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「ソラリス……! 帰るんじゃなかったの!」
「ちょっと用事ができたから」
「用事って何! 具体的に」
「ちょっと、開けなさいよ」
私の言葉を無視し、ソラリスはカミーユの部屋の扉をガンガンと叩いた。力を込めて叩いているのか、かなりの音だ。
「ソラリス、ソラリスってば! ……何をしてるの!」
「見て分からない?」
「分かりたくないから聞いてるのよ!」
「ああもう! うるさいな! なんなんだよ、一体!」
勢いよく扉が開いた。カミーユが出てくる。弟は私たちに気づくと眉を寄せた。
「姉様と……何、こいつ」
「こいつとは失礼ね。私はソラリス。スピカの友達よ!」
ふんっと胸を張るソラリス。その隣で私はちょっと喜んでいた。友達と言葉にしてもらえたのが嬉しかったのだ。今まで友人が殆どいなかった私には、こんな些細なことすら喜びになる。
カミーユは胡散臭そうな顔でソラリスを見ていたが、私が否定しなかったからかどうやら納得したようだった。
「ふうん。姉様の友達、ね。で? その友達が僕に何の用?」
「一言言ってやろうと思って。あんた、猫にスピカを取られて嫉妬してたんだって? だっさいね」
「は? なんだって!?」
ソラリスの煽るような言葉にカミーユが敏感に反応する。顔を真っ赤にして彼女を睨み付けた。
「僕はださくなんてない。あの猫が全部悪いんだろ!」
「誰がどう見たって悪いのはあんたよ。姉が構ってくれないからって飼い猫に当たるなんて子供過ぎて馬鹿みたい。シスコンのかまってちゃん。謝ることもできないんだね。ダッサ!」
「は??」
カッとカミーユが目を見開く。その顔は般若のように怖かった。
「お前……!」
「事実だからって怒らないでくれる? スピカは自分も悪かったって非を認めて仲直りしようとしてるのに、あんたはそれすら受け付けないんだから。ねえ、いつまで引き籠もってるつもり? あんたがいくら引き籠もったって、何にも解決しないって気づいてた?」
「……」
ガンガンに弟を煽っていくソラリスを見ていると、眩暈がしてくる。弟は全身真っ赤にして、憤死しかねない勢いだ。
「ソ、ソラリス……私はもういいから……ほら……」
「何がもういい、よ! 全然、よくないでしょ! こういうことはね、はっきりさせないといけないし、時間が経てば……なんて悠長なことを言ってられないの。遺恨は残さないのが肝心!」
今度はこちらに矛先が向いた。ひえっと首を竦める。カミーユがガッと吠えた。
「姉さんは関係ないだろ! 姉さんに怒鳴るな!」
「怒鳴ってない! 私が怒ってるのはあんたに対してだけなんだから」
「は? なんで僕に。お前には関係ないだろ」
「ある! だって私はスピカの友達なんだから!」
ズバッと言い切るソラリスを、私はただ凝視した。カミーユもポカンとした顔でソラリスを見ている。
「……な、なんだよ、それ。姉さんの友達だからって」
「友達だから、悲しそうな顔をしているのが嫌なの。それも悪いのは弟のあんたの方なんだから。そりゃ突撃もするでしょ」
「……お前も僕が悪いって言うのかよ」
「当たり前でしょ」
カミーユの呟きにソラリスはせせら笑った。
弟は悔しげに俯いている。
「どこにあんたを庇える要素があるって言うの。構ってもらえなかった腹いせにやる悪戯にしては度が過ぎてる」
「ああもう! そんなこと、お前に言われなくても分かってるさ!!」
「カミーユ!?」
突然大声を上げ、ソラリスの言葉を肯定する弟に驚いた。カミーユを見ると、弟はキュッと唇を噛んでいる。
「分かってる。分かってるんだ! 本当は僕が悪いって! 言われなくても知ってる。だけど悔しかったんだ。最近の姉さんはいつも猫のことばっかりで。少しくらい僕を見て欲しかった。久しぶりに話せた時だって猫にかまけてばかり。僕のことなんてどうでもいいんだって」
