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「……何かしら」
「ほんと。グウェインも珍しい顔をしてるわ」
なんとなく小声でソラリスと会話を交わす。
見られているとやはり気づくものなのか、アステール様がふとこちらに視線を向けた。
「あ」
「スピカ!」
そうして嬉しげに駆け寄ってくる。ノヴァ王子とティーダ先生もこちらに来るようだ。
「珍しいね。君が中庭にいるなんて」
やってきたアステール様が微笑む。私はベンチから立ち上がり、彼に挨拶をした。
「こんにちは、アステール様。その……今日はソラリスと話していたんです」
「フィネー嬢と? ああ、そういえば友人になったと言っていたね」
「はい」
返事をする。隣に座っていたソラリスも立ち上がっていた。
「殿下、ごきげんよう。ご婚約者様をお借りしていますわ」
「君にも親しい友人ができたようで私も嬉しいよ。それがまさか私の婚約者だとは思いもしなかったけど」
「スピカ様にはとてもよくしていただいております」
「そうみたいだね。スピカからも話は聞いている。今後とも彼女と仲良くしてやってくれるかい?」
「恐れ多いことでございます。私でよろしければ是非」
「うん」
アステール様とソラリスのやり取りを黙って見つめる。
実際目にして驚いたのだが、ふたりの会話には甘さというものが一切なかった。別に仲が悪いとかそういうわけではないのだが……なんというか、無味乾燥としている。
――ふたりって、話してる時こんな感じなの?
もしそうだとしたら、ふたりの仲を誤解していた自分が恥ずかし過ぎる。今の会話を聞けば、ふたりがお互いを特別な存在と思っていないのは明らかで、誤解のしようもないからだ。
皆からの噂だけで嫉妬していたのだと気づけば、アステール様にもソラリスにも申し訳ないとしか言いようがなかった。
「で? ノヴァは何を持っているの?」
挨拶を終えたソラリスが、後ろにいるノヴァ王子に声を掛ける。ノヴァ王子がしきりに段ボールの中を気にしているようだったからだ。私も気にはなっていたので、そちらを見る。
その段ボールから小さな白と黒の固まりが顔を出した。その数は三。
「みゃー!」
「へっ!? 子猫?」
姿を見せたのは、三匹の子猫だった。真っ白な子が二匹に、黒の斑模様がある子が一匹。どの子もとても小さくて、リュカを拾った時より小さいのではと思うくらいの大きさだった。
「ど、どうしたんですか? この子たち……」
目を丸くしてノヴァ王子に尋ねる。その間も視線は猫たちに釘付けだ。小さな子猫たちは、自分たちに注目されたのが分かったのか、急にニャアニャアと勢いよく鳴き始めた。
ノヴァ王子が途方に暮れた様子で言う。
「……学園に登校する途中で拾ったんだ。ゴミ捨て場に捨てられているのが馬車の中から見えて……」
「ゴミ捨て場に? 酷い……」
「段ボールの中には毛布も敷いてあったし、間違いなく捨てられたんだと思う」
あり得なさすぎる言葉に眉を寄せる。小さな命を捨てるという行為が信じられなかった。
子猫たちはみゃあみゃあと鳴きながら、ノヴァ王子に向かって前足を伸ばしている。彼が自分たちを助けてくれたと分かっているのだろう。そんな風に見えた。
「最初は見なかったことにしようと思ったんだ。だけどやっぱり無理で……」
ノヴァ王子の声が小さくなっていく。
彼は前に生き物が苦手だと言っていた。それなのに子猫たちを見捨てず、拾いあげたのだ。
ノヴァ王子が優しい人だとよく分かる行動だった。
「どうしようもないから、とりあえず学園に連れてきて、ティーダ先生に事情を話して、執行部の部室にこいつらを置かせてもらったんだ。でも、当たり前だけどずっとは置いておけない。昼休み、部室に来て、どうしようかって思っていたら兄上と先生がやって来て……」
「とりあえず飼い主になってくれそうな人を探しませんか、と私が提案しました」
ティーダ先生が話を引き継ぐ。
執行部の顧問であり、魔法師団の副団長を務める先生の基本口調は敬語だ。黒縁眼鏡を掛け、相手に冷たい印象を抱かせる美貌の持ち主でもある。
ソラリスとは幼馴染みで、彼も攻略対象者らしいが……改めて見ると、確かに攻略キャラと言われても納得しかない容貌だった。きつめの顔立ちで、その表情も同様。かなり気難しい性格だということが外見からでも窺い知れる。
