2. 魔眼の少女の不思議な日常
今日からはまた一人なのね
「ううん、そんなことはないよ」
「ユリアは一人じゃないよ」
「うんうん、いつだって僕たちがいるよ」
夢と現実の狭間で呟いた私の独り言を拾い、律儀に返ってくる声。その声に、いつものように硬いベッドの上で目を覚ませば、そこには心配そうに私のことを覗き込んでいる面々。
今日は十人以上いるかな……
なんてことを起きたての頭で思いつつ、その小さな顔いっぱいに不安を漂わせる愛しき存在に、「ごめんね。私、一人じゃなかったね」と、重い身体を起こす。そしてニッコリと微笑めば、彼らは忽ち元気になって、部屋中を縦横無尽に飛び回り始めた。
そう……今、私ことユリア・ハーティが話していた相手は、精霊と呼ばれる者たちだ。
何故か私には物心がついた時から彼らが見えていた。それを考えると生まれた瞬間からおそらく見えていたんだと思う。でもさすがに生まれてすぐの記憶はないため、そこまでの断言は敢えて控えるようにしている。
とはいえ、もはや見えないことの方が私にとっては不自然で、幼い頃何度も無邪気にそのことを母に伝えようとして、それを他でもないこの精霊たちに止められた。
ユリア、ダメだよ。この事は内緒なの。絶対に絶対に、誰にも知られちゃいけないことなの。約束ね。
私の掌ほどの大きさしかない精霊たちに、何度もそう泣き顔で懇願されてしまえば、どんなに伝えたくてもそれを受け入れるしかなく、私は今もなおその約束を守り続けている。いや、今はそうするべきだと知っている。
何もないところで一人話している風変わりな娘
という、不本意でしかない陰口をどれだけ周りに叩かれようともだ。
それでも、私はこの世界に生まれ落ちてからの十六年間、ずっと愛されていたと思う。
可愛い精霊たちからはもちろんのこと、私を女手一つで育ててくれた母からも。
父はそれこそ私が生まれてすぐに、隣国との戦争に兵士として参加し、命を落としたそうだ。だから父の顔は知らない。
だけど、そのせいで寂しいと思ったことは一度もなかった。それはこの賑やかしい精霊たちと、どんなに生活が貧しくともいつも笑顔で明るい母が傍にいたからだ。
でも、その母は流行り病で突然この世を去った。
その葬儀を町の人たちの手を借りてこぢんまりと行ったのは昨日のこと。
だからこそ、あんな独り言が寝起き早々、無意識にポロリと出てしまったのだが、また新しい一日が始まる今、いつまでもくよくよなんてしていられない。
「よし、今日も頑張るぞ」
「ユリアが頑張るなら僕も頑張る」
「私も頑張る」
「じゃあ、僕も」
精霊たちが一体何を頑張るのかは不明だけど、とにかく先ずはその決意表明とともにベッドから抜け出すことから始めた。
母の喪に服するために、黒装束を身に纏う。
この地域では身内が亡くなった家の者は約一ヶ月間、黒装束で過ごす慣習があるのだ。それだけでせっかく上向きにしたばかりの気持ちが、またもや綺麗な下降曲線を描いていきそうだが、母を偲ぶ期間と思えば何の苦もない。だいたい私の生活に、彩りなんてものはそもそもなかったのだから今更だ。
もしそんな私を彩るものがあるとすれば………
母が好きだと言ってくれたこのお日様色の髪。
お日様色とは実のところ何色なんだと問われれば、華やかさをどこかにごっそりと落っことしてきたかのような、ぼんやりとした金髪と答えるしかない。つまり母は出来るだけ素敵な色に聞こえるようにと、わざわざお日様色などと例えてくれたんだと思う。
そして瞳の色はこれまた母に謂わせれば、雲一つない日の澄んだ空色。早い話、淡い水色ということだ。
取り立てて珍しい色を持ち合わせているわけではないが、“まるでユリアはよく晴れた春の日みたいね”と評してくれたものが私の唯一の彩りであり、それがいつも水色というより灰色に近いのワンピースと草臥れたエプロン姿から、黒装束姿へ変わったところでなんてことはなかった。
「ねぇねぇユリア、ところで今日は何するの?」
そう精霊の一人に尋ねられて、ふと考える。
いつもなら朝御飯を用意し、それを食べ終われば、家の裏の家庭菜園程度の畑で朝の作業をしてから、内職で仕立てた服を届けに行く。
しかし今日は……と自分の黒装束へと目を落とした。
畑仕事はともかく、これで仕立てた服を届けに行くのはちょっとね………
と、思う。これは自分の気持ちの問題ではなく、受け取り手である相手の気持ちを思えばこそだ。
きっと黒装束を見ればウチの事情は察してくれるに違いない。でも、依頼され仕立てた服はどちらかというと、祝いの席や華やかな席で召されるドレスの類いで、とてもじゃないが黒装束で届けていい品ではない。それもその届け先には、仕事を提供してくれた仕立屋だけでなく、腕を見込んで直接依頼してくださった貴族のお屋敷もある。それ相応の礼儀もあれば、縁起というものもあるのだ。
ただ幸運にも、約束した納品日まではまだ数日あるし、さすがに昨日葬式で、今日納品する品があるからと早速黒装束を脱いでしまうのは些か躊躇われる。なので一先ず今日のところは………
「畑仕事が終わり次第、お母さんの遺品の整理をしようかな。と言っても、あんまりないんだけどね」
