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「そうじゃなくて……うーん、そうよね。私が全部悪いのよね。でもこっちだって、まさか前世持ちがもうひとりいるとか思わなかったんだもの!」
「……大丈夫?」
うがーと頭を抱えるヒロインの情緒が不安定すぎて、思わず声を掛けてしまった。
彼女は「大丈夫、大丈夫」と何度も頷き、私を見る。
「さっき、アステール殿下と話しているあなたを見て、おかしいなって思って。ううん、実は以前からも少し変だなとは思っていたの。悪役令嬢っぽくないというか……私、一度もあなたに虐められていないし」
「虐める?」
「取り巻きに命じて教科書を隠したり、階段から突き落としたりしてないでしょ?」
当たり前のように言われて、ポカンとした。
確かに乙女ゲームで悪役令嬢はヒロインを虐めることが多い。だが、それをすると思われるのは心外だった。
「それ、普通に犯罪じゃない。するわけないわ、くだらない」
これでも公爵令嬢としてきちんと育てられているのだ。
それなりの矜持はある。気に入らない子を犯罪まがいのことをして……なんてしようとも思わないし、大体私はリュカのことで忙しくて彼女を気にしている余裕すらなかったのだ。
信じられないという顔をする私に、彼女は乾いた笑いを零す。
「はは……そうよね。犯罪。うん、確かにそう言われればそのとおりなんだけど、そういうゲームだから。で! そういう展開なのにもかかわらず、あなたは何もしてこないどころか接触すらしてこようとしないから、なーんか違うな、おかしいなって気になってたのよ。アステール殿下の様子もアレだし」
「あれ?」
あれとはどういう意味だろう。首を傾げると、彼女は嫌そうに顔を歪めた。
「馬鹿みたいにあなたのことが好きじゃない、あの方。あんな甘々なアステール殿下、ゲームの個別ルートでも見たことないわよ」
「えっ……」
「ゲーム通りなら、アステール殿下は、我が儘放題のあなたにとうに愛想が尽きてるはずなの。大体、婚約自体も、元もと悪役令嬢側から無理やり結ばされたってことで、彼は気乗りしていなかったって話だし。つきまとってくる婚約者が鬱陶しくて、自分から接点を持つことなどなかったはずよ。入学時点であなたに対する好感度はすでにマイナス。一緒に登下校なんてありえないわ。それが毎日仲睦まじく同じ馬車で登下校? 最初にその話を聞いた時は顎が外れるかと思うほど驚いたんだから」
「え、え、え……?」
私の知らないアステール様の姿を語られ、目を丸くした。
婚約を持ちかけたのは、悪役令嬢――私側?
――嘘でしょ。最初から全然違うんだけど……。
私は混乱しつつも彼女に言った。
「婚約は王家からの命令って聞いているわ。お父様の方が乗り気でなかったって。断ってもいいって言って下さっていたくらいだもの」
とはいえ、特に断る理由もなかったので私は受け入れたのだが。
身分社会とはそういうものだと分かっていたし。
説明すると、彼女は渋い顔をした。
「ああもう、そこから違うのね。まあ別にいいんだけど。私、元々アステール殿下を攻略するつもりなんてなかったし」
「え」
今までの中で、一番すごい爆弾が落とされた。
聞き捨てならない言葉をさらりと告げたヒロインを凝視する。彼女は私の視線に気づくとギョッとした。
「な、何よ」
「……どうして? どうしてアステール様を攻略しないの?」
信じられない。
彼女に詰め寄る。
彼女が何を考えているのか分からなかった。ソラリスが一歩後ろに下がる。
「ど、どうしてって……好みじゃないから?」
「嘘でしょ」
好みじゃない?
あのどこから見ても美しいアステール様が好みでないなんて、彼女は目がおかしいのではないだろうか。
「嘘じゃないわよ。アステール殿下は好みじゃないし、攻略するつもりもない」
「待って……待って。え、もしかして、アステール様ってメインヒーローじゃないの!?」
「え? いいえ、メインヒーローで間違ってないけど。ゲームのパッケージでもど真ん中にいたし」
「そうよね? だったら何故?」
思わず彼女の両肩を揺さぶってしまった。
「アステール様は素敵でしょう? 見た目も美しい方だし、性格も素敵。勉強も魔法も剣だって誰よりも上手く使えるわ。努力を怠らない素晴らしい方なの。次期国王としてなんの不足もない。それなのに何が不満だって言うの!?」
「だから、好みじゃないんだって! 私は細身のイケメンより、ごついマッチョ系の方が好きなのよ!」
「……ごついマッチョ系」
すん、と真顔になってしまった。
マッチョ。それは確かにアステール様から最も遠い場所にあるカテゴリーかもしれない。
ぴたりと動きを止めた私に、ソラリスが言う。
「だから、アステール殿下は私の好みとは違うの。分かってくれた?」
「……え、ええ」
好みというものは千差万別、十人十色だ。だから彼女がマッチョな男性が好きだと聞いても否定する気はないが、まさかアステール様を選ばないなんて言われるとは思いもしなかった。でも――。
「え、でもそれならどうして私に宣戦布告なんてしてきたの?」
アステール様を選ばないのなら、私に喧嘩を売る必要はないと思うのだけれど。
だって私は悪役令嬢だ。おそらくはアステール様ルートで邪魔をしてくる予定の。
その私に喧嘩を売ったのだ。彼女がアステール様を攻略しようと考えていると思った私は悪くないはず。
それとも、だ。
私は他の攻略キャラのルートにもお邪魔キャラとして出てくるのだろうか。
たとえばひとりだけでなく、どのキャラのルートにも出てくるとか。
……それならまあ、アステール様狙いでなくても喧嘩を売られるのも分かるけど、それはそれで嫌だと思ってしまう。
しょっぱい気持ちになりながら尋ねる。彼女はポリポリと頬を掻いた。
「ええっとね。それはゲームでの悪役令嬢――あなたのことなんだけど、その子がものすごく嫌なキャラだったから。私、皆には幸せになってもらいたいって思ってるのよね。だから、殿下のルートに行く気はなかったけど、殿下にとって邪魔な悪役令嬢くらいは追い払ってあげようって思って親切心で……」
「親切心……」
「うんそう。入学式の日に偶然あなたと接する機会があったから、じゃあ、景気づけに先制攻撃を仕掛けてやるかって思ったの」