「はっ、子供ね」
ソラリスが容赦なく断じる。カミーユは顔を歪めはしたが、彼女の言葉を否定したりはしなかった。
「そうさ、僕は子供なんだ。だって僕はずっと姉さんの一番でいたかった。それがあの猫に取られた。最近では王太子殿下も姉さんにべったりで、もう僕の入る隙間なんてないと思ったら辛くて堪らなくて……」
「それで、リュカを外に出したの?」
確認するように尋ねると、カミーユは微かに頷いた。
「せめて猫がいなくなればって思った。そうすれば僕の入る場所がまたできるかなって。あの猫は僕の大事な場所を奪ったんだ。だから謝りたくなかった」
「カミーユ……」
弟の本音を聞き、思わずその身体を抱きしめた。
「ごめんなさい、カミーユ」
「……」
カミーユは答えない。だけど私を振り払いもしなかった。
「本当にごめんなさい。あなたを蔑ろにしたつもりはなかったけど、結果的にそうなってしまったわ。約束したのにね。駄目な姉でごめんなさい」
この事件が起きたのは、やっぱり私が馬鹿だったせいだ。
私が、カミーユを追い詰めた。居場所がないなんて思わせてしまった。
力強くカミーユを抱きしめる。弟は身じろぎをし、小声で言った。
「……もういいよ。僕もごめんなさい。姉さんがあの猫を大事にしてるのは知ってたのに」
その言葉に首を縦に振った。
「あなたがちゃんと反省してくれたらそれでいい。謝ってくれたからそれでいいの。……でも、約束してくれる? 二度とあんなことはしないって」
前回は拒絶された約束を口にする。カミーユは今度はしっかりと頷いてくれた。
「うん。もうしない。あの猫のことは正直まだ複雑な気持ちだけど、姉様が悲しむ姿は見たくないし……何より姉様に嫌われたくないんだ」
「あなたを嫌うなんてそんなことあるわけないじゃない」
大事な弟なのだ。何があったって好きに決まっている。
抱き合う私たちを見ていたソラリスが「それじゃあ」と言った。
「あとは罰だよね」
「罰?」
弟とふたりでソラリスを見る。意味が分からないと思っていると、彼女は言った。
「さすがにね、やったことがやったことだから、謝って終わりっていうのはどうかと思うんだ。だから弟くんには罰を受けてもらわなければならないかなって」
「罰って……なんだよ」
不安そうにカミーユが聞く。その手は私のドレスを握っていた。何を言われるのか心配なのだろう。
ソラリスが私を見る。
「罰の内容は、スピカが決めるの」
「え、私?」
「そう。被害を受けたのはスピカなんだから」
「姉様」
カミーユが私を見つめてくる。その目を見て、理解した。
多分、これは必要なことなのだ。互いに遺恨を残さないためにも、きちんとしておかなければならない。
「……そう、そうね。確かに罰は必要だと私も思う。反省しているというのなら余計に。……あ、そういえばカミーユ、あなた、確か私に相談があるって言ってたわよね? 家庭教師の先生のことで」
「えっ……今その話を持ってくるの……?」
「だってずっと気になっていたんだもの。カミーユがなんの相談をしたかったのか」
それに揉める切っ掛けともなったことだ。この機会にせっかくだから聞いておこうと思った。
私が尋ねると、カミーユはボソボソと言った。
「……今の先生。前の先生より厳しいんだよ。もう嫌になるくらい。だからさ、父上に言って先生を代えてもらえるように頼んだんだけど、父上は駄目だって」
「そうなの?」
教師変更を父が断ったと聞き、驚いた。だってうちの両親はカミーユにかなり甘い。遅くにできた息子の願いは大体なんでも叶えようとするのがあのふたりなのだ。
「珍しいわね。お父様があなたの願いを聞かないなんて」
「うん。それでさ、埒があかないから姉様にも父上の説得を手伝って欲しくて」
「相談ってそれ?」
「うん」
真顔で肯定する弟を見つめる。カミーユとしては真剣なのだろうが、私としては全身から力が抜けるかと思った。
何と言うか……頭痛がする。