などと少し苦笑を織りまぜながらそう精霊たちに伝えて、朝食の準備に取りかかった。
“この世界は創造主である神が鑑賞し、愛でるために創った箱庭なんだ”
昔、そんなことを私に教えてくれた人がいた。いや、あの方を“人”と呼ぶのは間違っていると、即座に首を横に振って、母の遺品となった手鏡を持ち上げた。しかし、その脳裏に甦るのはまたあの方の声。
“亡くなった人の魂は浄化され、再び新たな命としてこの世界に戻る。それが輪廻だ”
「輪廻…………」
それは魂がまるで車輪のように死と生を繰り返しながら転生していくことで、浄化によって前世の記憶と穢れを消された魂は、不思議なことに縁深き人の傍にまた新たな命となって戻るという。
「だったらお母さんもまた………」
私たちは前世で縁を結び、現世では母娘として縁を結んで、また来世で何かしらの縁を結ぶ。
それが何百年後、何千年後かわからないけれど、どういう形にしろ再生した母の魂と会えると思えば、ほんの少し母を失った痛みも和らぐ気がする。
だけど……と、母の手鏡に映った自分の姿を見て思う。
私の魂はやはりあの時浄化されなかったのね…………
何故なら私には前世の記憶がそのまますべて残っているからだ。
もちろん前世で縁したうちの誰が、今の母となったのかまではわからない。しかし、私を形作るこの髪の色にしても、瞳の色にしても、何一つ変わることなく私はまたこの世界に生まれてきた。
そう、私が命を落とすことになった理由も、あの方への想いもすべて忘れ得ぬ記憶として残したまま、また再びこの世界にーーーーーー
「ユリア、今日は何して遊ぶ?」
「お庭で本を読んで欲しいな」
「私はね、かくれんぼがいい」
「じゃあ、僕は追いかけっこがいいな」
前世の私の名前もまたユリアといい、王都に屋敷を構える伯爵家の令嬢だった。
その頃から私には精霊たちが見え、その事で常に周りの者から訝しげな目で見られていた。それでもあの頃の私はただただ無邪気で、この目で見えるモノを見えると言って何が悪いの?と本気でそう思っていた。それでたとえいつも一人でも、傍に精霊たちがいるから全然平気と笑顔さえ携えて言い切れた。
でもそんな考えが一変したのは、私が十四歳だったある日、あの方……彼が私の前に突然現れたから………
「へぇ……まさか本当に俺の姿が見えるとはな」
「………えっ?」
家族や使用人たちしかいないはずの屋敷内の庭。
特にこの時間は私と精霊たちしかいないはずの庭で、いるはずもない見知らぬ人と目が合い、思わず足を止める。
やれやれ………また幽霊なの?
私の手は自然と額を押さえ、小さく首を横に振った。
今思い出してみても、この時の私の後頭部を殴ってやりたいくらいの気分だが、前世の私が彼を見てそう思ってしまったのは仕方がないと許して欲しい。
なんせ私は生まれながらにして、人には見えないモノが見えるという特技というか、能力というか、ろくでもない機能が備わっている。泥棒やら、不法侵入者やらと考える前に、幽霊の類いを先に想像してしまっても致し方ないことなのだ。たとえそれが真っ昼間だったとしても………。
それに、その見知らぬ彼もまた『まさか俺の姿が見えるとはな』とキッパリハッキリそう告げていた。それはつまり、見えていてはおかしいということを本人もまたしっかり認めており、私もそれをあっさりと納得してしまった。
それにしても……と、無遠慮すぎるとは思いつつ、まじまじと見入ってしまう。
年の頃は二十五、六。
第一印象は黒。
それは着ている服装の色と、艶やかな黒髪から視覚的にもたられたものだ。なのに、その黒髪から覗くサファイアとも、ブルートパーズとも讃えることができそうなほどに美しく深い碧眼と、少し悪戯な笑みをのせた薄い唇は、どこか人外なモノを思わせる不思議な魅力を放ち、第一印象が黒だったにもかかわらず、その彼自身が光そのものであるかのように、私はその神々しさに目を眇めた。
そんな私を彼もまた不思議そうに覗き込み、それからある結論に確信を得たらしく、その答えをポロリと口にする。
「やはり……魔眼か」
聞いたこともない言葉に私は首を傾げ、その言葉をオウム返しのように繰り返す。
「ま…がん?」
するとそれに反応したのは周りの精霊たちで……
「それは言っちゃダメなの!」
「ユリアは何も知らないんだから!」
「そこは色々察してよね!」
と、プンプンという表現がしっくりくるほど、彼に向かってお冠となっている。それに「悪い悪い」とまったく反省の色もなく彼は愉快そうに告げて「なるほどねぇ」と顎に手を当てながらさらに一人納得し始めた。
こちらとしては、何がなるほどなのかさっぱりわからず、一度は眩しさで細めた目を、今度は訝しさ故に細めて彼を見る。が、後れ馳せながらあることに気がついた。あれ?彼にも…………
「幽霊さんにも精霊たちが見えているのね」
「はっ?幽霊?」
「えっ?違うの?」
きょとんとする私に、目を限界まで瞠ったままで固まった彼。
その二人の間には、困惑気味な精霊たちと、戸惑いの沈黙が陣取っている。しかしそれも僅か数秒のこと。すぐさまそれに取って代わったのは、突然腹を捻らんばかりに庭で転げ回りながら大爆笑し始めた彼と、どこから飛来してきたのか、彼の周りを目まぐるしく飛び回る一羽のヒバリ。
