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ドアが閉まる。アステール様が呆然と呟いた。
「その……ティーダ先生はずいぶんとフィネー嬢のことを気に入っているんだね。普段の彼とは全く違うから驚いたよ。幼馴染みということだったけど」
「はい。彼女が平民だった時の話ですが、ティーダ先生の家に両親と住み込みで仕えていた……とソラリスからは聞いています」
「住み込み……。主人の息子に対する態度には思えなかったけど……いや、多分、先生が許しているんだろうな」
「私もそうだと思います」
好き放題言われても、怒るどころかニコニコしていたティーダ先生を思い出せば、そうとしか考えられない。
攻略対象のひとりであるティーダ先生にしっかりロックオンされているソラリスには気の毒だけど、わりとお似合いなのではないだろうか。
幼馴染みなら、互いのこともよく知っているわけだし。
「兄上。オレもこいつたちの用品を買いたいんだけど……」
おずおずとノヴァ王子が話し掛けてきた。その手にはいつの間に捕まえたのか、二匹の子猫がいる。手つきはまだぎこちないが、それはそのうち慣れるだろう。
弟の助けを求める声に、アステール様は頷いた。
「そうだね。城には猫の用品なんてないからいちから揃える必要があるね」
「ティーダ先生じゃないけど、オレも何を買って良いのか分からないから付き合ってもらえると嬉しい」
「それは構わないけど、私たちもまだまだ初心者の域を出ない。できれば、もっとよく知る人物に同行してもらった方が」
「……それなら、オレが付き添いましょうか」
声を上げたのはシリウス先輩だった。
「猫飼い歴はそれなりにありますし、最初に何が必要なのか教えることはできると思います」
「確かにシリウスなら安心だな……」
アステール様の言葉に私も頷く。
シリウス先輩にはリュカを飼い始めた時からお世話になっている。店選びから始まり、首輪の必要性やおやつの紹介など、助けてもらったことを上げればキリがない。
アステール様の言う通り、私たちはまだまだ猫飼い初心者。もちろん助けて欲しいと言われたら、できる限り手助けはするけれども、もっと詳しい人がいるのならその人にお願いした方が良い。
「私も、シリウス先輩ならお任せできると思います」
自信を持って推薦できる。
ふたりでシリウス先輩を推薦すると、ノヴァ王子もそれならと彼に言った。
「頼んでも構わないか?」
「はい」
「なら、頼む」
シリウス先輩が力強く頷く。絨毯の上に置いてあった段ボールを拾い上げ、ノヴァ王子に言った。
「分かりました。それならまず、必要なものを買いに行きましょう。夜には店は閉まってしまいますのでその前に」
「分かった」
「オレが通っている店に案内します」
ふたりの会話に思わず集中してしまう。
だって、シリウス先輩が通っている店。もしかして私がいつも行っている店とは別なのだろうか。
とても興味があったが邪魔をするのもどうかと思ったので口を噤む。
猫たちを抱えたノヴァ王子が私たちに言った。
「兄上に、義姉上。それではお先に失礼します。兄上、また今夜にでも部屋を訪ねても宜しいでしょうか。猫のことを聞きたいのです」
「もちろん。いや、私がお前の部屋へ行くよ」
「分かりました。お願いします」
アステール様の返事を聞き、ホッとしたように頷いたノヴァ王子はシリウス先輩と部屋を出て行った。
部室に残っているのは私とアステール様だけ。急に静かになってしまったなと思っていると、アステール様が私に言った。
「スピカ、私たちも帰ろうか。用事は終わったし、残っていても仕方ないから」
「そうですね」
返事をし、ふたりで部屋を出る。アステール様が部屋の施錠をし、ポケットに鍵を入れた。
「鍵、返さなくて良いんですか?」
「これは私の鍵だから。執行部の部長と顧問がそれぞれ鍵を管理しているんだ」
「そうなんですね」
それで会話が途切れる。放課後の学園内は、時間も遅くなったせいか、生徒の姿は殆ど見られなかった。二階の渡り廊下を歩く。帰るにはこちらを通るのが近道なのだ。
私の少し前を歩くアステール様の横顔を見つめる。自分の心の変化に驚いていた。
――不思議。
なぜだかとても気持ちが落ち着いていたのだ。気持ちを自覚してからずっと、アステール様を見ると緊張しかなかったのに。
これはどうしてなのか。
アステール様のことを好きではなくなったから?