今も不機嫌そうに眉を中央に寄せていたが、多分意地悪というわけではないのだろう。
関係ない話だったのに、こうしてノヴァ王子に付き合っているくらいなのだから。
ティーダ先生の言葉に続き、アステール様も言った。
「今はちょうど昼休みだし、皆に子猫を見せて飼ってもらえないか聞いて回ろうかって話をしていたところだったんだ」
「そうだったんですね……」
なるほど、とてもよく分かった。
ノヴァ王子が抱えた段ボールを覗き込む。小さな猫たちはきょとんとした顔で私を見てきた。少し汚れてはいるが、全員元気そうだ。もちろん医者に診せる必要はあるだろうけど、パッと見た感じ、危険な状態の子はいない。狭い段ボールの中、わちゃわちゃと動き回っている。
ノヴァ王子が申し訳なさそうな声で言う。
「姉上。姉上のところには猫がいるだろう? こいつらを引き取れないかな。姉上だったら、安心して渡せるんだけど」
縋るような目を向けられる。全員の視線が自分に向かっていることを感じながらも私は首を横に振った。
「申し訳ありません。可能であれば引き受けたいところですけど、今はちょっと難しくて……」
まだまだリュカ一匹だけでも必死な状況。しかもようやく弟と仲直りした直後でもある。ここで更に猫を増やす……なんてさすがに言えない。
「本当に申し訳ありません。お力になれず……。ですが、飼い主探しは協力させていただきたいと思います」
私にできることと言えば、それくらいだ。
頭を下げると、ノヴァ王子は「仕方ない」と言ってくれた。
「オレも都合の良い頼みをしていると分かっているんだ。……やはり一般の生徒たちに頼むしかないかな」
ため息を吐きながら言う。そんなノヴァ王子に、私は余計なお世話かと思いつつも口を開いた。
「あの……飼い主探しですが、僭越ながら殿下は顔をお出しにならない方が良いかと思います。その……第二王子である殿下に『飼わないか』と聞かれたら、普通は『はい』しか答えられないと思いますから」
私はそれなりにノヴァ王子と面識があるから、先ほどのように『いいえ』だって言えるが、普通の貴族の子女にそれをやれと言うのは無理があるだろう。王子からの頼みは断れない。
たとえばの話だが、猫が嫌いであろうが「はい、よろこんで」以外を言えなくなるのだ。
身分とは、それくらい絶対的なものだから。
「あー……そっかぁ」
私の言葉に、ノヴァ王子も納得したような顔をした。彼だけではなく、ティーダ先生やアステール様も頷いている。
アステール様が黒猫の頭を優しく撫でながら言った。
「確かにスピカの言う通りだ。私も飼い主探しに参加しない方がいいね」
「ええ、間違いなく」
力強く頷く。
アステール様なんて絶対に駄目だ。次期国王に「猫を飼わないか」と言われたら……誰でも二つ返事で引き受けるだろう。
「……私は侯爵家の人間ですが……止めておいた方がいいでしょうね」
ティーダ先生も渋い顔をした。ティーダ先生に至っては、魔法師団の副団長というのもあるから余計に難しいかもしれない。
魔法師団に推薦されたいから、恩を売っておこう……なんて考える輩がいないとも限らないからだ。
「そういう意味では、私も難しいと思います。公爵家の人間ですし、その……アステール様の婚約者という肩書きもありますから」
手伝うと言っておいてなんだが、身分が高いという意味では私も皆と一緒だ。
アステール様も渋い顔で同意する。
「君に取り入りたい者たちは山ほどいるからね。となると……」
自然と皆の視線がソラリスに向く。
「えっ、私? ……あー、そっか。そうだよね」
目を見開いた彼女だったが、すぐに理解したように頷いた。
「私は、男爵家の娘だし、元平民のぽっと出。本当に猫を飼いたい人以外は、無視できるってことかぁ」
「ソラリス、ごめん。君にしか頼めない。お願いしてもいいかな」
ノヴァ王子がおそるおそる尋ねる。ソラリスは彼の持った段ボールの中にいる子猫に目を向け、破顔した。
「もちろん。子猫たちのためだもの。せっかく救った命。私だって、本当に猫を飼いたいって人にもらってもらいたいと思うから」
「助かるよ。ありがとう」
「いいの、いいの。あー……! 子猫可愛いっ。本当、私が飼えるなら飼ったんだけどなあ」