しかもそのヒバリは、ピーチクピーチクと鳴くのではなく………
「ルークさま、笑いすぎです!もう少しそこは威厳を持ってですね……」
「う、う、うるせぇよ……こ、これが笑わずにいられるわけねぇ……だろ。ってゆーか、そういうお前も何…どさくさに紛れて…しれっとしゃべっ……てんだ……」
「そ、それは思わず………」
人の屋敷の庭で見知らぬ男とヒバリが言い合っている。ヒバリに関していえば、オウム顔負けの流暢なしゃべりっぷりだ。そして何より、幽霊だと勝手に思い込んでいた自分に、呆れる以上の羞恥が怒濤の如く襲いかかってくる。
こうなれば私の顔に身体中の熱が集まってくるのは必須で、最終的に顔や耳だけでなく全身を漏れなく朱に染め上げた私は、ただただその光景を前に立ち尽くす。
「ユリア、大丈夫?」
「お顔真っ赤だよ」
「お熱?」
「お部屋に戻る?」
そんな私を心配して、おたおたし始めた精霊たちには悪いと思いつつ、この時の私に部屋に戻るという選択肢はなかった。たとえどんなに無様に赤くなろうとも、頭から湯気が立ち上ろうとも、この状態で何事もなかったように平然と部屋に戻れるほど無神経でも、図太くもない。
むしろ、どんなに羞恥に苛まれようが言うべきことは言うに限る。たとえそれが多少八つ当たり気味だろうが、この人の正体が何であろうが、とにかくだ。なので……………
「ちょっと、そこのあなた!本当にさっきから笑い過ぎだから!」
「す、すまん……で、でもさ……ゆ、幽霊さんって…」
「だって、そっちが姿が見えるとか言うから……」
「だ、だよな…そうなるわな……普通……でもさ…ククククッ……」
「だから何がそんなに可笑しいのよッ!」
「そうですよ!ルークさま、もっとシャキッとしてください!」
「いやさ…お、俺が…幽霊なら、それならそれでもっと驚くっつーか、怖がるっつーか………まじうるせぇ…サリュエル」
そうボヤキながら顔を上げた彼の目は完全に涙目。それでなくとも宝石に讃えてしまうほどの瞳がキラキラと光を宿し、正直直視できなくて困る。
したがってここは、笑われたことに対するせめてもの抗議だと、そっぽを向いて膨れっ面になる。
それにいち早く反応したのはやっぱり精霊たちで……
「ユリア、怒っちゃった」
「ユリアね、怒ると怖いんだよ」
「でもね、全然長続きしないの」
「そうそう、お菓子食べたら全部忘れちゃうの」
「すぐにニコニコしちゃうんだよ」
と、余計なことまで赤裸々に暴露する。
基本、精霊たちはとても正直者なので、嘘は吐かない。それどころか、思考と口が直結しているらしく、すべてが何の抑止も受けずに駄々漏れとなる。
そのおかげで……いや、そのせいで、このまま頭を抱え込んで庭を転げ回りたいほどの恥ずかしさだ。
おそらく自分一人なら確実にやっていたと思う。たとえ今やったとしても、端から見れば私とヒバリの姿しか見えないはずなので、屋敷の者たちから元々変わり者認定をされている身としては、お嬢様またもやご乱心くらいで済むに違いない。
しかし、私には精霊も見えれば、幽霊ではないらしいこの彼も見えるわけで、そしてその逆もまた然りなわけで、その彼らの前でさすがにそこまで自棄にもなれない。
なので膨れっ面と、そこに漏れなくついてくる赤面とをそれぞれ三割増しにして、この場をやり過ごすことにする。ついでに耳も塞いでしまいたい気分ではあるが、そもそも精霊たちの声は耳から聞こえる音ではなく、頭の中で感じる音のため、これもまた無駄なだけなので賢明にもやめておく。
しかしこの間も、おしゃべりな精霊たちの大暴露大会は続き………
「ユリアはね、いつも一人なの」
「だけど僕たちがいるから全然淋しくないの」
「う~ん、本当は私たちと一緒にいるから一人なんだけど……」
「それでもいいって、ユリアは言ってくれるの」
あぁ…その通りだと内心で同調する。
私には当たり前のように見えているモノが、他の人には見えていないと知った時、私は普通じゃないとそう烙印を押されたような気がした。
気味が悪いと言われた。呪われた子だと、実の両親からもそう言われた。それでも、自分の目に映るモノを否定するのは違うと思った。
こうして存在しているモノたちを、唯一見えている私までもが否定することは、その存在自体をも否定するようで私には到底できなかったのだ。
ならば…と、私は早々に開き直ることにした。
たとえそれで一人になろうとも、私は構わないとそう心に決めた。そう思えた瞬間、とても気が楽になったことを今でも覚えている。
で、その結果が今に至るわけなのだが、そろそろ本気で精霊たちの口を塞ぎにかかりたい。
しかし、それをしたのは私ではなく、笑いの余韻を引き摺りながら精霊たちの話を聞いていた彼で………
「お前たちは、本当にユリアのことが大好きなんだな」
「そうだよ」
「だから、ユリアを隠していたんだな」
「………………」
彼の一言で完全に口を噤んだ精霊たち。
まるで怒られた子供のように、しょんぼりと項垂れている。その様子に私の三割増しの膨れっ面と赤面も自然と解け、一時の熱病から冷めて凪いだ頭に先程の言葉がプカリと浮かんだ。と同時に、口を衝いて出てくる。