ううん、多分違う。
だってアステール様を素敵だと思う気持ちは変わらないし、緊張はなくても温かく優しい気持ちが心を満たしているのだから。
ふたりでいるとしっくりくるというか……そんな気持ちになっているのだ。
今まで一度も感じなかったこと。これはなんなのだろうと思うも、嫌な気分ではない。
「子猫のこと、無事行き先が決まって良かったね」
自分の感情を理解できず戸惑っていると、アステール様が穏やかな声音で言った。それに頷く。
「はい。一時はどうなるかと思いました。その……飼い主が見つからなかったことはもちろん残念なのですが、結果としてノヴァ殿下が飼うと言って下さって良かったなと思っています」
「そうだね。それは私もかな」
正直な気持ちを話すと、アステール様からも同意の言葉が返ってきた。
猫の飼い主探しは結局失敗に終わったが、猫たちにとっては一番良い結果になったのではないだろうか。
自分たちを拾ってくれた人と一緒に居られるのだから。
「ティーダ先生も、きっとあの子を大事にしてくれるでしょうし」
「フィネー嬢が目を光らせているからね、きっと大丈夫だと思うよ」
「はい、私もそう思います」
おそらくティーダ先生が猫を飼うと言い出したのは、ソラリスに対する餌になると思ったからなのだろうが、いい加減なことはしないだろう。
そもそもソラリスが許さないし、先生がとても真面目な人だというのは有名だからだ。
「ノヴァの方の猫たちは、私も一緒に面倒を見るから……ええと、スピカも来てくれるんだよね?」
「はい、もちろん。行くと申し上げたでしょう?」
「それはそうなんだけど、念のため確認したかったんだよ」
「まあ」
心配性のアステール様に笑顔を向ける。子猫という素晴らしい餌があって、私が行かないなんてそんなことあるわけがないのに。
「たまには、三匹揃って会わせてあげたいですねえ」
「慣れたらそれも良いかもね」
子猫の話題で話が弾む。こうしてアステール様と猫の話をしている時間が私はとても好きだった。渡り廊下の窓から夕日が差し込んでくる。眩しいけれど、どこか温かいその光に目を眇めた。
「ねえ、スピカ」
「はい」
私の少し前を歩いていたアステール様がふと足を止め、こちらを見た。返事をすると、彼は柔らかく微笑み、手を差し出してくる。
「え……」
「せっかくだから、手を繋いで行こうよ。馬車までだけど」
「……」
無言で彼の手と顔を見る。
なんだろう。ふと、今だと思った。
いつもしてしまう緊張は今もしていないし、私の心も「うん」と言っている。
――いけ。いってしまえ。
今しかない、とそう思った。
そして、今なら言える、とそう直感した。
だから私は彼の手を取り、まるで今日の天気は晴れですよとでも言うくらい、自然に気持ちを告げた。
「好きです、アステール様」
「えっ……!?」
予想外のところから攻撃を受けた、みたいな顔をしたアステール様がこちらを見てくる。呆気にとられた表情に思わず笑ってしまった。
――ああ、こんなに簡単なことだったのか。
一回言葉として口に出してしまえば、楽なもの。
口にするまでは、絶対に言えないと思っていたのに。
アステール様をもう一度見る。彼は目を見開き、信じられないと言う顔で私を凝視していた。
「ス、スピカ……い、今……」
「アステール様、落ち着いて下さい」
アステール様の声がひっくり返っている。こんなに動揺した彼は初めて見たかもしれない。
自分よりも挙動不審な人がいると逆に落ち着くという話を聞いたことがあるが、きっとそれは本当なのだろう。だって、アステール様が慌てれば慌てるだけ、私は冷静になっていくような気がするから。
柔らかく笑う。握った手にキュッと力を込め、その紫色の目を真っ直ぐ見つめた。
ずっと、待たせていた。
与えられた『好き』が本心だと分かったのはつい最近だけど、自分の気持ちに気づいたのだってほんの少し前の話だけど、待たせていた期間は軽く十年を超えるから。そろそろ私も照れてばかりではなく、はっきり気持ちを伝えるべきだとそう思った。
でなければ、アステール様に申し訳ない。
「お慕いしています、アステール様。私、あなたが好きです」
「……スピ……カ」
声が響く。
私たち以外誰もいない渡り廊下。そのど真ん中で、私はようやくアステール様に己の気持ちを告白した。
ありがとうございました。
両想いになったここで、ひとまず第一部完結とさせていただきます。
また、10/4に『悪役令嬢らしいですが、私は猫をモフります2』が発売します。
加筆修正は勿論ですが、新規書き下ろしが70ページ以上あります。めちゃくちゃ頑張りました。イラストレーターは引き続き、めろ先生。
今回もリュカ視点があるのはもちろん、弟王子やティーダ先生の視点なども入れ、盛りだくさんでお届けする予定です。
第二部はできれば年内にはじめられたらいいなと思っています。両想いになってイチャラブする殿下とスピカを生ぬるい目で見守りつつ、引き続きお楽しみいただければ幸いです。
電子版は書籍版と同日発売。書籍でも電子でもご都合の良い方を是非お迎え下さいませ。
よろしくお願いいたします。