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◇◇◇
「……やるわ。今日こそはアステール様と話し合うのよ」
シリウス先輩に忠告された次の日の放課後、私は大きな木の幹に隠れながら自分に活を入れていた。
いい加減、アステール様を避ける日々にも疲れてきた。それに、彼から逃げることに心が痛みを覚えるのだ。好きな人をどうして避けなければならないのだろうという、とても当たり前の疑問をようやく抱いた私は、今日こそはと決意していた。
「アステール様が馬車に乗り込む前に声を掛けるの。一緒に帰りませんかと一言いえば終わる話よ。……大丈夫。アステール様は断ったりなんてなさらない。きっといつもの笑みを浮かべて「もちろんだよ」って答えて下さるわ」
今日、何度も心の中で練習した台詞を繰り返し、深呼吸をする。
今まで避けていたのに自分から声を掛けるなどハードルが高すぎだと泣きそうだったが、全部私が悪いのだ。これも試練と思い頑張るしかないと気合いを入れた。
「……よし、アステール様がいらっしゃったわ」
校門前に王家所有の馬車が停まる。アステール様が護衛と一緒に馬車に向かって歩いて行くのが見えた。今だ。今しかない。
私は隠れていた場所から姿を表し、緊張を押し隠しながらもアステール様に声を掛けた。
「ア、アステール様、ぐ、偶然ですわね。そ、その……」
くるりとアステール様が振り返る。すごく久々に彼の紫色の瞳と目が合った。心臓がものすごい勢いで鼓動を打ち始める。もはや痛いくらいだ。
それでも今日一日練習した台詞を言おうと口を開いた。
「あ、あの……」
「ごめん、スピカ。せっかく声を掛けてくれたのに悪いけど、急いでいるんだ」
「えっ……」
アステール様の「ごめん」という言葉に思考が止まる。目を見開く私に彼は言った。
「そういうことだから、ごめんね」
「あ……」
私に背を向け、馬車に乗り込むアステール様を呆然と見つめる。馬車が走り去り、見えなくなるまで私はその場から動けなかった。
「……嘘」
声が出たのは、彼が去って五分以上が経ってからのことだった。
あまりにもショックで、本気で思考が停止していたのだ。何せ、彼が私を拒絶したのはこれが初めてだったのだから。
今までどれだけ忙しくても彼は私の話を聞いてくれた。足を止めて「なに?」と笑ってくれた。それが当たり前だっただけに、今の彼の態度に驚き……傷ついたのだ。
――え、え……今、何が起こって……。
ようやく思考が再起動を始める。必死で彼の行動の意味を考えた。……いや、考えなくても分かるだろう。
彼は私を拒絶した。つまり私は嫌われたのだ。
「アステール様……」
最悪の結論に達し、眩暈がした。
恥ずかしくて避けていたらその間に嫌われたなんて誰が思うだろう。いや、当たり前なのかもしれない。ずっと話し掛けても無視され、逃げられて。いい加減嫌気が差したと言われても納得しかないではないか。
だけど、信じたくなかったのだ。
心のどこかにアステール様は絶対に私を拒絶したりしないという傲慢な思い込みがあった。
彼はいつでも私に微笑みかけてくれると勝手に信じていた。それが崩れ、恐ろしいほどの喪失感が襲ってくる。
「ど、どうしたらいいの……」
出した声は驚くくらいに頼りなく震えていた。為す術もなくその場に立ち尽くしていると、後ろから声が掛かる。
「どうしたの、スピカ。こんなところに棒立ちになって」
「ソラリス……」
話し掛けてきたのはソラリスだった。彼女は不思議そうな顔で私を見つめている。その顔を見た私は反射的に彼女にしがみついた。
「ソラリス……!」
「わっ! だ、だからどうしたのよ」
「わ、私……私、アステール様に嫌われちゃったあ!」
「えええええ!?」
ソラリスにしがみつき、わんわんと泣く。ソラリスは唖然としていたがすぐに立ち直ると、私を校門の外に連れ出した。そこには見慣れない馬車が停まっている。
驚いていると、ソラリスがポケットからハンカチを取り出し、私に差し出してきた。
「うちの家の馬車なの。とりあえず乗って。中で話を聞くから。その……誰にも聞かれたくないでしょ。こんなこと」
「……ありがとう」
涙声で頷き、ハンカチを受け取る。ソラリスの配慮に感謝しつつ、止まらない涙を堪えながら私は彼女の家の馬車に乗った。