「それは……“まがん”…だから?」
さっき彼から聞いたばかりの言葉。
この言葉を聞き、私はその言葉の意味もわからず首を傾げたが、精霊たちはみんなプンプンと音を立てるように怒っていた。
それを思い出し、改めて尋ねてみたのだが、精霊たちは益々罰が悪そうにそれぞれに俯き、一番最初にその言葉を口にした彼もまた困ったような顔になっている。
そんな彼の周りを飛ぶヒバリが「ルークさま」と、主を嗜めるベテラン執事のような口調で呼んだ。それに「わかってる」と答えた彼が、意を決したように私をその瞳に映す。
吸い込まれそうな瞳に見つめられて、心臓が早鐘の如き慌ただしさで脈打つ。自分が心臓そのものになったかのような感覚。打楽器の如く鳴り響く鼓動。そんな鼓動を悟られたくなくて、私はその音を誤魔化すためにもう一度口を開いた。
「あなたは……何者なの?」
この問いにも、彼の顔に広がるのは困惑。
だけど、微かに微笑みとも苦笑ともとれる笑みでその困惑をすぐに掻き消した彼は、その答えを徐に告げた。
「俺は、光と闇の神だ」
この世界は神が創りしものーーーーー。
そんなことは毎週行く教会で、それこそ耳にタコができる勢いで聞いているので知っていたし、理解もしていた。
そして目の前の存在の正体を知り、その神々しささえ感じる容姿にも改めて納得ができた。
それでも、どう話を聞いても理解と納得に遠く及ばないことがある。
「ユリア、お前の瞳は“魔眼”と呼ばれるもので、創造主である神が最も恐れているものだ」
屋敷の庭にどっしりと腰を下ろしてそんなことを言い始めたルークさまに、恐れ多くもすぐ傍に同じように腰を下ろしながら話を聞いていた私の首は、さもさっぱりだと謂わんばかりにコテンと傾いだ。
「えっ……と……ルークさま、何故、創造主さまは私のような者の、力なき人間の目を恐れることがあるのでしょうか?」
当然の疑問だった。
確かに私は、普通の人間には見えない人非ざる者たちが見える。しかしそれは、ただ見えて、声が聞こえる程度のことだ。神さまが恐れることなど、何一つできない力無き人間にかわりはない。
だけどルークさまはそうじゃないと言う。
「なぁ、ユリア。お前たち人間にとって神は、この世界の創造主であり、崇拝するべき存在だ。そんな人間たちに対して神は祝福と加護を与え、希望へと導く存在だとお前たちはそう思っている……違うか?」
とても神とは思えぬ気さくな口調で尋ねてくるルークさまに、私は畏まりながらも端的に答える。
「その通りです」
「だろ?つまり人間から見れば神は唯一無二の完璧なる存在であり、この世の善たる者となるわけだ」
「はい」
迷い一つなくルークさまの瞳を見つめ返事をした私に、ルークさまはまたもや先程見せた困り顔となる。それを見た私の顔が何故?と物語ったのだろう。ルークさまは慎重に言葉を選び、その先を続けた。
「ユリア、この世界は創造主である神が鑑賞し、愛でるために創った箱庭なんだ」
「鑑賞……箱庭?」
「そしてお前たち人間は神が創った愛玩人形」
「愛玩……人…形……?」
ルークさまの言葉がすんなりと頭に入ってこず、何度も咀嚼して呑み込んでは、またその言葉の断片だけを口にする。でもそれを繰り返すうちに、あることに気がついた。
「もし…もしも………創造主さまが箱庭の中にいる私たちをただ愛でながら鑑賞されているのだとしたら、たとえどんなに祈っても、私たちをお救いになることは…………」
……ないのではありませんか?と言いかけて、これ以上言ってはダメだと自己抑止を働かせる。これ以上は完全に悪口になってしまうと。しかしルークさまは、これっぽっちも気になどしていなかった。
「遠慮なんかしなくてもいいぞ。まさにその通りだからな。我らが主、神は人間という愛玩人形に命を与え、その生き様を眺め楽しんでいる。ただただ純粋な鑑賞者としてな」
純粋な鑑賞者ーーー随分聞こえはいいが、神さま自身は何が起ころうとも一切手出しすることなく、あくまでも傍観者に徹するということで、それは明らかに教会の教えとは異なる。神さまは人間を鑑賞するだけで、決して自ら手を差し出すことも、救うこともしないのだから……。だとしても、何故神さまが“魔眼”を恐れるのか、その理由がわからない。
「ルークさま、神さまが純粋な鑑賞者だとして、何故“魔眼”を恐れられているのです?」
だいたい創造主である神さまが恐れるくらいなら、この光と闇の神であるルークさまだって恐れそうなものなのに、恐れるどころがさっきまでその“魔眼”を持つという私を前にして腹を抱えて笑っていた。
あの光景を思い出すと、あまりどころかまったく恐れていないように思えて、少々説得力にもかける気がする。
しかしルークさまは、その私の問いに先程の笑いが夢幻であったかのように、とても真剣な面持ちで答えてくれた。
「神はその目を“魔眼”と呼ぶが、その目は“この世の真実を見通す目”とも言われている。つまりさ、神は知られたくないんだよ。この世界の真実を」
「それって………神さまが純粋な鑑賞者であるということをですか?」