小さな猫たちに相好を崩し、ソラリスが笑う。そんな彼女を見ていたティーダ先生が口を開いた。
「ソラリス。君は猫が好きなんですか?」
ティーダ先生の問いかけに、ソラリスはなんでもないような顔で頷く。
「ん? そうだよ」
「知りませんでした」
「グウェインには言ったことないからね」
さらりと返すソラリスだが、なんというか塩対応だ。もう少し親しげな感じかと思っていたのに。それとも男女の幼馴染みとはこういう距離感なのだろうか。
私もアステール様とは幼い頃からの付き合いなので、自分たちとのあまりの違いに驚いてしまう。
ぽかんとしている私を余所に、ふたりは遠慮のない会話を繰り広げていた。
ティーダ先生が恨めしげに言う。
「私たちは幼馴染みなのに? 君のことならなんでも知っていると思っていたのに残念です」
「幼馴染みだからって、全部言う必要はないでしょう?」
「……冷たい。昔は、グウェイン兄さんと呼んで、慕ってくれたのに」
「昔は昔。今は今。昔の関係性をこんなところまで持ってこないで」
「私は君が学園に来ると聞いて、すごく嬉しかったんですよ?」
「おあいにく様。私は逆にグウェインがいると聞いて、回れ右をしたくなったから」
「ソラリス! そんなことを言わないで下さい!」
ふん、と顔を背けるソラリスに慌てたティーダ先生が、彼女の機嫌を取り始める。
ティーダ先生と言えば、冷静沈着。冷たいイメージしかなかったので、ソラリスと話している時の彼のギャップの差にクラクラしそうだ。
それはアステール様も感じていたようで、私にこっそり話し掛けてきた。
「フィネー嬢といると、ティーダ先生はずいぶんと砕けた感じになるようだね」
「ソラリスから聞いたのですけど、ふたりは幼馴染みだそうで」
「幼馴染み! なるほど。それであの気安さなのか……」
納得したという風にアステール様が頷く。しばらくソラリスの機嫌を取っていたティーダ先生だったが、私たちに見られていることに気づいたのか、慌てて誤魔化すように咳払いをしていた。
「……失礼。お見苦しいところをお見せしました」
「グウェインは、いつもこんな感じだから。ああもう、時間があまりない。ノヴァ、子猫をこっちに。今から少しだけでも皆に声を掛けてくるから」
「あ、ああ……。すまない。宜しく頼むよ」
「任せといて! あ、結果は放課後でいいかな。時間も時間だし」
確かに昼休みはもう終わりかけ。数人、声を掛けるのが精一杯というところだろう。更に皆で集まるというのは難しいかもしれない。
ソラリスの言葉に、ティーダ先生が返事をした。
「それなら、生徒会執行部の部室に集まることにしましょうか。今日、執行部の会議はありませんし、あそこなら私の管轄です。遠慮は要りません。昼休みが終わったあとは、そこに子猫たちを置いておきなさい。私は今日、午後の講義は入っていませんから、放課後まで見ていてあげられますよ」
至れり尽くせりだ。ソラリスも嬉しげに微笑んだ。
「ありがと、グウェイン。助かる」
「……いえ。別にあなたのためというわけではありませんから」
「はいはい。いちいち言わなくても知ってるって」
言い訳じみたことを言うティーダ先生に、ソラリスは全く気にした様子もなく軽く答える。
だけど私はその様子を見て、なんとなく気づいてしまった。
――やっぱりティーダ先生ってソラリスのことが好きなんじゃない?
ノヴァ王子は分からない。だが、ティーダ先生は、ソラリスを憎からず思っているような……そんな気がする。
――特定個人にだけ態度が変わるって、どう考えてもそうよね。
残念ながらソラリスの方にその気はなさそうだが……というか、ティーダ先生の気持ちに気づいているかどうかも分からないけれど。
ティーダ先生も攻略キャラと言っていたし、このまま彼女はティーダ先生ルートを突き進むのだろうか。いや、ソラリスなら全力で拒絶しそうな気もする。
ソラリスが子猫たちが入った段ボールをノヴァ王子から受け取る。できれば私もついていきたいところだけれど、私たちがいれば、皆を萎縮させるだけ。
それが分かっているだけに、待つしかない。
「じゃ、行ってくるね」
「気をつけて」
声を掛けると、ソラリスは「任せて」と笑ってくれた。
ソラリスだけに負担を掛けるのが申し訳ないと思いつつ、私たちは祈るような気持ちで彼女を見送った。