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第九章 誤解と仲直り


「……いよいよだわ」


 次の日の放課後、私は逃げ出したくなる気持ちを堪えながら、ひとり教室を出た。

 今から私はアステール様を捕まえ、多少強引にでも話をしなければならない。

 そして、何らかの結論を得なければならないのだ。


「これは罰、これは罰なんだから……」


 ブツブツと一人呟く。

 こうして自分に言い聞かせておかなければ、今日は止めておこう。明日に持ち越そうとしてしまうのだ。

 弱い己の心が恨めしいが、仕方ないではないか。

 だって私はアステール様のことが好き、なのだ。その好きな人に避けられている現状。話し掛けたって、碌な結果しかないだろうと分かっていて突き進むことができるほど私はポジティブな人間ではない。


「うう……ううう……」


 比喩ではなく身体が重い。アステール様が帰りの馬車に乗ってしまうまでに話し掛けなければならないと分かっているけど、身体が鉛のように重くて、思うように動かないのだ。

 胃の辺りがキリキリと痛む。

 もういっそのこと、「話し掛けようと思ったけど、アステール様はもう帰っていて無理でした」的な展開にならないだろうかと駄目なことを期待してしまう。


「うう……苦しい」


 昨日は晩ご飯も碌に喉を通らなかった。

 昨夜はソラリスのおかげで久しぶりに家族全員で食卓につけたのだけれど、私は今日のことが頭から離れず、胃がものを受け付けなかったし、弟は弟で、早速始まった罰という名の強制ダイエットに嘆くのに忙しく、家族団らんという雰囲気ではなかった。


「僕のご飯、これだけしかないの!?」


 絶望の声を上げる弟の隣で、私はスープ一皿食べるのもやっとという有様。正反対の私たちを見て、両親は困ったような顔をしていた。

 アステール様と明日話すのだと説明すると、なるほどと納得はしてくれたけれど。

 体調が悪すぎた私は早々にベッドに潜り、心配してきてくれたリュカを抱いて寝た。

 リュカはあったかくてモフモフで、とてもとても癒やされたが、すぐに自分がしなければならないことを思い出し、辛くなる。結局、ほとんど眠ることができず、今日という日を迎えることになったのだ。

 そんなボロボロの状態の私を見たソラリスは笑い飛ばしてくれたが、変に気遣われないのは気が楽だった。


「あ……」


 小さく声が漏れる。

 のたのたと歩いていた私の目に映ったのは、ちょうど帰城しようとしていたアステール様の姿だった。一歩遅かったを期待したというのに、そう上手くはいかないみたいだ。

 途端、胃がキュウッと締め付けられるような痛みを訴えだした。

 ストレスだ。これは間違いなくストレスに違いない。


 ――うう……話し掛けづらいわ。


 声を掛ける前から身も心もボロボロである。だが、私はやらなければならない。だってこれは罰なのだ。ソラリスも言っていたが、カミーユにだけ嫌なことを強制させるというのは違うと思う。

 私も、やらなければならない。


「……ア、アステール様」


 舌がもつれそうになったが、なんとか名前を呼ぶ。あまり大きな声ではなかったので聞こえなかったかなと思ったが、すぐにアステール様は振り向いた。久々に見た彼の姿に心が躍る。


 ――ああ、やっぱり素敵。


 美しい金髪も柔らかな紫色の瞳も、優しい顔も。好きだと自覚したからか、以前よりも愛おしく思えて仕方ない。

 私の好きな人。自覚するのに時間は掛かったけれども、確かに私はこの人のことが好きなのだと改めて認識した瞬間だった。


「スピカ」


 私に気づいたアステール様がわずかに目を見張る。声を掛けられるとは思わなかったという顔だ。その顔に胸がチクンと痛んだがなんとかやり過ごし、用件を告げた。


「そ、その……お、お話がしたいのですけど」

「……」


 返答がないのが辛い。緊張しすぎたせいか、胃液が喉まで迫り上がってきて気持ち悪くて仕方なかった。彼の顔を見た時に得た一瞬の多幸感はもはやどこにもない。

 あとはただ、この苦しい時間が早く終わってくれるようにと祈るのみだった。


「……私にはないよ」

「あ」

「忙しいんだ。じゃあね」


 ふいっと顔を背け、アステール様が言った。その言葉に胸が切り裂かれるような気持ちになったし、じゃあもういいですと言いそうになったが、今日に限っては逃げるわけにはいかないのだ。