「あぁ、他にも色々と理由はあるが、それもその一つだ。神は常に人間たちから崇拝される立場でいなければならないからな。もっと言えばこの世界がただの箱庭であり、自分たち人間が愛でるためだけに創られた愛玩人形だと知られては困る。だから神は“魔眼”を恐れ、是が非でも排除しようとするんだ」
雲を掴むとは、まさにこういうことを言うのかもしれない。
ルークさまの言葉を簡単に鵜呑みにはできなくとも、途方もないこの話を躍起になって掴もうとする自分がいるのは確かだ。だけど、何度も掴もうとしてそれが指の間からすり抜けていくのは、実感がないからなんだろうと思う。
それもそのはず、魔眼を持つという私からしてみれば、神さまには大変失礼ではあるが、この話は呆れるくらい突っ込みどころ満載なのだ。
そもそもな話………私には創造主である神さまがどこにいらっしゃるのかわからない。きっとこんな地上なんかにいらっしゃらないことだけはわかるが、空を飛べるわけでもなし、魔眼であっても千里眼ではないので、どこにいらっしゃるかもわからない神さまを見れるはずがない。鑑賞だろうと、昼寝だろうとお好きにどうぞってなもんだ。
それにだ。この世界の真実を見通せたとして、私の場合見ただけでそれで終わり。それを語って聞かせる友人もいない。何度も言うが、こちとら屋敷の者に変わり者認定をされている身。私の言葉など、単なる戯言として一蹴されるのがオチだ。
なので、是非ともそんな心配はいらないと、恐れることは何もないと、声を大にして神さまにお伝えしてあげたい。なんなら今すぐその内容を手紙を書いて、お届け願おうかという気にさえなってくる。
そのため、ルークさまの話がいつまで経っても宙ぶらりんのままで、私の中でしっくり収まることがないのだが、その周りで、ヒバリこと天の使いサリュエルさまと精霊たちが、慌てたように飛び回る。
「ルークさま、話しすぎです!このことが創造主さまに知れたら、ルークさまが……」
「心配ねぇよ。この辺り一帯に光の加護を張っておいたからどんなに鑑賞しようが見えやしねぇ」
「だとしてもです!“魔眼”の者を排除する命を受けてらっしゃるルークさまが、自らその者にすべてをお話しになるなんて許されることではありません!」
そのサリュエルさまの言葉を受けて、精霊たちからの怒濤の反撃。
「ユリアを排除するなんてダメ!」
「ユリアは僕たちが守る!」
「そうだよ。ずっとずっと隠してきたんだからこれからもそうするの!」
それに真っ向から異議を申し立てるのは、当然サリュエルさまで………
「精霊たち、うるさいぞ!お前たちにとっても創造主さまは父だろうが!“魔眼”の者を隠すなんてことをしてもいいと………」
「ヒバリ、うるさい!」
「その嘴、縫いつけちゃうぞ!」
「っていうか、ヒバリのくせに喋るな!」
「そうだそうだ!その羽むしっちゃうぞ!」
サリュエルさまに対し、頼もしき精霊たちからの容赦ない口撃。どうやら、実力行使も辞さない構えらしい。
だけどそれを聞きながら、私はまた新たな事実を一つ知った。
精霊たちがずっと神さまの目から私を隠してくれていたということを…………
その方法など、所詮ただの人間でしかない私には想像もつかないが、当たり前のようにいつも傍にいてくれた精霊たちの存在に、感謝と愛しさで思わず目を細めてしまう。
そんな私のすぐ横で、ルークさまもまた目を細めたが、それは明らかに私とは似て非なるもので……
「ルークさまぁ~精霊たちが反抗的です!私のことをヒバリなどと呼んで、嘴を縫いつけ、羽までむしるとか……」
「いやいや、ヒバリだから。どう見てもヒバリでしかないから。この際そのうるせぇ嘴をしっかり縫いつけてもらえ。ついでにきちんと羽もむしってもらって、焼き鳥になってこい」
あからさまに鬱陶しいと謂わんばかりのぞんざいな態度で、サリュエルさまをシッシッと手を振り追い払う。しかし、それに慣れっこなのか、ただただ打たれ強いのか、サリュエルさまはめげることなく、ルークさまに言い募る。
「焼き鳥になんぞなりません!だいたい私の小言が増えるのは、ルークさまが自由奔放すぎるからでございます。創造主さまの次に巨大なお力をお持ちなるルークさまが、勝手な振る舞いをした精霊たちを叱るどころか、今も光の加護まで用いて“魔眼”の娘を一緒になってお隠しなるとは、他の神々さまにも示しがつきません。ここは創造主さまのご命令通り、“魔眼”の娘を排除すべく率先して動かれるべきかと………」
「サリュエルッ!」
突如、雷のような鋭さで落ちたルークさまの一喝。
その一撃をまともに受けたサリュエルさまの口は……もとい嘴は、閉じられることなくパカンと開いたまま固まった。
とはいえ、姦しく動いていた嘴は見事に止まったが、その翼の羽ばたきは相変わらず忙しい。ここでその羽ばたきまで止めてしまえば墜落しかないので、当然といえば当然なのだが、大きく嘴と瞳を開いたままで、必死に羽ばたくヒバリの姿は、こんな時になんだか少々笑える。
でもそれはルークさまも同じだったらしく、込み上げてきた笑いを苦笑で誤魔化し、サリュエルさまに告げた。
「お前の言いたいことはわかる。そしてお前の言っていることはおそらく正しい。だがな、俺はそう簡単に切り捨てたくないんだよ」
