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こんなのでは駄目だ。私はこれから、アステール様と離れて生きていかなければならないのに。
痛み続ける胸を押さえる。アステール様達から目を逸らした。これ以上楽しげにしている彼らを見ていることができなかったのだ。
彼が本当に好きな人と結ばれることを心から祈っているというのに――。
「スピカ様? どうなされましたか? 顔色が悪いですけど……」
心配そうに聞いてくる令嬢に、意地と根性で笑ってみせた。
あの光景に傷ついたなんて、絶対に知られたくない。その一心だった。
「別にどうもしないわ」
「そう、ですか? でも、気分が悪くなっても仕方ないと思います。だって殿下ってば、最近ではずっとあの子と一緒に昼をおとりになって。スピカ様を蔑ろにして……」
「前も言ったでしょう? 殿下がどなたと一緒にいようと私は気にしないって」
「それはそう……ですけど。でもあんまりだと思います。スピカ様、腹は立たないのですか?」
真剣な顔で聞かれ、私は平然と頷いた。
公爵令嬢としてのプライドに賭けても、惨めなところは見せられない。
私は傷ついてなんていないのだ。
だってあれこそ正しい道で、私はそれを邪魔しないと決めたのだから――。
「腹なんて立たないわ。だって私はただ、婚約者というだけだもの。私自身は公爵家の娘だけどそれだけで、何の力も持っていない。殿下はお優しいからそんなことは言わないだろうけれど、ひとこと『婚約を破棄する』とおっしゃれば、それで終わってしまう脆くも薄い関係なのよ。そんな私に何か言えるはずがないでしょう?」
それは純然たる事実だ。
決定権は私にはない。全てはアステール様が握っている。それが王族との婚約というもの。
私からどうこう言えるようなものではないのだ。
私はただ、王家の決定に従うだけ。
「スピカ様……」
私の言葉を聞いた令嬢が、痛ましげな目で見てくる。
止めて欲しい。同情なんてして欲しくはないのだから。
「そういうことだから、気にしないで。私も何とも思っていないし」
できる限りの笑顔で言い切る。
そう、私に何か言えるような権利はない。だって私はアステール様の恋人というわけではないのだから。
ただ、幼い頃からの婚約者というだけ。
アステール様が私のことを好いてくれているというのは理解したが、それもヒロインとイベントを進めるようになれば蜃気楼のように消えてしまう儚いものなのだ。
周りがざわざわとし始める。
どうしたのだろうと思っていると、すぐ近くから脳髄を揺らすような甘い声が聞こえてきた。
「それは悲しいな。スピカからは、私を求めてはくれないの?」
「っ!」
誰の声か察し、慌ててそちらを向く。
いつの間にこちらに移動していたのか、アステール様が私を見ていた。
「ア、アステール様……い、いらっしゃったのですか……」
「うん。君がいることに気づいたから声を掛けようと思ってね。まさかこんな話をしているとは思わなかったけど」
「そ、それは……」
さーっと自分の顔色が青ざめていくのが分かる。
まさか今の話を聞かれていたなんて。
淡々とした口調だったが、アステール様が機嫌を損ねているのは明白だった。
だって美しい紫色の瞳が気に入らないと言っている。
「ひどいよね。私が一言婚約破棄を告げればそれで終わる関係、だなんて。しかもスピカはそれに対し、抗う気はないときた」
「あ、当たり前ではないですか……!」
王家の決定に私が何か言えるはずない。
顔面蒼白になりながらも答えると、アステール様は腕を組み、仕方ないというような顔をした。
「まあ、君の言いたいことも分かるよ。確かに、貴族の君は王家の命令には逆らえない。だけどさ、スピカは嫌だとは思ってくれないの? 私が婚約者ではなくなることを。さっきの話を聞いていたら、全然私のことを惜しんでくれていないみたいじゃないか」
「……惜しむって……。婚約者ではなくなっても、二度と会えないわけではありません。その……不敬と言われるかもしれませんが、友人として付き合っていくという道もありますし、私は別に……」
ずっと考えていたことを言葉にした。
婚約破棄された後は、友人として付き合っていきたいという私の密かな願いを。
だってそうすればきっとリュカも喜ぶだろうし、今と変わらない日々を送ることができる。それになんといってもアステール様と繋がりを持ち続けることができるのだ。
それはアステール様を諦めなければならない私にとって、唯一の関係を持ち続けられる方法だと思えた。
だが、アステール様は不快げに眉を寄せた。
「……何言ってるんだか。私は君と友人になる気はないよ」
「え」
「聞こえなかった? 私は、君と友人になる気はないと言ったんだ。何があってもね」
「……」
はっきりと言われた言葉に愕然とする。
全身から血の気が引く思いだった。
今、私はアステール様に『かかわりたくない』と言われたのだ。
婚約者でなくなれば、その後は関わりを持ちたくない。友人になるのさえごめんだと、そう告げられたと理解し、身体が震え出す。
――私は、そこまでアステール様に疎まれていたの?
「あ、私……」
「当たり前だろう。だって私は――スピカ?」
「っ!」
これ以上、アステール様の口から出る言葉を聞いていることができなかった。
だって耐えきれない。
嫌だ。無理だ、聞きたくないと思ってしまった。
だから私はその場から逃げ出した。
それが、聞きたくない言葉を聞かずに済む唯一の方法だと思ったから。
「スピカ!」
焦ったように私の名前を呼ぶアステール様。だけど振り返れないし止まれない。
今、彼に捕まったら、自分が何を言い出すか分からない。
――友達にもなりたくないって……。
その言葉を告げた時のアステール様の表情を思い出す。
間違いない。あれはアステール様の本音だ。
婚約を解消すれば私はお役御免で、友人としての価値さえない。
つまりはそういうことなのだろう。
一体私は何を勘違いしていたのか。
自分が恥ずかしくて嫌になる。
アステール様が私のことを好きだというのも、やっぱり間違いだ。
私はあくまでも義務としての婚約者であって、だから友人なんてあり得ないのだ。
そう考えるのが一番しっくりくる。