 ――これは、罰。罰なんだから。


 免罪符のように「これは罰」と唱える。

 私は泣きたくなるのを堪えながら再度口を開いた。


「その……お時間は取らせません。少しだけ。……いけませんか?」

「……どうしても?」

「……はい」


 気が乗らないというのが一発で分かる声に心が折れそうになった。それでもなけなしの勇気をかき集め、頭を下げる。


「曲げて、お願いいたします」

「……分かったよ」


 はあ、と息を吐く音が聞こえ、頭を上げる。アステール様が悲しげな目をして私を見ていた。


「アステール様?」

「……話があるんだろう? こんなところでするのもどうかと思うし……馬車の中でもいいかな。屋敷まで送るよ。その道中に聞くから」

「……分かりました」


 アステール様の提案に頷く。

 避けに避け続けてきたアステール様との対話。どうなるのか分からないけれど、ここまで来たからには腹を括るしかないと思っていた。


◇◇◇


「で、話って何かな?」


 久しぶりにアステール様の隣に座る。馬車が走り出してすぐに、彼は話を振ってきた。どうやらひと息吐く余裕も与えられないらしい。

 私としても時間を置けば置くほど話しづらくなるから、この方が有り難いと言えばありがたいのだけれど、それでももう少しくらいは待って欲しかった。


「え、えと……ま、前に私が逃げてしまったこと、なんですけど」

「……うん」


 話すことは昨日の夜、考えた。順を追って話そう。まずは最初の、私が彼から逃げ出したところからと思っていた。

 なんとか心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返し、胸に手を当てた。


「あ、あの時は、逃げてしまって申し訳ありませんでした。その……午後の授業も休んでしまって……」

「……待ってって声を掛けたのに、君は走って行ってしまうんだものね。結局帰ってこなかったし。しかもその夜に『しばらく登下校は別にして欲しい』なんて連絡が君の父親から来るんだ。真意が知りたくて話し掛けようとしても避けられるし……ああ、これは本格的に君に嫌われたんだなと思ったよ」

「き、嫌? ち、違います!」


 ギョッとした。


「ア、アステール様のことを嫌いになるなんて、そんなこと……私の方こそあなたに愛想を尽かされてしまったんだって思って……」


 声が段々小さくなっていく。ついには俯いてしまった私の手をアステール様が握った。


「え……」

「スピカ」


 恐る恐る顔を上げる。真剣な色を湛えた紫色が私を見ていた。


「アステール様?」

「正直に答えて。……本当に私のことを嫌いになったんじゃなかったの?」

「ち、違います」

「本当に? じゃあ、どうして私のことをあんなに避けていたの?」

「そ、それはただ恥ずかしかっただけで……」

「恥ずかしい? どうして。普段から私たちは学園でも話しているよね? 意味が分からないのだけど」

「う……」


 当たり前だけれどやっぱり聞かれた。何と言えばいいものか、必死で考えているとアステール様が聞いてくる。


「というか、君、私に愛想を尽かされたと思っていたの? 何故?」

「これじゃ駄目だと思って話し掛けたらその……拒絶されてしまったので……」

「……なるほどね。私は君から決定的な言葉を告げられるんじゃないかと思って逃げていたんだけど」

「? 決定的?」

「婚約を解消したい、って言われないかなって」

「ええっ?」


 吃驚した。目を丸くして彼を見る。


「私が? あり得ませんよ。だってこの婚約は王家からのもので、私が自由にできるものではありませんし……」


 王族の意向をこちらから拒絶できるわけがない。そう言うと、アステール様は首を横に振った。


「絶対に無理ってことはないよ。君がどうしてもと言って父上に正式に話を通すのなら、父も考えないことはないと思うし」

「……」

「だからそれを言われたくなかった私は、君を避けてたってこと。婚約解消したい、なんて言われたら正気でいられる自信がなかったからね」

「……」


 ただ、アステール様を見つめる。

 アステール様が私を拒絶した理由に驚くしかなかった。

 アステール様が先ほど握った手に力を込める。


「今日はね、ついにおしまいかなって思ったんだ。断っても君は『話がある』って退く様子を見せなかったし。ああ、やっぱり君に嫌われてしまった、婚約を解消したいって言われるんだって思って、とても悲しかった。でも。それは私の勘違いだったんだね」

「あ……」


 アステール様が握った手を持ち上げ、自分の方へと引き寄せる。バランスが崩れ、身体ごと彼へと倒れ込んだ。慌てる私をアステール様が抱きしめる。


「ア、アステール様?」

「私は君を諦めてなくてもいいんだよね?」

「っ……!」



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