「しかし、今は隠しおおせたとしても……」
「それもわかっている。ユリアの“魔眼”はまだ幼い。だからこそ今まで、精霊たちの力だけで隠すことができた。だが、俺が感知できるまでに成長しつつあるのも確かだ。そうなればいずれ他の神々も、さらには悪魔どももその存在に気づき、ここへ奪いにくるだろう」
「悪魔………?」
予期せぬ者の名前を告げられ、思わずルークさまとサリュエルさまの会話に割り込むように、私はその名前を口にした。私を悪魔からも守るという精霊たちの心強い声が頭の中で飛び交うが、今はそれより何故悪魔が奪いにくるのか、その理由を知りたいと、その視線に催促の矢を目一杯詰め込み、ルークさまを見つめる。
一呼吸ほどの間。でもそれは躊躇ではなく、ルークさまの瞳に自然と滲んだ心痛と憐憫を打ち消すためのものだった。
「ユリア……創造主が恐れる理由は“魔眼”によって自分の姿が暴かれることだ。そして悪魔からすれば、その“魔眼”を手に入れれば、悪魔たちには見えない創造主を見つけることができる」
「悪魔には……見えないんですか?」
「まぁな………」
つまりはこういうことだ。
罪を犯し翼をもがれ堕天した天使が、その魂を悪へと染めた時、創造主さまより与えられしモノすべてを失う。それは心だけでなく、美しき容姿も、それを形作る目や口や鼻も全部だ。堕天使がすべて悪魔へと再生するわけではないらしいが、それでも少なからず悪魔となる者がいることは確かで、悪魔たちはその憎悪だけを拠り所にこの世界を呪う。しかし、天使としての目を奪われた悪魔には、最も憎むべき創造主さまの姿は見えないらしく、そこで魔眼を手に入れようとするのだそうだ。
そして魔眼を持つ者が生まれたことを察した悪魔は、その者を探し魔眼を奪う。
それを未然に防ぐためにも、“魔眼”は創造主さまにとっては排除すべき対象なのだと、ルークさまは声を絞り出すようにして教えてくれた。
「では…私は……どう足掻いても、この世界では望まれない存在なんですね」
力無げにポロリと零れ落ちた言葉は、どこか諦めもあって、さっきまであれほど理解も納得もできないと思っていた言葉が今は胸にストンと降り、私の心に根付くようにしっかりと収まっている。
「そんなことないよ。ユリアは大事なお友達。だから消えちゃダメなの」
「そうだよ。僕たちがずっとずっと守るんだから大丈夫だよ」
「だからそんな悲しいこと言わないで」
精霊たちの声が相変わらず聞こえてくるが、すべてに納得できてしまった今、虚しさだけを加速させるだけだった。
だけど、そんな私の心を見透かしたようにルークさまは、「コラ!」と私の頭でポンッと手を弾ませる。
「なっ……」
「お前、簡単に納得しすぎ」
「でも……神さまにとってもこの世界にいない方がいいんですよね。だから排除するんです…よ…ね」
ずっと、ずっと、私は実の親からも、使用人たちからも蔑みの目で見られてきた。でもそれは、彼らに見えないモノたちが見えるのだから仕方がないと、開き直ることもできた。
しかし、それは私の知る小さな世界での話だったからこそ開き直れたのだ。それがもしそれだけでないなら、この世界に存在することすら許されないなら、私は……………
不意に頬を伝ったものに驚いて、私はそれを拭う。拭ってから、自分が泣いていることに気がついた。そして、自分の心を締め付ける感情にさらに驚く。
私はこの世界で生きたいと思っているの?
この生きにくいだけの世界で私は生きて、何を望むというの?
存在すら許されないこの世界で何を……………
生への執着はないと思っていた。
わざわざ自ら死を選ぶことはなくとも、その死を未練なく当たり前のように受け止められると思っていた。
なのに今、絶対的な孤独を突きつけられたようで、生きる価値すらないんだと思い知らされたようで、まるでそれが死刑宣告のようで悲しくて堪らない。
と同時に、私は諦めていたはずの想いを、未練がましくその手に握りしめていたことに気づく。
私は誰かに愛されたいのだと…………
その想いが無数の針となって私の心に刺さり、痛くて、悲しくて、淋しくて、涙腺が壊れたように涙が止まらない。
そんな私の頭の上にそっと降ってきたのは、ルークさまの優しい手と、どこまでも力強い声だった。
「ユリア、それでいい。それでいいんだ。理不尽だと憤れ。なんで私がと泣き叫べ。そして全力で足掻け」
「足掻…く?でも、でも私はこの世界に存在しては……」
「創造主がどんなにその存在を恐れようとも、生きてはならない命などない。それにな、俺は排除されるためだけに、魔眼を持つ者が生まれてくるとは到底思えないんだよ。そこには何か意味があるはずなんだ。この箱庭の世界に、魔眼を持つ者が生まれてこなければならない理由がな」
「理由………」
「そうだ。たとえ今はそれがわからなくとも、いつかわかる時がくるかもしれない。俺もその答えを探す。だから、その時まで生き抜け。もし、この世界に生まれたことを誰も喜ばぬというなら、光と闇の神である俺が祝福してやる」
「ルーク…さ…ま………」
強さしかない言葉とは裏腹に、ルークさまの手は私の頭を優しく撫でる。その強さと優しさのギャップに、私の心が震えて涙が止まりそうにない。
