞り出したかのような俺の返事に、クロードはクスクスと笑って、その先を続けた。


「だったら、鎖を解くための方法は残り一つだ。その鎖を繋ぐ錠を外せばいい。但し、その錠を開ける鍵は創造主の手の中だ。つまり、穏便に取り外すことはできない。ならば、壊すしかないだろ?鎖を繋ぐ錠となった俺の命ごと」

「……………………」

「この剣は俺を知ってる。だから斬れるはずだ。だから俺を斬れ!そして、錠を壊せ!そうすれば記憶は戻り、痛みも緩和できる」

「……………………」

「何を躊躇うことがある。何故このタイミングで俺が現れたのか、もうわかってるだろ?ルークの鎖と俺の中の錠は二つで一つだ。ユリアと再会し、お前の記憶を縛る鎖が、お前の身を絞め始めたってことは、手に取るようにわかるんだよ」

「…………………」

「そう、もちろんそれは他の神々にも言えること。今までは、五百年前のお前が与えた“光と闇”の加護と、ここにいる精霊たちの力で、ユリアの存在を隠し通せてきたけど、もうそうはいかない。また奴らがユリアを排除するために動き出すぞ。但し、俺が奴らの錠に伝わる時間を少し細工しておいたから、奴らが気づくのは、俺から遅れて約二日後だ」

「クロード……お前……………」

「俺、一応“時の神”だし?時間の操作はお手のものだし?裏切り者の罪悪感ってやつ?でもいい加減、そんなものを抱えとくのも疲れたんだよ。だから、俺を殺せ!そして、今度こそ奴らからユリアを守れ!ルークッ!」


さっきも思ったが、俺の思考はこんな時でも正常に動いているらしい。

だからわかる。

過去の俺の思考。そして、過去と今のクロードの思考でさえも。

あぁ、だから俺には斬れる。

クロードが望むままにーーーーーー。


腰の剣を引き抜き、それを杖がわりにヨロヨロと立ち上がる。なんとも情けないことこの上ないが、今は格好など構っていられない。

目の前の椅子に座るクロードは、こんな時でさえ優美な佇まいで、無様に立ち上がった俺を見上げている。


「クロード、動くなよ」

「動かないよ。でも、できれば一瞬で仕留めてくれよ」

「もちろんだ。俺はお前のことを知ってる。だから、間違いなく斬れる」

「頼んだ」

「任せろ」


痛みがないわけじゃない。

剣を持つ腕が、錆び付いたブリキのようにギリギリと軋み、俺の全身は悲鳴を上げ続けている。だが、心が上げる悲鳴に比べれば全然可愛いものだと、いくらでも鼻で嗤ってやれそうだ。

そんな俺の視界を埋めるものはクロードと、俺たちを見つめるユリアとサリュエル。

立ち上がったことで、ようやく見えたその一人と一羽の顔は、もう涙でぐちゃぐちゃだ。本人たちがその事に、気づいているのかいないのかはわからないが、もし気づいてないのであれば、これは後で教えてやらなきゃな………と、どうでもいいことを考え、ふと内心で笑みが漏れる。

そして、気づく。

今の俺の心に迷いなど一つもない。

俺の胸中に広がるものは、悲観でも絶望でもなく、清々しいほどの蒼穹。

その果てしなき蒼穹に向かって剣を掲げるように、俺はクロードに向かって剣を振り上げると、そのまま一気に振り下ろした。



「クロードさまぁぁぁぁぁぁーーーーッ!」



一瞬、ユリアの絶叫が聞こえた気がしたが、俺の意識は眩き光の中にいた。







『ねぇねぇ、今日はユリアと何して遊ぼうか』

『昨日はかくれんぼしたし、今日は日向ぼっこ?』

『それって遊びなの?』

『それよりさ、僕たちもユリアの家のお花だったら、毎日通わなくてもいいのにね』

『だね。今度、ユリアに頼んでみよう』

『そうしよう』


王都の街中で、偶然耳にした賑やかしい精霊たちの声。その声にではなく、その内容に俺は酷く興味をそそられた。

だからあの日、俺は後を追ったんだ。ヒバリに姿を変えたサリュエルが、『ルークさま、尾行なんて趣味が悪いですよ』と止めるのも構わず、ただただ精霊たちの声に誘われるように………。

そして、近づくほどに感じるある気配。もしかしてこれは……と踏み込んだ、とある伯爵家の庭で俺が見つけたモノはーーーーーーー。


風に柔らかそうな淡い金髪の髪を靡かせながら、空色の瞳を真ん丸くして、見えるはずのない俺を見つめる少女。

何故か俺のことを怖がりもせず“幽霊さん”と呼んだ少女。

そう、これが前世のユリアとの出会い。


あぁ、思い出した。

クロードが話したあの“ボブ”の話の通り、俺はこの時、確かに感じたんだ。



ーーーーこの出会いは運命であり、はじまりだと。

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