その周りで精霊たちが「私たちも祝福してるもん!」と拗ね気味にルークさまに申し立てているが、ルークさまは「そうだったな」とそれを軽くいなしつつ、私の髪に指を絡ませ、髪を鋤くように撫で続ける。しかしこの中で、サリュエルさまだけがルークさまの口を塞がん勢いで異議を唱えた。
「ルークさま!お考え直しください!そんなことをすれば、あなた様も無事ではいられませんよ!だいたい先程ご自身で口にされたことをお忘れですかッ!今は幼くともこの“魔眼”は成長します。そうなれば、今ルークさまが排除すべく手を打たれなくとも、いずれ他の神々さまがお気づきになり………」
「わかってる。だから俺の光と闇の加護で、ユリアを昼夜問わず隠す」
「何を言って……」
「正直、どこまで時間稼ぎができるか俺にもわからん。だが、精霊たちがここまで頑張ってユリアを隠してきたんだ。俺なんぞに見つかったばかりに、今までの頑張りが無になっちまったら後味悪すぎるだろ?だったら、俺が一枚噛んでやればいいだけのことだ。つーことで、おめでとうサリュエル。お前もめでたく共犯だ」
「ルークさまぁッ!」
この時響いたサリュエルさまの声は、もはや絶叫に近かった。
その日からルークさまとサリュエルさまは揃って、私の様子を見に来てくださるようになった。
口喧嘩にも見えるじゃれ合いというか、掛け合いは相変わらずテンポがよく、自由過ぎるルークさま相手に、ヒバリの姿に化けたサリュエルさまが説教をするというお決まりのパターンは、いつも私を笑顔にしてくれた。
実際のところ、私自身ルークさまから頂いた加護を直接身を持って感じるかと聞かれればそうではなく、今までとなんら変わらないようにも思えた。しかし精霊たちに言わせれば、ルークさまの加護はとんでもなく強力で、これなら当分魔眼の存在を誰にも気づかれることはないと、精霊たちも嬉しそうに太鼓判を押してくれた。
それでも私の魔眼は日を追う毎に強くなっているらしく、今まではまったく見えなかった悪魔の姿までも見えるようになっていた。
そしてそれ以上に、強く膨れ上がっていくものは、ルークさまへの想いで、私はずっとこの想いに名前を付けられずにいた。
だけど私が十六になった秋、その時は突如として訪れた。
今でも思い出すのは私を糾弾する人々の群れ。
繰り返される怒号と、投げ込まれる石。それを避けることも叶わず、私は我が身ですべてを受け止める。
そう……私は一夜にして魔女と呼ばれるようになった。
正確にいえば、誰かの密告により魔女にされた。
この年に起こった災害も疫病も何もかもが私のせいであると、私は謂われなき罪を着せられ、魔女として一方的に裁かれることになったのだ。
これはもう神の話ではなく、人間の話。
自分たちの不幸を誰かのせいにしなければ生きていけないと、人の弱さと醜さが生んだ最悪の結末だった。
その間も、精霊たちは私の傍を離れようとせず、その小さな身体で私を庇い守ろうとしてくれた。
空からは大鷲に化けたサリュエルさまが幾度となく、暴徒と化した人間たちを追い払うために低空飛行をしてくれるが、我を忘れた群衆の前ではその効果は皆無に等しかった。
証言すら許されぬままに形だけの公開裁判は終わり、言い渡されたのは火炙りの刑。
それを聞いて私の胸に去来したのは、ルークさまへの想いで、この瞬間ようやく私はその想いに名前を付けることを自分に許した。
この想いは紛れもない愛だと最後の最後に認め、願った。
最後に一目だけでもいいから、ルークさまに会いたいと……………
この箱庭の鑑賞者でしかない創造主さまに祈ったところで、何も変わらないことは知っている。だとしても、この排除されるしかない魔眼の娘を少しでも憐れと思うなら、ルークさまに会わせて欲しいと心の底から祈った。
十字に組み立てられた処刑台に括りつけられ、枯れ木の枝を足元に存分に敷き詰められる。
不思議と恐怖はなかった。
ただルークさまに会いたかった。
そしていよいよ処刑されるとなった時、ルークさまが私の前に現れた。
十字架に準えた木の棒に磔にされた私の目線と同じ高さに、プカリと浮かぶルークさま。
そこにいつもの神々しさはなく、神さまでもこんなにボロボロになるんだな……と、今の自分の状況を棚に上げて思ってしまうほど、ルークさまは憔悴しきっていた。
「ルークさま、一体どうなさったのですか?酷くボロボロですが……」
「ユリアに言われちゃ世話ねぇな……」
当然、群衆たちにルークさまの姿は見えない。見えるのは私だけ。そのせいで、一人でブツブツと独り言を零す怪しい奴となっているだろうが、私にしたらそれこそもう今更な話のため気にもしない。
「ごめんなさい、ルークさま。結局私は足掻ききれませんでした。ずっとずっと守ってくださっていたのに………」
「謝るな、ユリア。謝らなければならんのは俺の方だ。これは豊穣と不毛の神と健康と疫病の神、そして愛と憎悪の神がお前を排除すべく人々に働きかけた結果だ。すまない……俺はユリアを守りきれなかった」
あぁ……そうか。だからこんなにもボロボロなんだと、漠然と思う。
きっと最後の最後までルークさまはどうにかして私を助けようと、他の神々さま相手に戦ってくれていたのかもしれない。なら、もうそれだけで…………
「いいえ、いつかこうなることはわかっていましたから、私は全然平気です。それに最後の最後に私の願いは叶いましたから」
「ユリアの願い?」
「はい。ルークさまにこうして最後に会えました」
強がりでも、嘘偽りでもない本当の気持ち。
それを証明するかのように、私は自然と微笑んだ。
その微笑みに、ルークさまの秀麗な顔が心痛で歪む。だけど私が最後に見たいのはそんな顔じゃない。
「ルークさま、いつものように笑ってください」
「笑えるかよ」
「だとしても、笑って欲しいです。これがお会いできる最後ですから」
無理難題を言っているのはわかる。それでもこの目に最後に焼き付けるルークさまの顔が、痛みしかないのは嫌だった。でもルークさまはやっぱり笑えないと踏んだのか、そのまま私を抱きしめ、私の首元に顔を埋める。
「ルーク…さま?」
「ユリア、このままよく聞け。亡くなった人の魂は浄化され、再び新たな命としてこの世界に戻る。それが輪廻だ」
「輪廻……」
「そうだ。浄化によって前世の記憶と穢れを消され、縁深き人の傍にまた生まれてくることだ。だが、ユリアの魂は浄化させん」
「えっ?」
「俺の権能をすべて使ってでもお前の魂をこのまま守り、ユリアをユリアのままで転生させる。悪いが魔眼もそのままだ。じゃないと俺のことが見えないだろ?」
「ルークさ……」
「そして次こそお前を幸せにする。必ずだ」
「幸せに……必ず……?」
「ああ、そうだ。俺はそのためにこの箱庭の世界で、何百年でも、何千年でもユリアの転生を待つ。だから、足掻け!諦めるな!」
「ルークさま、私は…………」
いつの間にか放たれ、舞い上がる炎。
その炎の中で私はルークさまに抱きしめられながら、この世界での終わりを迎える。
ようやく名前の付いたこの想いを口にはできなかったけれど、またいつか今の私のままでルークさまに会えるならその時に伝えればいいと、ルークさまが最後にくれた言葉とともに抱きしめる。
炎の熱さも感じず、熱狂する群衆の叫喚も聞こえない。とても不思議な感覚。
それでも私の身体はルークさまの腕の中で朽ち果て、五百年の時を越えて私はこの世界に転生した。
また魔眼を持つユリアとして…………
「やだ、いけない。のんびり遺品の整理をしてたら、すっかり夕方だわ」
煌々と西日が注ぐ窓を眇めた目で見やりながら、慌てて立ち上がる。 母が亡くなり一人になった家では独り言もし放題だ。だけど私の場合は…………
「ユリア、のんびりしすぎ」
「っていうか、ずっと呆けてたよ」
「口もポッカリ開いてた」
と、有り難くない情報つきで返してくれる精霊たちがいる。母がいる時は、精霊たちもそれなりに気を遣ってか、母がいないところだけでこっそり話しかけてきていたのだが、こちらも今や話し放題。遠慮などまったくない。
私はそれに苦笑しながら、ある決断を実行すべく少しばかり出かけることにした。
それは母が再婚を望んでいたジルさんに、同居を断りに行くことだ。
ジルさんは私より一回り上で、母よりも六歳下。
同じ町に住み、母娘家庭のウチをいつも気にしてくれる優しい人。
普段は、町外れにある工房で靴職人として働いており、仕事が休みの時は必ずウチに来て、女手ではできない力仕事をしてくれていた。
そして、母の死で一人になった私を思い、提案してくれた同居だったが、精霊たちが常に一緒にいるため淋しいと思う暇もないだろうし、内職もあるのでそこまで生活費に困ることもない。今すぐに結論を出さなくていいからとも言ってくれたが、変わらない結論を先送りにしたところで、無駄に時間が過ぎるだけでそれこそなんの意味もない。なので、私はジルさんの仕事が終わる時間を見計らって家を出ることにした。
が、しかし…………
私の足は町の広場に差し掛かったところで完全に止まった。
目的地すらすでに頭になく、ただただ我が目を疑う目の前の光景に釘付けとなる。
こちらをひしと見つめてくる黒き人型の塊と、その横に立つ黒き髪の男性。
「まさか……俺たちが見えているのか?」
見えてるも何も……と一瞬心が凍りつくが、それ以上に何故という想いが先行し、ポロリと口からその疑問が漏れ出てしまう。
「どうして……ルークさまとお母さんが一緒にいるの?」
何故、お母さんが……というより、何故、ルークさまがという想いの方が強く、我ながら薄情な娘だと頭の片隅で思う。
それでもなお、私の思考を、私の瞳を占領するのはルークさまで………
私の感覚で言えば十六年ぶり。
でもルークさまにすれば五百年ぶり。
その歳月の差は圧倒的で、私のことをたとえ忘れていたとしても仕方がないと思う。だから私は、一瞬凍りつきかけた心をそっと諭し、その再会に胸を熱く焦がす。
やっと会えた………今はそれでいい
西の空は茜。その茜を地平線へと押し沈めるように、東の空からはポツポツと星を浮かべ始めた薄闇がゆっくりと町を覆うように手を伸ばす。
カァー…カァー…カァー…
夜の訪れを知ってかどこか忙しくも、それでいて妙に懐かしささえ覚えるカラスの鳴き声が聞こえる。
そしてこの瞬間、私の不思議な日常は天を駆ける星の如く一気に回り始めた。